「To call them "Friends"」


“サンドスター”


 生体か遺骸か、実在種か想像種かを問わず、あらゆる生命を人間の姿に変質させる物質。

しかし、その例外があった。


 「ヒト」だ。


*   *   *


 ジャパリパーク設立のプロジェクトが始動して以来、数年以上に渡って数百人以上の人間がパークを駆け回ってきた。その間、サンドスターの噴出は幾度も発生し、その度に新しい「アニマルガール」が誕生した。


 だが、ヒトがアニマルガールになったケースは一件も存在しない。最も発生する確率が高い事象であるにもかかわらず、だ。



「ヒトはすでにアニマルガールとしての形質を備えている、だから反応しない」

「アニマルガールが再びサンドスターに反応はしないだろう?同じことだ」


 ジャパリパーク動物研究所の面々は、そんな仮説を立てて勝手に納得し、疑問に思う気持ちを日々の業務で掻き消した。


 だが、若き天才科学者は文字通りその身を張ってその謎を追求していった。


*   *   *


「限界濃縮サンドスター、準備完了」


 密閉されたアクリルの円筒の中に、緑がかった波打つ髪の女性が全裸で直立している。両足を揃え、両手をふとももに付け、背筋を伸ばし、顎を引く。彼女の胸も陰部も露になっているものの、彼女の表情に恥じらいは全くない。


 円筒の周りでは、研究員たちが彼女の生体信号と実験設備とを念入りにチェックしている。男女入り乱れていたが、誰一人として彼女に猥らな目を向ける者はいない。

 彼女の何かを掴もうとする真剣な眼差しが、そんな事を許さない空気を作り出していたからだ。


「カコ博士、心拍数、呼吸、脳派その他異常なし」

「濃縮サンドスター噴出口、異常なし、吸気設備異常なし、電気系統、オールグリーン」


 若い研究員がボードに固定されたチェックシートを隅々まで目で追い、目を上げてアクリル越しに伝える。


「いつでもいけます」


 彼女……この実験の計画者にして被験者であるカコ博士は深く頷く。

それに合わせて、大型モニターでデータを確認していたオペレーターが操作コンソールに解除キーを差込み、押しまわす。


「安全装置解除!」


 けたたましいブザーの音と共に赤いスイッチにLEDが灯る。

 カコは全研究員を見回すと、宣言する


「実験開始!」


 同時にスイッチが深く押し込まれる。ブザーが止む。


 一瞬の静寂。


 しかし次の瞬間、円筒の底から轟音と共に透明な輝きが吹き上がる。その中に消えていくカコを、職員全員が注目した。


*   *   *


 目の前いっぱいに広がる眩いばかりの輝き、目に刺さりそうな輝き。しかしその中で彼女は目を見開く、そして深く深呼吸をして、肺いっぱいにその輝きを吸い込もうとする。

 いや、彼女の体全体の細胞の一つ一つがその輝きを取り込もうとし、僅かなでもチャンスを、ヒントを求め、彼女の体は一つの受容体となっていた。


 だが。

「……濃縮サンドスターの残量がもうありません!実験終了!」


 100段階あるインジケーターの一番下のメモリが赤く点滅し、警告のポップアップが現れるのを確認し、研究員は吸気設備のスイッチを押す。アクリルの中を浮遊していた透明な輝きが、大型コンプレッサーの爆音とともに天井へ吸い込まれる。


 そしてその中から、うな垂れるカコの背中が現れた。


「装置内サンドスター量が通常レベルになりました。ロックを解除します。医療班、カコ博士の生体チェックを開始して下さい」


 ゆらりと立ち上がり這い出てきたカコに、大きなタオルが巻かれ、待機していた担架に安置される。だが、彼女は虚ろな瞳で天井を眺め、口をぽかんと開けて漏らした。


「また何も……得られなかった……」


*   *   *


「カコ博士!」


 数日後、万が一の可能性に賭けたカコ博士が、5日間の絶食を敢行、研究室の隅でげっそりとやせ細った姿でミライによって発見された。


「どうしてこんなバカなことしたんですか先輩!」


白衣の襟首を掴まれて問いただされるカコは、朦朧としながら答える。


「アニマルガール化に……成功していれば……体内のサンドスター……と……空気中のサンドスター……で……生存可能……」


 その言葉の直後、彼女の腹の虫が唸り声を上げる。


「お腹が空いてきた時点で無理だということに気づいてください!」


 ミライはカコの体を掴むと前後に揺り動かして、まだまだカコを責め立てる。


「絶滅種のフレンズ化に成功して、先輩も少しは落ち着くと思っていたのに、なんでエスカレートするんですかっ!この前の噴出の日も山頂で全裸になって風邪引くわ!空気の代わりに濃縮サンドスターを吸入しつづけて窒息しかけるわ!研究にのめりこむのもいいですけど、私がどんなに心配しているか考えてください先輩!」

「す……すまん……すまなかった……もう……勘弁して……くれ…」


 ミライは息絶え絶えのカコ博士を食堂に引きずっていく。


「実験終了!ご飯食べに行きますよ、先輩!」


*   *   *


 食堂でカコはもくもくとジャパまんを頬張っている。ミライはその様子を見ながら、ため息をつく。


「先輩、その……」

「ん?どうした?」


 手を止め、カコはミライに向き直る。


「どうして、ヒトのフレンズ化にそこまで真剣なんですか?その……わざわざヒトがヒトの姿を再度得る必要が、私にはわからなくて……」


 カコはミライの純粋に不思議さが浮かんだ目を見る。そしてそのまま視線を、窓の外の曇った空に移す。


「アニマルガールは、ただ単に動物が人間の姿に変化したものではない。彼らは食う、食われる、つまり食物連鎖というしがらみから開放された存在だ。サンドスターをエネルギーにすることによって、彼女たちはお互いを天敵と餌という関係から、対等な友という関係に昇華することが出来た……」


 そして、肩を静かに落とす。


「しかし、人間にはそれが出来ない、理由は判らないが……」


 ミライはその悲しげな表情に、カコの抱える思いの大きさをひしひしと感じた。今までの破天荒な実験も、その裏返しと考えれば、少しは許すことが出来た。


「私は君たちのように、今まで一度もアニマルガールを“フレンズ”と呼んだことはない。ヒトはまだその立場にないと思っているからだ。いつの日か、ヒトがアニマルガールになる日が来たときに、やっと私は彼女たちをそう呼ぶことが出来るのだろう。

今は、そのために出来ることをやるしかない……」


 カコは静かに、しかし決意に満ちた口調で言い切る。


 ミライはしばらく何も言えずにいた、深い思慮と洞察とをもってしても、より深淵な謎に翻弄される先輩を救う言葉は無いのだろう。だが、それでもミライはカコの身の上を案ぜずにはいられなかった。


「私は……フレンズさんたち一緒に生きてきて、彼女たちを心から“フレンズ”と呼んでいます。アニマルガールになれなくても、同じ立場でなくても、彼女たちと心から通じ合える友達になることは出来ると……思います」


 カコの信条に反してでも、その苦しみを減らしてあげたかった。


「だから、そんなに思いつめないでください。私に出来ることなら何でもしますから。一人で背負わないで下さい」


 カコは、何も答える事が出来なかった。ほんの少しだけ、その場しのぎに頷き返すことしか出来なかった。


 思いつめること、一人で背負うことは、高度な危険性と倫理性が伴う研究には不可欠だ。たとえ後輩でも、いや、かわいい後輩だからこそ、それに巻き込みたく無かった。だからどの道、ミライの言葉に反してしまう事は決まっているのだ。はっきりとした返事は出来ない。


「じゃあ、私はフィールド調査に行きますから、ちゃんと部屋で普通に過ごしていて下さいね」

「ああ、分かった」


 席を立ち上がり小走りで去っていくミライ、その小さな後ろ姿をカコはぼんやりと眺める。


『私に出来ることなら、何でもしますから』


 背信の念の中で、その言葉だけが、少しだけカコの心を支えた。


*   *   *


 もう昼ごろだ。食堂では職員や研究員たちが空席を求めて、お盆を両手に彷徨っている。そのうちの一人、カコの助手である若手研究員がやってきた。


「博士、隣いいですか?」

「ええ、大丈夫です」


 若手研究員は熱々のラーメンを机に置くと、急いで肩掛け鞄から白い袋を取り出した。


「博士、注射とか見るの大丈夫ですか?見えないようにしますが、一応」


 そう言いながら彼は袋から取り出した注射針を注射器に取り付ける。


「インスリン注射……まだ若いのに、糖尿病とは珍しいですね」

「それはⅡ型ですよ博士、僕は遺伝性の糖尿病なんです」


 白衣の間から服の裾を少し捲り上げ、慣れた手つきで注射を打ちながら説明する。


「生まれつき、遺伝的に細胞のミトコンドリアの機能が低くて、インスリンを作る細胞が働かないんです。こうして体の中に直接入れないと、インスリンって働いてくれませんから……」

「……」


 カコはその様子を凝視した。


「ちょっと博士、そんなにまじまじと見ないで下さいよ……」


 困惑した笑いを浮かべる研究員の声は、自らの思考の海に潜った彼女にはもう、届かない。

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