「Labyrinth」

 

どうぞ、という言葉の後に一拍おき。私はマイクに向かってはっきりと話す。


「ようこそ地下迷宮へ、君は無事に出口まで辿り着けるかな?ウッフッフッフッ……」

「はい、OKです!」


 カチッという音と共に私の緊張の糸は切れた。”出来る限り怖く”というオーダーに従い一生懸命頑張ったのだが、自分でも迫力不足であることを痛感する。にこやかに録音データを取り出す職員に、私は大きく溜息をつくと、帽子をかぶり直し苦い顔で意見した。


「やっぱり、プロの声優さんに頼んだほうがいいですよ……」


*   *   *


 地下迷宮。

 ようやくオープニングセレモニーに至ったキョウシュウエリアのアトラクションの一つだ。

 フレンズさんの鋭い感覚と、ゲストの処理能力で、困難な迷路を脱出するこの施設は、動物やフレンズさんの生活を阻害しないように密かに建設が進められていたが、今日、とうとう待ちに待った完成式典と相成った。

 カメラ代わりに使うのは先輩から託されたラッキービースト。出口の明るく広いスペース、『GOAL おめでとう!』と書かれた簡素なアーチの下で、私はラッキービーストのアイカメラを起動させる。


「え~っと、これで良いのかな……」


 両目の緑色のLEDがチカチカと点滅し、処理音に混ざって「ロクガ、カイシします」と、それは喋った。すかさず私は考えてきた紹介文を話す。


「えー。いよいよ新アトラクション!地下迷宮のオープンです!動物やフレンズと一緒に、迷路で遊べる、触れ合い巨大アトラクションです!」


 この放送がパビリオンのモニターやセントラルの園内TVで放送されている事を、沢山の来園者に見られていることを考えると、かなり緊張してしまった。


「楽しんでもらえるといいんですが…では!皆さんと会えるのを、楽しみにしています!」


 なんとか笑顔を維持し続け、内蔵プログラム通り、手を振る動作で録画を終了する。


「ふぅ……、この後はテープカットですね」


 溜息をついて、私は背にしていた出口の暗闇に目をやる。光源といえば炎のようにゆらめくライトくらいの地下迷宮、中の様子を伺い知る事は難しい。


「真っ暗ですね……きっと、この中から見たゴールはとても明るく見えるんでしょうね。」


 フレンズさんと困難を乗り越えた先に、友情を深めて欲しい。そんな気持ちで私は地下迷宮のテープカットを行う。


 数時間後、それが叶わなくなるとは知らずに。


*   *   *


 初めての挑戦者として招待されたゲストの少年は目を凝らして道の果てを確かめようとする。


「うーん、全然見えないや……本当にこっちでいいの、バンドウイルカさん?」

「ドルカでいいよ。私には、目をつぶっても先に何があるのか分かるんだ!」

「バンドウイルカさんは、超音波を使って、壁の向こうや周囲の状況を確かめることが出来るんです」


 目を輝かせる少年。


「マジで?スッゲーな!じゃあオレは道順をメモっていくぜ!」

「うん、私に任せて!レッツゴー!」


 これ以上無いほど良い調子だった。この分ならすぐにクリア出来そうだ。もう少し難易度を上げても良いかもしれない。

 そんなことを考えながら、道の突き当たりまで足を踏み入れた瞬間だった。

 突然の地響きが、天井を、壁を、床を、体を震わせる。


 「うわあああっ!」

 「こ、怖いよぉ!」


 慌てふためくゲストとフレンズ。幼いゲストはともかく、イルカの聴力感度は人間の5~6倍以上。激しい地響きでパニックに陥るのも無理はない。

 私の足も思わず硬直するが、目と耳はあたりを見回して、ほんの少しの変化も逃さないように神経を尖らせた。

 ……これは単なる地震ではない。何かただならぬ事が起こっている。私の勘はそう告げていた。


「ゲストさん、ドルカさん、落ち着いて下さい。大丈夫……安心して」


 出来る限りの言葉で2人を宥めるが、泣きじゃくる声は迷宮の壁に反響し続けるのみだだ。この緊急事態において、アトラクションを続けるのは不可能だと判断した私は、ウェアラブルデバイスを起動し、非常口への道標を点灯させる。


「この矢印を追えば、非常口に出られます、焦らず落ち着いて着いてきて下さいね」


 涙目の二人の頷きを受け取り、私は歩き出す。どんな不測のピンチでも、それをフレンズと人の力を合わせて切り抜けなければならない。

 このアトラクションは、そのために存在するのだから。

 

*   *   *


 順調に出口までの歩を進めていた私達だったが、ドルカさんの言葉が私達を引き止めた。


 「待って、この先に……セルリアンが!それも……とても沢山!」

 「そんな!?こんな所にセルリアンの大群なんて……」


 しかし、疑うよりも先に、現実が眼の前に現れた。

 朱色のゲル状の物体……だが、これまで見たことの無い形だ。その丸みを帯びた体には角のような突起が2つ伸び、その中心には真円の単眼が付いている。


「うわぁ、な、何だよあれ!」


 ゲストはその掴みどころのない不気味さを目の当たりにしてパニックに陥る。それはその抽象生の高さから来ているのだろうが、今はそれを観察し、解析している余裕はない。その背後からもセルリアンが来ていることは明らかだからだ。


「道を一旦外れましょう!壁沿いに伝っていけば、連絡口を使って出ることができますから!」


 先にゲストさんとドルカさんを脇道に、私はギリギリまでセルリアンの注意を引く。突進してくるセルリアンは、そのまま真っ直ぐ進んでいった。

 だが、やり過ごして安心したのもつかの間。


「ガイドさん……周囲から迫ってきます……囲まれます!」


 再び窮地に立たされる。逃げ回り続けるだけでは追い詰められるだけだ。覚悟を決める。


「一点突破で行くしかありません……ドルカさん、いけますか?」

「やってみます!」


 目指すは壁際の避難通路への非常口。ならば……


「右方向からの敵に集中して下さい!相手が怯む瞬間に、突破しましょう!」

「わかった!”ハッピーマリンレイン”!」


 その掛け声と共に彼女の瞳がきらめく。両手を天に掲げると、頭くらいの大きさの水の玉が浮かび上がる。それはそのまま右側の敵に向かって、無数の雨粒のように降り注いだ。セルリアンはそれを受けて、その表面をボロボロと劣化させた。弦を引っかくような唸り声も聞こえてくる。


「まさか、アイツらって……水に弱い?」


 間髪入れずに、ドルカさんの追撃は続く、距離を詰めたかと思えば、その体全体から波状に水を放つ。大量の水を浴びたセルリアンは、その体の半分近くを黒い固形物に変化させて、動けなくなった。


「ガイドさん、ゲストさん、今です!」

「行きますよ!手を離さないで下さいね!」

「う、うん!」


 私達は一丸となって、壁のつきあたりまで一直線に走っていった。


*   *   *


「あと五メートルほど進み続ければ出口です」

「でも、目の前は行き止まりだよ。それくらい俺でも分かるって」


 私は微笑みながら、行く先を塞ぐ板の前に立つと、そっと力を込めて押す。板のはその中心を軸に、忍者屋敷のからくりのごとく回転し、その先へと道を開けてくれた。


「うわっ、本当に通れた……」

「そんな仕掛けがあったなんて……これは超音波でもわかんないよ~」


 思わぬ幸運に、思わず二人の口から笑みが溢れる。その和やかな雰囲気によって緊張がほどけた私の頭の上に、ふと、一つの秘策が浮かんできた。


「……もしかしたら……ここでセルリアンたちを一網打尽にすることも出来るかもしれません」

「ええっ!?こんなにたくさん居るのに、一体どうやって?」

「この迷路は木で作られていますから、火事があった時すぐに火が消せるように、スプリンクラーを多めに取り付けているんです。今のセルリアンの様子を見ると、水にとても弱いように見えました。シャッターを下ろして、スプリンクラーから水を大量に浴びせ続ければ……」


 ……だが、その楽観が油断を生んだのかもしれない。


*   *   *


「ここです!ここから出られます!」


 非常口を見つけて、喜ぶ私とゲスト。私は一足先に非常口を出て、避難通路が安全かどうかを確かめた。

 だが、ドルカさんははっとした表情で頭上を見上げた。


「……危ない!」


 その悲痛な叫び声と共に、ゲストは突き飛ばされる。

 飛び込んでくるゲストを受け止めた視線の先には、真上から降ってきたセルリアンに捕食されたバンドウイルカがもがき苦しんでいた。非常口の真上こそが、セルリアンの侵入経路だったのだ。


「ドルカさん!」

「お願い!スプリンクラーを!」

「ダメです!飲み込まれたまま固まってしまいます!助かりません!」


 ドルカさんは目を伏せる。一本道の避難経路へ繋がる他の出口から、セルリアンが次々と脱出を企てようとしている事は、彼女の超音波を使えば一瞬で分かった。このままでは、避難通路もセルリアンの巣窟になるのは時間の問題だということも。


「ここでセルリアンを食い止めて!……お願い!早く!」


 そんな事、出来るわけがない……フレンズを見捨てて逃げることなど。私はセルリアンの中に手を伸ばそうとした、ドルカさんの手を掴もうとした……だが。


「早く……うああっ!」

「ドルカさん!」


 他のセルリアンがその間に無理やり体を捩じ込んでくる。仲間の獲物が奪われないよう、阻むように。そしてそれはそのまま、私達に向かってにじりよってきた。


「……ごめんなさい」


 もう、勝ち目はない。ドルカさんを救う手段はない。そう言い訳して……私は引き金を引く。


「隔壁閉鎖……スプリンクラー、作動!」


 非常口のシャッターが、目の前でギロチンのように無慈悲に落ちる。私はゲストの緊迫した目を覆いながら、避難通路を逃げるように駆けた。スプリンクラーの激しい放水音から逃れるように。


*   *   *


 地下迷宮での混乱は、実際には30分にも満たない出来事だった。オープニングセレモニーを見に来ていた来場者たちは、係員の指示に従い一列に並んで、続々と来る園内バスに乗り込もうとした彼らは、息絶え絶えになりながら歩いてくる私達を見て、感嘆の声と拍手の音を一斉に立てた。

 すぐに少年の母親が駆け寄ってきて、息子を強く抱きしめる。


「ああ……よかった……無事で本当に良かった……ありがとうございます……」


 誰も彼もが、その様子を見て心から安堵しているようだった、一人のゲストもケガすることなく、無事に脱出出来たことを心から喜んでいるようだった。

 まるで、誰も犠牲者がいなかったかのように。

 

「……違う……無事なんかじゃない!」


 その祝福の雰囲気にハンマーを振り下ろすように、少年は叫んだ。手を潰れるくらいに握りしめて、心の底から怒りを露わにした。

 

「ドルカさんが……ううっ……俺をかばって……うわあぁぁぁん!」


 両目から溢れ出す涙は、砂漠エリアの暑い砂の上に落ちては乾き、空へと上っていく。止まらない嗚咽の声と共に。どこまでも、青い空の向こうへ。


*   *   *


『ジャパリパーク、新アトラクションオープニングセレモニーで事故


(20××年△△月○○日20時34分)

 ジャパリパーク(東京都 南方諸島)の新アトラクション「地下迷宮」のオープン記念式中、地震の影響により、アトラクション内に一時閉じ込められる事故が発生しました。

 これを受けて、ジャパリパーク運営側は新アトラクションを閉鎖すること、また、安全が再度確保されない限り、ゲストの受け入れを当面延期することを発表しました。


 記念式には多数のゲストが来場していましたが、この事故による死傷者はいませんでした。』


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