19. 大掃除

 宮司の気合いの入った姿は、猟奇的にも見え、桐治も思わずツッコミを入れる。


「アンタは魔物を払いたいのか、シバきたいのかどっちだ?」

「ど、どっちもです!」


 なら合ってるのか。神主装束はともかく、ゴルフクラブはカラス相手なら有効だろう、知らんけど。

 三人はまず、大学生が襲われたと言う湖畔を臨む場所へ足を運んだ。


 見名瀬稲荷は施設は少ないが、敷地はそこそこ広い。道路側にも石の鳥居があり、そこをくぐって車で境内に入れる。

 湖に向かって左手に社務所があり、裏手は駐車場として利用されていた。その更に奥が半木一家の住まいだ。


 境内の中央に拝殿、その後ろに問題の珠が在る本殿。その右手に湖へ続く細道があり、辿って行けば湖上に突き出たもう一つの鳥居に着く。


 本殿の横を通る際、半木はチラチラと建物を気にするが、そちらは後に回す。

 境内に建築物は少なくても、樹高のある大きな木が鬱蒼と生えており、その木立の中を抜けてようやく湖面が姿を見せた。


 夜の兼崎湖、そして根元をコンクリートに置き換えられた古い湖上鳥居。

 申し訳程度に設置された立入禁止用のチェーンまで進み、桐治は眼前に広がる湖岸を見回した。巨鳥どころか、凪いだ湖は平和そのものだ。


「大学生が撮影してたっていうのは、ここだよな?」

「いいえ、おそらく看板の横辺りかと」


 宮司が指す看板というのは、右に二十メートルほど湖岸に沿って進んだ先にある。ミキと桐治は持って来た懐中電灯で足元を照らし、看板の前まで移動した。


 二人のライトが、大きく書かれた文字を追って動く。

“撮影ポイントはココ! 君はカネッシーを見つけられるかな!?”

 ポップな字の下には、ピンクの首長竜のイラスト。妙に目が大きい海竜は、エイリアンじみて気持ち悪い。


「あのさあ、半木さんよぉ……」

「はい、何でしょう」

「この看板は、アンタが立てたの?」

「カネッシーは娘がデザインしてくれました。可愛いでしょ」


 ブランのメニューが寂しいからと、隙間をツタや花の走り描きで埋めてくれた瑠美が、いかにセンスが良かったか桐治は痛感した。

 何でも観光に活用しようという姿勢を責めるのは酷なものの、彼の心中に一つ疑問が浮かぶ。


「カネッシーってのは、誰が最初に騒ぎ出したんだ?」

「……え……えー」


 暗くても、半木の頬が引き攣る様子が見えるようだ。ミキがその顔を照らすと、慌てて手で光を遮り、弁明を始めた。


「騒動を起こすつもりは無いんです! 神社って言っても、参拝客は少ないし……」

「自作自演か。怪我人が出て慌てるわけだ」

「珠が本物だって知ってたら、そっちをグッズ化してもよかったんです。まさか怪鳥が現れるなんて思いませんよ」

「珠で人寄せしたら、怪我で済むとは限らないぞ。先代から、何も引き継いでないのか」


 半木恭造の父は、早朝、拝殿へ参った際に心筋梗塞を起こして急死した。

 予期せぬ逝去に、母に請われて三人息子の三男が宮司となったわけだが、その母も数年も経たず夫の後を追う。

 神主としては若いと言っても、五十に手が届きそうなこの宮司は、見名瀬稲荷について肝心のところを教えられることなく当代を任せられてしまった。


「狭山さん、ここ……」

 ミキが足元にライトを下ろすと、言い訳する半木に替わって、地面に散らばるゴミが浮かび上がる。

 赤く細い棒の束と紙屑、ビニール袋に百円ライター。棒を拾った桐治は、宮司にも見せつつ質問をぶつけた。


「こりゃ、ロケット花火だろ。調子に乗った大学生なら、不思議じゃないけどさ。撮影しに来たんだろ?」

「あの……カネッシーの習性がですね……」

「何か吹き込んだな」

「カネッシーは光に寄って来るんです。最終的には、イルミネーションでイベントとか出来ないかなって。ファンタジックでしょ」

「アンタの頭がファンタジックだ」


 学生たちは、鳥居に目掛けて花火を撃ち込んだのだろう。

 逃げずに飛び掛かって来たということは、やはり本当にカラスなのかもしれない。あいつらは凶暴だ。


 とは言え、そのカラスが見当たらないなら、ここに用はないので、三人は社務所に戻ることにした。車から持って来た用具を降ろし、半木には延長コードを頼む。


「本殿にコンセントは無いよな? 電気が要るんだ」

「灯籠用の屋外コンセントが、拝殿の近くに在ります。そこから伸ばしましょう」


 一通り準備を済ませると、半木が本殿回りの柵を開けて、桐治たちを招き入れる。最近は物騒なため、周囲の柵には南京錠が付けられていた。


 かんぬきを抜いて正面の扉を開ければ、一段低い外陣げじん、その先が内陣。内陣の奥には観音開きの御扉みとびらがあり、そこが宝珠の安置された祭壇だ。


 本来は祭事以外では開けてはならない本殿の扉も、緊急事態では致し方ない。

 それ以前に、珠の盗難を恐れた半木自身が、しょっちゅう御扉を開いて確認していたそうだ。


 内陣は、月の光も差し込まない暗闇……にしても、暗過ぎる。

 本殿内部は、墨を流したように真っ黒だった。





「ミキ、虫だ! 塩を撒け」

「はい!」


 目標など定めず、これでもかと塩が本殿の中に投げ散らされた。虫退治なら、もう彼女も慣れたものだ。

 反対に、オロオロと両手で五番アイアンを握る半木は、数歩後退して震えていた。


 塩を浴びた闇が、ワサワサと波打ったかと思うと、何十個もの小さな塊に分裂して騒ぎ出す。毬藻の群れが、各々てんでんバラバラに本殿内を走り回った。


「ひえー、多いですねえ」

「靴下の用意!」

「オーケー」


 桐治とミキは、左右に別れて中に突入する。二人はハイソックスの履き口を持ち、ブンブンと自分の前で回転させた。


 重しの入った靴下は、風切り音を伴って黒毬藻に襲い掛かり、打たれた毬藻は一たまりもなく塵となって散る。

 この靴下に入れられたのは宿命玉、殺虫効果はバルサー以上。不用意に桐治たちの射程に入った毬藻には、ギギギと鳴く間も与えてもらえなかった。


 ゴンッ!

 ミキの靴下が祭壇の縁に当たり、木っ端の弾ける嫌な音がする。


「当てちゃいました!」

「構わん。どんどんやれ」


 背後から「構いますー」と弱々しい声がするが、桐治の知ったことか。

 打撃殲滅戦に不利を感じた毬藻どもは、床に溶け込むように身を沈め、黒い斑点と化した。


 ゴゴーンッ!

 まだら模様に向け、ミキの靴下が振り下ろされる。

「当てちゃってますー」

「構わん。やれ」

「や、やめてーっ!」


 このままでは床が抜けると、半木が必死で声を振り絞って制止した。

 シミとなった毬藻は、床の上をスルスル移動して逃げるため、宿命玉の直撃を狙うのが難しい。

 中年宮司のベソ顔も気色悪いため、桐治は戦法を変えることにした。


「ここは基本に立ち返ろう」

「ちょっと楽しかったですけども。どうするんです?」


 入り口まで戻った彼がバッグから取り出したのは、白い粉の入った大口のガラス瓶。

「こいつを使う」

「塩……じゃないですね」

「重曹だ」


 ナイロンたわしをミキに渡し、彼は重曹を撒いた床を周囲から擦るように指示する。


「黒染みは重曹が苦手なんだ。逃げ先を潰して、球で仕留める」

「あの奥の辺りに、影さんが立ってますけど……」


 祭壇の前には、アパートの二階で見たような影が、何本か立ち上ており、靴下攻撃にも耐えていた。


「あの汚れはしつこいんだ、後にしようぜ。さあ、重曹を振り掛けるぞ」

「はい、どうぞー」


 壁際から順に、桐治が粉を撒き、ミキがそれをたわしで広げる。彼の言う通り、黒いシミは重曹の付いた床へは移動しない。

 本殿の中程まで重曹の円を狭めた頃、手が疲れたと彼女がこぼすため、二人は役割を交代した。ミキも手順は理解したので、作業は滞りなく進む。


 直径約一メートルの円内に、黒毬藻のシミを閉じ込めることに成功すれば、後は宿命球の出番だ。

 靴下から球を出して、二人はモグラ叩きの要領で黒染みを消して行った。


「床はこんなもんかな。暗くてよく見えない」

「綺麗になりましたねえ、多分」

「夜に掃除なんてするもんじゃないよ、やっぱり。で、残るはアレか」


 祭壇に近寄った桐治は、右手に握った球で影を払ってみたものの、すぐにまた黒い霧が生まれる。

 何度かこれを繰り返した後、彼は御扉を開けた。ミキのライトが照射する扉の中身こそが、見名瀬の本尊、火焔宝珠。


「これはまた……」

「真っ黒ですねえ」


 珠から溢れているのか、珠に引き寄せられているのか。纏わり付く影のせいで、宝珠の様子が観察しにくい。


「吸い込もう」

「あっ、はーい」


 パタパタと入り口に戻って行くミキの足音。

 再び現れた彼女の手には、電気掃除機が握られていた。床に重曹と塩を盛り、まずはその山を掃除機で吸い込む。

 その後、桐治は宿命玉を振り回し、ミキは黒い影に吸引口を当て、スイッチは強の上、ターボへ。


 しばらくこの作業を続けていると、影の色に変化が生じ始めた。

「おっ、薄くなって来たな」

「いい感じです」


 もやが完全に晴れるほどには、影は消えない。それでも、半木が言っていた亀裂が判別できるくらいには、黒影は鳴りを潜めた。

 今はこれが限界だろうと、掃除機のスイッチを切り、仕上げ用具を探して桐治はまたバッグを漁る。

 紫色のタッパのようなケースが四つ。格子状の蓋を開け、中の封を剥がして祭壇の四隅に置いていく。

「それは?」

「消臭剤だ。業務用の強力なやつだから、影にも効く。あいつらちょっと臭いだろ?」

「ああ、なんかかび臭いような……」


 余った重曹はサービスで本殿内に振り撒き、二人は外の宮司の元へ帰る。


「あの……退治できたんでしょうか?」

「珠の亀裂を埋めないと、また虫が湧くかもな」

「そうですか。でも、あの気味悪い怨霊が消えただけでも、来て頂いた甲斐がありました」

「虫だろ?」


 後ろから覗いていたはずの半木には、黒毬藻も影も見えなかったと言う。渦巻く怨霊の群れに突撃する二人を、ただ見守るばかりだったと。

 御扉を開けた時には無数の歪んだ顔が空中に飛び出し、腰を抜かしかけたとも彼は語る。


「うーん、暗かったからな。そろそろ老眼鏡をあつらえなよ?」

「しかし、本当に顔が――」

「そういうことを言い出す奴が話をややこしくするんだ。アンタはしばらく、一人で本殿に近寄らない方がいい」


 でも、しかし、と話す宮司へ、ミキは手の平を差し出す。

 彼女がキッチリと清掃料金を徴収して、この夜の見名瀬での仕事は終了した。

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