20. マーブリング

 月曜日、昼から桐治と行動のお供を務めたのは瑠美だった。

 この日の目的は火焔宝珠の修復素材の確保。手掛かりを得た先は、彼女の球ノートである。

 宝珠と同じ龍眼の情報を求めた彼は、ノートで見た記述に思い当たった。


木代きしろ某、真波市在住、庭の鯉が死亡したため調べたところ、腹から球が見つかった”


 内陸で発見される龍眼の宿主は、巨大な淡水魚だ。古来から、大型化したナマズやふな、そしてノゴイが珠を産んだという逸話が散見される。

 庭で飼う錦鯉から見つかったという例は、寡聞にして知らないが、有り得ないことではないだろう。


 桐治に頼まれた瑠美は、昨夜の内に鯉玉の主へ連絡を取った。画像入りで玉を紹介していたブログには、その情報を求むとある。

 瑠美がメールで鑑定と、場合によっては買い取らせて欲しい旨を持ち掛けると、一度会ってお話したいと返信が来た。

 これが今朝のことで、桐治たちは昼食後、真波市へと向かう。


 あっさり向こうが面談を承諾したのは、瑠美が秦樽での一件を伝えたせいだ。どうやら観光協会に問い合わせが入ったらしく、静村が得意気に電話をしてきた。桐治の鑑定眼について、重々と念入りに太鼓判を押したのだと言う。


 鯉玉の所持者は、木代真申きしろまさる。代々貿易商を営む家の当主で、真波市の郊外に住んでいた。

 真波駅まで四十分、支線に乗り換えて二十分、電車を降りた後はタクシーを使う。木代の名前だけで、運転手には行き先が伝わった。

 山手へしばらく走ると、昭和初期の面影を残した立派な洋風建築が見えてくる。戦前から続く木代の家は、正に大邸宅であった。


 このご時世に、執事を置く家がどれくらい存在するのだろうか。

 玄関ポーチに迎えに出た人物を、桐治たちは最初、木代の家人だと勘違いした。当主にしては若く、息子にしては歳老いた彼は、真申の秘書だと名乗る。

 だが、住み込みで家事全般まで取り仕切るとなると、秘書と言うよりは使用人頭と呼ぶ方が適切だ。


 木代真申は、まず客人に池を見せるように彼へ申し付けており、ポーチの脇から家の裏手に通される。

 手入れされた植木が立ち並ぶ庭、その木々に囲まれた競技プールほどもありそうな池。

 池は中央がややくびれた瓢箪型で、そこに橋も掛かっていた。橋まで歩いた桐治が上から池を見下ろすと、泳いでいた多数の錦鯉が橋の近くに集まって来る。


 鯉を眺めながら、秘書には木代家についても説明してもらう。

 この池を裏に抱えた本館に住むのが、木代真申とその夫人。秘書や女中たちも、ここに寝泊まりする。

 息子夫婦は、少し離れた別館で暮らしているそうだ。

 この夫婦には二人の子供がおり、長男は東京勤務、二十過ぎの長女は地元の女子短大を卒業した後、今は家で花嫁修業中。

 ブログに玉の記事を載せたのは、真申に頼まれたその長女、木代美土梨みどりだった。


「では、そろそろ中へ御案内しましょう」

「ああ、よろしく頼みます」


 玄関に戻り、入ってすぐの応接間で、桐治と瑠美は主人の登場を待つ。

 革張りの大きなソファーは、クッションが利き過ぎて、逆に二人には落ち着かなかった。


 半木はいくらでも出すと言ったが、金持ちの金銭感覚は桁が違うかもしれない。

 上手く買い取れるか不安になった桐治が貧乏揺すりを始めると、瑠美が行儀が悪いと注意する。


 壁の振り子時計が三時の鐘を鳴らした時、矍鑠かくしゃくとしたスーツ姿の真申と、光り物をジャラジャラと付けた美土梨が部屋に入って来た。





 真申は桐治の正面に座り、二人の間のテーブルの上に、美土梨がベルベットで覆われた大きな箱を置く。


「よくお越しくださいました。私が木代真申、この子が孫の美土梨です」

「狭山桐治です。こっちが篠田瑠美……」

「狭山の助手をしています」


 しれっと助手を名乗る瑠美に思わず何か言いたくなるものの、ここは桐治も我慢する。

 簡単に挨拶を済ませ、彼は早速本題を切り出した。


「入手経緯もお尋ねしたいけど、まずは玉を見せてもらえますか?」

「私も仕事柄、宝石や鉱物には馴染みがあるのですが、こんな物は初めてでして。狭山さんはお詳しいそうですな」


 真申が頷くと、隣の美土梨が箱の蓋を開く。

 白いクッションに埋もれた三つの玉。


「触ってもよろしいですか?」

「どうぞ。鑑定してもらわないことには、始まりませんから」


 桐治はハンカチを左の掌に広げ、玉の一つを慎重に掴み、その上に乗せる。

 直径四センチくらい、琥珀色の半透明の球体。

 画像では分からなかったが、目を近づければ、色が不可思議に揺れることに気付く。この玉は単色ではなく、白い流紋が内部でゆったりと回っていた。

 コーヒーに落としたミルク、正にそんなマーブリング模様の渦を連想させる。


 玉の表面をハンカチで軽く拭き、残りの二つの玉も手に取って行く。

 サイズはどれも同じくらい、中の白い部分の大きさが違うが、色自体は三つとも変わらない。

 鉄塊よりは軽く、それでいて手に掛かる硬質の重み。球が纏う生温い空気が、ハンカチを人肌に馴染ませる。

 小さくても、これは生きた龍眼だ。しかし、白流しろながしとは。


「兼崎湖に見名瀬稲荷という神社があります。実は、そこの本尊の火焔宝珠を修復する材料を探していたんです」

「ほう、とすると……」

「この玉はミニサイズだけど、火焔宝珠と同じものですね」

「これは宝珠ですか。それは貴重な玉ですなあ」


 宝石を見慣れた真申でも、宝珠の響きは嬉しいらしい。目を細め、改めて玉を見る彼に、桐治は話を続けた。


「長生きして大きく育った魚は、稀に玉を体内で作る。ここでは鯉でしたね?」

「ええ。池はご覧になりましたよね。先月、大きな鯉が三匹、池に浮かんだんです。腹が異常に膨れているから、何事かと思いまして」


 死んだ鯉の腹を秘書がいたところ出て来たのが、三つの宝珠だった。

 病気の懸念もしたそうだが、他の鯉は元気に今も泳いでいる。玉を孕んだのは、この三匹だけだろう。

 交渉に入る前に、桐治にはまだ聞きたいことがあった。


「二、三質問したいのですが」

「ご遠慮なく」


 最初の彼の質問は、池はどこから取水しているか、だ。


「地下水をポンプで汲み上げてます」

「その水源は?」

「さあ、そこまでは……。ああ、鹿那かな川が渇水になると、地下水も涸れますね。どこかで繋がってるかもしれません」


 鹿那川の源流は兼崎湖。湖との関連性は、ここでも失われていない。

 次の質問に移る際に、彼の声のトーンが少し落ちる。ほんの僅かな変化に瑠美だけが反応し、桐治の固い表情を横目で捉えた。


「最近、ご家族に御不幸があったり、体調を崩されたことはありましたか?」

「使用人も含め、そんな者はおりませんなあ。いや、美土梨は先月、一週間ほど寝込んでおったか」

「ご病気で?」

「この子は夏に少しこう、太ってしまっての。ダイエットしとったんだが、無理をしたらしい」

「私の体調が、何か関係あるのっ!」


 これまで黙っていた美土梨の上げた怒声に、桐治は慌てて手を振って謝罪する。

「気を悪くしないでください。珠の近くにいると、体調を崩す人もいるんです。珠に引き寄せられると言うんですかね」


 瑠美も桐治と知り合って、もう一ヶ月以上が経つ。今まで彼の話を聞かされて来た彼女にすると、この発言には何か違和感を覚えた。


 孫娘は、また視線を逸らして沈黙する。彼女をしばらく見つめた後、桐治は宝珠の買い取りについて真申と話し合いを始めた。

 意外にも、玉を売ること自体は構わないと真申は言う。


「神社の宝珠を直すというなら、協力しないわけにはいかんでしょう。必要なのは、いくつですか?」


 昨夜見た火焔宝珠の亀裂は、見た目ほど酷くはなく、ヒビはまだ浅かった。それでも、綺麗に埋めようと思えば――


「三つ。三つとも必要です」

「そうですか。一つくらいは手元に置いときたかったが、仕方ありませんね」


 ソファーに深く座り直し、手を前で組んだ真申は、美土梨に顔を向ける。

「孫が気にしてたものでね。知らない内に売って怒られるのも嫌だから、連れて来たんです。気に入らない時は、口を挟んでいいんだよ」

「う、うん……」


 どうにも芳しい雰囲気ではなくなって来た。安く買えそうにはないと、桐治は真申の言い値に身構える。

 半木にしてみたら、一玉十万くらいまでに抑えて欲しいところだろう。


「私も宝飾品を長らく扱って来てね、相場の見当は付けてたんだ」

「はい」

「宝石なら、一つ三百万ってところかの」

「さ、三百、の万! うん……あー、三百万!?」


 鯉の結石に三百万って、正気か、このジジイ? 一万円札が三百枚近く買える値段だぞ。

 瑠美がスマホを取り出し、計算機のアプリを起動しようとするのを、桐治の手が制止する。計算を工夫してどうこうなる値段ではない。


 ハハッと破顔した真申が、動揺する二人を見て楽しそうに訂正する。

「これは宝石だったらの値段です。神社から、そんな金を取ったらバチが当たるわい」

「そ、それは助かります」


 人が悪い、最初に高額を吹っ掛けるのは、貿易商で鍛えられたせいか。


「まあ、“タダほど高い物は無い”が木代の家訓だ。いくらかは貰うよ」

「お手柔らかに」

「税込みで一個百万にしとこう。美土梨もそれでいいか?」

「ひ、百……万……税、込み……」


 こんなタダで手に入れた石コロが百万だと。三つ買ったら、結局三百万じゃん。

 平然と頷く孫娘を恨みがましく睨む、庶民派の喫茶店マスター。木代式錬金術の毒気にあてられた彼は、こめかみを手で押さえる。

 後で半木に相談はするにしても、即答できる金額ではない。それだけの金、消臭剤なら何年分になるのだろう。


 一度、帰って検討すると言い残し、桐治たちは退出する。

 玄関先でタクシーを待っている時、同じく屋敷を出て自宅に戻ろうとする美土梨へ、彼は小声で何やら耳打ちした。

 彼女は驚いた顔を見せると、振り返りもせず走り去って行く。

 その後ろ姿を、瑠美はいぶかし気に見つめたのだった。

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