「先触」


 ジャパリパーク動物研究所のサンプルコードはとても単純だ。


 まず、ジャパリパーク由来という事を示す統一コード「JP」が振られる。日本の「Jp」と区別するため、JapariParkの頭文字を取って両方とも大文字で記される。


 次に、それが何のサンプルなのかを示す種類コードが振られる。アニマルガールなら「A」。セルリアンなら「C」。そして、サンドスターならば「S」。


 最後に、そのサンプルの発見順に通し番号が振られる。以前は数字を単純に振っていただけだったのだが、管理上の要請や、アニマルガールの発見数が100桁台に到達したことに倣い、セルリアンやサンドスターであっても3桁で記載されるようになった。


 実際に運用されている例を見ていこう。


 たとえば「JP-S-001」

 これは宇宙からこの島に飛来してくるサンドスターのサンプルコードだ。ジャパリパーク初のサンプルコードでもある。


 次いで「JP-S-002」

 私が”幸運のけもの”から入手したサンドスターの入った小瓶のサンプルコード。このサンドスターによって、私は絶望と希望を知った。


 「S」、つまりサンドスターのサンプルコードは現時点ではこの2つだけである。

 だが、「002」から私が得た情報が正しければ、ほどなくして「JP-S-003」のコードが難なく割り当てられ、他のサンプルと同様、平然とデータベースの一画を占める事になるはずだ。


 だが、私は知っている。このコードを振る事が、終わりの始まりであるという事を。


*   *   *


 ジャパリパークの再開準備は順調に進んでいる。パークセントラルの復旧はほぼ完了し、試験解放区はそれぞれのエリアに一箇所ずつ設けられるようになった。パークとは無関係の一般客も毎日のように訪れ、この流れが続けば正式開園は年内に行う事ができるようになるだろう。職員もフレンズも、そんな展望を微塵も疑わずに、一生懸命働いている。


 もちろんセルリアンの脅威が完全に去った訳ではない。しかし、女王事件の時ほどの被害は無く、出現件数も被害状況もごくごくわずかなものになっていた。

 反対に活発になったのがセルリアンに対する研究である。女王事件におけるセルリアンに関する膨大な情報が収集、整理され、それを慎重に吟味する余裕も生まれたからだ。


「第二世代セルリアン。通称、黒色セルリアン群を、セルリアンの”進化”と見るのが一般的な説ですが、私からは新しい視点として“未分化”であるという仮説を提唱します。

 黒色セルリアンで確認されている主な行動は、取り込んだ物をコピーする、情報を個体間で共有する、連携した行動をとるなどが挙げられます。一見すると、セルリアンの能力の強化に思えます」


 壁面に投影された映像は、イッカクの武器を取り込み、角として形質に反映させた黒いセルリアンの様子を詳細に記録していた。ミライのウェアラブルデバイスで撮影された映像だ。


「しかし、生物学的な“分化”という観点から考えると、これはセルリアンの初期活性状態ではないかと考える事も出来ます」


 私がそう続けた瞬間、周囲の関係者からどよめきの声が上がった。通説を覆すのだから無理はない。数秒待ち、私はスライドを次のページに移してから発表を再開した。


「分かりやすい例えとして、ES細胞やiPS細胞を始めとする万能細胞を挙げたいと思います、これらの細胞は体中のあらゆる部分へ変化する事が出来ますが、それはこれらの細胞がまだ”未分化”である故です。同様に黒色セルリアンが取り込んだ物を瞬時に自分の形質に反映することが出来るのは、そのセルリアンが未分化の状態だからと考える事が出来ます」


 再生医療が一般化した現在において、このたとえは有効に働いてくれた。研究者たちも医学に相当精通している面々ばかりであるから、なおさらだ。説明が進めば進むほど、納得の表情が波状に広がっていく。


「また、未分化という事は、その個体がまだ個として独立していない状態と考える事も出来ます。情報の個体間共有や連携した行動は、そのセルリアン一体一体がまだ独立しておらず、繋がりを保った状態であるから故の行動であると見ることも可能です」


 ここまで言えば十分だろう。そう判断し、私はスライドの表示を消すと共にプレゼンを早めに終了させる。


「とはいえ、この仮説が正しかったとしても、黒色セルリアンが脅威である事は変わりありません、この仮説がそれらの対策の一助となることを期待します、質問などなければ、私からは以上です」


 万雷の拍手と称賛を顧みずに、タブレット端末を小脇に抱え、私は会場を後にした。

 向かう先は、キョウシュウエリアだ。


*   *   *


「LBシステムの進捗状況は?」


 キョウシュウエリアの遊園地の一角に置かれた巨大な白い帽子の形の建物、その両端には細長い角のようなアンテナが屹立している。正面にはカラフルな文字で「PAVILION」と記された看板が虹のように輝いている。

 開発主任の職員は身振り手振りで現状を報告しながら、その中に歩み入った。

 中はひんやりと涼しく、プラネタリウムのような全天球形モニターの1枚1枚に、真っ白の背景に「LB SYSTEM」の表示が映し出されている、しばらくすると、ピンク色の仮想LBが画面の端から出現する。


『データ、問題なし。システム、正常に稼働。フレンズアーカイブ、問題なし。通常モードで起動します』


 刹那、眼の前にキョウシュウエリアサバンナの風景が出現した。いや、前だけではない、まるで自分がそこに瞬間移動したかのように、頭の上から足元まで含めた360度のパノラマが広がった。私はその一連のシークエンスを見届けると深く頷く。完璧だ。


「システムホストの仮想LBの構築と、パビリオン内でのシステム運用は順調みたいですね」


 主任もその評価に安心して、笑顔で付け加える。


「パークのデータとフレンズアーカイブだけでこれだけの再現が可能です。ゲストの受け入れについては十分です」


 だが、LBシステムはパビリオン内部で完結するものではない。「ただ……」と主任は続け、ぱびりおんの通路に並んでいる青い耳の列に目をやった。量産されたLBⅠ型だ。


「Ⅰ型の開発……ですか」

「はい、実際にテスト運用を行わない限りは、実地使用に耐えられるかどうか何とも……」


 それを聞いた私の頭に思い浮かぶ顔はただ一つだった。


「実地なら知人にその道のプロがいます」


 私は百台近く整列した青い耳の群れから丁度自分の足元にいた一体を、背中のベルトを掴んで持ち上げる。それはしばらく足をばたつかせ、目のLEDを点滅させながらあの日と同じ声で「オロシテ。オロシテ」と懇願した。両手で抱きかかえてやると、やっと落ち着いて無言になったのを確認して、主任に向き直る。


「この1台をテストサンプルとして、彼女に託します。LBの生産は維持したまま、テストで判明した改善点を即座にサンドスタークラフトでカバーしていく方針で進めて下さい」


 主任はすぐ素直に頷いたが、その顔にはまだもやつきが浮かんでいる。それを心の中に押し止められなかったのか、パビリオンの出口で主任は私に問いかけた。


「……本当にLBに屋外作業を全て任せるんですか?ジャパまんの生産や設備維持はともかく、やっぱりフレンズに対しては、ちゃんと人間が向き合ってあげるべきではと思うのですが……」


 そういう意見が出てくるのは想定していた。自分たちに成り代わるLBを、アニマルガールに対して日々献身的に働いている職員や飼育員たちが肯定できないのは当たり前の事だからだ。それ故、表向きにはゲストの案内とパークの監視をする“パークガイドロボット”という名目で開発している。

 それでも不安を抱く人のために、私は予め準備していた方便を淀み無く言う。


「心配する気持ちは分かります。ですが、LBは我々の負担を軽くしてくれます。そのぶん、私達はアニマルガールとより深く向き合う余裕が得られます」


 嘘ではない、だが、真実でもない。……いや、きっと真実にはならない。そういう意味では嘘なのだろう。


「LBがいても、我々の存在意義が失われる事ないように、LBはアニマルガールとは会話しないようにプログラムされています」


 それでも、こうやって取り繕い続けなければ、事は成せない。


「なるほど、そこまで考えられているならば安心です」


 その言葉と笑顔を確認して、私は軽く手を振り、事務的な別れを告げた。


「では、LBとパビリオンの一般公開は、予定通り、来週によろしくお願いします」


*   *   *


「私、パビリオンはあまり好きじゃありません」


 ミライは私の呼び出しにすぐに応えてくれた。サーバルとセーバルをキョウシュウエリアに送迎した所だったそうだ。


「一方的に、仮想のパークとフレンズを見るシステムだなんて」


 女王事件をきっかけに、パークガイドを務め続けている彼女にとっては、LBではなく、パビリオンの方が腑に落ちないといった様子だった。


「だが、試験解放区と違って、人馴れしたアニマルガールの殆どいないパークサファリで暮らしているありのままの彼女を、たくさんの人が見るためには良いシステムだ。ゲストが詰めかける事で、彼女たちの暮らしが阻害される恐れもない」


 LBと同様に、パビリオンについても、私は言い訳を用意していた。しかし長い付き合いであるミライはその言葉を額面通りには受け入れない。


「なんだか、ヒトとフレンズを引き離そうとしているような感じがするんです」


 私はその言葉に息を飲んだ。ある意味、正鵠を射ている言葉だったからだ。私は心の内を見透かされたような気がして動揺した。


「彼女たちは私達と同じ姿で、同じ言葉を話すことが出来る存在です。見世物じゃないんですよ」


 私は一呼吸おいて冷静になり、彼女の言葉に深く頷く。


「……ああ、私もそう思う。だが、来園者がそう思うとは限らないのが現実だ」


 私がこのような事をしなければならない理由。


「ほんの僅かな見かけの違いのために、この世には差別や虐殺が絶えない。ほんの僅かな立場の違いのために、この世には戦争や紛争が絶えない。言葉が通じる、同じ人間同士であったとしても」


 それが、我々人間側にある事は間違いないからだ。


「アニマルガールたちがその矛先に立たされるような事態は決して許されない。彼女たちが傷つく事態は決して許されない。この施設はそのための、動物園には欠かせない檻だ」


 この方便はきっと嘘にはならない。

 そういう意味では、紛うことなき真実だ。


「アニマルガールを入れるための檻……ですか?」


「ヒトを入れるための檻だ」


 私の言葉にミライはしばらく絶句し、悲しげな顔を浮かべた。が、すぐに帽子を整えて私に言い返す。


「そうだとしても、私はフレンズさんと人が言葉と心を交わし合って欲しいです。ここの職員の皆さんや、そして何より園長さんは、たくさんのフレンズと信頼を築き、共に歩んできました」


 そうだ、少なくとも彼女には、そう信じるに値する経験を積み重ねてきたのだ。その推論は彼女なりの真実であるのだろう。いや、希望と言う方が正しいだろうか。


「これから来るゲストさんたちも、出会ったフレンズさんと一緒に、同じジャパまんを食べて、困難なアトラクションをクリアして、この広いジャパリパークを冒険すれば、きっと……」


 何れにせよ、ミライは常に希望を持ち続ける事が出来る存在だ。

 そんな彼女は、常に絶望の淵を歩く私を救ってくれる。


 私はミライの話に乗りつつ、話題をそれとなくすり替えた。


「そうだな……そのための新アトラクション『地下迷宮』だろう?」


「そうですよ、先輩っ!暗がりの中、複雑怪奇なあの迷路をクリアするためには、夜目が効き、風や匂いを感じ取れるフレンズさんと、目印やマッピングが出来るゲストさんが協力しないと出られないという!まさに、ピンチの中でのフレンズと人の共同作業なんですよ!通常の建造方法だと、3年はかかると言われましたが、サンドスタープリント工法によってたった3ヶ月で完成しました、一週間後のオープンプロモーションが楽しみです!」


 真剣な顔から打って変わって、彼女は興奮気味に地下迷宮の素晴らしさを身振り手振りをまくし立てた。私は多少気圧されたものの、その言葉の切れ目を掴んでなんとか彼女を本題へと導く。


「そのプロモーションにこれを連れて行ってやって欲しい。パークガイドとして、ガイドロボットの性能を確かめてもらいたい」


 そう言って私はその青く小さなロボットを両手で突き出した。そのシルエットが瞳に入った瞬間、ミライは目を見開いて、ポカンとした口から言葉を漏らす。


「……これは……あの日の……」

「ああ、あの日の“幸運のけもの”のコピーだ」


 ミライは恐る恐るそれを受け取ると、それをじっと見つめる。瞬間、LBもミライに反応したのか、LEDの瞳がチカチカと点滅した。

 私は納得した表情で頷く、そうだ。これでいい。

 彼女が希望と共にあるのなら、


「ラッキービーストを、よろしく頼む」


 希望を叶える幸運は、彼女と共にあるべきだ。


*   *   *


 一仕事終え、すっかり日が落ちて真っ暗闇になったパークから研究室に戻ってきた私は疲れ切っていたが、机の上の変化に気づかないほど鈍感になってはいなかった。

 そこにはシャーレがぽつりと置かれていた。それを重石代わりにして置かれていた紙には、キョウシュウの火山付近で採集された物質との事で、地学班の同定ができなかった事から、サンドスター専門の私に盥回しにされた。との事が簡潔に記されていた。


 非常に静かで、日常的な始まりだ。いや、あらゆる災厄始まりは往々にして、こういうものだ。

 だが、私はそれを受け入れる準備は整っている。これまでの紆余曲折を経て、もう心の内で、なすべきことは全て固まっている。

 それをただ淡々と行う。それだけ。

 それがどれほど罪深く恐ろしい事であったとしても。


 黄色い付箋にボールペンで記す。これからの災厄と悲哀に同意する契約書に署名するような心持ちで、しっかりと書き記す。


 JP-S-003


 付箋をシャーレの蓋に貼り付けた時。

 終わりが、始まる。


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