「Amnesia」


 噴火直後、昏睡状態に陥ったセーバルの容態は悪化の一途を辿っていた。措置的に医療用生命維持カプセルに収容し、サンドスターを供給し続けているが、無駄な抵抗だった。病魔は、今や彼女の両手を漆黒に染め、腕に巻き付くように広がっていった。

 シロサイは不安げにカプセルのアクリル窓に浮かぶ苦しそうなセーバルの顔を覗き込んで、私に問いかける。


「原因は何なのでしょうか……」

「一番可能性のあるのは“新たなサンドスター”による侵食だ」

「ええっ?サンドスターって一つじゃないの?」


 トムソンガゼルが不意を突かれたような声を上げる、公表されていない情報である、無理もないだろう。それに私だって、実物を見る前は俄には信じ難いかったのだ。

 研究室の危険物保管庫の鍵を開け、私は一つのシャーレを取り出した。私の手のひらの上で、前衛芸術のオブジェのように屹立するその鋒がキラリと輝く。数週間前、地学研究班からたらい回しにされたサンプル「JP-S-003」だ。

 ここに来た時、それはただの黒いカビのように見えた。特筆すべき点は、その黒さの度合いが桁違いであるという事。

 それはまるであらゆる輝きを吸収するように黒かった。

 ともあれ、まずは常温常圧での変化を調べなければならない。数日間、私は机の上にそれを安置し続けた。変化はすぐに表れた。シャーレの底の黒い染みは棘状になり、机の上の電気スタンドに向かって結晶化し始めた。

 ある晩、私はうっかり電気を付けたまま居眠りをしてしまった。その数時間の間に、一番光を浴びた棘が急激に成長し始め、それはとうとう、シャーレの蓋を押し上げた。

 目覚めた私の眼の前に突きつけられたのは、虹色に輝き始めていた結晶、サンドスターの鋭利な刃だった。

 

「これは光に向かって成長し、結晶化し、通常のサンドスターへとその性質を変える、いうなればサンドスターの前段階、“生”のサンドスターとでも言える存在だ」

「生の……サンドスター?聞いたこと無いわ……?」

「しかし見たことはあるはずだ。山から延々吹き出続ける黒い物質の正体こそ、この生のサンドスターだ」


 ギンギツネはそれを聞いて、直ぐにセーバルに目を写す。火山の噴火とその後に起こったこと、そしてセーバルの異変、それが全て繋がった。


「つまり、このサンドスターはただのサンドスターじゃない、セルリアンを活性化させるサンドスターって事ね。そして今、それはセーバルをセルリアンに戻そうとしている」

「そう考えて差し支え無いだろう。いくらアニマルガールになったとはいえ、セーバルがセルリアンとしての要素を持っている事は否めない。通常のサンドスターよりも高純度で大量の“生のサンドスター”が、アニマルガールとしての形質を維持するための通常のサンドスターよりも優先的に吸収されている状態が続いているのだろう」


 私は額の汗を拭って、真実を伝える。


「……明日になる前に、セーバルはアニマルガールではなくなる」


 アニマルガールたちの顔に苦悶の表情が浮かんだ、唇を噛んで、どうにもならない現状に憤りを感じている。


「セーバルが、セルリアンに戻ったら……どうするつもりなの?」


 トキが最も残酷な結末を聞く。私は一瞬ためらうが、冷徹に言葉を紡いだ。


「カプセルの空気を完全に抜いて気圧0の状態にし、セーバル自体の内圧で自壊させる……何があろうと、再び、セルハーモニーの危機をパークにもたらしてはならない」


 重苦しい空気が流れる。刻一刻と、かけがえのない友を殺さなければならない瞬間が近づいてきている、その秒針の音でさえも、彼女たちの心を深く突き刺している。

 ただ一人、全く口を開くこと無く押し黙っているアニマルガールがいた。部屋の隅の丸椅子にこじんまりと座りながら、ずっと灰色の床を見つめ続けている。耳は絶望に折れ曲がり、尻尾は抜け落ちてしまいそうなほどに脱力している。

 まるで、自分の半身が死んでしまったかのように。


「……サーバル」

「カコさん……やっぱり……どうにもならないのかな。私、セーバルを助ける事が出来た時、もう大丈夫たと思ったのに……」


 そうだ、セーバルはサーバルから生まれ、サーバルに呼応してアニマルガールになった存在。サーバルの分身、いや、それ以上の存在と言っても過言ではない。


 そんな奇跡のような出来事をもう一度起こすことが出来さえすれば、この状況を解決することができるのだが……


 その感情が湧き出た瞬間、私の持ちうる全ての情報がそれに向かって電光石火の如く駆け出した。一つのデータは別のデータと結びつき、迷路の出口へと道筋をつなぐ。足りない部分を想像で繕いながら。

 全てが一瞬にして完了した後、私は深く頷く。


「一つだけ……助ける方法がある。私の仮説が正しければ」

 

*   *   *

 

「サーバルは一度、記憶喪失になったことがあったはずだ」


 アニマルガールたちの期待と不安が入り混じった視線を一身に浴びながら、私は一呼吸して話し始めた。


「そういえば、そんな話をゴコクエリアで聞きましたわ。“けもハーモニー”の記憶がなくなっていたのでしたよね。」

 

 軽く頷き、シロサイの言葉を繋ぐ。


「そうだ、“けもハーモニー”のきっかけとなるサーバルの“特別”をセーバルが奪い取ったと同時に、サーバルのそれに関連する記憶をも奪った事は間違いない……だが、それらがセーバルの中に“変化”をもたらしたとは考えられないだろうか」


 ギンギツネは口元に手を当て、今までの旅を思い返す。思い当たる節はいくつもあった。


「変化……そうね、セーバルはフレンズになる前から、自分の意思を持ち始めていた気がするわ。ただ女王に操られるだけなら、じゃぱマンを盗んだり、ルルを助けたり、サーバルと話したりすることは無いはずよ」

「その時すでに、セーバルはアニマルガールになる兆候を示していた。そしてセーバルが完全にアニマルガールになった引き金もまた、“サーバルの思い”が“特別”に反応した事によるもの……」


 この言葉を聞くとともに、恐らく彼女たちの脳裏には、“あの光景”がありありと浮かんでいる事だろう。サーバルのセーバルに対する思いが、殆どの“輝き”を失ったセーバルに届いた瞬間を。

 まばゆい閃光の中で起こった、奇跡としか言いようのない出来事を。


『ありえない、あり得るはずがない、セルリアンが自ら“輝き”を生み出すなど』


 そうだ……普通に考えれば女王の言う通りだ。

 だが、私の仮説はそれを破る。


「セーバルは自分の内でサーバルに由来する“特別”と、サーバルの“記憶や思い”とを反応させた。まるで、動物の遺物とサンドスターが反応し、“輝き”を持つアニマルガールが生まれるように」


 “サンドスターが動物やその遺物と反応すると、アニマルガールになる”


 セーバルはその黄金律を自分の体中で行った。

 それこそが、この奇跡の真相だ。


「セーバルにとって、サーバルの思いや記憶はサンドスターと同一のものだ。そして、サンドスターが何らかの要因で欠乏すれば、アニマルガールはその姿を保っていられない」


 アニマルガールたちはしばらくその言葉の意味を沈黙しながら咀嚼した。数秒の静寂の後、トキが結論を導き出した。


「つまり……逆を言えば“サーバルの記憶”によって、セーバルはフレンズで居続けられるかもしれないという事ね」


 ただ一つの結論を、ただ一つの希望を。


「……サーバル。君の“旅の記憶”を“セーバルと出会って過ごした日々の記憶”をセーバルに与えれば……君の大切な友達は助かる」


 サーバルの顔に喜びが広がった。


「ほ、本当!?良かったぁ~」


 だが、直ぐにその代償を……大きな代償に気づき、踏みとどまる。


「あ、でも…………それって、みんなとの思い出が無くなっちゃうって事?トキや、ルルや、シロサイや、ギンギツネや……ガイドさんや園長さんとの思い出も……セーバルとの思い出も無くなっちゃうってこと……だよね」

 

 ずっと住み慣れたサバンナエリアを離れ、旅立ったこと。

 密林でトキのためにコパイパの樹液を探したこと。

 オアシスを守るためにルルとラビラビと共闘したこと。

 シロサイとクロサイとガオガオ病を解決したこと。

 雪山の温泉で、ギンギツネの記憶喪失を直したこと。

 スカイインパルス、スカイダイバーズとスカイレースで競い合ったこと。

 マーゲイの映画を撮影して、セーバルと友達になったこと。

 シーサー姉妹にセーバルの真実を教えられて、悩み苦しんだこと。

 そして、セーバルがフレンズになったこと。

 たくさんの出会いと、たくさんの冒険と、たくさんの気持ち。

 数えきれないそれが消えてしまう。想像もつかないほどの喪失感。


 ……それでも、決断しなければならない。


 一人ひとり、出会った大切な存在を確かめながら。一つ一つの、大切な気持ちを確かめながら。それら全てをかき集め、それをそっと心の中の天秤にかけた。


 傾きは変わらなかった。

 

「……やっぱりわたし、セーバルに記憶をあげる。みんなとの思い出が消えちゃうのはとても悲しいけど……でも、きっとまた、みんなとはまたきっと、お友達になれると思うから!」


 丸椅子からそっと立ち上がり、二三歩ゆっくりと歩き出す。


「だから……みんな……またね」


 セーバルの入ったカプセルの前に立ち、それからゆっくりと振り向く。


「……ありがとう」


 涙が散った。


*   *   *


「セーバル!セーバル!」


 暗闇の中、かけがえのない友の鼓動を探す。


「サ……バル」


 弱々しい声が聞こえる、彼女の大きな耳はそれを聞き逃さない。それに向かって一直線に駆け出してていく。黒いもやを振り払いながら、とうとうサーバルはセーバルを見つけ出した。


「良かった……もう大丈夫だよ。私の記憶があれば、セーバルは元に戻れるから」

「モトに……」


 半分ほど開いた目に、紅い光が揺らめく。


「そのかわり、セーバルの事とか、いろいろなこと、忘れちゃうんだけどね」

「……ごめんね。サーバル」


 その目が自責の念で再び閉ざされる前に、サーバルはセーバルを抱きしめて言った。


「へいきだよ!だって、セーバルは私の大切な友達だもん!」


*   *   *


「おはよ……あれ?ここはどこ?」


 翌朝、寝ぼけ眼をこすりながら、サーバルはけもの病院のベッドからむくりと起き上がった。サバンナとは全く違う小奇麗な部屋をキョロキョロと見回しながら、重たい布団を引き剥がして、頭を掻きながら肩を落とす。


「わたし、また道に迷っちゃった?……ふぇ~、またカラカルに怒られちゃうなぁ……早くサバンナに帰らないと!」


 彼女が勢いよく駆け出していった後の病室には、かけがえのない友の、静かな寝息だけが残った。


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