18. 宝珠
「お食事中なのは申し訳ないんですが、大変なんです。聞いてください、狭山さん!」
「聞いてるって。ミキ、醤油取って」
「はーい」
「狭山さーんっ!」
サンマと大根おろしの黄金コンビの前に、敢なく撃沈する中年宮司。食事の喧騒に負けない声を張り上げて、半木はやって来た理由を説明した。
「今朝、境内で怪我人が出たんです。命に別状は無いですが、五針縫う切り傷でした」
「……漬け物も欲しくなるな」
「怪我人が出ました。五針縫ったそうです。五針です」
「聞いてるから。入院してるのか?」
「いえ、午後には退院しました」
怪我をしたのは、
今日未明、湖を撮影しようと、見名瀬稲荷境内にカメラを設置したところ、鳥居の方から巨大な黒い鳥が襲って来たらしい。
「胡散臭い話だな。鳥居ってのは湖のやつか?」
「そうです。鳥はカラスに似ていたそうですが、もっと大きかったと」
見名瀬には湖中から生えるように建てられた鳥居が在り、撮影スポットとしては定番だ。
その鳥居の上にとまっていた“カラス”が、爪で学生の肩を切り裂いたそうで、彼らは這う這うの体で逃げ出して救急車を呼んだ。
巨大なカラスと聞き、ミキが眉間に
「私たちも見たカラスですかね。ほら、ゴミ捨て場にいた鳥」
「どうだろうなあ。信用できる連中なのか、その写真サークルの学生は?」
「写真じゃなくて、UMA探索サークルだとか。カネッシーを撮りに来たと言ってました」
「カネッシー?」
先月辺りから、兼崎湖には未確認生物がいるとネットで噂が流れていた。
写真や証拠のある話ではなく、瑠美は辛うじて名前は知っていたものの、桐治には初耳だ。
大学生たちの話は、一気に信憑性を失い、彼も手を振って興味が無くなったことをアピールする。
「そういうのを信じてるなら、
「それが……」
続きを言い淀む半木を、桐治たちはサンマを口に運びながら見つめた。何度か躊躇った後、彼は神経質に掌を組み替えながら語り出す。
「高校生の娘が昨日からベッドに臥せたままで……布団を被って怯えてるんです」
「登校拒否なら、お門違いだ。カウンセラーに相談しろ」
「魔物を見たんだと! 宝珠の力が弱まったせいで、神社に魔物が出て来たと言うんです」
「オカルト好きでも専門外だよ。アンタの方がプロじゃないか」
半木は顔を上げて、椅子から立ち上がった。すかさず喫茶店の床に
「
「頭を上げてくれって。アンタも見たのかよ」
「珠を直してください、お願いします。高額になっても、ちゃんと用意しますから」
桐治は彼の腕を持って引っ張り上げ、また席に着かせた。
依頼を引き受けるまで、土下座でも座り込みでも、何だってしようという半木に、桐治も溜め息をつくしかない。
「問題は、珠の力の強さだけじゃないんだ。素材集めからする必要がある」
「もちろん、私も出来るだけのお手伝いはします!」
ずっと抱えていた疑問が、また瑠美の中で湧き起こる。
「珠って、何で作られてるんですか?」
桐治が顎に手を当て、難しい顔でその問いに答えた。
「見名瀬の火炎宝珠は、オレンジの巨大な玉だった。俺が鑑定したわけじゃないが……伝説が残ってるんだよな?」
「はい、見名瀬の珠は、龍眼だと伝えられています」
「素材は龍だよ」
それじゃ修復は不可能ではないか、瑠美とミキはそう考えて、顔を見合わせたのだった。
◇
禁忌を犯したため龍と変化した母親が、自分の目玉を差し出して、人に赤子の世話を頼む。
“泣くようなら、この目玉をしゃぶらせて欲しい”
見名瀬の伝説を聞いたミキは、子供の頃に聞いた話を思い出し、両手をポンと合わせた。
「アニメにもなったお話ですね。子供の名前は太郎でしたっけ……」
「それは創作童話だね。元になったのは、長野の
龍の母が目玉と子を預ける昔話は全国で見受けられ、琵琶湖や房総半島にも、ほぼ同型の話が残る。
どの話も、盲目になるのを厭わない母の愛が主眼となっており、その後の子供の成長は二の次だ。
「龍が目を預けた、そこが最も言いたい部分だ。龍眼が存在する理由付けに使われた話なんだよ」
龍眼を発見した人々は、近くの寺社にその珠を奉納する。
そんな桐治の推察を、半木すらも大人しく拝聴する。
「実際に、寺の本尊が龍眼というのは結構ある。見名瀬みたいに、生きた珠なのは珍しいけど」
「父からは貴重な龍の目だと教えられましたが、まさか本物だったとは……」
相変わらず熱心にメモを取る瑠美が、疑問点を口に出した。
「火焔宝珠と龍眼は、同じ物?」
「龍眼が神社に納められると、大抵は宝珠とされる。神社に龍眼伝説が残るのは、あまり聞いたことが無い」
「見名瀬“稲荷”も神社だものね。本当なら、龍より狐っぽい」
「そう、狐が珠を
そういう意味で、見名瀬は狐と龍をどちらも採用しており、変わった存在だ。どこの寺社の系列にも属さないのは、龍眼信仰を元に作られた
見名瀬に限っては、神社に珠が持ち込まれたのではなく、珠を祀るために神社を建てたというのが正しい。
「狭山さんのお話は勉強になります。宮司を務めながら、知らないことが多くてお恥ずかしい」
「こんなことがなければ、知らなくても困らないんだけどね」
ここまでの話で、まだ解説されていないことが二つ。まず一つ目、珠の役割とは何か。
瑠美に尋ねられた桐治は、コブシ玉を思い出すように彼女に言う。
「生きた玉は、人の思いを受け止めて跳ね返す。龍眼はその強力版だ」
「願いを叶えるとか、罰を与えるとかは?」
「そんなものは無い。いや、悪意を向ければ増幅して返るから、罰と言えなくもないか」
八重子の惨状を思い描きつつ、瑠美は二つ目の質問に移る。
龍眼の材料は、伝説上の生き物、龍なのか。
「龍なんてのは、やっぱり昔話にしかいない。空飛ぶ大蛇を想像してるのなら、それは間違いだ」
「じゃあ、龍って何?」
答えを言う前に、彼は先程の各地に伝わる話をもう一度おさらいする。
「龍眼と赤子の昔話が伝わる場所には、共通点がある。兼崎湖、琵琶湖、房総半島――」
「全部、海や湖の近くね」
「そういうこと。龍の正体はこいつだ」
テーブルの上の皿を、桐治が指で示した。その差す先を見て、ミキが声を上げる。
「なるほど! サンマさんですか。明日から三食サンマにしましょう」
「珠が出たら教えてくれ。俺はサンマ以外を探す」
サンマがこんな大きな珠を腹に抱えたのでは、泳ぎにくくて仕方がない。
龍眼を体内で形成するのは、もっと巨大な魚。
「桐治さんが、素材を集めるのが難しいと言ったわけが理解できました」
ノートに何やら書いた単語を、瑠美はグルグルと丸で囲む。
「そんな都合よく、巨大魚はいないし、いても皆が珠を作るわけじゃないし……」
「捕まえるんですね」
「何を?」
「カネッシー大捕獲作戦!」
「いねえよ、そんな守銭奴みたいなUMAは! どこのゆるキャラだ」
では、どうするのかと、考え込む桐治。そんな彼に、半木がおずおずと切り出す。
「あの……珠の修復は無理でも、魔物を追い払うだけでも出来ないでしょうか?」
「魔物? ああ、黒い影とか言ってたな」
半木の家は、社務所と隣接して境内に在る。娘もそこで寝かせているため、夜にまた何かが出現しないかを彼は心配していた。
「魔物なんて有り得ないけど、カラスの可能性もあるのか。いなくなればいいんだな?」
「ええ、出来ますか!」
見名瀬までは車で一時間弱。虫退治のために夜間ドライブなんて、普段なら丁寧にお断りするところだが、半木は諦めてくれないだろう。
「さすがにそれは仕事だぞ。時間も遅いし、料金は割り増しで一ま――」
エヘンッと大きなミキの咳払い。本当のカネッシーはここにいる。
「――三万円だ。成功報酬でいい」
「ありがとうございます!」
車で先導すると言う宮司を、場所は知っているから、後から行くと帰らせる。
桐治一人で向かうつもりが、カネッシー、いやミキも同行することになった。
彼女は、門限があるため泣く泣く帰宅する瑠美の代わりだ。瑠美にも頼んだ仕事はあるので、どちらにしろ家に戻ってもらわないと困る。
店の裏から必要な物質を出し、アパート近くの彼の車へ運ぶ。塩や殺虫剤といったお馴染みの退治用具に加えて、薬剤や瓶類が多い。
「いろいろ持って行くんですね」
「何がいるか分からないから。ダニでもヘビでも、これなら対応できる」
「ふーん」
日曜日の夜は渋滞につかまることもなく、スムーズに兼崎湖畔を北上できた。二人が見名瀬稲荷に到着したのは、午後十時の少し前。
社務所の前に車を停めると、ゴルフクラブを持った神主姿の半木が走り寄って来た。
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