12. 町起こし
「――よくやるよ。あんまり感心はしないなあ。まあ、大丈夫だとは思うけどさ」
静村との何度目か分からない電話が終わると、聞き耳を立てていた瑠美が、いそいそと近寄ってくる。公園で犬骨が発見されたことは、午前中にたっぷりと話させられた。
午後三時、主婦や営業のサラリーマンたちの相手もそこそこにして、彼女は続報を知りたがる。
「あの玉、やっぱり町起こしに使うんだってさ」
「犬が埋まってたのに?」
「悲運の犬ってことで、銅像建てる案まで出てるってよ。そのうち偽ハチ公の話でも、捏造するんじゃないか」
「なんだかスッキリしないですね。犬の身元は分からないんでしょうか」
「難しいだろうなあ」
赤い革の首輪には名前も無く、他に手掛かりは見つからなかった。骨格は小型ながら成犬と考えられ、柴犬が第一候補として挙げられている。
マスコミに取り上げられれば、情報提供者も現れるかもしれない。犬の情報に進展が期待出来る手立ては、それくらいが精一杯だろう。
銅像はともかく、犬の墓を市民公園内に建立する要望書を、市に提出するそうだ。供養にはなるので、桐治もこれにケチを付けはしない。
静村の説明を聞き、彼が“感心しない”と言ったのは、コブシ玉の扱いだった。
「ケースには入れるものの、誰でも見られるように玉を展示するつもりらしい」
「マズいんですか、それ?」
「何に反応する玉か分からないから。骨と一緒に供養しとけばいいものを」
この犬の話は、翌日の地方紙の朝刊で記事にされ、情報の窓口はその新聞社になっていた。
犬の体高は四十センチ弱、残っていた体毛から茶色の柴犬と思われる。首輪の写真も添えてあり、有力な情報提供者には、観光協会からの謝礼も出ると言う。
死亡時期は不明、これは肉が完全に落ち、骨と体毛の一部しか残留していなかったためである。
白骨化しているなら、相当な年月が経っていておかしくない。しかし、土の掘られた形跡がまだある以上、一年内に埋められたとも考えられる。
専門家も返答に窮するこの死亡時期判定は、桐治なら簡単に答えられた。
埋めたのは、この夏、それも極最近。コブシの結実に合わせて埋めたため、犬が一気に木に吸い取られて玉になったのだ。コブシ玉と入れ替わるように、犬の死体は骨と化したはず。
「殺したんですよね、やっぱり。飼い主かな」
「決め付けはよくないが、それも考えられる」
犬をゴミのように捨てた人間の所業に、ミキが眉をひそめる。ただ、彼女の推測はあくまで一つの可能性に過ぎない。
「でもさ、犬が
「探し犬とか、たまにチラシが貼ってありますよね。そういうのかもしれないんだ」
桐治の予想通り、情報の集まりは悪く、その週の金曜日まで特筆すべきようなことは起きなかった。
金曜の朝昼の客の波が途絶え、彼が朝刊をザッと斜め読みした時、一つの記事が目に入る。新聞に顔を向けたまま、桐治は指先をペコペコ曲げてミキを呼んだ。
「これ、ミキも読んでみろよ」
「面白い記事でもありました?」
『飼い主現る』
見出しの下に、その人物の言葉も載っている。
“うちのテンちゃんです!”
記事を元に、二人は解釈を巡って意見を交わす。
更なる議論の材料は、その夜の閉店時、非番の瑠美が持ち込んだ動画だった。
◇
シャッターを降ろした店内、まず三人は、瑠美のスマホに写される地方局のニュース動画に見入る。
飼い主は子供のいない若い夫婦で、記事や動画に登場したのは、
冒頭、目頭をハンカチで押さえて現れた八重美は、箱に入った白い玉を見て、膝を曲げて崩れる。
協会の職員がコブシ玉を彼女に渡すと、自分のハンカチで玉を包み、抱きかかえて嗚咽した。
彼女が飼い主だという証拠は、見つかった物と同じ首輪をした柴犬の写真だ。
布に
その画像を流用した、手製の探し犬のA4チラシも動画中に紹介された。
テンちゃんは、先月から行方が分からなくなり、今まで捜索していたそうだ。
買い物先でリードをショッピングセンターの前に括っていたところ、帰る際には姿を消していたと彼女は語る。
本人が名乗り出たため、謝礼はもちろん支払われない。しかし、コブシ玉の所持者は八重子であろうということで、玉は若い職員の手で、自宅に運ばれることになった。
愛犬殺害に関する情報をお持ちの方は、引き続き画面のフリーダイヤルに連絡ください。そんなアナウンサーの言葉を最後に、動画が終了する。
スマホを仕舞い、瑠美が桐治の感想を求めた。
「どう思いました?」
「静村は動画映りが悪いな。老けて見える」
「あんな新米くんはどうでもいいです!」
素直な感想なのにと唇を尖らせつつも、彼はニュースへのコメントを続ける。
「これ以上は、情報は集まらないんじゃないかな。世間的には、飼い主が見つかって一件落着だろ」
「ぐっ……一見、真っ当な感想。でも、
「君の球への執着こそどうなの」
この三人が閉店後に集まると、どうも話が長くなる。前回の球会議で学習した桐治は、自分たちが飲むコーヒーを用意しておいた。
次回、こんな予感がする夜があるなら、夕食も準備しておくのが良さそうだ。
炊飯器も厨房に置こう。ちゃんとした食事を作るために必要な器具を、彼は脳内でリストアップする。その作業を、瑠美が大声で
「コブシ玉、本当にあの人に返してしまうんですか!」
「俺が返すわけじゃない。それに、犬の飼い主なら玉も渡すだろ」
「柿長八重美って人、どうも信用できないんです」
「理由は?」
「……演技臭い。わざとらしいんですよ、玉を見て泣くところとか」
それは桐治も感じた印象だ。ミキも横でウンウンと頷いている。
だからと言って、それだけで疑うには、根拠が薄弱に過ぎるだろう。
「狭山さんに、何か発見は? 悪の波動を感じたとか、柿長の背後霊が見えたとか」
「馬鹿言うな、そんなもん見えるかよ。疑う理由なんて――」
「……あるんですね?」
「無い…………いや、うーん」
ハンカチだ。
犬は包まれるのが好きだったらしい。そのため、ハンカチで玉をくるんだのかと最初は考えた。
「動画をもう一度見せてくれ」
「はい!」
瑠美がニュースを始まりから再生する。静村が八重子に玉を渡すところに差し掛かると、桐治は声を上げた。
「止めろ、そこだ」
玉に触れた瞬間の八重子の表情。解像度の低さが残念なものの、彼女が一瞬驚き、顔をしかめているのが見て取れる。
「あの玉は暖かいんだ。だから、驚くのは分かる。でも、こんな嫌な顔をするかな……」
「どれくらいの熱さですか?」
「
あまり思い出したくはないが、親父の言葉が桐治の頭の中で再生された。
“呪物はな、人の心を写すんだ。穏やかな人間には暖かく、冷酷な人間には凍えるように冷える”
呪いが実在しようがしまいが、玉が温度変化を起こすのは体験してきた。普通なら有り得ない急激な冷却が発生したのなら、八重美の表情にも説明がつく。
「参ったな。俺まで八重美が犬を殺したような気がしてきたよ」
彼は携帯を開き、静村の番号を選んだ。
瑠美たちにも聞こえるように、ハンズフリーにして電話を机に置く。一回の呼び出し音で、青年の返答が響いた。
“もしもし、静村です”
「ああ、狭山だ。テレビ見たよ」
“恐縮です! 緊張しちゃって、どうも映りが悪くなったみたいで――”
「君の話はどうでもいい。問題は玉だ。コブシ玉は、今後どうなるんだい?」
“玉は飼い主さんに、一旦返しました。まだ内密な話なんですが、協会で買い取る方向で検討しています”
「本人を説得するのか?」
“いえ……市のためなら、売りたいと。柿長さんからの申し出です”
それはまた。八重美への心証は、桐治の中で急降下した。
当初から悪印象を訴えていた瑠美は、ここぞとばかりに会話へ加わる。
「静村さん、篠田です。喫茶店でお会いしました」
“ああ、あの綺麗な店員さんか。挨拶しようと思ったんだけど、ほら、玉に気が取られててさ。主任補佐になると、こういう大役も――”
「あなたの話はどうでもいいんです。大事なのは玉。あの女から取り返しましょう」
瑠美は柿長を調べて、犬殺害の証拠を掴むと言い出した。まずは家の周辺で聞き込みをするため、秦樽まで行く気だ。
探偵の真似事など、桐治にはとても賛同できない。
「若い女一人で聞き込みなんて、ドラマの見過ぎだ。危ないし、信用もされないよ」
「止めても絶対に行きます!」
これは言うことを聞きそうにないと、桐治は引き止めるより、護衛を付けることにする。
「聞いてたかい、静村くん。申し訳ないけど、彼女に協力してやってくれないかな」
“聞き込みの、ですか?”
「協会にしても、後から揉めるのは困るだろ? 柿長の簡単な身辺調査だよ」
“はあ……”
上役からも似た懸念は伝えられていたらしく、青年は柿長を調べることに同意した。
後は若い二人がスケジュールを摺り合わせるのに任せ、桐治はミキにコーヒーのお代わりを注いでやる。
「塩さんは、正義感が強いんですかねえ」
「玉が異常に好きなだけじゃね?」
瑠美と静村は、明日早速、調査に赴くことに決定した。次の日も連続してミキの当番日のため、店の営業には差し支えない。
明日は土曜、学校は休みとは言え、最近の瑠美はブランにいる時間の方が長いのではないか。こんな調子でも、学業は優秀らしいから分からないものだ。
調査の結果は、翌日の夜、またもや球会議で報告された。
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