23. 火焔宝珠
龍眼が手に入った夜、電話で伝えられた半木は、購入額も聞かないうちに礼を繰り返す。
苦渋の思いで掛かった経費だけを桐治が請求すると、その金額に宮司の喜びは倍増した。
“これで宝珠は直るんですね! ありがとうございます”
「また神社へ行くよ。次の定休日に」
“ええっ! 今からじゃないんですか?”
「夜に修復なんて嫌だよ。暗くて見えないじゃん」
“そんなあ……じゃあ、明日の昼で”
「店閉めてまでして行かないから。諦めて月曜まで待てって。他に準備もあるんだ」
“あっ、ちょっと、狭山さん!”
ブチッ。
火焔宝珠を修復するには、コブシ玉よりも慎重さが必要だ。発注した資材も、いくつかまだ届いていない。
その週、瑠美やミキにも頼んで準備を進め、最後の宅配便が送られてきたのが日曜日のことだった。
月曜の午前中に、製氷店からの荷物が喫茶店に到着して、必要な物が全て揃う。
正午にブランで待ち合わせた三人は、資材を桐治の車に積み込んでいった。
ドライアイス、消火器、解熱で使う氷嚢。物品の傾向を見て、瑠美は当然の推察を口にする。
「龍眼って……熱いんですか?」
「消火器まで持って行くのは、万一のためだ。火焔宝珠は、名前の通り高熱になることがある」
「冷たくなるんじゃないんだ……」
「熱くなるのは、珠そのものの力が噴き出た時。まあ、ヒビが入ったてことは、もう力は残ってないかもしれないけど」
消火用具以外にも、今回初めて目にする物品が多い。かなり大掛かりな作業になることは、その荷物の量から瑠美にも容易に想像できた。
「車で一時間ほどでしたっけ。私が助手席に乗るので、宝珠についてもう少し詳しく教えてくれませんか」
「構わないよ。手伝ってもらうことだしな」
危険なので桐治一人で作業する選択もあったが、正直なところ、人手が増えるのはありがたい。
現地でしてもらう仕事も、説明しなければいけないだろう。
瑠美を前に、ミキを後部席に乗せて、白く丸っこい車は見名瀬に向けて出発した。動き出してすぐ、瑠美の質問に答えて、宝珠の解説から話が始まる。
「元々、火焔宝珠ってのは、如意宝珠とも呼ばれてて、仏教用語だ」
「これですね」
瑠美がスマホに映した画像を一瞥して、桐治がそうだと頷く。
上部がソフトクリームのように尖った球体で、彼女が示した物は地蔵菩薩の手に乗っていた。
全ての願いが叶う
「ところが、神社にも火焔宝珠がある。これは狐火から来た宝物で、根源は仏教とは別系統らしい」
「えーっと……これかな」
画面の古い浮世絵には、狐が口から炎を吐き出す様が描かれており、これが古来より吉事の
人気の無い野原に浮かぶ火の玉は、狐の仕業と言われたものの、未だに原因は解明されていない。
「神社では、火の玉、火焔宝珠は狐と結びついてるんだよ。だから稲荷に奉納されるし、狐の像が口に
「へえー。それで、龍眼とはどう繋がるんです?」
「龍眼から力が放出されると、デカい火が燃え上がる。燃える玉を見た人々は、これは火焔宝珠だと言い出したのさ」
本来の火炎宝珠には、横に縞模様が入っている。そこで巻き付いた蛇を想像する者もおり、火炎宝珠と蛇を組み合わせた絵も描かれた。
この火と蛇のイメージも、龍眼を宝珠に見立てた理由の一つであり、複数の連想が龍眼、狐火、火焔宝珠などを繋いだと考えられる。
「手に入れた龍眼も燃えるんでしょ。ポケットに入れて、危なくないんですか?」
「これは白流しなのが幸いだったよ。力が上手く抑えられてる」
「ラッキーって言ったら、不謹慎なのかな。球ってやっぱり不思議です」
二人で盛り上がる球話を、後ろのミキは少しつまらなさそうに聞く。
宝珠の話が嫌いなわけじゃないけれど、そう思いながらも、彼女は口を小さく尖らせた。
◇
見名瀬稲荷の社務所の前には、待ち兼ねていた半木が外に出て立っていた。神主装束にゴルフクラブの出で立ちを見るに、前回から何も懲りていない。
「それ、役に立たなかっただろ。掃除機の方がまだ役に立つ」
「今日は三番ウッドです。飛距離が出ます」
「まあいいや。修復失敗したら、それで宝珠を湖へ打ち込んでくれ」
「はい」
作業は本殿内で行うのかと思いきや、その真横の外ですると桐治は指示する。
花崗岩の敷砂利の上に立った彼は、周囲五メートル四方ほどを作業現場に選んだ。
修復を邪魔しないように、事前に半木によって、神社境内への立ち入りは封鎖されており、桐治たち以外の人影は無い。
車中で聞いた手順に従い、瑠美とミキが修復用具をセッティングして行く。
珠用の
その上に重ねるように、一回り大きな五徳をもう一基。
上に置いた五徳には、鉄製の漏斗が設置される。大きな漏斗の口は狭く、ストローほどの細さしかない。
五徳の真下の地面に、瑠美たちがドライアイスを敷いている間、桐治は本殿の珠を取りに向かった。
彼の両手には、二本の球掴みが握られている。スチール製の小型トングといった形の道具は、直接球に触れたくない時に使う。
暫くして、トングで宝珠を挟んだ桐治が、慎重に臨時作業場へ帰って来た。
霧状の煙が纏わり付く火焔宝珠。しかし、彼とミキだけには、違う物が目に映っている。
「ミキ、掃除機で吸ってくれ。これじゃ割れ目が見えない」
「はいっ」
下の五徳に宝珠が固定されると、二人は慣れたコンビネーションで清掃を開始する。また復活していた黒い影法師に、桐治は重曹を投げつけ、ミキがそれをゴーッと吸い込んだ。
この影は半木にも、瑠美にも見えないらしい。正確には、瑠美は少しは黒い揺らぎが判別できるようだが、宮司には
「うーん、キミらの視力が悪いのか、珠との相性のせいなのか」
「これが
恒例の瑠美の妄言に、この時はミキが反応した。
「下がりなさい、
「くっ、仕方ないわ。
「お前ら、新造語を連発するのやめろ」
なんだかんだと仲良くなった女子大生たちは、微笑ましく思うべきなのか。
とは言え、ここからは本当に危ないので、ミキには消火器を、瑠美には塩を持たせて後ろに下がらせた。
桐治はポケットを探り、二つの小さな龍眼を漏斗の中に入れる。コロンと摺り鉢状の壁面を滑り、玉は下に伸びた口を塞ぐ位置で静止した。
龍眼は乳鉢で潰せるような硬さではない。
砕けないなら、溶かすまで。お
五徳から離して地面に置いた作業バッグから、赤い握りのスティックとライター用のオイルが取り出された。
火焔宝珠の亀裂は、真上に向いている。その割れた隙間にオイルが注がれ、溢れた液体がドライアイスに零れ落ちた。
「さて、ちゃんと点いてくれるかな……」
火は宝珠の力を開放する呼び水だ。まだ珠が生きているなら、上を炙るくらいの炎にはなってくれるだろう。
オイルに替わって、彼の右手に握られたのは、電池式の着火器具。チャッカボーイ、名前はどうでもいい。
着火器の先端を亀裂に近付け、握りのボタンを押し込むと、バチバチと火花が散った。
オイルから小さな火が生まれ、あっという間に亀裂の筋に沿って成長する。
後は待つしか――
ボンッ!
くぐもった破裂音は、本格的な着火の知らせ。宝珠本体の炎が立ち上がり、珠の表面を舐める。
「成功だ。いや、ちょっとこれは……」
背後で待機する三人に緊張が走ったのは、火が想定より大きいからだ。
宝珠の力は、これっぽっちも衰えてなんかいない。火焔宝珠と崇められた猛火が、人の背丈を超えて噴き上がった。
境内の空気が一気に熱せられ、桐治も思わず後退る。
「す、凄い勢いですねえ。さすが宝珠」
「あー、マズいかも。ミキはもう少し離れて。瑠美も消火器持って!」
「これは見えます! 火焔感が素晴らしい」
火は勢いを増し続け、垂直に火柱を立てた。その高さは、もう本殿の屋根を追い越している。
「アチッ! なんだこれ、現役バリバリじゃん!」
持ち込んだ消火器は全部で四本。桐治と半木も自分の分を抱え、四人は五徳を取り囲んだ。
瑠美とミキは燃え盛る火を見つめ、宮司は本殿に引火しないか、情けない顔で火焔の先に注目する。
桐治が観察するのは一点だけ、火の合間から覗く漏斗の中の龍眼だ。
「狭山さん、火が移ります! 本殿が!」
「我慢しろ! 保険で立て直せ」
あと少し、もうちょっとで溶ける――
熱でヒリヒリ痛む顔もそのままに、彼は小さな龍眼から目を逸らさない。
「これじゃ消防に連絡されます!」
「好都合じゃないか。消す時は手伝ってもらおうぜ」
白流しの玉の輪郭が歪む。
そうだ、お前たちも宝珠になれ。
玉が形を崩し始めてからは、速かった。熱した飴玉のように龍眼が液状化すると、漏斗を通って琥珀色の
新たな仲間を、火焔宝珠のヒビが受け止めた。
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