「いただきます」


 私がこの奇妙なパークに招待されて、1週間が過ぎた。

 戸惑いと不安がありつつも、いつの頃からか持っていたお守りと、ガイドのミライさんとサーバルちゃん、カラカルさんたちフレンズの力を借りながら、少しづつ旅路を進めている。


*   *   *


 「そろそろ疲れて来ましたね、お昼にしましょう」


 ミライさんはそう言って近くの休憩所にジャパリバスを停めた。こじんまりとしながらも、十分な客席の設けられた食堂だった。


 「食料の冷凍パックは……もう無いわね。3日前に全部持っていってしまったみたい。仕方ない……か」


 ミライさんはジャパリまんをサーバルちゃんやカラカルさんに配り、椅子に座らせると、


 「ちょっと待ってて下さいね」


 と通路の奥へと歩いていった。

 ちょっとと言っていた割に、ミライさんは10分以上経っても戻ってこない。しびれを切らした私はトイレに行くと言って、ミライさんの行った道を歩いて行く。


 そこで、私は鉢合わせてしまった。


 血みどろの白衣姿で、羽毛が抜け、口をパクパクと上下させる鶏を両手に抱えたミライさんに……


「……ミライ……さん…!?」

「あ、あちゃ~……参りましたね……。どうかお気を確かに……」


 ミライさんはいそいそと食堂の調理場に持っていくと、白衣から着替えて、調理を始めた。


 私はしばらく呆然と、通路の真ん中で硬直した後、結局別の理由でトイレに行くことになった。


*   *   *


 「いただきます」


 目の前に出されたチキンカレーを、美味しそうに食べるミライさんの向かい側で、私はスプーンを握ることもままならなかった。ミライさんの持っていた肉塊が、さっきまで生きていたあの肉塊が入っているという、今まで意識しなかった事実に直面させられたからだ。


「……ごめんなさいね、本当はもっと早く済むはずだったんですけど……久しぶりで手間取ってしまって、ショックでしたよね……」

「……すみません、今まで見たことが無かったので……」


青ざめた自分の顔を見て、ミライさんはお冷を一杯入れると、自分の前にコツンと軽い音を立てて置くと、さっき向かった道を向き、


「でも、いつかゲストさんにも話さなければいけない話ですね……少しお話、聞いて下さいね」


 と言って、語り始めた。


*   *   *


 「イエネコ、イエイヌのような愛玩動物や、ニワトリやホルスタインといった家畜動物がフレンズになると分かった時、私達はとても戸惑いました。


 今までの人類の営みの中で、利用し、食用や生活の便にしていた動物たちが、自分たちと同じ姿で現れた。果たして彼女の隣で、彼女のもとの動物を今までのように殺して食べることが出来るのか……沢山の職員が悩み苦しみ、肉が食べられなくなる者も出てきました。


 このままでは普通の生活を送ることすらままならなくなる……。


 そんな中、とある職員が彼女たちと折り合いを付けるためにニワトリのフレンズの飼育員に立候補しました。


『俺の家は畜産業だった、……沢山のウシやブタやニワトリを屠殺してきた。でも、ちゃんと一匹一匹の動物たちに向き合って育ててきたんだ。だから真剣にフレンズと向き合えるはずだ。いや、向き合わせてくれ』


 飼育員はニワトリのフレンズに尽くしました、

 早起きな彼女に合わせて起床し、彼女の好みのジャパリまんじゅうを開発し、病気になれば看病し、どこへ行く時も一緒に居ました。


 そして1年が経って、その飼育員は意を決して切り出しました。


*   *   *


「ニワトリ……俺は……俺はお前を食べるために育ててきたんだ」

「コケッ!?私を食べるだなんてそんなぁ~、口説き文句ですかぁ~」


 元々赤みのある顔を冗談交じりに火照らせ、ニワトリは笑う。飼育員は対照的にますます真剣になる。


「違う!お前の元々の姿、鳥の姿のニワトリは、食べられるために品種改良されて、育てられてきたんだ。人間に食べられるために……」


ニワトリはまだ笑っている。


「知ってますよ。ずっと前から、フレンズになる前から」

「お前は……どう思うんだ……それを……」


 ニワトリは立ち上がると、夕焼けのパークを見下ろして、言葉を紡ぎ始める。


「私達だって、草木や、虫の命を食べないと生きていけません。命を食べないと生きていけないのは、私達も飼育員さんも同じです。私達は食べて食べられて生きています」


 飼育員は反駁する。


「だが、俺たち人間は何にも食べられないで生きている……もし人間が他の生き物に食べられるとしたら、俺は抵抗してしまうだろう。自分だけ安全な場所で、のうのうと……」


 ニワトリはつい吹き出して、口元が綻んだ。



「優しいんですね」




「えっ……?」


 その想像しなかった言葉に、飼育員は絶句する。卑怯だ、身勝手だと罵られても仕方がない行いのはずなのだ。

 それを……“優しい”と、彼女は言った。


「命を食べるという当たり前の、生命の宿命にも、罪の意識を感じている。本能のままに食べる私達には、そんなものはありません。どんな立場であっても同じです」


 羽根を広げ、飼育員に向かってニワトリは振り返る。


「でも、飼育員さん。いや、ヒトには、それを感じる心があります。仕方ない事だとしても、それに悲しみや責任を感じる、余裕のある心があります。きっと、その余裕は、私達を育てて食べるヒトの文明によってもたらされたものでしょう」


 その瞳は飼育員の瞳を、優しさと真剣さを併せながら、しっかりと見据えている。


「そして、その心によって、救われた命が、救われる命が沢山あるはずです。私達には出来ない、そのためなら……」

  

 飼育員は無心になって彼女の言葉の一つ一つを噛み締めていた、さっきまでの彼女とは明らかに違う、とても真っ直ぐな言葉。背中に浴びた太陽の光が、その羽根の一枚一枚を抜けて、赤く散っていた。

 まるで、この星の命……、全ての命の宿命を知っているかのような……神々しい姿で……


「……ありがとう、俺たちを許してくれて。僭越かもしれないが……これからも宜しく頼む。」


ニワトリは笑って、頷いた。


*   *   *


日が暮れて、小高い丘の上で二人は並んで座っていた。


「……あの、でも、一つだけお願いがあるんです」


さっきまでとは違う、いつもの幼気な雰囲気でニワトリの少女は願った。


「ああ、何だ?」


飼育員は全ての悩みから解き放たれたような表情で、ニワトリに微笑みかける。


「私達が生きていた事、忘れないで下さいね、それだけ!えへへ」

「……分かった、絶対に忘れない、絶対に」


 どちらからともなく小指を差し出し、2つの命は約束を交わした。


*   *   *


 それからです。


 パークの全職員は、その職務内容にかかわらず、家畜の飼育と屠殺指導が研修内容に含まれました。園内の食堂にも小さな牧場が併設され、そこで育てられた動物は、パークの中で屠殺されて私達の食べ物として出されます。

 そして、私達は自分の食べる命に報いるために、動物やフレンズのために一生懸命に働くことを決意するんです。


 それに留まらず、自分も廻る生命の中で生きたいと、パーク内での土葬や鳥葬を選ぶ職員も居ます。


 フレンズさんたちのおかげで、忘れていた命を、そして自分の命のあり方を私達は思い出す事が出来た。私達の“いただきます”には、そんな気持ちが込められているんです」


*   *   *


「無理して食べなくても大丈夫ですが、食べるなら、美味しいうちに」


 話し終わると、ミライさんは湯気の消えかけたチキンカレーを勧めてきた。


「い…いただきます」


 私は……すっかり慣れている行為にも関わらず、恐る恐るスプーンに手を伸ばす。今まで意識してこなかった命の一切れを、こぼさないように慎重に口へ運ぶ。噛みしめる。


「ね、おいしいでしょ!」

「ミライさんは意外に料理はお手の物なのよ」


 フレンズたちの元気な言葉に誘われて、正直な言葉が口から溢れる。

 

「……おいしい…です」

「ふふっ、良かった」


 ミライさんの笑顔が移って、私も笑顔を取り戻した。


*   *   *


「私、そろそろ元の動物に戻っちゃいそうです。と~っても楽しかったですよ、飼育員さん」

 「……ああ、お前には感謝しきれない。俺も、とても楽しかったよ」

「元に戻った私の事、食べてもいいですよ。……だから、私の事、忘れないで下さいね」

「ああ……」


 抱きしめたその両手の感触が消えると、彼の両手にはふくよかに育ったニワトリが一匹、静かに寝ていた。彼はそれをベッドの上にそっと安置すると、その前に跪き、両手を合わせて呟く。


「……いただきます」

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