09. 顛末

 玉が在ったのなら、近くに食われた犠牲者がいると言うこと。

 既に事件を報道で知っていた桐治は、亀が食べた相手に見当を付け、柳岡に連絡した。


 糸を辿り、あし原の底に半ば埋まるように見つかったのは、被害者の頭部だった。

 発見時の様子を、柳岡が語る。


「酷いもんだったよ。食い散らかされて、半分は骨と髪だけになってた。連れてった新人には、刺激が強かったな」

「見つかったのは、頭部だけ?」

「おう。これが最後だ。全部揃って、成仏しやすくなるだろう」


 桐治と柳岡は、これで事件の話を切り上げる気だったが、女子二人は納得しない。

 亀や玉について補足したのは、意外にも刑事の方だった。


「お前さんたちが見たのは、髪が生えてたんだろう? 頭が自分を探して欲しかったのかもな」

「亀に被害者が乗り移ったということですか?」


 甲羅に浮かぶ顔を思い出し、ミキが肩を震わせる。


「人の魂魄が固められたのが、尻子玉だ。尻子玉を抜かれるから死ぬんじゃない、死んで抜けた魂が玉になって、亀の尻から出るんだよ」

「刑事さん、詳しいですね」

「そりゃ、こんな男の相手をしてたら、くだらない知識も増えるさ。中津、だったか。あの高校生はどうなったんだ?」


 男子高校生が発端になった経緯は、最初に一報を入れた際、柳岡へ説明している。

 件の悪夢のその後については、今朝電話で聞き出した瑠美が話した。


「昨夜は快眠出来たって。礼を言われたそうよ」

「礼って、亀から?」

「違うわよ。球女の癖に鈍いわね。黒髪の女、多分被害者かしら」


 事件が落ち着いたら、柳岡からも中津に電話を入れると言う。

 被害者の納骨が済み次第、玉を骨壺に同梱したらどうかと提案するそうだ。


 一連の会話を、自分もコーヒーを飲みながら聞いていた桐治は、最後にどうしても一言口に出したくなった。


「あのさ、魂とか、乗り移りとか言ってるけどさ……そういうの、あんまり信じない方がいいよ」

「出た、またこれだ。こいつはいつもこの調子なんだよ」


 柳岡が大袈裟な身振りで、呆れてみせた。


「こいつの周りはこんな話ばっかりなのによ、頭から信じちゃいねえ。挙げ句の果てに、俺のことを心霊警部だとか言いやがる」

「心霊警部補です。こそっと昇進しないでください」


 これまでは、心霊現象の実在を力説する自分が嫌になり、柳岡が折れることで決着するのが常だった。

 しかし、今日は援軍が二人もいる。援軍一号、ミキが反論の口火を切った。


「中津君が見た夢、玉のせいですよね。解決したら、礼まで言われてるし。霊がいなければ説明が付きません」

「有り得ないことを見るから、夢なんだろ。夢が証拠だなんて、今時子供でも言わないぞ」

「でも、被害者が夢に出たわけで……」

「夢だからな、何でもアリだ。被害者の頭が家まで飛んで来たんじゃないだろ?」

「え、あれ? うーん……。塩、タッチ」


 ミキは言葉に詰まり、隣に座る二号の肩をポンと叩く。

 やれやれと瑠美が首を振り、自分のスマホを取り出した。


球力たまぢからが足りないからよ。これを見て、動かぬ証拠が有る」


 画面に表示される、薄暗い湖畔。遠くにさざ波、葦の岸、それだけだ。


「兼崎湖か。夕景も撮ってなかったか? 何も無くて地味だな」

「そう、何も無い。昨夜の写真には、何も写らなかった。亀どころか、もやすら撮れなかった」


 ミキの触れていたカップが、カタンと小さく鳴った。

 次々とスライドされて表示される写真には、全て湖畔の闇だけしか写っていない。

 身を乗り出したミキは、食い入るように画面を見る。


 瑠美の指がコツコツとカウンターを叩き、桐治に返答を促した。

 最後まで見終わった彼は、至って真面目な顔で感想を述べる。


「塩のスマホ、性能悪いなあ」

「最新型ですっ!」

「じゃあ、腕が悪いのか。まあ、デジカメなんてそんなもんだ、気にすんな」

「なっ!?」


 面白そうに成り行きを見守っていた柳岡が、カップを持ち上げつつ、彼女たちの敢闘を応援した。


「頑張れ、嬢ちゃんたち。こいつは手強いぞ」


 二人は昨夜の体験を事細かに語り、ミキは腕を縮めて亀の動きまで再現したが、桐治は一笑に付すだけだ。

 議論を続ける内に、もう亀の仕業ということでよくなってくるのが厄介である。

 コーヒーを飲み干した柳岡が、小銭をカウンターに置き、席を立った。


「俺の用は報告だけだ。狭山もあんまり事件に首を突っ込むなよ」

「亀に言ってください。いや、塩かな」


 言動はともかく、父親に似てきた彼の顔付きに、警部補は少し懐かしさを覚える。

 ショップカードを取ってポケットに入れた柳岡は腐れ縁の深さに苦笑いしつつ、濡れる街へと飛び出して行った。





 その晩、人知れず怪奇現象を扱った実録ホームページが更新された。

 掲載されているのは球に関連する話ばかりで、最近開設されたばかりのサイトである。


『兼崎尻子玉事件』そう名付けられた最新ページには、風景画像も豊富に貼付けられていたものの、まだアクセス者は少ない。

 “情報提供はこちらへ”、ページの下部には、専用のメールアドレスへのリンクも設置してある。

 深夜、スパムメールだらけの受信箱をチェックした管理人たる瑠美は、件名からして雰囲気の違う一通に目を止めた。





 水曜日、瑠美は特にオカルトな発言はせず、普通の女子大生のフリをして定時まで働く。

 いや、これは穿ち過ぎか。勾玉の数も一つに減り、見た目は真面目な学生だ。

 接客態度も良く、何よりレジや調理など細かな雑事に強い彼女は、店員として優秀だった。


 瑠美もミキも、桐治が考える以上に店のイメージアップに貢献している。

 女性客や若い学生も増えた方が、開店したばかりの喫茶店としては嬉しいため、桐治は彼女たちの意見も積極的に取り入れることにした。


「店のメニューに、パンケーキを加えようと思うんだけどさ」

「人気ありますからね。喫茶店の定番です」

「若い子向けに、なんか洒落た出し方ってないかな?」


 あまりボリュームを売りにしたくはないので、多段重ねは避けたい。生クリームたっぷりも、桐治の好みにはそぐわなかった。

 少し店内を見渡しながら考え込んだ瑠美は、パンケーキアートを提案する。


「焼き跡で、絵を描くんです。狭山さん、ラテアートもやってるでしょ。アート系で行きましょうよ」

「いい案だけど、できるかなあ」

「最初は単純なのでもいいんです。練習あるのみ」


 彼女はいくつかデザイン案を紙に描いてくれた。

 流星、ハート、猫の顔。桐治が試しにと選んだのは、スマイルマークだ。


 ラテアートも、開店前に特訓して、簡単なものならマスターできた。パンケーキでも挑戦してみよう。

 彼は試作するために厨房に入り、早速、生地を準備する。


「焼きゴテが無いと、描きにくいですよ?」

「とりあえず、ナイフで試してみる」


 木の柄が付いた長いパン用ナイフが、棚の奥にあったはず。揃えた調理器具で、普段は使わない物は、目に付かない場所に追いやられていた。

 トーストカッターも二本は現在使用中で、桐治が思い出したのは歯の鈍った中古の予備だ。


 閉店が近付き、寂しくなった店を瑠美に任せて、彼は厨房に篭って黙々とパンケーキを焼き出した。

 十枚ほど焼き上がった頃合いで、桐治は瑠美に見てもらおうと店に持って行く。暇そうにカウンター席に座る彼女の前に、パンケーキを載せた皿が並べられた。


「どうだろ。最初だし下手くそだろ? なんかアドバイスがあれば言って欲しい」

「…………」


 押し黙る瑠美に不安を覚え、桐治は頭を掻く。


「ちょっと口を失敗してしまってさ……」

「……素晴らしい!」

「え、これが?」

「まさにパンケーキの芸術。闇のパンケーキ・アーティスト」

「形容詞は不穏だけど、悪い気はしないな。そうか、これでいいのか」


 閉店十分前、二人で食べてしまうには、十枚のパンケーキはちょっと多い。

 瑠美に持って帰ってもらうのに、何枚要るか聞こうとした瞬間、カランカランと音がした。


「こんばんはー」

「あれっ、ちょうどよかったけど、何か用か?」

「呼ばれたんです。会議があるって」

「会議? まあ、それよりミキも見て意見を言ってくれ」


 匂いで皿の中身は察したらしく、パンケーキは好物なんですと、にこやかに彼女はカウンターに近付く。

 皿を上から覗き込むや否や、彼女は絶叫した。


「ぎいぃやぁーっ! カ、カッパァ!」

「河童!?」


 縦に潰れた黒い目、同じく溶けるように伸びる口。

 スマイルマークは無惨に変形し、桐治がうっかりナイフを滑らせて、眉が描かれたものまであった。


「なんで昨日の河童の甲羅を再現してるんですか!? それもこんなリアルに!」

「そんなつもりは……」


 なぜかスマホで一皿ずつ撮影していた瑠美が、動転する同僚をたしなめる。

「これは芸術。呪術アートよ」

「何もパンケーキでやらなくても……」

「パンケーキだからいい。店の名物になるもの。名前も考えたわ」

「……何?」

「尻子焼き」


 二人の反応の極端な違いに、桐治も困惑を隠せない。

 どう見ても化け物の顔を写したパンケーキアートも、彼がそう感じるには色々と欠落した物が多過ぎた。


 この日、各所のSNSに投稿されまくった“尻子焼き”は、なんと一部マニアに絶賛される。

 翌日以降、これをリクエストをする客が来店し始め、なし崩し的にブランの定番メニューとなって行った。


 何か奇妙な喫茶店ブラン。

 白いキャンバスが、意味ありげに客を歓迎する。


 やっぱり不思議な二人のバイトを加えて、桐治たちの物語は、こうして始まったのだった。

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