21. タマトモ

 紀多に帰る電車の中、瑠美は木代家での出来事をノートに書き記した。写真を撮らなかったため、池や珠の描写は記憶に頼って、簡単なスケッチに起こす。

 鉛筆で描かれたラフな絵に、横から覗く桐治は感心した声を上げた。


「上手いもんだなあ。橋から見た池だろ? こっちは宝珠か」

「あの珠、中の模様が動いてましたね」

「ああ……白流しろながしって言うんだ」

「白流し?」


 鉛筆を止め、詳しい説明を求めて、瑠美は彼の顔を見る。

 普段通りの声色とは裏腹に、その表情は軽口など言いそうにもない険しいものだった。


「木代の珠は、混じってる。純粋な龍眼じゃない」

「修復には使えるんですよね?」

「それは問題無いけどね。本来は、龍眼を作るような鯉じゃなかったんだと思う。いくつか原因が重なって、珠が生まれてしまったんだ」


 鯉は珠を抱えておけず、死んでしまう。大きな鯉ではあったのだろうが、巨大な老鯉ではなく、普通の魚だったということだ。


「昔はよくあったらしいけど、最近は白流しなんてまず見なくなったな」

「何が原因なんです?」

「うーん……首を突っ込みたくない。実のところ、珠を見ただけでは詳細まで分からん」


 面倒事は避けたい、そんな桐治らしい言葉も、語気が荒いせいで怒っているようにも聞こえた。

 後学のためにと瑠美は暫く食い下がったが、彼はそれ以上、珠について語らない。

 口数少なく、「俺は警察じゃない」と桐治が言うのを聞き、彼女も不穏な事情を推測するだけだった。


 それよりも、他に龍眼を思わせる情報はないか調べてくれと、桐治は依頼する。異様な魚卵、浜辺に漂着した玉。そんな玉なら、期待が持てる。

 手の届く値で買える玉が無ければ、代用品で当座の応急修復を試みるべきか。オークションの出品物を探すなら、ミキにも手伝ってもらえるだろう。


 紀多駅に着いたのは夜七時前、二人はここで別れ、瑠美は夕食の待つ自宅へ急ぐ。

 駅前のコンビニもスーパーも、ハロウィンの飾りが賑やかだ。

 ブランも何か季節メニューでも導入するかと考えながら、桐治は自分のアパートへと夜の街を帰って行った。





 帰宅してすぐ、彼は半木へ今日の一件を電話で報告する。

 三百万円が必要と聞いた宮司は、暫し絶句した後、泣き言を並べて神社の窮状を訴えた。


 カネッシーのステッカーやキーホルダーを、既に発注してしまった。夏には駐車場の整備にも資金を投入しており、現在は貯えが少ない。

 観光シーズン且つ七五三のある来月には、まとまった金も入るので、それまで支払いを肩代わりしてもらえないだろうか。

 こんな半木の頼みを、桐治が聞くいわれは無い。


「こっちも開店直後なんだ。回せる金なんて有るかよ」

“でも、その玉が無いと修復できないんでしょう?”

「一ヶ月後に金が入るなら、それまでは我慢したらいいじゃん。消臭剤でなんとかなるだろ、スプレータイプも効くよ」

“私は近付くなって言ったくせに。娘も怖がったままなんです。学校にも行きたくないって”

「それ多分、単なる登校拒否だ。学校で嫌な目に遭ってないか聞いてみろって」


 押し問答を続けようが無い袖はどちらも振れないわけで、半木は銀行と相談、桐治は他の素材を探すという結論に至る。

 電話を切った彼に、ミキが食事の準備が出来たことを知らせた。


「温め終わりましたよ。盛っても大丈夫ですか?」

「ああ、話は済んだ。助かったよ」


 桐治たちが真申と話している頃、ミキは夕食のカレーを作っていた。

 隣同士、扉の音で桐治の帰宅は簡単に伝わる。一緒に食べようと鍋ごと彼の部屋にカレーを持ち込み、今こうやって皿に盛り付けているわけだ。

 昨夜の清掃料を山分けしたお礼らしい。


「ミキも手伝ったんだから、礼は要らないよ」

「一人分で作る方が、面倒なんです。市販のルーのブレンドで、そんな凝った料理じゃないですし」


 ミキの大学は九月に前期試験があり、レポート提出で済ませた彼女には、夏休みが半月以上伸びたようなものだった。

 彼女といい瑠美といい、学生生活はかなり上手にやり繰りしていると見える。


 そのため、今までは一日中ブランに入ってくれた日も多かったが、十月からはそうも行かず、午前中は桐治一人になることが増えた。

 今日も四時くらいまで大学にいて、超特急で作った即席料理だから味には期待するなと彼女は言う。


 大盛りの野菜とチキンのカレーを口に入れた桐治は、お世辞を言う必要が無いことに喜ぶ。

「これは美味いよ。短時間で作ったとは思えないな」

「煮込めない分、下拵したごしらえには手間を掛けました」


 木代家での話、ミキが将来したい仕事、瑠美の変人ぶりなどで盛り上がりつつ、晩餐は進む。

「翻訳家になりたいんですけどね。収入も働き口も厳しいみたい」

「ふーん。語学が出来たら食えそうなもんなのにな」

「英語は堪能な人が多いから」

「そんなもんか。あっ、紅茶を入れよう」


 皿が空いたのを見て、桐治はシンクに食器を運んだ。マグカップを二つ用意し、戸棚に仕舞った缶を探す。

 キッチンテーブルで所在なげに待つミキは、何とは無しに天井を見上げた。

「狭山さんの部屋、シミが多いですねえ」

「ん? ああ、黒いヤツね……おっ、あったあった」


 丸くひらべったい缶から出される、少し高級な紅茶葉。ブランのメニュー用に試飲した残りで、コストが掛かり過ぎるため自宅用に回されたものだ。

 スプーンでティーバッグに移し、マグカップに放り込むと、ポットで湯を注ぐ。


「天井のシミ……ちょっと膨らんでません?」

「そんなことはないと思うよ。濃いめがいいか?」

「あっ、はい」


 紅茶を煎れ終わり、桐治がカップを持って行こうと持ち上げた時、ミキのだみ声が響き渡った。

「ギィヤアァーッ!」

「なんだ!?」


 女子大生の顔面に張り付く黒い毛玉。毎度お馴染み、黒毬藻だ。


「ボタッて! 上からっ……球、私の球っ!」


 額から側頭部にかけ、毬藻の触手と髪の毛が絡み付く。

 彼女の手が必殺の宿命球を求めて、テーブルの上に置いたはずの小さなポーチを探した。


「こらっ、離れろ!」

 毬藻の毛がスルスルと縮み、髪から離れて静かに床へと落下する。叱る桐治に返り見る、半分ほど開いた異形の眼。


「このっ! くらえっ!」

「ああっ、ちょっと待って」


 やっと球を取り出し、手を振り上げるミキを、彼は両手を挙げて暴れ馬をなだめるように落ち着かせる。

「こ、殺さないんですか!?」

「こいつさ、キミの家から付いて来たヤツなんだよ。右の毛が少しカールしてる」


 その通りと言わんばかりに、毬藻のまぶたがパチクリと瞬いた。

 別に彼は虫博愛主義に目覚めた訳ではない。しかし、この毬藻には、少し気になる点があるというのが、桐治の言い分だ。


「虫のくせに、言うことを聞くんだ。見とけよ……跳ねろ!」


 ボヨンボヨンと音こそしないが、黒い塊はその場で手鞠の如く上下に跳ねる。何秒か繰り返した後、毬藻はまた目を半開きにして彼を見上げた。


「狭山さん、いくら友人がいないからって……」

「寂しくて手なずけたんじゃねえ! 実地調査だよ、調査!」


 黒毬藻は、呪物と呼ばれる品々を扱って来た彼には珍しくもない存在だった。

 どこにでもいる、黒染みの厄介者。ベタベタと絡み付くのが鬱陶しいだけで、害虫と呼ぶほどの被害も起こさない。

 だが、その虫が人の言葉を解し、さらに言うことを聞くというのは、彼にも初めての体験だった。


「どうもおかしい。あの亀も不自然だったしな」

「亀って、河童ですか? そりゃ、髪も生えてたし、二本足で――」

「キュウリを全部食った」

「キュウリ! 注目するのはキュウリなんだ!」


 桐治の経験上、亀はキュウリをそれほど好まない。まして兼崎湖の時は、ソーセージを食べた直後だ。

 全て平らげたのは意外な行動で、まるで彼の命令を忠実に守ろうと努力したみたいだった。


「こいつらが妙に素直になる原因は……」

「まさか、これですかね」


 ミキが手に握る宿命球を、彼に掲げてみせる。

 桐治もその可能性を疑っていた。宿命球にそんな力があるなら、彼女にも同じことが出来るはず。


「ミキも何か命令してみろよ」

「えっ……うーん、回れ!」


 彼女へ振り向いた毬藻は、瞬きして毛を揺らす。

「回りなさい。クルクルッ!」


 ミキの人差し指が、空中に円を何度も描くと、毬藻はそれに合わせて回転を始めた。

 コマの真似をした黒毬藻は、指の動きが止まっても静止できず、しばらくその場で小さく転がる。


「これは、やっぱり球の能力か」

「なんなんですかね、この球」


 実験も完了したし、じゃあサクッと殺しましょうと言い出すミキ。口ごもりつつも止めに入る桐治。


「まあ、害は無いしさ。普段は大人しくしてるんだよ。上へ帰れ!」


 掛け声を機に、大きくジャンプする毬藻。テーブルから壁へ、そして天井にくっつくと黒染みへと変化した。

 ミキはポーチに球を仕舞い、言い訳したそうな彼を無言で見つめ返す。


「いや、あのさあ。殺してもいいんだけど……」

「またカレー作って来ます。オムライスも得意です」

「ん?」

「虫だけが友達だなんて、悲し過ぎます!」

「だから飼ってるわけじゃないって。ケチャップは少なめで」

「一人で御飯食べるのは、よくないですよ。そんなんだから、虫に魅入られるんです」


 ミキも下宿生活じゃ、大抵一人飯じゃないか。そんな憐れんだ眼を向けられるのは心外だ。

 彼の反論は、彼女の耳を素通りして行く。


 この夜から、球会議の無い日はミキが夕食を作ってくれることに決まったのだった。

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