29. 種返し

 種返しの儀については、瑠美が翌日の大学を午前中で切り上げて、積極的に調査してくれた。

 こんな地方のマイナーな祭事、ネットの情報では詳しい歴史や儀式の手順までは調べ切れない。彼女は真波市まで出張して、この地方でも有数の蔵書量を誇る県立図書館を訪問する。


 見つけた関連書は『南蔵市史』と『種の物語――郷岐縁起』の二つ。

 後者は在郷の素人民俗学者が書いたもので、図版も無い薄い本ではあったものの、種返しにまつわる民話が収録されていた。


 午後一杯を読書とメモ取りに費やして、重要そうな部分はコピーしてもらう。

 大量のA4用紙で重くなったカバンを肩から提げ、彼女がブランに来たのは夜の七時前だった。


「こんばんは。成果はありましたよ」

「お疲れさん、何か飲むか?」

「じゃあ、アフォガート」

「それは飲むもんじゃない。晩飯前にデザートなのか」


 バニラアイスにエスプレッソをかけたアフォガート。

 エスプレッソどころか、カプチーノの注文も少ないため、せっかくの高級豆も減りが少ない。桐治が自分で飲む分と、バイト二人が好むアフォガート用となっていた。


 グラインダーが暫くガーガーとうるさく唸り、続いて大きな抽出音。店の隅で時間を潰していた男子学生の二人組が、何の騒ぎかと桐治の方に顔を向けた。

 大きなマグカップにアイスを、片口の付いた小さなカップにはエスプレッソを入れて、カウンターに座った瑠美の前へ。


 ゴミをまとめてくれていたミキが裏から戻って来ると、ご満悦な友人を見つけてマスターをなじる。


「私の分は?」

「いや、ご飯前だからね。我慢しよ?」

「私は晩御飯の後ですか。仕方ない、大人・・は我慢しないとねえ」


 彼女のわざとらしい嫌味も、瑠美の耳を素通りする。

 学生たちが帰り、店を閉めてから、夕飯の準備。図書館で得た情報は、麻婆茄子と中華スープを前に披露された。


「種返しの起源は古くて、平安まで遡ると言われてます。文献に登場するのは、室町時代からだとか」

「最初から、神社が主導する神事だったのか?」

「起源は分かりません。でも、民話をまとめた本がありました」


 瑠美が『種の物語』のコピーを桐治に手渡す。


 争乱の都から、北に落ち延びた一人の姫とその従者たち。都を出ても荒れた世は変わらず、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする世界となりつつあった。


 姫の名は佐夜さや。先祖は鬼斬りの猛者で、一族は皆、魔物の仇敵として狙われていた。

 彼女が洛外に逃げたこの時こそ、恨みを晴らす絶好の機会。鬼たちは佐夜姫を追い、二十人を超える従者は次々と凶爪に切り裂かれ倒れて行く。

 南蔵に辿り着いた時には、彼女を含め九人が生き残るだけだった。


 満身創痍の一行は、湖畔に打ち捨てられた古いやしろを宿とする。その晩、眠る佐夜姫の夢の中に、社のあるじである狗神いぬがみが現れた。


“珠を割るべし。散った狗玉いぬだまが其方を護り、魔を払わん”


 翌朝、姫が肌身離さず持っていた守護珠を石に叩きつけると、いくつもの小さな狗玉に分裂した。玉は従者たちの手へひとりでに移動し、彼らには抗魔の力が与えられる。

 襲い来る鬼共を全て切り伏せた後、狗玉の護る土地として、姫は南蔵に居を構えた。


 郷岐神社の境内には、守護珠を打ち据えたとされる巨岩が残り、その周りには今も狗玉の種が生まれると言う。


「“生まれると言う”じゃねえよ。リアルにポコポコ球が生えて来るのか?」

「私に聞かないでください。儀式で投げる種は、神主が用意してるらしいです。製法は代々伝わる秘密だって」


『南蔵市史』によると、“種返し”はかつて“玉返し”とも言われていたとある。

 古来、儀式で蒔いていたのは宿命球なのか。更には、そんなことを続けて、南蔵市の人々は平気なのだろうか。


 考え事に気を取られ、桐治のスプーンの動きが鈍る。

 ここまで大人しく食事をしていたミキは、一足早く食べ終わり、『種の物語』への感想を口にした。


「この話、色々と混ざってますよねえ」

「混ざってる?」

酒呑童子しゅてんどうじとか耳面刀自媛みみもとじひめとか」

「都落ちした姫の話があるのか? さすが文学部、よく知ってるな」

「それでもって、球で従者をパワーアップってところは、アレですよね……」


 ピンと来ない桐治と瑠美が、彼女の言葉の次を待つ。


「民話を聞いて、宿命球自体が似てる気がしてきました。魔力のある球、身体に浮かぶ痣。八犬伝ですよ」

「ああ、んー……えっ?」


 馬琴の書いた八犬伝は、江戸時代の物語。話の舞台は室町時代だったか。平安以前を思わせる民話とは、時代背景が随分と違う。

 そこまで物語に詳しくない桐治は、ミキに頼んで、宿命球との相違点を中心に内容を簡単に教えてもらった。


 八犬伝では、玉に選ばれた者の身体に牡丹型の痣ができ、玉には“仁義礼智忠信孝悌”のうち一字が浮かぶ。

 玉を持つ者は因縁に導かれて集まり、敵との決戦に挑んだ。勝利を収め、宿願を果たすと、痣も玉の文字も消え大団円。


「南総里見八犬伝、そういや名前も近いですね」

「南蔵……郷岐、八犬伝。いや、民話は八人かもしれないけど、神主が蒔いてたのは百くらいあったぞ。百犬伝じゃん」


 桐治のツッコミを、瑠美が訂正する。

「大昔から続いた儀式なら、もっとでしょう。南蔵郷岐三万二千犬伝」

「多すぎるわっ! 日本全国ワンワンだらけにする気か、うるせえよ」


 両手で頭を抱えた彼は、しばらく天井を見上げて、八犬伝と宿命球について考える。

 時代からすると、八犬伝の方が後年の作。馬琴は南蔵の話からインスピレーションを得たかもしれないが、八犬伝自体は全くのフィクションだろう。


 それでも、物語の最後に痣が消えることに、期待を抱かざるを得ない。桐治たちが何かを成し遂げれば、宿命球も役割を終えて消えてくれるのか。


「やっぱり、神主をとっちめないと、肝心のところが分からない」

「南蔵まで行くんですか? かなり遠いですよ」

「それがな、その必要はなさそうなんだよ」


 瑠美が図書館にいる頃、桐治は仕事の合間を見て、小吹田へ電話を掛けていた。

 南蔵市との交流事業に関して質問するためだったが、その時、耳寄りな情報を入手する。


 種返しの儀は、種拾いまで行って初めて意味が有る、そんなことを郷岐の神主が主張してきた。

 湖に流された種は、不完全な玉となって漂着しているはず。その玉を回収したいというのが、先方の希望である。

 これは兼崎湖周辺で見つかった宿命球の出来損ないを指しているのは明らかで、市役所が集めて神主に渡すこととなった。


「このために、南蔵市役所の連中が出張してくる機会に合わせて、郷岐の神主もまた来るんだとよ」

「わざわざ本人がですか。いつ?」

「来週の月曜日。朝来てその日の内に帰るらしい」


 幸いなことに、地元写真家である野上氏に、南蔵の撮影を依頼することが計画されている。

 観光協会の仲介という形を取るため、会合場所は協会の会議室。小吹田も同席する上に、郷岐神社も撮影対象らしく、神主も来る。

 桐治たちも参加を希望したところ、快く承諾された。確認を取った野上も、是非また会いたいと言ってくれたそうだ。


 宿命球の謎も、これでようやっと解明されると考えた三人だったが、そうすんなりと事は運ばなかった。





 球関連の依頼も無く、平穏に週末の営業を終えたブラン。

 揉め事と言えば、アフォガートを食べ忘れていたミキが、土曜日にそのためだけに店に来た時くらい。アイスが切れてしまっていたため、彼女は地団駄を踏んで悔しがった。


 月曜日の朝早く、桐治はアパートで身支度を整える。一応、公の場に出席するので、着ていく服にはいつもより堅めの格好を選んだ。

 顔を洗い、白シャツに着替え、よれたスーツを出す。

 食卓でハムエッグをトーストに乗せて食べている時、ボトリと嫌な落下音がした。

 発信源は彼の足元、天井から落ちた黒毬藻が、朝っぱらからデカい眼で彼を見上げる。


「こんな時に出てくんなよ。えっと、球は……」


 テーブルの上に財布と並べられた宿命球を握り、黒い居候に退去を命じる。

「上へ帰れ!」


 跳ね上がった毬藻は、一度机に乗ると、壁に向かってジャンプした。

 いつもなら、そこから更に天井へ跳ぶのだが、今日は少し様子が違う。桐治の背後の壁には、グレーのジャケットが掛かっていた。

 上着の胸辺りにぶつかった黒毬藻は、スルスルと布地に吸い込まれる。


「あっ、やめろよ! 染みになっちまう」


 宿命球を振り上げ、彼は何度も同じ命令を繰り返した。


「上に行けっ、上だって!」


 黒染みは肩口までは移動したものの、そのまま背中に回り込んでしまう。

 球の命令に従うはずの毬藻は、反応はしても桐治の上着から出てこようとしなかった。


 この球、こいつらを服従させるんじゃなくて、話が通じるだけなのか……?

 服の背中には、油が付着したような染み。

 球を擦り付ければ消えると分かっていても、ここまで来て殺すのも躊躇われた。放置するなら、これを着るしかない。


 皿を洗い、上着の袖に腕を通す。毬藻が付いていても、重量は変わらないようだ。

 部屋を出て車に向かうと、既にミキが立っていた。


「ちょっと背中を見てくれ」

「背中? ……ひっ」


 桐治の肩甲骨辺りに開いた邪眼に、彼女は反射的に球を取り出す。


「あっ、こいつは例の住み着いてるやつだ」

「……ああ、あの毬藻さんですか。驚かせないでください」


 上着に染み込んでしまったことを説明すると、彼女も渋々、連れ出すしかないことに同意する。


「上着、もう一着買ったらいいのに。みんなビックリしても知りませんよ」

「他のやつには、見えにくいみたいだしさ。誤魔化せないかな」

「後で瑠美にも聞いてみましょう」


 二人は車に乗り込み、まずは瑠美の家を目指した。

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