22. 白流し

 北海道で見つかった巨大イクラ、タイの雷魚が銜えていたという赤玉。

 瑠美の探してくれた玉情報は、どれも信憑性が低く、桐治が関心を持つほどではない。第一、発見場所が遠すぎて、どうやって確認するのかという問題が突き付けられた。

 旅費と休業補償を半木に押し付けたとしても、行ってみれば偽物でしたでは宮司も胃痛を起こすだろう。


 火曜日に出勤したミキも、暇を見付けてはオークションの検索に協力してくれた。しかしながら、これもさしたる収穫は得られず、彼女はスマホ画面を無為にスクロールさせるだけ。

 閉店後、桐治が戸締まりをする間もスマホをいじくっていたミキは、画像の一つを拡大して彼に見せた。


「これなんてどうです? 色が似てますよ」

「こりゃ琥珀だ。ほら、ここ、気泡が入ってるだろ。珠に空気は入らないよ」

「そっかー」


 龍眼は内在する力の強さに加え、激レアだからこそ、珍重されたという歴史もある。必要に迫られてから探したところで、楽に買えたらそちらの方が驚きだ。


 翌日、昼から店に入った瑠美も、来るなり両手を万歳して成果の無かったことを伝える。

 こうなると、代替品として、似た性質の珠を探すのが賢明か。

 野生の蜜蜂が作る蜜玉、老木にこぶとなって生まれる老樹球など、桐治はいくつか探す玉の種類を増やすべく、彼女にその色形を説明した。

 客がいないのをいいことにして、瑠美はカウンターにノートを広げてメモを取る。


 その昼下がりのことだった。

 ドアベルの音と共に現れる、派手な柄のワンピース姿。

 瑠美とは対極のような格好をした木代美土梨が、同じく大きな花柄のトートバッグを提げて、カウンターへ歩み寄った。


「いらっしゃい」

「木代美土梨よ。一昨日おととい会った」

「覚えてる。話がありそうだね、奥のテーブルへ」


 桐治は瑠美に目配せをして、自身も店の奥へと移動する。

 美土梨は壁際へ、彼はその正面に腰掛けると、木代家で見たベルベットの箱がバッグから取り出された。


「玉はあげる。代金は要らない」

「……それは助かるが。何か条件があるのか?」


 伏せ目がちに、繰り出す言葉を逡巡する美土梨。

 決意を込め顔を上げた彼女は、しかし、意味のあることを言えないまま、またこうべを垂れた。

 沈黙を続ける彼女を、彼は辛抱強く眺めて待つ。初見の際の不貞腐れたような態度は消え、美土梨はただ消え入りそうに肩をすぼめていた。

 二人へ水の入ったグラスを持ってきた瑠美は、美土梨が掻き消えるような声で嗚咽を漏らしているのに気付く。


 桐治が勝手に頼んだミルクティーが、彼女の前に用意される頃、ようやくポツリポツリと玉を差し出した理由が語られ出した。


「夢を……見るの。昨日も見た。池に放り込まれる夢」

「悪い夢か」

「鯉に襲われる夢……」


 彼女の抱える黒い想いを、玉が増幅してるのか。

 一昨日の美土梨は、三つの玉をまともに見ようとはしなかった。今日も視線は箱から外れ、ティーカップと自分の膝上辺りの間を漂っている。


「この玉が悪夢を頻発させる、そんなこともなくはない」

「じゃあ、これを供養してもらったら――」

「夢は消えないよ。原因はあくまで自分自身だから」

「そんな! どうしたらいいのよ……」

「これを持って来たのは、自分のしたことに向かい合う一歩目だ。心の問題は、時間が掛かるもんだ」


 どれほど反省しようが、手を合わせようが、彼女の傷はいつまでも残り続ける。だが、歩みは遅くとも、深くえぐれた傷を乗り越えることは出来るだろう。


 桐治は箱を開け、玉を一つ摘み、美土梨に右手を出すように言う。

「こ、こう?」

「玉を近付けるから、感じたままを口に出してくれ」


 彼女の掌の上、五センチくらいの所に龍眼を持って行く。

「なんにも……何も感じない」

「そうか。手に乗せるぞ」


 玉が皮膚に触れた瞬間、彼女は少し手をビクつかせたが、それだけだ。


「少しだけ、冷たい……かな。よく分からない」

「本当は温かいんだけどな」


 彼は玉を箱に戻し、取りあえず冷めないうちに紅茶を飲むように勧めた。彼女にも理解できるよう、言葉を選んで、このオレンジの玉について説明する。


「龍眼は力が強い。アンタの心が弱ってたら、それをそのまま跳ね返す。触ったら氷点下に感じたかもしれん」

「そこまでは冷たくなかった」

「そう、こいつは白流しだから。白い流紋は、水子玉が混じってるんだ」

「水子玉って?」

「亡くなった胎児の玉だよ」


 美土梨の顔色が、カウンターの瑠美からでも分かるくらいに白くなった。

 桐治には、詳しい事情を聞く気はなかったのだが、美土梨は自分からこの半年の出来事を話す。

 ここで吐き出すことが自分への罰だと言わんばかりに、彼女の表情は痛みに歪んでいた。

 話自体は、よくある三文小説の域を出るものではなく、大方は桐治の予想した通り。


 派手な火遊びから妊娠、誰の子かも断定できない始末で、家族にも隠した。

 医者にも行かず、体調不良を願ったものの、三ヶ月目に明らかに下腹部が膨れる。

 彼女にとって幸運だったのか、不運だったのかは分からないが、腹の成長は一般より小さく、家族にも最後まで太ったと誤魔化した。

 その苦しい言い訳が通用するほど、彼女は親から関心を持たれていなかったのだ。


 四ヶ月が経過し、これ以上は隠すのが難しいとなると、美土梨は無茶を承知で流産を狙う。

 ダイエットと称して食事を抜き、毎夜池の回りで行われる激しいランニング。最後は冷たい池に胸まで浸かり、バシャバシャと運動を繰り返した結果、見事目的は達せられた。


「それでも医者に見せないとはね。下手すると、アンタの命に係わるんだぞ」

「見せられるわけないじゃんっ!」


 すぐに忘れて、元通りの生活に戻れる。その楽観的な期待は、悪夢が奪い去った。日に日にリアルになる鯉の夢が何を示すものかは、彼女が一番よく知っている。


 木代家を去る時、桐治が彼女に囁いたのは、「供養した方がいい」という一言だ。

 怨念や霊魂を丸きり信じていない彼が、そんなアドバイスをするのは、少々意地が悪かったかもしれない。

 だが、効果は覿面てきめんで、祖父を説得した彼女は、玉を持ってこうしてブランを訪れたのだった。


「アンタの内面が真っ黒なら、玉に触れた途端、手が凍りつくことだってある。水子が守ってくれたって考えたらいい。無茶苦茶やったのに、ちゃんと回復したのもな」

「守って? 私が……たのに……」


 メニューの側に置かれた、店の案内カードを一枚抜くと、彼はそこに番号を書き留め、彼女に渡す。


「もし、警察に言う気なら、そこへ電話しろよ。県警の柳岡って刑事で、俺も知ってる人間だ。適当な部署に回してくれるだろう」

「……自首した方がいいですか?」

「それは、アンタ次第だ。殺人にはならないから、大した罪には問われないよ」


 美土梨が視線を上げるのを待ってから、桐治の言葉はもう少し続く。


「俺は人に言うつもりは無い。アンタが自首しないと平穏に暮らせないと言うなら、自首すべきだ」

「……一生秘密にするっていうのは?」

「そういうヤツもいるだろう。自分一人で供養して行くなら、それもいいさ。池をさらわれなければ、バレはしない」


 この後、彼女は供養の仕方について質問し、桐治の答えられる範囲で教えてやる。信じていないと言っても、彼にも知識は有る。

 話が途切れたところで、桐治は玉を二つテーブルに敷いたナプキンに移し、残りの一つを箱ごと美土梨に返した。


「一つは自分で持っとけ」

「いいの? 玉は三つ要るって」

「ギリギリだけど、何とかなる。拝む相手が欲しいだろ」

「あ、ありがとう」


 ここで初めて礼を言い、彼女は箱を膝の上に抱える。

 二人の話が終わるのを待っていたように、騒がしい常連の主婦たちが入店し、喧騒が復活した。


「さあ、暗くなる前に帰れよ」


 小さくお辞儀をした彼女は、足早に店を出て行く。

 一連の話について、瑠美が質問する機会を得たのは、もう閉店に近い時間のことであった。





 食器を洗い、棚に戻す桐治へ、いくつか解消しなかった疑問が尋ねられる。


「あの玉は、なんで混じってしまったんですか?」

「子供が素材だと、たまにある。生命力が強いせいなのか、俺も理由までは知らない」


 素材、そう彼は表現した。尻子玉もコブシ玉も、そして水子玉も素材は似ている。

 玉が生まれる原因として多いこの素材が何かは、詳しく語らずとも、瑠美も理解していた。

 彼女が引っ掛かったことは、もう一つ。


「狭山さんは、霊魂は信じてないんですよね。供養なんて意味無いって言いそうなのに」

「供養したら成仏するってのは、確かに信じて無い。霊が存在するなら、親父を呼び出して説教してやる」

「だったらなんで?」


 桐治は瑠美の胸にぶら下がる勾玉を指した。

「それと同じことだ。単なる綺麗な石なのか、お守りなのかは自分が決めること。供養も自分が納得してやれば、心の持ち様が変わる」


 勾玉を手に乗せ、彼女は桐治の言葉の意味を、しばらく考えた。

 信じて何かが起こるのではなく、変わるのは自分の心。

 暗い情念に囚われれば、八重美のように自らを傷つける。供養も勾玉も、それで心を侵す瘴気しょうきを払えるなら、意味は有るということか。


 時刻は七時半、彼は瑠美に帰り仕度を促した。ミキは友人と食事らしいので、今夜の球会議は休みだ。

 照明を落とし、外に出た桐治は、龍眼を入れた上着のポケットを軽く叩いて彼女を見る。


「この玉ってさ。本当なら二百万だよな」

「安く済んで良かったですね」

「うん。タダほど安い物は無い。それでだ、半木なんだけど――」

「二百万で売ろうっていうなら、ダメですよ。玉に凍らされても知りませんからね」

「……うん。篠田さんがなんて言うか試しただけ」


 ミキが聞き付けるとややこしいから、さっさと半木に報告しとけとまで、彼女は釘を刺した。


「あの球女、超がめついんだから」

「がめついけど、良いところもあるんだよ。カレー作ってくれたし」

「なに餌付けられてるんですか。勾玉あげますから、正気に戻ってください」

「いらない……」


 彼女の勾玉が手製だったことを、彼はこの日初めて知る。

 器用な子だなあと思いつつも、本当に要らなかった。

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