04. 大矢ミキ

 瑠美による手厚い除霊を受けたミキは、塩塗れの髪の毛にベソをかきつつも、早速立ったまま話をしようとする。

 桐治はそんな彼女を制して、先ずは奥のテーブルで待つように言う。


 彼女が出されたコーヒーを半分ほど飲んだ頃、他の客が全て会計を済まし店を出た。

 片付けは瑠美に任せて、いよいよ話し合いの時間だ。

 奥へ歩み寄りながら、桐治は改めてミキの姿を眺めた。


 白いキャンバスを背に、肩を竦めた女子学生が、両手で大事そうにコーヒーカップを抱えて座る。

 大矢ミキは瑠美と同い歳くらいに見えているが、もっと今風の女の子だった。


 緩くカーブした栗色の髪を肩まで伸ばし、丸衿のシャツにふんわりと掛かる。

 長袖の上から、細いシルバーのブレスレットも付けており、謎の組紐よりはオシャレだろう。

 伏せ目がちな仕草も、相手の目を覗き込む瑠美とは好対照である。


 桐治が向かいに座り、テーブルの上に自分の球を無造作に置くと、ミキはビクッと肩を震わせた。


「た、球……!」

「俺のだよ。よく似てるだろ?」


 おっかなびっくり球を眺めていた彼女は、横の椅子に置いたバッグからリボンの付いた小箱を取り出す。


「これ……どうぞ!」


 飾りの紐を解き、ハートマークの散った包み紙を開けると、立方体の紙箱が現れる。

 箱の大きさから、何が入っているのかは容易に見当がついた。

 今日がバレンタインデーならチョコレート。まだ暑さの厳しい九月なら、これ――いろいろヒンヤリ宿命球。


「いや、だからってリボンは無いよなあ……」

「カードも付いてます」


 付箋ほどの小さな紙に、『お買い上げ、ありがとうございます!』とラメ入りのペンで可愛らしく書かれたメッセージ。


「これさ、買ってもいいんだけど、キミの所に戻るんだろ?」

「キミじゃなくてミキです。カタカナが本名なんですよ」

「キミも手強そうだなあ」

「友達にはミッキって呼ばれたりもします。そう呼んでもらってもいいです」


 今ひとつ会話が噛み合わない二人の元へ、桐治用のコーヒーを持って瑠美がやって来た。


「宿命球……この人も死ぬんですね」

「ひいっ」


 話を逸らすのは故意にやっていたらしく、ミキは突き付けられた現実に顔を青くする。

 そんな彼女を見て、彼は容赦の無いバイトをたしなめた。


「もうちょっとオブラートに包んでやれよ。顔色が悪いですけど、風邪ですか、呪いですか? とか」

「顔色が悪いですけど、死ぬんですか?」

「ひいぃっ!」


 怯えるミキを宥めすかし、桐治は球を入手した経緯を話させた。

 傍らに立つ瑠美も球には近寄ろうとはしないが、興味深そうに彼女の話に耳を傾ける。


 ミキが初めて宿命球を見たのは、半月ほど前の夏の最中さなかだ。

 大学の夏期休業中、下宿で怠惰に過ごしていた彼女は、午睡から目覚めた際に球を見つけた。

 枕元に置かれたガラス状の球は気味が悪いと言うより、宝石のように美しく、最初は大事に仕舞っていたと言う。


「光り物、好きなんだ」

「ええ、まあ……女の子ですから」

「私は嫌い。大体、ガラスや水晶は魔を吸着する性質があって――」


 瑠美の呪術講座は無視して、桐治たちは話を続ける。

 ミキが球を怖がり出したのは、入手した日の夜からだ。

 入浴しようと服を脱いだ彼女は、左腕に奇妙なあざが出来ていることに気付く。


「痣?」

「……これです」


 ブレスレットを外し、袖を捲ると、ミキは腕の内側を桐治に見せた。

 彼はその手を掴み、に顔を近付ける。


 一センチ幅ほどのラインで描かれた十字が、彼女の二の腕の内側にくっきりと浮かんでいた。

 タトゥーとは違う。紋様には微かな光沢があり、引き込まれるほど真っ黒だ。

 どこかで見たような、黒。


「同じなんです。球の模様と」

「ああ、ミキのは十字だったな。画像で見た」


 宿命球の内部に見える紋様と、手首の十字は酷似している。彼女が関連付けるのも無理はない。


「でも、俺はそんな紋様は出てないし――」

「出てますよ、死の刻印」

「ひっ」


 口を挟んできた瑠美の命名に、ミキはまた小さく悲鳴を上げた。

 何の刻印でもいいが、そんなのは自分には存在しないと証明するため、桐治は袖を引き上げて腕を皆に見せつける。


「見てみろ、綺麗なもんだ」


 得意げな彼へ、瑠美が冷や水をぶっかけた。


「腕じゃありません。首です」

「え……首?」

「そう、まだ繋がってるその首の裏」

「ちょっ、待ってよ……」


 自分では見えない位置を視界に入れようと、首を高速で捻る彼を見兼ねて、ミキがカバンから折り畳み式の手鏡を渡す。

 角度を変えつつ、なんとか首裏を映した彼は、ああーと無様な声を出した。


「なんだよ、この黒いの。客がやけに見てくると思ったら、これか……」

「昨日からずっと出てます。即死の刻印」

「死んでないのに、名前を強化すんな」


 うなだれる彼へ、ミキの話はまだ続いた。

 紋様だけならともかく、その日以降、夜道では視線を感じ、部屋にいても黒い影が蠢くのを見るらしい。

 不気味な現象に耐え切れず、彼女は何度も球を捨てようとした。

 結果は桐治と一緒、戻ってくる宿命球の処分先として次に考えたのが、先のオークションである。


「んー、ちょっと怖がり過ぎじゃないかなあ」

「でも、本当に見たんです、黒いのが動くの」

「よくいるよ、そういう害虫の類い。女の子は虫が苦手だから、仕方ないのか……」


 黙り込み出した紋様付きの二人へ、コホンと横から咳払いが一つ。


「出番じゃないですか?」

「……なんの?」

「闇の呪術師」

「よーし、いっちょ呪術じゅじゅっちゃうぞー……って、できるわけないだろ!」

「えー。まあ、自分のも解決出来てませんもんね」


 二人のやり取りを聞いていたミキが、僅かな希望を見出だして、おずおずと尋ねた。


「狭山さんは、こういうことに詳しいんですか?」

「篠田さんの方が詳しいと思う。俺は単なる修理屋をやってただけ。そもそも――」


 テーブルに置かれた二つの球を手に持ち、桐治は中を覗くように照明へ向ける。

 ミキの持ち球を箱に戻すと、自分の球を軽く空中に放り上げ、落下の途中でパシッと右手でキャッチした。


「これ、実害は無いよね? 捨てさえしなければ、変な所にも現れないしさ」

「だ、だけど!」

「それどころか、儲けたでしょ?」

「それは……そうですけども……」

「いくら?」

「……五十万ほど」


 ほら、やっぱり。呪いとか考えるから、本質を見失うんだ。


「これは幸運の球だ」

「う、うーん……」

「持ってると、お金が貯まる。感じる視線は税金みたいなもの」

「うー」


 少々強引な彼の結論に納得は出来ないものの、彼女は一旦、自分の下宿に帰ることになった。

 ただ、自分の見た影に関しては絶対に虫ではないと譲らず、次に出たら桐治も見に来るようにと約束をさせる。

 下宿の地図を描き残して店を出ようとするミキを、彼が慌てて呼び止めた。


「おい、自分の球!」

「売ったから、狭山さんのです。五万円、お願いしますね」

「んなアホな、これそっちへ戻るじゃん。ちょっと! 払わねえぞ!」

「電話したら、絶対来てくださいね!」


 なんというガメツさ、そんなんだから球に魅入られるんだろうと憤れども、彼女の逃げ足は早い。


「大丈夫なんですか、帰してしまって」

「帰らせるしかないだろ。不安で参ってるだけだよ。影なんて気のせいだ」


 その後、夕方まで瑠美に店を手伝ってもらい、六時からは桐治一人で店番となる。

 三日目にして初めて七時三十分まで営業できて満足した彼は、足取りも軽く自宅へ帰る。

 ミキから電話があったのは、晩飯にと野菜を炒め出した八時過ぎのことだった。





「いや、だからさあ。食べたらすぐ行くって」

『見殺しにする気ですか! 私と野菜炒め、どっちが大事だと!』


 野菜炒めだろう。火を入れた野菜は、さっさと食べないと不味くなる。

 ミキには至急向かうと返事をして、彼は晩飯を優先したため、実際に家を出たのは九時前だった。


 連絡から一時間くらい経ち、軽自動車で到着した桐治を、膨れ面のミキが下宿の前で出迎えた。


「この辺は、路駐禁止か? ちょっと停められるところを探しに――」

「そんなのどうでもいいです。早く来て下さい、どんだけ遅いんですか!」

「まあ、この時間に切符は切られないだろうけどさ……」


 街路樹の前に適当に駐車して、外に出た桐治の手を、彼女はグイグイと引っ張って行く。

 なんでも部屋の中に例の黒いヤツが現れ、テレビを見ていた彼女の背後を走り回ったのだそうだ。


「今回は見間違えじゃありません! 二匹もいましたから」

「Gなら帰るからな」


 塗装の剥げた階段を上り、二階建てのコーポの奥へ二人は進む。

 年頃の女性が住むには少し小汚いが、家賃は安そうだ。彼女の部屋は二○八号室、通路の一番奥だった。


「鍵は掛かってないので、先に入ってください」

「ん、いいのか。じゃあ、お邪魔しまーす」


 多少遠慮しながら、彼はドアを引き開ける。

 女性の部屋を家捜しする訳にもいかず、どうしたものかと心配したのは杞憂で済んだ。彼女の言う“影”は、簡単に見つかる。

 部屋の中に上がる必要すらなく、玄関に並ぶ靴やサンダルの上に、そいつらは居た。


 パッチリと開いた二つの目。二匹の黒毬藻が、毛を揺らせて桐治を歓迎してくれた。

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