03. さだめの球

 無理やりコーヒーを飲ませて瑠美を落ち着かせ、カウンターの前に座らせると、桐治は扉に閉店中の札を提げに外に出た。

 まだ午後七時、予定していた時刻より三十分も早い。


 二日続けて営業時間を守れなかったことに、深い溜め息を吐き出しつつ、ブランのマスターは自らもカウンター席に座る。

 彼女にお代わりを注ぎ、自分用のコーヒーはマグカップで用意すると、スマホを弄って待っていた瑠美の方から話を切り出して来た。


「これ、見てください」

「ん?」


 彼女の差し出した画面に踊る、“恐怖、宿命球の呪い!”の文字。

 黒い背景に血の滴る赤字とは、安っぽいにも程がある。


「ちょーウサン臭いじゃん」

「いいから読んでください」


“あなたは、宿命球さだめだまを知っているだろうか”


 ――知りません。


“突如出現するガラス球は、魔を呼び込む呪いのたま。珠に魅入られた者は、魔物に憑かれ、死に至るであろう”


 ――死んでません。


 サイトに投稿された体験談が続き、これまた投稿された珠のイラストが並ぶ。

 体験談と言っても、伝聞のものばかりだ。


 女子高生が朝起きたら枕元に珠があり、その夜、ベッドで血まみれになって死んでいたらしい・・・

 見通しのいい道路でいきなり衝突事故を起こした車、そのペチャンコの助手席に、この珠が無傷で転がっていたらしい・・・


「あのさあ、俺も少しはこういう世界を覗いたことはあるのよ」

「知ってます。闇の呪術師、狭山桐治。死神なら任せろ」

「誰から聞いたんだ、それ! 明朗会計の修復師、染み抜きなら任せろ、だろ。勝手に改造すんな」


 前職で扱ったのは曰くのありそうな壺や古布ではあったが、やったことはパテを詰めたり、染みを洗い落としたり。

 単なる古物の修理屋で、断じて死神なんて相手にしていない。


 面接の時、瑠美の自己アピールに違和感を覚えたのは、このせいだ。

 なぜ喫茶店勤務に応募するのに、霊感や読書量を自慢したのか、これで分かった。


「そんな仕事をしてたから、断言できる。魔物とか呪いなんてものは、人の錯覚だよ」

「……私を気遣かってるんですか?」

「なぜそう思うの?」

「宿命球を怖がらないように、呪いを否定してみたんですよね」

「んー?」

「大丈夫です。呪われて死ぬのは狭山さんですから、私が怖がる必要は無い気がしてきました」

「君やっぱりヒドいわー」


 カップの中身を飲み干した彼女は、決意に満ちた目で桐治を真正面から見る。


「逃げてちゃダメですよね。球くらいで」

「おうっ、その調子!」

「呪術師の死に様、この目でしかと見届けてみせます!」

「死ぬ前提はやめようよ」


 凄いに見入られた気もするが、背に腹は代えられないと、最後は彼も瑠美の決断を煽った。

 翌日からのバイト再開を約束すると、ようやく桐治の長い二日目の労働が終わりを告げる。

 球をポケットに入れ、帰る彼女の見送りつつ、彼は店の扉に鍵を掛けた。





 アパートでラフなトレーナーに着替えた桐治は、店で余ったトーストを温め、サラダをボウルに盛る。

 そこで球を持って帰ったことを思い出し、ハンガーに吊した上着のポケットに手を突っ込んだ。


 大きさも透明感も昨日と同じ“宿命球”を、やはりテーブルの菓子箱に入れておこうと、手前に缶を引き寄せたのだが……。

 蓋を開け、中が空なのに気付いた彼は、暫く真鍮色の底を眺めて固まった。


 今日手に入れた球を蛍光灯に向け、内部の模様を観察する。

 下の点が欠けたクエスチョン・マークは、昨夜も見た。まさか同じ球かと、首を傾げる。


 印でも付けておこうかとサインペンを探したものの、けがされることへ抗議するように、珠の表面は怪しく光る。

 やはり、綺麗なままがいい。

 球を箱に入れ、机に置いたスマホを見ながら、店の残り物を食べ始めた。


 食事中の暇潰しは、オークションサイトだ。

 汚さない内に、球はさっさと売ろうと決意する。

 店用のアンティークランプを購入する時にサイトへは会員登録しており、今回は売り手として利用すればいい。


「えーっと、商品ジャンルは何だろう。健康用品じゃないし……」


 びっくり出来るから玩具か。高く売るなら宝飾なんてどうだろうと、出品ジャンルの検討から始まった。

 ジャンル選びの参考に、そして相場を知りたいということもあって、先に既出品物に検索をかける。


「宝飾……た、ま、と」


 ズラリと一覧表示される色とりどりの球、珠、玉。

 使用目的の分からない金属球や、占い師が喜びそうな水晶玉、またそのガラス製のレプリカなどが目に付く。


「みんな球が好きだな、どんだけ需要があるんだよ」


 愚痴るような口調とは裏腹に、彼の口許はだらし無く緩む。

 これなら売れる、一家に一球、あなたのポケットにも携帯宿命球だ。


 球の価格を決めるのは素材、次に大きさ。どうも由来も大事らしく、出品説明欄には長々と講釈を垂れているものが多い。


「うちのは小さいしなあ。素材もよく分からないし……由来は宿命球で行けそうだけど」


 あのインチキサイトの体験談、コピペしたら説明文になりそうだよな――そんなことを考えながら、桐治は画面を指で繰って行く。

 七ページ目の商品一覧に至った時、レタスを噛む彼の口の動きが止まった。


 似てる。

 箸を置き、菓子箱の球を掴むと、画面の横に並べて見比べてみた。


「そっくりじゃん……」


 個別ページに飛び、さらに詳細を表示する。

 入札件数は六、現在価格は二万二千円。即決価格は、驚きの五万円。

 拡大写真を見てみると、どうも内部の黒い模様は違うようだが、それ以外は全く差異が無く、サイズも同じだった。

 これならイケる。


 ところが、出品者の履歴を見て、桐治は大きく口を開けた。

 唇に貼り付いたレタスがダラリと垂れ、一拍置いて皿の上に落ちる。


「こいつ、何球持ってるんだよ!」


 十を超える既出品リストは、全部この球で埋まっていた。

 安くて三万、五万の即決者もかなりいる。

 出品者の名は“ビッグアロー”。落札者からの評価は――これは駄目だろう。マイナス二十三、堂々の赤色ネーム、要注意出品者。


 この人物が球の製造者なのか。

 質問欄には当たり障りのない返事ばかりで、マイナス評価に対しては返信すら書いていない。


 食べ終わるまで悩み続けた桐治は、球の出所を調べることに決める。

 痛い出費だが、オークションを見た限り、後で球を売って処分するのも可能だ。

 怪しげな球の即決ボタンを、えいっとばかりに指で押さえる。


 相手からのリアクションは非常に早く、彼が皿を洗って風呂から上がった時には、返信メールが届いていた。

 メールには氏名と住所、連絡先もきちんと記されており、不審な様子は見当たらない。


 まだ九時前だし問題無いだろうと、桐治はその電話番号へ連絡を入れてみる。

 さして待たされず、出品者の声がスマホから響いた。


『もしもし、大矢です』

「あっ、落札した狭山です。すみません、いきなり電話して」

『え!? あの、まだ発送もしてませんが――』

「いや、違うんです。落札とは別に、どうしても伺いたいことがあって」


 オドオドと答える女性の声はか細く、悪質出品者のイメージとは程遠い。

 問い詰めようと考えていた桐治も、つい口調を丁寧に改めていた。


「あのですね、俺も同じ球を持ってるんですよ」

『ええっ、あなたもですか?』

「これ、大矢さんが作ってるんでは?」

『ち、違います! うちにもいきなり現れて……』

「捨てても帰ってくる、と」

『そうなんです! どうやっても戻ってきてしまって……あっ』


 ――白状しやがった。


 やっていることは悪辣だが、さしてスレた人間ではないようだ。


「オークションで売っても、手元に戻るんだね?」

『……あ……う……』

「十回以上、回し売りしたな、その球。よくやるわ」

『ご、ごめんなさい……人に渡ったら、球も消えるかと……』

「別に俺が怒る筋合いでもないけどさ。まだ発送前だし。ただ、一度話をしたいんだよ」

『話、ですか』


 彼女の住所は、彼の店から電車で三十分ほどと近い。

 直接会うために店の住所を伝えると、住宅でないことに安心したのか、彼女は明日来店すると承諾した。

 球の存在を不安に思っており、話し相手が欲しかったという本音も漏らす。


 会って何か分かればいいがと期待しつつ、電話を切れば、これで今夜の用件は全て終了だ。

 桐治は今日も早寝を心掛ける。


 夜中の二時頃に、またギーギーと煩い黒毬藻が出現したが、玄関から外に蹴り飛ばすと、以降は安らかに眠れた。

 このアパートに越して来て三ヶ月、今のところGには一回しか遭遇していない。安普請にしては、優秀なほうだろう。

 多少の珍客の襲来くらいは、大目に見るつもりだった。


 次の日は木曜日、朝から忙しく働く彼も、約束を違えず来た瑠美のおかげで昼は少し楽になる。

 眼光鋭い彼女は妙に気合いが入っており、皿を重ねる小さな音にも敏感に反応した。

 勾玉のネックレスや、腕に巻き付けた組紐が気にはなるが、なんとかファッションで通用する範囲か。


 本日の待ち人、大矢ミキが店に来たのは昼の二時。

 一応、瑠美にも紹介しようとしたのは、桐治の失敗である。

 球仲間だと聞いた途端、瑠美はどこからか塩を取り出し、ミキに向かって盛大に振り撒いたのだった。

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