第四球 宿命球

25. 調べるべきは

 火曜日の夕方、瑠美は厨房の方を気にしながら、尻子焼きを食べに来たカップルの相手をしていた。

 その厨房では、桐治が誰かと電話中だ。その前も他の人間と長電話をしており、彼の行動としては珍しい。


 どこへ連絡をとっていたのか、その答えを彼女が尋ねるには、結局その夜を待たなければいけなかった。

 閉店後、ミキが来て、何度目か分からない球会議が開催される。


 今晩のメニューは、ミキ特製のオムライス、卵多めバージョン。

 皆でトロトロの卵をスプーンですくい、ケチャップライスと一緒に口へ放り込む中、瑠美が夕から抱く疑問を桐治へぶつけた。


「今日はあちこち電話してましたよね? ブランの話じゃなさそうでしたけど……」

「さすがに耳聡いね。球関連だよ」

「いよいよですか。球が鳴ります」

「どういう慣用句なのよ、それ」


 彼が最初に電話を掛けた先は、半木家だ。宝珠修復後の本殿や茜の様子に加えて、いくつか確認したいこともあった。

 次の相手が静村で、彼には適当な人物を紹介してくれるよう、依頼している。

 コブシ玉の一件は秦樽観光協会にとっては残念な結果に終わったものの、青年は未だに桐治に深く感謝しているようで、快く仲介を引き受けくれた。

 球の話題になったことで、瑠美は聞きそびれていた質問を思い出す。


「そう言えば、修復の時、珠は“外圧”のせいで割れたって言ってましたよね?」

「ああ……」


 見名瀬神社での一連の騒動には、複数の出来事が絡み合っている。

 火焔宝珠の亀裂、神社に集まる黒い異形たち、茜の宿命球。今になって思い返してみれば、彼はその時系列を勘違いしていたことに気付いた。


 宝珠が割れたせいで影が集まった、その因果関係は間違いだ。

 茜に宿命球が現れ、次に影や黒毬藻が集う。それを受けて、負のエネルギーを浴び過ぎた宝珠がヒビ割れた。これが正しい。


「つまり、宿命球の周辺に、黒い連中が増えるんだと思う」

「えっ、狭山さんやミキの周りにも、そういうのが出るの?」


 桐治は斜め前に座るミキに、彼の推論への同意を求めた。


「最近、多いよな、ミキ?」

「毬藻さんは、一週間で復活しますねえ。またバルサー買ってこないと」


 随分と逞しくなった彼女に、瑠美はいたく感心する。環境は人を変える、ミキは正にその実践例だった。

 それにしても、宿命球が桐治の言う“黒い連中”を引き寄せるなら、見名瀬神社には茜の球がある限り、厄介者が出没し続けるということ。

 その点を瑠美が指摘すると、桐治はオムライスを食べる手を止め、電話の内容を詳しく話し始めた。


「半木の家が見名瀬稲荷だったのは、不幸中の幸いだった。あの本尊の龍眼は、茜にとっては、本当に守り神だな」

「悪霊を退治してくれるの?」

「そうじゃない。龍眼の方が力が強いから、宿命球に呼び出された奴らも、本殿に行ってしまうのさ」


 この話に得心のいった彼女は、その印と言わんばかりにスプーンをピョコンと立てて持つ。

「だから、定期清掃なんですね。本殿に来たのを浄化していけば、珠も割れないし、茜ちゃんも無事、だと」

「そういうこと。半月に一回も掃除すれば、充分じゃないかな」


 だが、それだけでは根本的な解決にはならない。ミキも経験を積んで毬藻の相手は平気になったものの、手首の紋様は今も悩みの種だ。

 常に長袖のシャツを着て、ブレスレットを上から嵌めているのは、他人に見られたくない証左だった。


 宿命球、こいつはどうやれば消えるのか。そもそもどういう来歴のものなのか。

 その疑問に答える手掛かりを得るのが、今日、桐治が電話した一番の目的である。


「半木には、カネッシーのことも尋ねた」

「カネッシー? 何でまた」

「宿命球が、兼崎湖から拡散してるっていう篠田さんの推測は、もう間違いないと思う」

「瑠美」

「え?」

「瑠美でいいです。ミキはミキで、何で私は篠田さんのままなんですか」


 怖いから。いや、それは言い過ぎにしても、何だか“さん”付けが似合うからだ。ミキがゆるふわなら、瑠美はカタシオという感じだろうか。

 そんなことを考えながらも、「瑠美の説は正しいと思う」と彼は言い直した。


「そうだとすると、兼崎湖に何があったか、だろ? 球が現れ出したのは、八月から九月。その時期に、宿命球が産まれた原因がある気がする」

「確かに、球情報はその頃から急増してますね」


 桐治が現在知っている、夏の兼崎湖で起きた異変は二つ。

「今のところ考えられるのは、バラバラ殺人事件と――」

「カネッシー目撃ということですか。でも、あれって半木さんの狂言だったんじゃ」


 彼は首を横に振り、電話で宮司に聞いた話をする。

 カネッシーを最初に目撃したのは彼の娘、茜だった。少女は夕暮れの湖岸を散歩していた時、湖面から伸びる首を見たらしい。


「もちろん、彼女の見間違いかもしれないけど、嘘をつく理由は無い」

「本当にいるなら、球と関係ありそうですね」


 まあ、あの絵は酷いが。ピンクの巨大目海竜は、茜が夢見た妄想図ということで、そこに一欠けらの真実も存在しない。


 静村に頼んだのは、このカネッシーの情報を詳しく知ってそうな人材だ。

 兼崎観光協会には、秦樽から移籍した彼の先輩がいるらしく、話を聞くにはちょうどいい。

 可能なら、夏からの兼崎湖での出来事を総覧できるような資料も希望しておいた。


 この静村の先輩には、いくらか謝礼を払うことも桐治は覚悟していたが、これは杞憂に終わる。

 翌日、その兼崎観光協会の小吹田こぶきだあつしとは、店で直接会うことになった。

 夜の八時にブランで待ち合わせたため、気になったミキと瑠美も閉店後に集まり、連日の球会議を準備する。


 現れた小吹田は、謝礼どころか、彼の方が金を払うと言い出しそうな勢いだった。





「このピザ、美味いですね! 店のメニューですか?」

「デリバリーだ。駅前の店」


 この夜のメニューは、紀多駅前のピザーレ・ボルジアに注文した。

“あなたのハートをピザーレが毒殺!”

 奇抜なキャッチコピーが人気の全国チェーン店、味も刺激が強くて小吹田には好評のようだ。


 静村の先輩というので桐治と同い年くらいの人物を想定していたが、見た目はもっと若々しい。

 背が高く、ガッチリした身体つきは、尻子玉の時の男子高校生に似ている。まだまだ体力には自信があるといった、スポーツマンタイプの青年だった。


 とっとと四人で食事を済ませ、テーブルの上を片付けると、本題の会議が始まる。コピー用紙を繋げ合わせた、かなり大判の兼崎湖周辺地図を、小吹田が机に広げた。

 さらにその横に、彼が試作したA3版のカラーの観光地図、タイトルは、“兼崎オカルトマップ”。

 嫌な予感に、桐治の表情が曇る。


「最近、兼崎では大心霊ブームなんです。これは利用しない手はないと思いまして」

「……この湖の中央に描いてるのが、カネッシーか」

「はい! やっぱり主役はこいつです。着ぐるみも制作中なんですよ」


 楽しげに語る青年に反比例して、桐治どころか女性二人のテンションも降下して行った。

 ミキも瑠美も、球力たまぢからをナメるとどうなるか、もう骨身に染みている。凍結するか、炎上するか。どちらの道も自殺行為だ。


 依頼を聞き、小吹田が喜んでブランに飛んで来たのは、この地図をプロ・・に監修させようという意図だった。各パワースポットを巡り、コメントもして欲しいとのこと。

 果して桐治が素直に協力するだろうか、そう女性陣が成り行きに注目していると、彼は意外にもコメントくらいは構わないと言う。


「だけど、名前を出す気はない。そんなの喫茶店の営業に悪影響だ」

「そうなると、イニシャルでのコメントで、お支払いできる額も少し減る可能性が……」

「報酬が減るのは構わない。イニシャルなら、んー、まあいいよ」

「ありがとうございます!」


 ブランを臨時休業にするつもりはないので、定休日を兼崎行きに決め、桐治たちは具体的なプランを詰める。

 小一時間後、ペコペコと感謝しながら小吹田が帰ると、桐治の態度に疑問を感じた瑠美が、その真意を問い質した。

 ミキはピザの余りを集めて、持ち帰り用に包んでいる。


「呪術師としての仕事は、断るかと思いました」

「嫌だよ。でも、この地図がな……」


 兼崎の地図は、桐治の参考にと置いて帰ってくれた。

 赤い蛍光ペンでマーキングされたパワースポット候補、つまりは心霊現象の目撃場所。

 湖の周囲ぐるりに、かなりの数の印があり、それぞれ簡潔な説明文が記入されている。


「謎の巨大タヌキ、紫のカタツムリ、消えた道祖神。こんなのは、どうでもいい」

「道祖神は、単なる泥棒でしょうね」

「問題は球が登場する場所だ。正直、ここまで多いとは予想してなかった」


 いきなり河原や庭に出現した丸石。老ケヤキや松の根本に発生した玉。大半は、こういった球体の発見報告が候補地名の下に記される。

 小吹田は、見つかった球に霊的な価値があるのかを調べて欲しいと言っていた。

 何が起こっているのか知るために、桐治も彼に案内してもらって、実際に球を見て回るつもりだ。


 兼崎湖でのイベントや事件の一覧に関しては、協会の資料を使って、また後日まとめたプリントを貰える。カネッシーの目撃談も、観光客用を兼ねて鋭意作成中だとか。

 この資料と、兼崎の球調査で、何か分かればいいのだが……


 地図を眺めて考え出した桐治たちへ、ミキが時刻の遅さを注意した。

「ほら、十時過ぎちゃいます。瑠美、また叱られるよ」

「げっ、門限オーバー確定だ。早すぎなのよ、うちは」


 今日の球会議は遅くなりそうだと予期していた桐治は、ブランの裏に車を停めており、それで瑠美を家まで送ってやれる。

 ちゃんと家に遅くなると電話を入れる辺り、彼女はミキより真面目な学生だ。


 車を飛ばし、瑠美を乗せて彼女の自宅へ急ぐ。門限を十五分過ぎて到着し、降りた彼女に走り寄ってきたのは、なぜか笑顔の篠田父だった。

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