「アンイン橋の戦い」
「私は夜目が効くからいいんだけど…」
カラカルさんは眉をへの字に曲げて、バスの後部からガイドさんを覗き込んだ。
「本当に、夜のジャングルを突っ切る気なの?」
バスの前には、エリアを区切るゲートがバーを下ろして、通行止めの状態になっている。その奥には、何が飛び出てくるか分からないような、うっそうとしたジャングルが、夕暮れの中、ぽっかり空いた大きな闇を作り出している。
「はい、できるだけ早くカコ博士の所へ向かい、対策を立てないといけませんから……正直、私も不安です。でも、カラカルさんと園長さん、そして、このガイドロボットがいますから。頼りにしてますよ」
ガイドさんは膝の上にちょこんと乗ったガイドロボット、ラッキービーストの頭をなでた。すぐにその小さな緑色の目がチカチカを輝く。
「ゲート、ヒラキマス、きをつけてね」
同時に、眼の前のバーがゆっくりと上っていく。
「それなら、全速力で行くより仕方ないわね」
「はい、行きましょう!」
力いっぱい踏まれたアクセル。バスは暗闇を切り裂くようにジャングルの中に突っ込んで行った。
* * *
「ルートはちゃんと整備されているようだけど……問題はセルリアンに遭遇した時よね、対策はあるの?」
「一応、水に弱いということは分かりました。ジャングルには沢山の支流がありますから、なんとかなるかと……」
ガイドさんの語尾はちょっと弱気になっていた。カラカルさんはその言葉を切り捨てるように、低い声で警告する。
「……なんとかならないかもね、前の方から、大きいのが来てるわよ」
言い終わらないうちに、すぐ近くで木々がメキメキ割れ、倒れゆく音が響いてきた。
「逃げ切りましょう、しっかり掴まってて下さい!」
バスのモーターの回転数が上がった。唸り声をあげながら、バスはジャングルの木組みの道を猛スピードで駆け抜ける。
「うわぁぁっ!」
「チュウイ、チュウイ」
地震のようにグラグラ揺れるバスの中で、私は窓枠にしがみついているのがやっとだった。だけど、カラカルさんはじっと身構えたまま、耳を動かしながら近づく音を捉え続けている。
「左から来る!」
カラカルさんがそう叫んだのと同時に、私の眼の前の木々がこっちに向かってゆっくりと倒れてくる、バスの直上へと一直線に。その光景に、思わず目を閉じる。
「止まらなければ、行けますっ!」
危機一髪、バスは何事もなく通り過ぎた。直後、腹の底まで響いてくる音に驚いて振り返ると、倒木がさっきまで通っていた道を、跡形もなく破壊していた。思わず身震いする。
だけど、次の瞬間、過ぎた事を恐れる余裕は無くなっていた。木々が倒されて出来た横道から、群青色の物体がぬっと這い出てきた……それはあたりをうかがうように周囲を見回していたけれど、とうとうその細い脚を動かして、その目玉の中心に標的を捉えた。
その標的は……もちろん、私達の乗っているバス。
「見つかったわ……こっちに来る!」
そんな緊迫した状況にもかかわらず、ガイドロボットは能天気に経路案内をしている。
「マモナク、アンイン橋。アンイン橋。コノ川ハ、ジャングルエリア最大の川ダヨ」
カラカルさんは思わず頭を抱えたが、ガイドさんはその声を聞いて、はっとしたように顔を上げた。
「その、一つ、試したい事があるのですが……」
* * *
アンイン橋
木造のこの吊り橋は、元々その名の通りアンインエリアにあったものだった。けれど、女王事件後、試験解放区として急ピッチで再開のための準備が進められていたキョウシュウエリアに移設されたのだった。ジャパリバスが通れるほどの幅のある、丈夫な長い橋。しかし……
「もったいないのですけど……こうするより他はありません、アンイン橋を落とします」
「そうね……セルリアンを足止めするには、それしかないわ」
だが、それでもガイドさんの顔に深刻さが消えなかった。アンイン橋に差し掛かった所でバスを急停車させた。
「ちょ、ちょっと!どういうつもり?」
「せっかく落とすのなら……やっぱり、ここでセルリアンを倒しましょう」
「倒すって、どうするのよ?相手はあんなに大きいのよ!?」
ガイドさんの言葉に、カラカルは耳を疑って文句を言ったけれど、ガイドさんの表情は変らなかった。
「ここで逃げ切ることも出来ます、だけど、その代わりに他のフレンズさんが襲われるかもしれません……私はもう、地下迷宮でのような事が起きてほしくありません!」
真剣な目。数時間前、その目にセルリアンの犠牲になったフレンズの最期の姿が焼き付けられた事を思い出す。
「二人とも橋の向こう岸で待機して下さい!私はバスの後部を外しておきます。なるべく軽い方がいいですから」
「まさか、バスをおとりに?危なすぎるわ!」
カラカルの警告に、ガイドさんは笑顔を浮かべて答えた。
「大丈夫です、運転するのは……」
手元のラッキービーストを自慢げに抱えながら。
「この子ですから!」
その言葉を聞いてかなのか、それとも持ち上げられた時の反応なのかはわからないけど、その憐れなロボットの「アワワワワ……」という人工音声が虚しく響いていた。
* * *
夜のジャングル、完全な暗闇の中、私とカラカルさん、そしてガイドさんは茂みの中に見を潜めながら、対岸にうっすらと見える運転車の黄色い耳をじっと見つめている。
「本当にあのロボット、ちゃんとやってくれるのかしらね……」
カラカルさんはまだラッキービーストを信じきれていないようだった。あの小さい体、無表情な顔はどことなく心もとない。でも、ガイドさんだけは確信の表情を浮かべていた。
「大丈夫ですよ、カラカルさん。ラッキーさんはとても高性能なロボットなんですから。そして今は大切な私達の仲間です。信じてあげないと!」
大切な仲間をおとりに使う事にためらいはないのか。なんて事を考えていると、カラカルさんの大きな耳がピクリと動いた。
「来るわよ!」
ズシン、という地響きが何度も響いてくる。だんだん大きく、だんだん強く。ガイドさんはメガネ型の端末を起動して、ラッキービーストに指示を出す。
「ライト点灯!」
瞬間、バスのハイビームがジャングルの真っ暗な空に光の筋を描いた。その先に、大きな丸い瞳が一つ、見下すような威圧感を持って浮かび上がった。
「さっきよりも大きくなってる!」
「ラッキーさん!バックし続けて下さい!」
セルリアンは完全にまばゆい光に釘付けになっていた。ジャパリバスはアンイン橋の上から、セルリアンに付かず離れずの距離を維持して誘導する。セルリアンはだんだんとその一歩を大きくしていく。
セルリアンが橋の上にその脚を掛けた。つり橋が揺らめいた。
「アンイン橋に乗ったわ!今のうちに橋を落とす!」
長い橋の上ではジャバリバスとセルリアンの追いかけっこが繰り広げられている。セルリアンの鈍重な一歩で吊橋は上下に激しく揺さぶられ、綱が軋み、木の板がぶつかる音が心を掻き乱した。
目の前では、カラカルさんが橋の綱を切り落とそうと、何度も何度も爪を打ち付ける。だが、なかなか綱は切れてはくれない。バスの重みにも耐えられるほどの橋、綱もそれに見合った物が使われているのだろう。
「ったく!無駄に丈夫なんだからあっ!」
このままでは、セルリアンが橋を渡り終える前に橋を落とせない。
「ガイドさん、ナイフを貸してくれませんか、私もやります!」
私はそう言って頼みこんだ。カラカルさん一人だけにやらせるわけにはいかない、そう思った。
「園長さん……分かりました、でも、危なくなったら逃げて下さいね」
手元に小さなサバイバルナイフが渡された。心もとないけれど、何もできないよりはいい。私はカラカルさんのもとへ全速力で走っていった。
* * *
「ウ~……ニャニャニャニャニャニャニャ~ッ!」
カラカルさんの全力のラッシュ、だんだんと綱は綻び始めているが、それでも切断には時間がかかりそうだ。いくらセルリアンが遅いといっても、時間には限界がある。そして、体力にも……
「うっ…………ハァ……ハァ……」
最期の一撃を振り下ろし、カラカルさんの体は茶色くぬかるむ泥の中に落ちた。私はその体を引き起こす。
「カラカルさん、下がってください、残りは私がやります!」
「む、無茶よ!私の全力を出しても切れなかったのよ……バスがセルリアンを引きつけているうちに、逃げて!」
「……私は諦めません。フレンズのみんなが、少しでもセルリアンに襲われないようにするには、ここで倒さないと!」
私は手元の小さなナイフでカラカルさんの付けた無数の傷を少しでも深くしようと、何度も何度も打ち付けた。
「えいっ……えいっ!」
繰り返し続けるうちに、綱を作り上げている細かな紐がブチブチと音を立てて切れてきた。セルリアンの与える衝撃が、橋に負担をかけていることも役に立っているのだろう。
だが、バスとセルリアンは橋の真ん中を過ぎて、ラストスパートに入っていた。残り時間は十秒とない。
「園長さん!カラカルさん!下がって下さい!バスを急停止させ、セルリアンにぶつけて怯ませます。そのすきに……」
ガイドさんの悔しさを込めた言葉が響く、作戦は失敗……そう思った時だった。
「……全く、ナメられたものね……」
私の背後から、泥にまみれたカラカルさんがゆらりと立ち上がった。その威圧感に思わず振り向く。
「この姿になっても、私たちは野性のけものよ、あんたたちに心配されて、手を煩わせるまでもないのよ!」
その瞳は闇のなか、激しく光を放っていた。
「自分の身くらい、自分で守れるわ!」
カラカルさんは口元の泥を払うと、柔らかい地面を蹴りあげ猛進した。飛び込んだ先には後ろ向きに猛進するバスが迫ってきている。あわや、衝突すると思った瞬間。その褐色のスカートがジャングルの空に翻った。バスはその脇をすれ違うように通りすぎる。
「野性……解放!」
カラカルさんの手がきらめく、そのきらめきは鋭い爪となり、バスを追って迫ってくるセルリアンに向かって振り下ろされた。セルリアンの体に深く突き刺さる、それがスイッチだった。サンドスターはセルリアンの表層で爆散し、その衝撃は虹色の波となってセルリアンを橋の上へと弾き戻す。その時には既に、カラカルさんの左手は綱に向かって振り下ろされていた。
「一撃で決める!」
弾き戻されたセルリアンがバウンドし、橋の綱が最も緩んだ瞬間、それを見逃さなかった。鋭い目線で綱の最も脆い急所へ迷いなく着眼し、鋭い爪はそこへ真っ直ぐに向かって行った。
張りつめていたものが切れる時、そのエネルギーは発散される。耳を串刺しにするような破裂音が響くと同時に、セルリアンの体躯が橋の上から跳ね上げられる。そしてそれが落ちていく先は、暗闇に染まった深い川の底だ……
胸元のおまもりがぼんやりと光っていたことに私は気づかなかった。ただ、水しぶきの音と共に水柱が上がるのを、呆然としながら見ていた。
* * *
「アワワワワ……ワワワ……」
ラッキービーストは最後までガイドさんの命令に忠実だった。ジャパリバスの運転車は全速力でバックし続けた。ジャングルの木々に激突して停止するまで。
「ラッキーさん……お疲れ様」
ガイドさんは耳の赤色灯を点滅させて震えているラッキービーストを車体から持ち上げる。それはしばらくじたばたしていたが、すぐに平静に戻った。
「一応、一件落着ですが……カラカルさん、園長さん、大変な状況に陥らせてしまって申し訳ありませんでした……」
ガイドさんは帽子を脱いで、ラッキービーストに被せると、深々と頭を下げた。
「いいのよ、最近腕がなまってきた気がするし、いい運動になったわ」
カラカルさんはわけもないように答えるが、ガイドさんはまだ申し訳なさそうだ。
「でも……バスは前後に別れてしまいましたし……運転車のバッテリーも切れてしまいました。この近くで充電できるのは……高山の頂上の休憩所ですね……」
そういって、暗闇の中遥か高くぼんやりと浮かぶ岩壁を指差す。カラカルさんはあんぐりと口をあける。
「なんでまたあんな不便な所にそんなもん作るのよっ!あの休憩所、ゲストもフレンズもほとんど使ってないわよ!」
「すみません……電力が供給出来る場所がそこしかなかったんです……ジャングルの木の葉が日光をさえぎってしまうので、太陽光パネルは設置出来ませんから…」
その時、ラッキービーストが目をチカチカとさせて反応した。
「只今、管理センターに救助ヲ要請シマシタ。救助が来ルマデ、シバラクオマチクダサイ……」
私たちは繰り返されるその言葉を聞いてお互い顔を見合わせた。そして、小さく微笑みを浮かべて頷いた。
「なかなかやるじゃない、これ」
遠くでかすかにヘリコプターの音がすると、私は安心して眠りに落ちた。
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