けものフレンズ「The way Bag」
イロニアート
Before"The Queen"
「さよならジャパリパーク」
“セルリアン”
その正体不明のゲル状生物はジャパリパークの試験解放区、いわゆるプレオープン区域に突如出現した。体長40~50㎝のそれは、アニマルガールに向かって跳ねながら移動し、その身体に触れるとサンドスターを吸収しはじめた。
幸い、他のアニマルガールや職員の迅速な対処によって被害は皆無、襲われたアニマルガールも最初は衰弱していたが、次第に回復し、現在は定期診断を受けるのみとなっている。
その後出現した当該生物も色や形状に多少の差異はあれども、おおむね小型であり、際立った攻撃能力もなく、体力や身体能力に自信のあるアニマルガールによってすぐに破壊されたため、ジャパリパークはこれを要注意としつつも解放区の拡大を予定通り次のフェーズに移した。
ナナがキタキツネの担当飼育員になってから、5年が経過した頃の出来事だった。
* * *
特別解放区の一画で、ナナはゲスト相手に解説をしていた。
「アニマルガール、私たちはフレンズと呼んでいますが、彼女たちは空気中に含まれるサンドスターという物質が動物に触れることで生まれることが研究で明らかになっています」
その声は流暢ながら最後方のゲストの耳にもしっかりと届くほど明瞭であった
「そしてフレンズさんの形は、体の中に含まれるサンドスターによって維持されていると考えられています。その形を維持するために、フレンズはサンドスターを空気や水、果物や野菜等を通して補給しているのです」
へえ~、とゲストたちの興味が頷きとともに漏れ出る。
「ですが、それでもフレンズさんがその形を保っていられるのは最大でも5年くらい、飼育下でも6~7年です」
少し残念そうな口調でナナは言う。2年前、動物に戻ってしまったサーバルキャットが脳裏に浮かぶ。
しかしそんな心情はお構いなしに、突如、彼女の頭上から華麗な身のこなしで黄金色の少女が降り立った。ナナは驚きのあまり尻餅をつく。
「でも、私は違うわ」
その少女“キタキツネ”は堂々と言い放つ。
「なんてったって、今年で10歳なのよ!このパークの中では最年長!」
そう、この「問題児」はナナに割り当てられるまで5年間も好き放題していたのだ。
ナナはようやく立ち上がると、尻に付いた土も払うことなくキタキツネの前に強引に入る。
「というわけで、私たちはフレンズさんたちと限りある時間を大切にしつつも、人間と同じくらいフレンズの状態を維持するための研究を進めています!ご清聴、ありがとうございました!」
早口でまとめると、ナナはキタキツネの首根っこを引っ張り、戸惑いの混じった拍手の中、そそくさと退散した。
「は~い、皆さん!次は草原エリアに移動します!一列でバスにお乗りくださ~い!」
臨時パークガイドのミライはゲストたちを誘導すると、キタキツネを引きずるナナの背中を見ながら、ピンマイクのスイッチを切る。
「もうすっかり一流の飼育員さんね。フフフ」
* * *
「もうっ!キタキツネ。また勝手に抜け出して!」
食堂で肉まんを頬張るキタキツネに怒るナナ、いつもの光景だ。
「何よ、私はただ新作の特上肉まんを買いに行ってただけよ。帰りにつまらない解説やってたあんたがいたから面白くしようとしたけど……」
「そ~れ~が駄目だって言ってるのよ!」
ナナはキタキツネの脳天に人差し指を突き立てる。プライバシーゾーンに隙を突いて入り込むことで、フレンズは一瞬驚き何も言えなくなる。有効な制止手段だが、その隙を突くにはフレンズの人間離れした五感の揺らぎを見切らなくてはいけない。
ベテランにしかできない技だ。
「今まで迷惑ばっかりかけてたし、それに何より、あの正体不明の生物に襲われたらどうするつもり!?」
キタキツネは一瞬固まっていたが、すぐにその調子を取り戻した
「フン、私も何度か見かけたけどね、あんな雑魚に追いつかれるなんてよっぽどノロマな奴よ。私の心配より自分の心配しなさいよ」
間接的に“ノロマ”と言われ、ナナはつい「うぐっ」と漏らす、というのも先週開催された運動会、職員とフレンズの混合リレーでナナは足元の小石に躓き転んでしまったのだ。その後、バトンを引き継いだキタキツネが取り返してくれたから、なんとかビリにはならずに済んだが……そのツケがこう回ってくるとは。
「はあ~美味しかった。これはリピート確定ね。私今から感想言いに言ってくるから。アンケートに答えると無料券が貰えるのよ!」
さっと立ち上がり、その美しい黄金色の髪と尻尾をひらつかせながら、跳ねるように食堂を飛び出していくキタキツネを、ナナは呼び止めようとするが。もう彼女の後姿は消えていた。
ナナの前には肉まんの包み紙だけが儚げに残った。
* * *
キタキツネはナナに言った通り、肉まんの感想をめいっぱい話し終わると、区域内のコンビニから帰路についていた。
「とはいえ、ちょーっと遠いのよね。コンビニからナナんち。こうなったら……」
無鉄砲な彼女が向かったのは新しく解放された特別区域の迂回路だ。ここを通れば遠回りな順路を通らずに済む。初めて通る道だが、キタキツネは自分の土地勘に自信があった。それもこの選択を後押しした。
「なんてったって磁場が見えるもの。地図やコンパスなんて無くてもとーざいなんぼくお見通しよ!」
とはいえツチノコのいた洞窟で迷ってしまう程度なのだが……
「レッツゴー!」
しかし、キタキツネが道半ばまで歩いてきた所で、突如彼女の野生の勘が働いた。耳と尻尾がピンと立ち上がり、反射的に空を見上げる。
その瞬間。華やかな鈴のような音とともに降り注いだたそれは。
「サンドスター……」
みるみるうちに頭上を覆うその輝きに満ちた物質は、呆然とそれを見上げるキタキツネの周りにも降下してきた。辺りを覆う眩いばかりの光にキタキツネは思わず目を瞑る。
その時だった。
「っつ!何!」
背後に突如現れた黒い影の姿を捉えると同時に、彼女は……
* * *
『気象台より入電、キョウシュウ地方、サンドスターの大量降下を確認しました。』
職員や飼育員、ゲストたちはその放送を聞くや否や外に飛び出し、空を仰いだ。キラキラと光り輝くそれを目に焼きつけようと、誰も彼も、その瞳に光を映した。
「何度みても綺麗ね……」
恍惚とした表情のナナに後輩の飼育員が問いかける。
「僕は初めて見ましたよ。サンドスターが降り注ぐと何が起こるんですか?」
「サンドスターが吹き出た後は、ジャパリパークが何日もお祭り騒ぎになるの。研究所の人たちは毎日のように新発見のレポートを発表するし。ガイドさんは新しいフレンズに興奮しまくるし、フレンズたちも新しいフレンズとすぐに仲良く遊び始める。そして、新しいフレンズのために新たな飼育員が募集されるの」
後輩の飼育員はナナの最期の言葉にはっとした表情になると、斜めになっていた帽子を整えると、
「先輩みたいに後輩を教えられるように、頑張ります!」
と、ナナに向かって抱負を語った。
「さて、と、一応マニュアル通りに、まずはフレンズたちの健康チェックをしないとね。コアラのチェックをお願いするね」
「はい!」
「こっちは……あの化けギツネをひっ捕まえる!」
そう元気よく宣言すると、ナナはパークの中を駆けていった。
* * *
ジャパリパークのホールでは、関係者報告という名のパーティが開かれようとしていた。飼育員が作ったサンドスターを模った飾りが、身体能力の高いフレンズ達によって吊り下げられる。テーブルにはたくさんの食べ物が並べられ、食いしん坊のフレンズはこっそりつまみ食いをしている。祝杯のムードは高まっていった。
だが、ドアを千切れんばかりに押し開けたナナの一言で、職員は硬直した。
「キタキツネが……何処にもいないの……」
報告会は形式的にすばやく済まされ、代わりにキタキツネの捜索のための対策委員会が設置された。
研究チームはキタキツネのいなくなった場所を特定した上で、飼育員とフレンズによって構成されたチームを複数のバスで派遣。フレンズの機動力で捜索をする作戦を立案。すぐさま監視カメラの映像の照合が開始された。
しかし、そこに映っていた映像に、全員が絶句した。
赤外線カメラの緑がかった画面に映っていた巨大な影、巨大な目。工事現場の手押し車のような形をしたそれには……
「キタキツネ……」
大きな耳が2つそびえ立っていた。
ツアーバスの最も奥の座席で、ナナは打ち震えていた。
キタキツネを追っていれば、一緒にコンビニに行ってあげれば、こんな事にはならなかったもしれない。
それをしなかった自分に、飼育員の資格はもう無いのだろう。
他の職員やミライさんも、無理に現地に向かう必要はないと言ってくれた。
だけど。
キタキツネがそこにいるなら、助けに行かなくちゃいけない。
それは、飼育員としてではない。
“友”として、為すべきことだと思った。
「目標地点まであと一分。バスが停車した瞬間にドアを全て開きます。記載した順番どおりに飼育員とフレンズがペアで降り、待機してください」
車内無線が響き、緊張した空気が流れる。そして、迂回路のトンネルを抜けた先に彼らはその姿を見た。
漆黒の体、無機質な単目。ナナは一瞬戦いた。だが、その上にそびえる耳に目をやると、ナナは立ち上がった。
* * *
先陣を切ってキンシコウが飛び出す。
「お前のための鍛錬になってしまったな。キタキツネ」
軽口を叩き合っていた頃を思い出し、一瞬ほくそ笑むが、すぐにその目は真剣そのものとなり、肩に担いだ如意棒を構える。
後衛はクロサイが受け持った。
「キタキツネ様に仕える戦士として、一歩も引きませんわ!」
瞳とともに、槍の切先が光る。
生物は一輪しかないタイヤを動かしながら、倒れないようにじりじりとこちらとの距離を狭めていく。
「まず足止めだ!」
振り下ろした如意棒は転輪の軸を貫き、破壊する。一瞬バランスを崩す生物、しかし、転輪は再び再生し、今度はキンシコウへと向かっていく。だが、危機一髪、黄色と黒の稲妻が生物の目の前を横切った。
「愚鈍なる者よ、私についてこれるか?」
「チーター!」
そのすばやい動きに生物は黒目を左右に忙しなく動かす。一つしかない目では瞬時に距離感を測ることもできず、攻撃が出来ない。
完全に翻弄された生物に向かって、キンシコウとクロサイは攻撃の手を速めた、転輪部分は再生が困難なほどに破壊され、生物は地面に崩れ落ちる。
「敵は制圧したぞ!総攻撃だ!」
その掛け声とともに、フレンズたちが一斉に生物に向かって、あるものは走り、あるものは飛びかかる。
タイリクオオカミ、トキ、マーゲイ、リカオン、アライグマ、コアラ……力のあるなし関係なく、キタキツネと関わりのあったフレンズたちが力を合わせて闘っていた。
「こんなことになっちゃうなんて、肉まん好きすぎだろ」
「あなたがいないと、ガールズベストカップル不成立よ」
「ここで大活躍して、園長の座を獲得するわ!」
「怪我したら、特製パップですよー」
そして、ついに、
「生物が崩壊を始めたぞ!」
重低音の断末魔と共に、その体は無数のキューブに分解されていく。あちこちで響くフレンズたちの歓声。だが、ナナは決意の表情で急いでトキに頼んだ。
「私を持ち上げて飛べる?キタキツネを探さないと!」
* * *
見通しのよい上空でも、あたりに散らばったキューブから放出される輝きによって、キタキツネを探すのは困難だった。だが、明らかに異なる虹色に光る玉を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「トキさん!あそこ!」
地面に降り立ったナナはすぐさまその玉に駆け寄る。確信は無い。だが、直感的にそれがキタキツネだと思った。
恐る恐る触れる……ほの暖かい。
キタキツネが看病してくれたときの記憶が蘇る。間違いない、キタキツネの体温だ。
そう思った瞬間に、ナナはそれを抱き寄せた。
「聞こえる、キタキツネ?」
返事はない。
「ごめんね、一緒に行ってあげられなくて。危険な目に遭わせちゃって。やっぱり最初に言ってたように、私は飼育員に向いてなかったね」
でも
「でも、私はキタキツネと一緒にいたい!キタキツネと一緒にいれるなら、何でもする!一緒に好きなところにも行くし、肉まんも好きなだけ食べていいよ!」
それでも
「だから、お願い、戻ってきて!キタキツネ!」
ナナは呼びかけ続ける。
「ナナ、きついわ」
その声に気づいて、ナナは思わず閉じていた目を見開いた。
そこには、いつものように不機嫌そうな顔のキタキツネがいた。
「……キタ……キツネ」
「ごめんね、迷惑ばっかりかけて、わがままばっかりで」
だが、その体はどんどんと光の粒に還元されている。目を伏せるキタキツネ。
「寂しかった。とっても後悔したわ……」
ナナはキタキツネをもう一度抱き寄せようとする。手が宙を切る。
「今度は……迷惑かけないように。みんなと、一緒にいられる様にするから……」
キタキツネの涙がナナの膝に落ちる前に消える。
ナナの視界が涙でぼやけた瞬間、膝の上には、一匹のキタキツネが鎮座していた。
思わず抱き寄せようとする。だが、キタキツネはその細い体を器用にくねらせてナナの両腕からすり抜けると、そのまま走り去っていく。
(私達を管理するお仕事?そんなもの私には必要ないわ)
草むらに逃げ込んだ尾が、そう囁いた気がした。
* * *
数日後、ナナはジャパリパークの飼育員を退職した。
キタキツネを失ったショックはあまりに大きく……深い。今はそれを癒していきたい。いつかまたジャパリパークを、楽しい思い出で訪れる事が出来るように。
そのための決断だった。
サーバルも、カラカルも、そしてキタキツネもいないお別れ会がささやかに開かれた。
「ナナさん、本当にお疲れ様でした。今までにここまでフレンズさんの事を考え、フレンズさんのために尽くした飼育員さんはいなかったと思います。いつか傷が癒えたら、また遊びに来てください。全職員、全フレンズで歓迎しますから。」
「ありがとうございます」
ミライから花束を受け取って、ナナは一礼した。
「一言、いいですか?」
ナナはそう言ってミライからマイクを受け取る。
深呼吸をして。
「またいつの日か、キタキツネはフレンズになって会いに来てくれるはずです。もちろん、私の知っているキタキツネでは無いと思います。」
全てのフレンズや職員に、
「でも、間違いなくいい子のはずです。だから」
そして、未だ見ぬ誰かに、
「キタキツネを担当してくれる職員は、出来るだけ一緒にいてあげてください。お願いします」
流暢ながらしっかりと届く明瞭な声で、言い残した。
* * *
ジャパリパークから日本への船を待つナナ。出航まであと1時間。この島の楽しかった日々があと一時間しか残っていない事に、ナナは少しだけ退職を後悔した。
「……ナナ」
突然深い声で背後から呼ばれ、思わず振り返ると、そこには白衣の女性が厳かな表情で立っていた。深い緑の髪が髪飾りと共に静かに揺れている。
「カコおねえちゃん、わざわざ来てくれたの?」
「ああ、研究がひと段落ついたのでね。お別れ会には間に合わなかったが……」
いとこ同士の二人は、久々の再会を静かに喜んだ。
「また里帰りしたときでいいのに。」
いつも忙しそうで出不精なカコを、こんな島の端っこに連れ出してしまった事に、ナナは申し訳なく感じた。だが、カコは首を横に振る。
「いや、ナナと……キタキツネにはお礼を言わなければいけない」
「キタキツネ……?」
カコの研究に全く協力した覚えのないキタキツネに、お礼?と、ナナは怪訝な顔を浮かべる。
カコはバッグの中から袋いっぱいに入った中華まんを取り出した。
「やっと完成した、アニマルガールのための飼育飼料、『ジャパリまんじゅう』通称『ジャパまん』だ」
色とりどりの中華まん。その頂点にはジャパリパークのアイコンマークの「の」の字が焼印で入れられている。ナナははっとした。いつもキタキツネが美味しそうに食べていた肉まんそのものだったからだ。
「キタキツネは、新しい試作品が出来ると直ぐに買いに来てくれた。感想もとても丁寧に話してくれた。それとナナが記録してくれたキタキツネのデータを組み合わせることで、健康上の問題が発生しないことも立証された。」
カコは微笑みながらナナに向き合う。
「このジャパリまんじゅうのおかげで、アニマルガールたちの形質を10年、いやそれ以上維持することが出来る。アニマルガールの研究も進むだろう。本当にありがとう」
ナナは思わず笑ってしまった。あのわがまま放題だったキタキツネがこんな所で役に立っているなんて。
「これはお土産に持っていってくれ。人間が食べても大丈夫だ。」
「……ありがとう」
両手いっぱいの思い出と共に、ナナはジャパリパークを後にした。
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