第二球 球の力
10. 球会議
閉店後の喫茶店でテーブルを囲む三人。
さっさと帰宅したい桐治を引き止め、非番のミキを呼び出した張本人が、司会を務める。
「これから、
「議題はありません。さあ、帰ろうぜ」
「まだ何にも話してないのに!」
「名前が怪し過ぎるんだよ。球の品評会でもするつもりか」
瑠美はまたいつぞやのノートを広げ、彼に読むようにページを指で押さえた。
ミキはムシャムシャと尻子焼きを食べている。味は良いらしい。
ノートに書かれていたのは、メールの写しで、用件がまとめてある。
“
先日、市民公園内にて不思議な玉を入手しました。
つきましては、専門家のご意見を伺いたく、連絡差し上げた次第です。
不吉な物、縁起の悪い物でないか、お教え頂ければ幸いに存じます”
「画像が添付してありました。これです」
スマホを掲げる彼女の顔へ、桐治は両手の人差し指を差してツッコミを入れる。
「この専門家って、塩だよね? 俺じゃないよね? 何、君は玉の鑑定業を始めたの?」
「私は代理人です。依頼の受付は任せてください」
「取ってくんなよ、そんな仕事! ロクなことにならないんだから、絶対後悔するぞ」
彼の断固たる拒絶にも、瑠美は怯むことなく言い返す。
「この夏の終わりくらいから、玉に関連する事例が急増しています。全部この地方の話で、いくらなんでも不自然でしょ」
「誰かがネットで宣伝でもしてるんじゃないのか? 近辺の玉情報ならここ、とかさ」
「ぐっ……ページを作ったのは、情報が増えてからです!」
パンケーキの目玉部分を
「二人とも、なんですか? 何か問題でも?」
「塩さん、今度一緒にショッピング行く? 可愛いバッグの店、見つけたよ」
「おうおう、それがいい。ちょっとリフレッシュして、塩分を薄めて来い」
「し、失礼なっ!」
この球が溢れる異常事態、放置してはいけない。
大体、球を何とかしたいと言い出したのはミキである。もっと言えば、球から逃げては行けないと決意させたのは、桐治ではないか。
力の入った瑠美の演説。彼女を眺める二人の視線は生暖かい。
「私も、エッセイみたいなのを書いて投稿したことがあります。読んでもらえると、嬉しいんですよね」
「ブランの宣伝もした方がいいよな。店のページ持ってないんだよ、まだ」
「狭山さんっ!」
瑠美の眉が、一層キリリと持ち上がる。
「私、尻子玉についても、調べたんです。ネットでですけど」
「ほう」
「この玉、そんな簡単に見つかる物じゃないですよね?」
「まあな」
「万年亀がいるだけじゃ、玉は出来ませんよね!」
「そりゃバラバラ殺人だらけなら、引っ越しを考えるよ」
ツッコみながらも、彼女が主張しようとしていることは桐治にも察しが付いていた。
「兼崎湖は、霊域ですね?」
「まさかあ。亀の餌が多いだけだよ」
「事例の場所、地図に書いてみました」
キャンバス地の丈夫そうなバッグから、彼女はA3サイズの用紙を取り出す。四つ折にされたその紙を広げると、手描きの近隣地図が現れた。
「地図まで手書きか。暇だなあ、キミ」
「プリンターが家に無いんですっ」
「で、この赤い点が……」
「判明してる球の発生場所です」
湖のある兼崎市を中心に、南にブランの在る紀多市、西に秦樽市、少し東に近隣最大の都市である真波市。兼崎の北は山地が広がる。
「点はどうも、湖に出入りする川沿いにありますよね?」
「そう、かな……」
秦樽市の市民公園も、その中を湖から出た支流が通っており、瑠美の推測を否定する赤点は存在しない。
このブランの近くにも紀多川という三級河川が流れていて、これも水源は兼崎湖だった。
「宿命球も尻子玉も、湖が原因だと思うんです」
「……それについては、同意してもいい。だけど、それと球会議がどう繋がるんだよ」
「原因究明と、球が起こす災いの浄化。そのためには、情報を集めなくては」
「いや、ちょっと篠田さん?」
「これが
選ばれたんです、その興奮した大音声が店内に響き渡る。桐治は頭を抱えそうになるのを、辛うじて我慢した。
ここで彼女を追い出すのは簡単だ。いや、簡単じゃないが、それよりもだ。
彼女は客受けも良く、仕事も出来る。パンケーキアートのアイデアを見ても、今風のセンスを持ち合わせた貴重な人材だった。
彼女を引き止めるなら、多少、
「――騙されてはいけない。俺は喫茶店のマスターだ。球屋なんてするもんか」
「ページ作りますよ」
「ページって?」
「店のホームページ。レンタルサーバーなんかの必要経費は、払ってもらいますけど」
ミキにお代わりの尻子焼きを渡しつつ、彼はこの申し出を検討する。すごい食欲だな、こいつ。五枚目だぞ。
「経費はもちろん出す。タダで作ってくれるの? オシャレなやつを?」
「シンプルでモダンなやつを。球感も出しつつ」
「球要素は要らない。いいね、シンプルなのは。ハイセンスなのを頼むよ」
「じゃあ!」
軽く頷き、桐治はノートを引き寄せた。
「俺はこの店を辞める気は毛頭ない。だけど、話を聞くだけなら、聞いてやるよ」
「それでこそ!」
他に投資したい先が多い現状では、ページ作成料は痛い出費だ。喫茶店の経費削減となるなら、桐治の頑なな態度も少しは和らぐ。
いつまでもパンケーキを頬張っているミキに、店のアップルサイダーを人数分用意させ、彼は今一度、瑠美の話を最初から聞くことにした。
◇
秦樽市の観光協会の思惑は、公園に現れた不思議な玉を、観光資源に出来ないかというものだった。
詳細を聞き、画像をしっかりと見た桐治は、玉の正体を予想する。
「おそらく、コブシ玉だな」
「コブシの木の根本に落ちていたらしいですからね。どういう玉なんですか?」
「コブシの実は、今の時期に出来るんだけどな。稀にデカいのが実るんだ」
集合果と呼ばれるコブシの果実は、通常、小さな実が寄り集まった形で結実する。
メールでの情報によると、玉はソフトボールくらいの大きさがあり、白い真珠を思わせる光沢があった。
ボール大の真珠を見つければ、観光協会が色めき立つのも分かる。しかしながら、これが不吉な物であれば、無思慮に宣伝すると物笑いの種になる。
そこで詳しい人間、呪術の専門家にも見てもらおうと考えたわけだ。どうも協会は、相手が桐治と知って聞いてきたように思える。
「どこで俺を知ったんだ? 修理屋の頃も宣伝はしてないのに」
「ああ、それは私が書きましたから。高名な闇の呪術師、狭山プレゼンツ、ページのキャッチに使ってます」
「バカッ! 名前出すなよ。副収入を調べに税務署が飛んで来るぞ」
「んー、せめてイニシャルにしましょう。狭山のSで」
「塩のSだ」
脱線しかけた話を、食後のサイダーを堪能していたミキが戻した。
「それで、コブシ玉は悪いものなんですか?」
「そうとは限らないけど……」
「歯切れが悪いですねえ」
桐治にしては微妙な物言いに、彼女が首を傾げる。彼はもう一度画像を見せてもらうが、結局首を振って断言を避けた。
「実物を見ないと、何とも言えん。玉の出来る理由は、どれも似たようなもんだけどさ」
「それって……」
口を閉じたミキに替わって、瑠美が言葉を受け継ぐ。
「これも死体が原因なんでしょうか。コブシの樹が、死者を実にした?」
「別に死体とは限らないぞ」
人の血が木に降り注ぐ。枝で誰かが首を吊る。そんな理由で玉が生まれることもあるが、もっと些細な原因の時もあった。
偶然、数羽の山鳥がコブシの木の下で亡くなり、玉が実った例を桐治が挙げる。
「へえ、動物が原因ってこともあるんですね」
緩んだミキの顔も、続く彼のセリフにまた固まった。
「鳥が原因にしては、玉が大きいんだ。こんな巨大なコブシ玉は、俺も見たことがない」
沈黙する三人。
ミキはコーッとストローでサイダーを吸い上げ、席を立つと、余ったパンケーキをラップで包み始めた。
その作業を見ながら、瑠美が今後の予定を相談する。
「とりあえず、玉をここに持って来てもらうってことで構いませんか?」
「仕方ないな、客の少ない時間にしろよ。ついでに、そのコブシの木も調べてもらえ」
「そうメールで伝えておきます」
第一回の球会議は、これで終了した。
また柳岡の世話にならなければいいが。そんな桐治の心配をよそにして、翌日の営業では球の話も出ず、ミキと共に平穏に一日が暮れる。
彼女はパンケーキとサンドイッチの調理に挑戦したが、さすが一人暮らしと言うべきか、どちらもそつなくこなした。
特にパンケーキは生地の混ぜ方も完璧で、濡れた布巾でフライパンの温度を調整する手際もよい。
「牛乳にレモン汁を入れてみたんです。どうですか?」
「フワフワだね。こりゃ勉強になるわ」
試食した桐治も、自分のより美味いと白旗を上げる。
さらに明くる日の午後、瑠美にも習った作り方を教えている時のことだった。
ノーネクタイにスーツの青年が、スポーツバッグを肩に下げて来店する。彼は席に座らず、厨房から出て来た桐治に名刺を差し出した。
秦樽市観光協会主任補佐、
彼がバッグで運んで来たのは、大きな桐箱に収められたコブシ玉だった。
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