『ノー・リターン』


『“お知らせ” 20××年○月△日

 

 ジャパリパークでバーバリライオンの生体展示が始まります。


 バーバリライオンはアフリカ北部、エジプトやモロッコの森林に生息していた、世界最大のライオンです。主な生息地であったアトラス山脈にちなんで、アトラスライオンとも呼ばれていました。

 古くはローマ帝国の戦利品や、コロッセオの剣闘士との対戦相手として大量に捕まえられ、近代に入ると、植民地へ移住したヨーロッパ人たちにより、ハンティングの対象とされ、1922年に最後の個体が射殺されたことで、絶滅したと考えられていました。

 しかし、2012年にモロッコ国王の私設動物園で、32頭もの純血種のバーバリライオンが飼育されている事が判明し、モロッコのラバト動物園で繁殖が進められてきました。

 この度、ジャパリパークにやってくるつがいも、このラバト動物園での繁殖個体となります。


 世界最大の幻のライオンを是非、御覧ください。』

 

 *   *   *

 

 パークのバーバリライオンの瞳には、光が無い。


 彼女はオランダのライデン博物館から借り受けた標本にサンドスターを反応させて誕生させたアニマルガールだからである。100年近く前に滅んだ絶滅種として。


 しかし、バーバリライオンの生体がパークに来るということは、バーバリライオンが“絶滅種ではない”ということの明確な証拠になる。アニマルガールの彼女が生体のバーバリライオンと相対した時、彼女の瞳に光は宿る。

 そう信じていた。

 

 「カコ先輩!バーバリライオン見てきましたよ!と~っても大きくて、たてがみがとってもフサフサしてて……ああっ、あの中に埋もれたいです~!」


 ドアをノックもせずに走り込んできたミライは、ドラフト状態の論文に赤線を引きながらコーヒーを啜っていた私の前で、体全体をブンブンと振り回しながら興奮を表現していた。


「いやぁ~、絶滅したと思われていた幻の動物さんに会えるのは、本当に感慨深いですね……うふふ~あは~」


 私はデスクに論文とコーヒーカップをコトンと置くと。


「それで、バーバリライオンのアニマルガールはどうしたんだ?まさか、置いて帰って来たわけじゃないだろう?」


 と、ミライに本題を思い出させた。


「は、はい、もちろんです!」


 私が彼女に頼んだことは、バーバリライオンのアニマルガールを生体のバーバリライオンと逢わせて、その瞳の変化を観察してくる事だ。私の予想が正しければ、バーバリライオンの瞳に光は戻る。


「バリーさんはバーバリライオンを見て、『これが私の元々の姿なのか……』としばらく興味深く観察していました。瞳にもしっかり光が灯りました。映像もちゃんと記録しましたよ。

ただ、私が興奮のあまり先に先輩の元へ一目散に走ってきてしまっただけで……ほら」


 ミライがノックの音が響くドアを指さした。ドアの磨りガラスに映るシルエットは、たてがみのような長髪と、しっかりと地面に根ざした仁王立ちによって、まるで夜叉のようななりに見えた。


「入ってどうぞ。バーバリライオン」

「うむ、失礼する」


 ドアが彼女の質量を受け、まるで両開きの大扉のような重厚さをもって開いた。そこからぬっと出てきたたてがみのような焦げ茶色の髪の毛は、堂々とした落ち着きを表に出していたが、その奥に猛々しさを隠していることは、しっかりと整えられた毛先の鋭さが示している。

 突き出された右手、踏み出された左足、その上には濃い紫色の半袖とスカート。古代エジプトで“王者の紫”と呼ばれていた貝紫色だ。

 そして、その赤みのある顔が私に向いた時。つり上がり緊張を讃えた猛者の顔を覗き見た時。


……私は愕然した。


「どういう事だ……」


 一瞬硬直したが、すぐに私はコーヒーを机から奪い取り一口飲んで平静を取り戻した。バーバリライオンも、ミライと一緒に口々に今日の話をし続け、私は微笑みを浮かべて相槌を打ち続けた。だが、それらは私の耳に一つの音さえ残さなかった。

 ミライと彼女が帰った後、たった一人の暗がりの研究室で、私は机に頭を埋めた。溢れ出る予想外。溢れ出る不可解、その重さに首が耐えられなかったからだ。


「なぜ……光が戻っていないんだ……彼女の瞳に」


 混乱する思考の中、自動点灯の室内灯がいつの間にか消えていた。


*   *   *


 状況を整理しよう。


 ミライはバーバリライオンの瞳の光を認識していた。他の職員やアニマルガールも瞳の光を認識している。

 唯一私だけが、光を見ることが出来なかった。

 ならば客観的な証拠が必要だ、そう思ってミライが撮影してきた写真や動画のデータを一つ一つ丁寧に確認する。

 しかし、モニターに写ったのは……もうこれ以上私にこの事を言わせないで欲しい。

 ここまで詰められてしまえば、もう開き直るしかない。

 原因は私にある。

 

 客観的事実をそのまま観察する、それこそが科学というものだ。故に……今の私には科学者たる資格はない。

 ……彼女の光を見るまでは。


『一身上の都合で、しばらく休職します ジャパリパーク動物研究所副所長 カコ』


 迷いのないように、迷いのない字でそう書き上げた私は、その日のうちにそれを提出した。

 

*   *   *


 研究室に散乱した書類や私物を片付けていると、またノックもせずに彼女がやって来た。


「先輩!」

「来ると思ったよ」


 さて、どう説得したものか。


「残念ながら、私にはバーバリライオンの瞳の光が見えなかった。他の誰もが、全員が見えた光がね……人間として生きる上で、それは大した問題ではないかもしれない」


 研究室の最後のコーヒー。その最後の一滴を飲み込んだ。


「だけど、科学者として生きる上では……ね」


 ミライはしばらく部屋の隅に佇んでいたが、部屋の掃除が終わり、研究室を出ようとする私の白衣を掴んで言った。


「じゃあ……しばらく暇ってことですよね」

「……あ、ああ、そうだが」


 そして、晴れやかな笑顔を浮かべて続ける。


「なら、今からバーバリライオン、見に行きましょう!」


*   *   *


 閉園後、バックヤードの白い檻、まだ使われて日が浅いにもかかわらず、その爪痕や噛み跡がちらほらと確認できる。

 しかし、肝心のバーバリライオンはいなかった、まだ放飼場に出ているのだろう。


「グオオオオオオオオオオン!グルルオオオン!」


 金属製の扉を震わせて、唸り声が届く。私ははっとした。扉の向こうに感じるオーラ。これまで触れたことのない心の琴線を震わせる声。


「…………いるのか」


 閉園のアナウンスが流れ、飼育員がスイッチで扉を開ける。モーターの軋む音が止み、扉が開ききった。私は思わず固唾を飲んでそこから切り取られた風景に集中した。


 ……黄色のたてがみが現れた。それは進むにつれて色を濃くしていく、腹や背中のあたには焦げ茶色の毛が豊満に伸びていた。四肢は短く、その巨体を支えるためにしっかりと地面を踏みしめている。そう、私の身長を軽く超えるその身長、剣をも弾き返すような厚い胸板、全てが普通のライオンとは比べるまでもないほどに格上だった。

 そして、バックヤードの入り口へとその眠たげな顔を向ける。浅黒さの中でも、鼻の黒さは際立って目立つ。そして、白い牙はそれよりも目立つ。

 だが……その目が開かれた瞬間。私はそれに吸い込まれるような心持ちを覚えた。何よりも私を引きつけるその鋭い目。初めて見る私に一心に着眼する目。その瞳には……


「光……」


 しっかりとそれが、宿っていた。


*   *   *


 翌日、休職願いは受付担当職員の机から、提出したそのままの状態で帰ってきた。結局私は一日かけて自分の研究室の大掃除をしただけに終わった。何一つ変わらずに、私は今日も研究室で提出用の論文の最終チェックをコーヒー片手にしている。


 そう、何一つ変わっていないのだ、アニマルガールは。


 変わったのは彼女たちを見る私達の方だった。絶滅したという認識が、まだ絶滅していないという認識が、瞳の光の有無を通じて私達に反射しているだけに過ぎなかった。

 ここに客観性は無い。全ては個々人の心次第だ。故に、アニマルガールたちにとってそんなことは問題にすらならないのだろう。全ては私達のエゴでしかない。

 それでも、バーバリライオンの瞳に、失われたはずの光をこうして返すことができた事に私は安らかさを感じていた。


「それで、なにか変化はあったかい?」


 眼の前のバーバリライオンのアニマルガール……瞳に光の灯った彼女に、私は尋ねる。詮無い、単なる自己満足の質問、『いや、特に何も変わりないな』という言葉で無情に返ってくるであろう質問を。

 バーバリライオンは、2、3秒ほど考えると、思い出したように答えた。


「そういえば、最近ほんの少しだが、目が良くなった気がするな」


 私はその返答に、思わずふふっと笑ってしまった。


「な、なにか可笑しいか?」


 コーヒーを吹き出さないように気をつけながら。


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