「ニライカナイ」
このヤンバルの森に入り、採集を続けて3週間余りだ。何日も風呂に入っていないので今日は水浴びも兼ねて水辺での採集を行った。昨晩仕掛けていた罠に魚が2、3匹ほど引っかかっていたが、採集目標ではなかったので逃がした。
もちろんその場で逃がしたりはしない、もっと上流の、森の奥深くでだ。あの場所で逃がせば一月もしないうちに切り倒される木々や埋められる川と運命を共にするだろう。いや、これも気休めでしかない。ほどなくこの森全体が消えるのだから。多少終わりを先延ばしにするだけだ。
今日は両生類を多く捕獲することが出来た。もちろん種の存続に耐えられる数には及ばないにせよ、あそこに送ることが最善だ。
これは成し遂げられなければならない。私はそのために、この地に戻ってきたのだから。
* * *
残念だが、もう沖縄は、あの美しい海と森と空の沖縄はもう戻っては来ないだろう。それらは幼少の私が過ごした思い出の中だけの存在になりつつある。駆けた砂浜も潜んだ藪も、同じ場所に行ってももうそれは無くなってしまった。そこにあるのはねずみ色の全平らな建物と地面。
いや、堂々と行けるだけまだましな場所だったのかもしれない。今私がいる場所は米軍関係者以外は立ち入りが禁じられている場所だ。
2年前、米国の要請を受けた日本政府は沖縄本島の50パーセント余りと島嶼群を米軍の管轄下に置く協定を結んだ。この島が、いやこの世界がキナ臭くなっているのはもう数年以上前から感じていた。ほとんどの人が隣国からの攻撃に怖れを抱き、小島の占拠に憤り、大国に寄りすがることで安寧を得ようとしていた。だからこの協定も、様々ないざこざの中ではあったが、なすがままに締結された。
すぐに、指定地は鉄条網のフェンスに囲まれ、住民は次々と立ち退いていく、抵抗する人々は逮捕されていき、工事は粛々と進められた。
だが、森は、海は、そこに生きる命たちは取り残されたままだった。
ジャパリパークはその事態を重く受け止め、米軍と日本政府に野生動物保護の措置の実施やそのための十分な期間を要求したが、返ってくるのは結論が決まっているアセスメント報告書や黒塗りの書類だけだった。
痺れをきらしたパークは動物研究所の特殊部隊「NOAH」の動員を決定した。如何なる手段を用いても、基地開発で絶滅の危機に晒された沖縄固有種を出来る限り保護し、ジャパリパークへ密輸する。それが私達に課せられたミッションだ。
工事関係者、基地の職員、傭兵、さまざまなルートでNOAHのエージェントは沖縄に集結した。エージェント達は慎重に、地道に活動を続け、条約が締結された頃には独自の密輸ルートを構築し、ジャパリパークには少しづつ沖縄固有種が集められていった。
私は元々沖縄出身だったことを買われ、採集チームのリーダーとして1年以上前から基地の未開発地帯と基地を往復し、採集した動物やその遺伝情報、生息環境などのデータをジャパリパークへ送り続けている。
* * *
採集の日々は辛いことだらけだ。体中に傷や痣をつけ、ヒルやアブに悩まされながらも、目的の動物を見つけるために最善を尽くさなければならない。いくらこちらが真剣でも、波や木の葉のヴェールは動物達を隠し、簡単には見つからなくしてしまう。
だが、それでも私はそれをめくり続けなければならない。それ自体が無残に破り棄てられる前に。
そうして無事目的の動物を保護できたときは何にも代え難い達成感を覚える。それだけで、探索の苦しみは吹き飛んでしまうものだ。
だが、一番辛いことは探索が終わり、フィールドを離れる時だ。
一度入った森には、二度と入ることは叶わない、一度入った海にも二度と入ることは叶わない。その事実が突きつけられる瞬間だからだ。
外から見た森の雄大さに、未だ見ぬ出会いが潜んでいる事を感じてしまう。まぶしいほど透明な海に、生命の息遣いが聞こえてくる。だが、もう二度とそれに触れることは叶わないのだ。
特に探索中に新種を発見した時は、掌の中の小さな存在の背後に数百の未知なる命を感じる。そして次の瞬間、それと会いまみえる機会が永遠に失われる事を自覚し、悲しみに沈むのだった。
* * *
ジャパリパークとの定時報告のために起動した携帯端末を見るのは気分が悪い。
インターネットの上で名も無い人々が、無責任に口を揃えてあの国が悪いとか、島が侵略されるよりはましだと言って自らの行為を、選択を正当化していく。
だが、ジャパリパークの動物ファーストの理念の前ではそのような国家間の軋轢や衝突は全て平等に人間の身勝手な都合として捉えられる。
当然だ、動物達にとって、棲家が敵国のミサイルで焼き尽くされることと、基地のコンクリートとアスファルトで蹂躙されることに何も違いはないのだ。
全ては人間の罪だ、このような状況を平然と作り出した人間の罪だ。だが、それを自覚するのに人間は幼すぎるのだろう。
私はそんな人間達から逃げるためにこうして探索を続けているのかもしれない。
* * *
この森にいられる時間も少なくなってきた、補給は底が見え始め、動物を護送するための設備はほとんど無くなっている。その上今日は道中で大人数の測量班が写真を撮っていくのを目撃した。工事の予定が繰り上げられたのだろうか、息を潜めながら私は経験から導き出される探索日数を指折り数えていた。
残り4,5日程度、それを超えると工事関係者が大挙して森を囲い込んでしまうだろう。潮時だ。私は唇を噛む。
携帯端末で地図を広げ、道中でなるべく探索ができそうな出口までのルートを導き出す。そして私ははっとした。出口から数キロ程度の場所に、私のかつて住んでいた家があったからだ。
最後に一目、その有様を見ておきたかった、それが変わり果てた姿であったとしても。
* * *
そうして私は家に着いた、私の家に。
もちろん、そこは完全に更地となっていた。私は呆然とそれを眺めるだけだった。軍隊は国民を護らないという言葉が脳裏をよぎる。そもそもこの島を占有しているのは他国の軍隊だが。
唯一、石の門だけが半壊状態で残っていた。地面には打ち棄てられた小さな石像が転がっていた。門の上に鎮座していたシーサーの像だった。
島に降りかかる災いを除け、福を招く。いつまでもこの島が美しく平和であって欲しい。その純粋で儚い願いは無残にも踏みにじられてしまった。
今、彼女たちは護るべき島も自然も人々も失った。
だが、それが許されるのならば、新しい願いを彼らに託すことは出来る。
いや、そうしなければならない。彼女たちもまた、この島と共に失われていく輝きなのだから。それを救うのが私の役目なのだから。
私はタオルでボロボロになった一組のシーサー像を一つずつ丁寧に包むと、バッグの中に入れながら祈る。
「どうか、リウキウ地方を、ジャパリパークを護ってくれ。いつまでも、いつまでも動物達が安らかに、平和に暮せるように……」
* * *
「エージェントTは動物の引渡しを行った後に向かった丘陵で米兵に発見され、逃亡中にくるぶしと背中を拳銃で撃たれ致命傷を負った。全ての未送信データをジャパリパークに送信した後に、機密保持のために持ちものや衣服を全て焼却し、最後は手製の爆弾で自決した……」
シーサーの出自に関するレポートはそこで終わっていた。カコは紙片から顔を上げ眼鏡をかけ直し、自分の目の前にいる、アニマルガールと化したシーサーに目をやる。
「いつの日か、君たちの力を借りる日が来るのだろうな……もうしばらく、身勝手な私達に付き合ってくれ……」
2人はそれを聞き、顔を見合わせたが、頷くと満面の笑みで答えた。
「「なんくるないさ~!」」
* * *
“ニライカナイ”
昔、祖母から聞いた言葉が、混濁した意識の中から浮き上がる。
海の向こうのはるか遠くに、神々の住む楽園があるという。すべての命の源がそこから生まれ、全ての恵みはそこから来るのだそうだ。そして全ての命はその終わりにそこへ還るそうだ。
“あの島”がそれなのか、私には判らない。だが、私はそう信じて、滅び行く島からそこへ命を還し続けた。
そして、私も間もなくそこへ還るのだ。
そう思うだけで、もう苦悩も後悔も消えていた。私は成し遂げたのだ。
けものに、幸あれ。
そう祈って、私は目を閉じた。
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