「式日」


 両親が死んだ日のことはまだ憶えている。


 交通事故、結婚記念日で映画を見に行った帰りに、飲酒運転の車に轢かれた。

 幼い私に、動物の事を、命の尊さを動物園で教えてくれた両親は、身勝手な行為で殺されたのだ。

 未だに私は、車の運転手を許すことが出来ない。


 なのに、なぜ。


*   *   *


 一つの小包がアメリカ、ワシントンの国立自然史博物館からジャパリパークへ送られた。厳重な梱包と警備の下に。

 中身は色褪せた茶色の、40センチほどの小さな鳥だ。

 名前は「マーサ」


 絶滅種、リョコウバトの最後の一頭だ。


 サーベルタイガーが偶然アニマルガール化した事が発端となり、絶滅種をアニマルガールにして復活させる試みは最優先研究課題になった。絶滅種の遺骸とサンドスターとの反応を引き起こすには、より高いサンドスター濃度が必要であるという事はすぐに分かった。


 ジャパリまんじゅうに大量のサンドスターを蓄積させるために、サンドスターを濃縮し、高サンドスター濃度の環境を作り出す技術が役に立った。人工的に作った高サンドスター濃度の密閉空間に遺骸を配置することで、遺骸はみるみるうちに少女へと形を変えた。


 最初は環境的要因で絶滅した種が選ばれた。選定には多くの時間を要した。

 まず、生息時代の下限が新生代第三期鮮新世に定められた。それ以前の時代では環境の変化や食性に対応できない場合があるからだ。

 選定が決定しても、生活環境の確保や飼育手順の策定、緊急事態の対応まで事細かに議論が続けられた。


 結局、ジャイアントペンギンやマンモスがアニマルガールとして誕生するまでに2年近い月日を要してしまった。

 実験の成功にジャパリパークの職員は沸き立った。そして彼らが考えることも一つに集約された。


 人類によって絶滅した種のアニマルガール化。


 これの選定には、時間は殆どかからなかった。

なぜなら私はもう十年以上も前に決めていたのだから。


*   *   *


 小学校の図書館で絶滅種の本を読んだとき、私は戦慄した。

 密林の深く、草原のかなた、山の頂上、田畑や市街地、あらゆる場所に帽子と半ズボンを着て、猟銃を持った死神たちが現れる。

 彼らが引き金を引かれる度に、収穫を祝う高笑いと共に本の終わりが近づいていく。

 最後の銃声が響き、空白のページが真実を告げる。


 私は死神たちを凝視した、盛大に森に火を放ち、遊び半分で銃を撃ち、不敵な笑みで罠を仕掛け、そ知らぬ顔で正当化する彼らが、生き物の魅力を、生命の神秘を心から私に教えてくれた両親と、そして自分と同じ生き物ではないと思いながら。

 だが、終いには認めざるを得なかった。死神は人間に他ならなかった、と。


 リョコウバトと自分を重ねたのも、そんな時だった。


*   *   *


 リョコウバトは、一時期は当時の人類の総数を越える50億頭が生息していたと言われている。彼らは群れをつくって、季節に合わせ北アメリカ大陸を縦横無尽に移動していた。最大で22億頭もの群れを作った記録もあり、その規模故に止まり木の枝が折れたり、空から糞の雨が降ることもあったという。


 しかし未開の地であったアメリカ大陸に、17世紀ごろから移民が大量にやってきたことで状況は一変する。

 増加した人口に見合う十分な食料を調達するという需要を満たすのに、リョコウバトは最適だった。照準も合わせることなく、ただ銃を空に向かって撃つだけで仕留められるのだ。いや、棒を群れの中で振り回すだけで仕留められた。


 技術の革新はそれをより効率化させた、電報の発明によってハンターたちは、リョコウバトの群れの移動を共有することが出来た、向かってくる方向に大量の人員を集めて迎撃することで、収穫はケタ違いに増えた。

 そして極め付けに、繁殖場所である森林の伐採が、一つのつがいが一つしか卵を育てないという非常に弱い繁殖力と相まって、リョコウバトを追い詰めた。


 そして100年も待たずに、リョコウバトはその数を急激に減らし、1800年代の終わりにはその数は数えるほどになっていた。

 リョコウバトの保護法も可決された、動物園や研究者の繁殖も行われた。しかし、全てが遅すぎた。


 1914年9月1日午後1時、オハイオ州シンシナティ動物園の最後の一頭、「マーサ」の死によって、リョコウバトは完全に絶滅した。


*   *   *


 数億もいた動物が100年も待たずして絶滅したことはもちろん恐れ戦く事であるが、私がリョコウバトに自分を重ねたのは、リョコウバトが群れを作っていたからに他ならない。


 私はたった2人の両親を失っただけだ。それでも車の主を未だに許すことが出来ない。単なる過失ならともかく、飲酒という快楽のために他人の命を軽んじた運転手を。

 リョコウバトも人間の欲求のために殺され、屠られていった動物だ。だが、その群れは億にも上る。その億もの住食を共にした仲間を失って、果たしてリョコウバトは人間を許すだろうか。


 私がリョコウバトならば、言うまでも無いだろう。


私がこの研究をするきっかけは死んだ両親に会えない悲しみからだ。今はもう会えない生き物達と再び会える事は私にとってこのうえない喜びだ。だが、全ての出会いが喜びに変わるかと言えば、そうとは限らない。


 ならばその咎は、すべて私が受けよう。


*   *   *


 密閉された部屋で私は一人で準備をしていた。


 簡素な木製の椅子を設置し、私は死神の装束を着た。帽子、上着、半ズボン、丈夫なブーツ。そして袋から猟銃を取り出し、その前に転がす。

 そして中央に配置されたサンドスターの噴出口に箱から取り出したリョコウバトの剥製を固定する。

 そしてその前には、鋭利に研いだナイフを。手先の器用さに不安があるアニマルガールでも、物を握る行為は出来る。

 そして私は椅子に座ると、2人の助手に自分の足をロープで、手を後ろ手に手錠で拘束するように言った。困惑した様子の2人を私は睨み付ける。


 2人が退出し、外側から鍵が掛けられると、私は監視カメラを見上げ、インカムに向かって静かに話し始める。


「おさらいです、施錠10分間は鍵は開けられません。その間この中で起こることを踏まえ、開錠するかしないかを決めてください」


 ヘッドホンから苦渋に満ちた了解の声が聞こえると、私は秒針を見計らい宣言した。


「実験開始!」


 9月1日、ちょうど午後1時に。


*   *   *


 いや違う、これは実験ではない、儀式だ。

 人間の罪を贖う儀式、そして私はそのための供物だ。

 供物としての覚悟も出来ている。

 瞬時にナイフで突き刺されるなら、喜んで刺されよう。

 罵られるなら、何時間でも何日でも耐えよう。

 泣かれるのなら、飽きるまで謝り続けよう。

 それは私の思いと同じ……いやそれ以上なのだから。


 眼前に満ち満ちていく濃縮から解放されたサンドスターの輝きの中で、私は静かに目を閉じた。


*   *   *


 再び目を開ける。

 そこには、色褪せた剥製とはまるで違う、鮮やかなサーモンピンクの可憐な少女が立っていた。

 青みがかった髪が照明を反射して煌く。しかし、その瞳には光は無かった。


「あれ、ここはどこでしょう?まさか迷子になっちゃたのかしら~」


 その困ったような口調に、私は思わずツバを飲み、話し始める。


「ようこそジャパリパークへ。リョコウバトさん」


 歓迎の言葉、しかし私は彼女を直視することが出来ず、声は下に落ちる。


「ここはたくさんの自然に満ちた場所です。あなたはここで何でもできます。好きなところを飛んで、食べたいものを食べて、眠りたい所で眠れます。そして……」


「私を殺してもかまいません、殺したいのならば……」


 リョコウバトは私のことを凝視していたが、顔はきょとんとしたままだった。

「本当ですか?ここには山や谷や川とかもいっぱいあるんですか?」

「……はい」


なぜだ。


「それは……」


 なぜなんだ。


「とても素晴らしいですね!また心のアルバムに新しい、美しい景色を残せるなんて、夢みたいです!」

「…………」


 私は奥歯を噛んだ。


「うふふ、私、体力には自信ありますからね、新しい景色があるならば、どこまででも飛べちゃいますよ!」


 そして私は、言葉にならない言葉を床に向かって叫ぶ。


「わわわ、どうされましたか?」


 驚いて駆け寄るリョコウバトに私は涙に濡れた顔で怒鳴る。


「なぜ平然としていられるんだ!仲間を皆殺しにされたのに!なぜ人間を責めないんだ!罵らないんだ!殺さないんだ!」


 息は絶え絶えになり、髪留めが外れた髪の毛は乱れ、顔はくしゃくしゃになっていた。それでも私は頭に浮かぶ言葉をむちゃくちゃに繋いでは放ち続ける。


「50億!死んだ!みんな殺した!食うために、儲けるために!鉄砲で棒で電報でめちゃくちゃに殺したたった100年で!伐採で巣潰した!雛も殺した!ほとんどいなくなっても殺し続けた!そのくせ最後のつがいの相手に1000ドルも懸賞金かけて!狂ってる!本当に狂ってる!」


 幼い子供のように、とどめない感情の濁流が呪詛の言葉として押し寄せる。しかしそれを言っているのはリョコウバトではない、自分だ。

 当の本人は相変わらずのきょとんとした顔で、自分の言葉を受け流している。


「お前はっ!そんな人間が憎くないのかぁ……っ!」


 私は肺の空気を全て出し切ると、朦朧とした意識の中で返答を待った。


 だが、


「すみません……まったく覚えがないんです。なんだか……ごめんなさい」


 その返答の最後の言葉で、私は意識が遠くなるのを感じた。体が冷たくなる感触。

 このまま死んでしまいたかった。


*   *   *


 医務室で私は目を覚ました。後輩のパークガイドのミライが心配そうに私の顔を覗き込む。


「どうかしましたか?先輩。まるで地獄を見たようなひどい顔ですよ……」


そうだろう、と私は先ほどの自分の狂乱を、リョコウバトの光の消えた瞳を思い出す。

 上体を起こし、ミライに向き直ると、私は静かに頷く。


「ああ、赦される事の無い地獄だ」


 何があったんですか?と心から心配する彼女に、私は心の動揺を抑えつつ話す。


「安心してくれ、実験は成功した。リョコウバトも、普通のアニマルガールと変わらない対応をしてやってくれ」

「それなら…いいですけど……」


 心配かけてすまなかった、と一言添え、それだけにしようと思っていた。だが、やはり本心を吐かなければ心を落ち着かせることは出来なかった。


「謝れるうちが華だったんだ。人類は、もうその段階ではないのだろうな」


*   *   *


 彼女の瞳を見るたびに、人間たちは自分の罪と過ちを突きつけられる。だが、もうそれを贖うすべはないのだ。

 その笑顔と明朗な声の奥底に、いつか来る審判の日を幻視し、怖れることしかできないのだ。


 その苦悩を背負い続けることしか、できないのだ。

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