11. コブシ

 コブシはモクレンと同属で、より純白に近い花を早春に咲かせる。

 晩夏から秋にかけて赤い実を作るが、玉は花に似た白色だ。疵の無い白い玉は、公園の地面の上でも目立ったことだろう。

 奥のテーブルに小さな座布団をセッティングすると、静村は緩衝材が詰められた箱から慎重に玉を出し、その上に仰々しく据えた。


「これが見つかった玉です。お確かめください」

「まあ座れよ。玉の前に、聞いときたいんだけどさ」

「なんでしょう?」


 二人の着席に合わせたように、賑やかな若い主婦たちが店に入ってくる。

 横で話を聞こうとしていた瑠美が、不機嫌そうに客に向かって行った。

「いらっしゃいませー……ちっ」


 おいこら、舌打ちすんな。バイトの無礼を心中で咎めるマスター。

 幼稚園のお迎えの時間まで、喫茶店で時間を潰してくれるママ友たちは、常連候補の一組だ。


 さらなる粗相が無いか瑠美を目で追いかける桐治だったが、ママたちの前では営業スマイルを作る彼女に少し安心する。彼は改めて、静村に向き直った。


「あんたは、霊感とかオカルトとか信じる方か?」

「……いえ、狭山さんの前では失礼なのですが、今までそういうのには縁が無くて」

「失礼じゃない、俺も信じてはいないよ。気が合って何よりだ」

「そうなんですか!」


 目を伏せがちだった青年が、明るく桐治を見る。

 実直そうな彼は、好んでここに来たわけではないようだ。大方、怪しげな相手との面談を、上役に押し付けられたというところか。


「昔から、こういうのに関わらされたせいで、詳しいだけだよ。縁起が悪いか、知りたいんだったよな」

「はい、コブシ玉、でしたっけ。有名な物なんでしょうか?」

「滅多に出来るもんじゃない。俺も数例しか知らないし」


 桐治はおしぼりで拭いた手を玉にかざす。

「直接触るぞ」

「あっ、はい。どうぞ」


 ぺたっと当てられた右手が、コブシ玉を包む。

 玉から受けた感触に、彼は軽く驚いて眉を持ち上げた。

 温かい。人肌よりも少し温度が高い。


「温かいでしょ?」

「人を害する感じは受けないなあ。ただ……コブシの木は調べたか?」

「写真を撮って来ました」


 クリアファイルに挟まれた資料を、静村が玉の横に並べた。

 あらゆる方向から撮った木の画像が、二枚のプリントに印刷されている。

 比較対象のつもりなのか、女性職員を横に立たせた木の全景。赤く熟した実や、平滑な木肌。


 桐治は玉から手を離してプリントを持つと、順番に写真を調べた。

 木の周りの公園も写っているが、どれも平和な光景だ。ゴツゴツとしたコブシの実の塊も、通常の果実ばかりで不審な物は写っていない。


 唯一、発見現場とされる根元の地面に彼は注目した。

 芝生に覆われた公園にあって、木の周りには草が生えておらず、土が剥き出しになっている。それ自体は不思議ではないが、土の様子が桐治には引っ掛かった。


「この地面、ほら、ここだよ。色が他と違うだろ?」

「言われてみれば……微妙ですが、少し明るい色ですね」


 瑠美たちにも話したコブシ玉の生まれる原因を、静村にも聞かせると、彼も桐治が土を気にかけた理由を理解する。


「何かが埋まっていると、仰っしゃりたいのですね?」

「その可能性が高い。一人で掘り返すのは、お勧めしないな。何が出て来るか分からん」

「死体……でしょうか」


 青年がゴクリと喉を鳴らした。緊張する青年に、桐治は手を振って否定する。


「人の死体はデカいんだ。そんなものを公園に埋めたら、もっと派手に跡が残るだろうよ」

「……では、管理局に連絡して、職員で掘ってみます」

「一応、警察に通報する心構えはしとくといい。ほら、この前の兼崎の事件みたいなこともあるから」


 六分割すれば、埋めるのも簡単だ。

 コブシの名は、集合果が子供の拳に似てるからとも伝えられる。ところが、その説に言うほど形の相似が感じられず、首を捻る人も多い。

 案外、コブシ玉の落実した地面を掘り返したら、拳が出て来たんじゃないか。桐治はそんな想像もする。

 丸ごと出て来るよりはマシなものの、腐乱した腕と対面するのも、常人には充分ショッキングだろう。


 話を聞き終えた静村は、厳しい表情を崩すことなく、丁寧に礼を述べた。

 玉は再び箱に収められ、しっかりと風呂敷で包んでバッグに戻される。赤子のように、若き職員に抱えられるスポーツバッグ。

 店を出る前に、彼はもう一度、見送る桐治へ頭を下げた。


「ありがとうございました。結果はメールで……いや、電話でお知らせします」

「そんなに気張るなよ。俺の出番は、もうおしまいだ。原因が死体じゃなきゃ、観光名物にするんだろうし」

「はい、その際は、記念式典へのご出席を――」

「やめてくれ、招待されても行くかよ」


 追い払うように扉を開け、桐治は青年を外に送り出す。カウンター内に戻った彼へ、瑠美が小声で首尾を尋ねた。


「謎は解けましたか?」

「俺は探偵か。謎なんてハナから無い」


 そうは言っても、気になることはある。

 コブシ玉は、宿命球に似た柔らかな力を放っていた。あの玉はまだ活発に生きている・・・・・

 亀の時にも、いくつか疑問に思うことがあった。経験に無いことが次々と起こるこの現象は、確かに瑠美の言う通り危惧すべき事態なのかもしれない。


「――だからって、たま探偵なんて絶対やらないぞ。ダサ過ぎる」

「いい! 球探偵、狭山。世界の中心で球を掴む男」

「妙なキャッチフレーズを量産すんな」


 このコブシ玉については、その後しばらく静村からも音沙汰無く、真っ当な喫茶店としての仕事が続いた。

 家に帰ってから、二度ほどミキの黒毬藻退治に付き合わされたが、この程度なら桐治も概ね満足だ。


 ミキも人の少ないアパートに慣れ、夜は桐治が必ず隣室にいると思うと、快眠できるようになったらしい。

「呼べばいいだけですからね。ちょっと怖くなくなってきました」

「だからって、夜中の二時に呼び付けるなよ。近所迷惑だぞ」

「近所って言っても、このアパート、他に数人しか住んでませんよね。二階建てなのに」


 テーブルを拭きながら、バイト中の彼女が事もなげに言う。最初に毬藻を見てギャーギャー騒いだのが嘘みたいだ。


「……借りる時、大家はアパートについて何か言ってたか?」

「特には何も。あっ、用が無いなら、二階には行くなって言われたかな。気難しい人がいるんですかねえ」

「いや、いないよ。ちょっと建て付けが悪くなってるんだ。古いから」

「ああ、手摺りとかですね。住人がいるのに、そのまんまなんだ」


 以前のコーポでも黒毬藻は出現した。人気ひとけの無ささえ我慢すれば、家賃が安い分、今のアパートの方が快適だと彼女は言い切る。


「気に入ったのなら、良かったんじゃないか? 腕の紋様も慣れたら平気になるかもよ」

「これはダメです。消し方、考えてくださいよぅ」


 甘えられても、知らないものは知らない。

 日曜日の昼、ミキが紋様を消すのに試した洗剤をあげつらっている時、桐治の携帯が涼やかに鳴った。





 桐治は未だにガラケーを大事に使っており、着信音にはリンリンと響く鈴の効果音を設定している。

 シンプルな音色を気に入っていたのだが、瑠美に呪術感があると褒められたので、変更するつもりだ。

 パチンと開いた携帯から、少々興奮した静村の声が流れる。


“狭山さんっ、出ました! ああっ、ちょっとそこ、触らないで!”

「なんだ……現場からか?」

“市民公園です。警察も呼びました!”


 公園管理局の許可を取るのに手間取り、ようやくこの日曜、静村はスコップを片手にコブシの木へ出向いた。新入りの同僚と二人での、休日出勤だ。

 桐治の話を聞いた後だと、なるほど地面の変色は掘り起こした跡に見える。


 少々ビクつきながら、スコップを振るい始めた彼らは、すぐに望まぬお宝を探し当てた。

 大量の骨。黄変した骨の出現を受け、静村は真っ先に警察に通報、次いで桐治に連絡を入れる。


 電話をする彼の後ろで、同僚が何やら話し掛けているようだ。

“え、何? 少ない?”

「どうかしたか? 報告するにしても、もうちょっと落ち着いてからでいいぞ」

“あっ、すみません。なんか、違うって……また掛け直します”


 静村の慌て方からして骨には間違いないのだろうが、まだ何かありそうだった。

 いずれにせよ、町起こしには使えないだろうな。無為に終わりそうな青年の仕事に、喫茶店のマスターは幾分同情する。サラリーマンはツラいよなあ。


「……死体でした?」

「骨だってさ」

「うへえ。それもイヤですね」


 ミキも日曜日に骨を見たくはないらしい。

 再度電話があったのは、ブランの閉店間際だった。


“もしもし、狭山さん……”

「おう、律儀なこって」

“あれから直ぐに警察が来てくれました。鑑識の人が言うには、人骨じゃないそうです”

「なんだ、良かったじゃん」

“それが……十中八九、犬……飼い犬の骨だって”

「うん? あー、んー……」


 バーベキューの残り肉でも埋まってるのが一番だったのだが、世の中そう上手くは行かない。

 首輪と全身の骨が見つかったため、警察は飼い犬の遺棄と考えた。

 動物愛護法違反ということだが、人の死体と違い、あまり熱心には捜査されないだろう。


 観光資源に使う玉の素材としては、犬でも好ましいと思えない。

 この話はここで終了、桐治はそう考えたものの、コブシ玉の騒動は店の定休日を挟んで火曜日以降にも引き続いたのだった。

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