「 7 days left」


「ミライさん、カコ博士からの通信が入りました」


 薄明かりの空を渡るヘリコプターの中、パイロットはミライに言付けをした。


「“サーバルがけもの病院から脱走したので、発見次第保護して欲しい”とのことです」

「けもの病院?ケガでもしたのかしら……?」


 不安げなミライに対して、カラカルはつんとした表情でぶっきらぼうに言う。


「とにかく、こんな状況なんだから、あんまりそこらをぶらぶらさせる訳にはいかないわね」


 その様子がとてもわざとらしかったので、ミライは意地悪くカラカルを茶化した。


「フフ、やっぱりカラカルさんも、サーバルさんの事が心配なんですか?」

「ち、違うわよ!」


 カラカルは真っ赤な顔で否定するが、やっぱり心配なのだろう。すぐに腕を組んで、


「あの子がいそうな所は大体わかるわ、お気に入りの場所。縄張りの木よ」


 と確信を持って答えた。ヘリコプターはカラカルの言葉を聞くとその場で旋回し、一本の木のそばに舞い降りる。


*   *   *


 謎の施設から脱走し、住み慣れたサバンナエリアに帰ってきたサーバルは、いつものように木の上で眠っていたが、頭上から響き渡る爆音で目を覚ました。


「うわあああ、空からなにか来るよ!し、侵略者?宇宙人?うわぁぁぁん、“きゃとるみゅーてぃれーしょん”されちゃうよ~」


 パニックで半泣きになりながら、サーバルはジャンプしながら全速力で逃げ去った、高速で跳ね回るまだら模様にカラカルは叫ぶ。


「ま、待ちなさい!サーバル!」


 カラカルはまだ相当な高度があるにもかかわらず、ヘリコプターのドアを開けてジャンプ、空中で一回転し、脚のバネを生かして草原の上に軟着陸した。そのまま全速力でサーバルを追いかける。


「か、カラカル!? な、なんで~?」

「そっちこそ何で逃げるのよ!」


 サーバルは草原を右へ左へ掻き分けながら追っ手を撒こうとしたが、文字通り知己の友であるのカラカルにそんな小手先は通用しなかった。


「おとなしく捕まりなさ〜い!」


 カラカルはサーバルの進行方向を予測し、大きくジャンプした。大きく開いた手のひらはサーバルのスカートを掴みかけるが、虚しくも空を切る。だが、比較的持久力の高いカラカルは、まだジャンプのためのエネルギーを残していた。


「このまま逃げられるとでも思ってるの?」


 大きい耳でサーバルの場所を把握すると、今度は前のめりになって飛び出して行く。腕を目一杯伸ばして、黄色い背中をがしっと掴み取った。


「う、うわぁぁぁぁぁっ!」

「サーバル!観念しなさ〜い!」


 長い取っ組み合いの末、ロープでふん縛られたサーバルはヘリコプターの前にしょっ引かれてきた。半べそをかきながらも、カラカルを睨む目には怨嗟の色が浮かんでいる。


「カラカルも、宇宙人の一味だったんだ……今まで私を騙してたんだね!」


 一向に要領を得ないサーバルの言葉に、カラカルは語気を強めて説得を試みる。


「何言ってるのよ!ほら、ガイドさんや園長さんだっているわ、ヘリコプターだって一度くらい見たことあるでしょ?」


 だが……サーバルは目を丸くしながらポカンとしている。頭をひねりながら、その名前を復唱することしかできない。


「がいど?えんちょう?」


 それはまるで、初めて動物の名前を教わった赤ん坊のような口調だった。


「……様子がおかしいわ、一体どうしたのかしら」

「もしかして……また、記憶を失ってしまったのかも……」


 眉間に皺を寄せ、園長とカラカル困り果てた顔を互いに見合わせた。

 しかし、ミライはそんな状況にも一切の不安を見せなかった。メガネ越しに穏やかな視線を投げかけて、少しづつサーバルに歩み寄る。


「……だ、だれ?」

「こんにちは……じゃなくて、”はじめまして”ですね。私はパークガイドのミライです。これからよろしくお願いしますね」

 

 そのままサーバルを縛っているロープを慣れた手付きで解いていく。


「サーバルさん、安心してください。サーバルさんは覚えていないかもしれないけれど、私達は一緒に色んな場所を旅してきたんですよ」

「一緒に……旅?」

「はい。それで……サーバルさんさえ良ければ、また一緒に旅に出ませんか?」


 ロープが解かれてもしばらく呆然とミライの顔を見ていたサーバルだったが、すぐに屈託のない表情を浮かべて頷くと、自由になった両手を大きく広げて、荒野に響き渡る元気な声で答える。


「うん!わたしず~っとここでカラカルと住んでいたから、ちょうど飽き飽きしてたんだ!一緒に行こう!」


 その言葉を聞いて、ミライも思わず満面の笑みでサーバルに抱きついた。

 地平線のかなたからいつの間にか昇ってきた朝日に目を細めながら、その睦まじい様子を漫然と見ていたカラカルだったが。ふんっ!と鼻息を一つつくと踵を返し、


「ハァ……私の苦労は何だったの?そ~れ~に~『飽き飽きしてた』ってどういう事よ!!」


 と、地団駄を踏みながら一足先にヘリコプターに乗り込み、硬い座席の上でふてくされた。


*   *   *


「よく無事に帰ってきてくれた、ミライ」

「先輩こそ、何事も無く……は無いですよね。サーバルの事……」


 まだ慌ただしい空気に包まれているキョウシュウエリア管理センターの一室で、カコと対面したミライは、堪えていた不安を初めて露わにした。


「衰弱したセーバルにサーバルの記憶を与えた後、目覚めたサーバルは軽くパニックに陥ったらしい。一目散に廊下を駆けて行くサーバルを誰も取り押さえることが出来なかった」


 カコも自分の思い至らなさを自覚しながら目を伏せた。もしミライの救助が遅れていたら、セルリアンに為す術無く捕食されていたかもしれない状況だったのだ。

 そんな事にでもなれば……残されたあの子に合わせる顔が無い。


「ともあれ、サーバルも無事で何よりだった」

「はい、あれだけの事が起こっても、誰一人欠けずに済んだのは奇跡です」


 カコはそれを聞いて、ようやく一息つく心の余裕を得た。冷めたコーヒーを一口飲む。


「サーバルは引き続き君に頼もうと思う。色々と慣れない事ばかりだと思うが……記憶は失われたとしても、あれだけの長い時間を共に生きてきた仲間だ。きっと大丈夫だと信じている。それで……」


 淡々とした口調でそれだけ言うと、カコは回転椅子をきっかり90度回してデスクトップパソコンの電源を付けた。

 画面いっぱいに映し出された光景に、ミライは思わず息を飲む。


「こ、これは…?」

「夜の暗がりで気づかなかったかも知れないが、これがキョウシュウ火山の現在の状況だ。昨日から続いている漆黒のサンドスターは、断続的に火口からの噴出を続けている」


 火口から伸びていく黒曜石の欠片のような黒いサンドスターの結晶の攻撃的な光沢に、ミライは思わず顔を引きつらせた。


「これが……あのセルリアン大量発生の原因?」

「断定は出来ないが、無関係では無いはずだ……その上、今朝がた日本政府からの通達が入った」

「政府?一体どうして……」

 

 予想外の第三者の出現はミライの心を不安がらせた。カコは半ば呆れながらも深刻な面持ちを崩すことなく経緯を語り始める。


「米国や欧州諸国が、”支援”と”自国民保護”の名目でパークへの介入を認めるように圧力を掛けているようだ」


 パークへの国家ぐるみの軍事介入。人道的な災害の収束という理由であったとしても、それが大きな隠喩を含むことは避けられない。


「お題目は良いが、その実はサンドスターの島内独占を破ろうという思惑だろう。無尽蔵のエネルギー、何にでも変化する万能性……欲しがるなと言う方が難しい。地球上の石油、石炭、核燃料を使い尽くし、各国がエネルギー不足に喘いでいる今、サンドスターを狙っていない国は無いはずだ」


 ミライは恐る恐る問いかける。


「それで……介入を認めたんですか?」

「ギリギリの所で猶予を得ることが出来た。『人命は完全に保護されている、現在、援助を必要とする状況にはない。』『むしろ、そちらの一方的な介入は混乱を生じ、事態を悪化させる恐れがある』『過去、我々はキョウシュウのみならず、パーク全域のセルリアンの支配に対しても軍事介入無しに解決した実績がある』だのなんだの、思いつく限りの方便を並べ立ててね」


 やれやれ、と言いたげな仕草をしながら、カコは飄飄と語った。しかし、それは心理的な圧迫の裏返しなのだろう。続く言葉に余裕は無くなっていた。


「だが、向こうも一筋縄じゃない、『パーク全職員の段階的退去』と『排他的経済水域内の軍事展開』、そして『一週間後、事態の収束が見込めない場合は即時の武力含む介入を認める事』を交換条件として突きつけてきた……奴ら、もぬけの殻になったパークで一暴れする腹積りのようだ」


 そして、汚泥のようなコーヒーを一口飲むと、苦々しい顔で吐き捨てた。


「この島から逃げられないアニマルガールたちの事など、顧みる事無く……な」


*   *   *


「名誉園長も生憎、先方の扱いは一般人だ。いつでも送還出来る状態にしておく必要がある。今まで何度も"けもののお守り"に助けられてきた我々には手痛いが……付け入られる隙を見せてはならない」


 最早、状況は単なるセルリアンとの戦いでは無くなった。島の外に渦巻く陰謀と無関心の刃を切り抜けながら、孤立奮闘しなければならない。


「デッドラインは一週間だ。それを過ぎた瞬間……」

 人の獣の絆は、粉々に砕け散る。


 ミライはただ頷くことも忘れて、絶望的な状況を淡々と聞いていたが、言葉に詰まったカコの様子を見るや否や、膝に鎮座したガイドロボットに引っ掛けた帽子を深く被ると、意を決して立ち上がる。


「……分かりました、先輩」


 そのまま踵を返し、振り向くことなく部屋を出る。


「……必ず、平和なパークを取り戻します!」


 この島の数多の命のために、しなければならない使命の前には、振り向く暇さえ無い。

 その小さな背中を見上げながら、カコは小さく頷いた。


*   *   *


「サーバルさん、カラカルさん」


 管理センターから出てきたミライは、いつも通りのにこやかな笑顔で二人を呼んだ。その表情からは、困窮した現状に対する悲愴感も、自らに課した使命感も影を潜めている。

 何事も無かったかのように。

 

「もう、待ちくたびれたわよ!サーバルもあっちいったりこっちいったり落ち着きが無いし……」

「ねぇねぇ、ミライさん!これからどこ行くの?」


 ミライはしばし考えたが、近くの案内板のケースからパークの地図を取り出すと、迷うことなく一点を指差した。


「まずはここに行きましょう、ここからなら、あの山の調査とても楽になるはずです」

「よ~し、そうと決まれば出発進行だね!」

「ち、ちょっとサーバル、待ちなさいよ~!」

 

 うん、そうだ。これでいいのだ。

 駆け出す二人の背中を優しい瞳でみつめながら、ミライは微笑んだ。パークの平和が風前の灯火であったとしても、彼女たちの前では着丈に振る舞おう。自分の不安や悲しみが彼女たちに移らないように。


 だって、目の前のその眩しい笑顔こそ、私が一番守りたいものだから。


「ミライさーん!早く早くー!」

「はい、今いきますよ~」


 残り7日。

 笑顔の裏に決意を固めて、ミライのブーツは地面を蹴った。

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