「Pon-Poko」
~故・高畑勲監督へ~
重大な使命を帯びて、彼女はこの地に降り立った。何年もの時間と血の滲むような努力の果てに……
しかし……
「うわああああああん!なんですか!この格好は!」
どうしてこうなっちゃったんだろう……。という絶望と落胆の中。
彼女は気絶してしまった。
* * *
創作の中だけだと思われているんですけど、私達たぬきの一部、いわゆる、「化ける」能力を持っているたぬきは、都市の中で普通の人間のように生活しています。学校に通ったり、会社に通勤したり……人間に化け続けるのは大変なので、エナジードリンクを頻繁に愛飲しています。そういう人がいたら、もしかしたらたぬきかもしれません。
2つくらい前の世代は森林や山に住んでいたのですが、多摩を始めとするニュータウン計画によって、棲家を奪われてしまいました。その時には壮絶な戦いがあった、らしいです。
その後、化けられるたぬきは人間社会に溶け込み、汗水たらして働いたり、化けられないたぬきはゴミを漁ったりしながらこっそり暮らして、たまに車に轢かれて死んでしまったりしています。
ですが、一月に一度、たぬき達は山奥の古寺に集まって会合を開きます、といっても、たぬきの事ですから、だいたい飲み食いしたり歌ったり踊ったり。宴会と言った方が近いですが、そんな中で有益な情報を交換したり、カップルが成立して子供が生まれたりするので、結構大事な会合なんです。
ですが、この日の会合は少し雰囲気が違いました。
「え~皆さん、本日お集まり頂いたのは他でもない、我らがたぬきの希望の星、影森の和葉さんが、この度多摩の大学を優秀な成績で卒業し、噂に名高い巨大動物園『ジャパリパーク』の新卒内定を、無事、手にしたという事で。我々の期待をその小さい肩に一心に背負い旅立つ彼女に、盛大な祝賀会を催すためであります」
「おめでと~!」「よくやった!」「天晴じゃ」
沢山の仲間たちの祝福の中、私は緊張しながらも、誇らしく感じていました。私が「仮面調査員」としてジャパリパークに就職するために、仲間や先輩には沢山の支援をしてもらっていたので、やっとみんなの役に立てる嬉しさがあったからです。
「それでは、旅立つ和葉さん、今の抱負を一言で!」
「ジャパリパークが私達の移住先に相応しいか否か、しっかりこの目で確かめてきます!」
万雷の拍手に送られ、私は単身、ジャパリパークへと旅立って行ったのです……
* * *
「それで……ここに来た瞬間、偶然サンドスターと反応し、アニマルガール化してしまった……と」
「よくわかりませんが……はい」
カコは半べそをかきながらちょこんと座るタヌキのアニマルガールの供述を聞いていた。
数分前、パークセントラルで行われた内定者懇親会の最中、耳と尻尾を抑えながら顔面蒼白でへたり込む紺色のセーラー服を、いち早く気づいた名誉園長が急いで保護し、カコの研究室に連れてこられたのだった。頑なに口を割らなかった彼女だが、保証人に連絡する事を伝えると、「それだけは、勘弁してくださいっ!」と音を上げた。
「パークの実態を調べるために、絶対にバレてはいけないのですが……どうしてこう大事な所でダメになっちゃうんでしょうか……ハァ……」
カコは目の下にくまを浮かべ疲弊と絶望に沈むタヌキをしばらく見ていたが、ジャパリまんじゅうを2つほど籠から取り出すと、そっと彼女に差し出し言った。
「すぐに私達を信頼してもらう事は出来ないだろうが、あなたがたがここに移住したいという願いがあるならば、パークの全力を挙げて協力させて頂きたい」
「……本当……ですか?」
恐る恐る顔を上げてタヌキはカコの顔をまっすぐ見つめた。カコの表情は真剣そのものだったが、深い後悔の中から浮かび上がったようだった。
「パークを代表して、約束しよう」
深く頷く彼女の瞳に確信の色を感じ、タヌキはジャパリまんじゅうを受け取った。
* * *
「私たちはもともと人家の近くの林に住んでたそうです。えっと、人間の食べ物を盗んだりはしませんよ。田んぼや畑があるとカエルやバッタとか、ネズミやモグラがとれるし。柿や桑の実もひろえて、ただの山の中よりずっと食べ物がいっぱいだったそうですから」
「なるほど、いわゆる、“里山”と呼ばれる環境ですね」
ミライはバスを運転しながら、タヌキが住むのに適した場所を探すために彼女の話に耳を傾けていた。
「昔の日本人はうっそうとした暗い原生林を切り開き、松や杉の木を植えて、雑木林を作ったり、果樹を植えたり、畑や田んぼを作りました。明るい日差しが差し込む”日本の自然”は、実は人工的に作り上げ、管理し、維持されてきたものなんです。こうして作られた環境を一般的に”里山”と呼ばれています。森林が国土の7割を占める日本の人たちが、なんとか自然と共に生きようとした、努力の結晶です」
博識な彼女は、口から流れ出すように解説をする。動物の棲家の知識も、ガイドにとって無くてはならないものだ。
しかし、すぐに彼女の表情に不安な影が浮かぶ。
「……ですが……パークの環境に”里山”は無いんです……」
同行したサーバルは驚きの声を上げた。
「えっ、でも、パークの環境コントロールを使えば、その、“さとやま”も再現できるはずでしょ?」
ミライはその言葉にもむづかしい表情をする。
「それが……パークの環境コントロールは、この島のサンドスターが予め作り上げた様々な環境を維持しているだけなんです。私達ができるのは、それぞれの環境を区分して人工的に結晶化したサンドスターを散布する事や、人工的に作られた市街エリアへのサンドスター流入をフィルタリングするくらいです」
眉間にしわを寄せて、ミライはとどめの現実を述べる。
「そして、この島が再現したのは、人間の影響の無い、手つかずの自然だけです」
* * *
「サンドスターの具現化能力を利用して、環境を再現する、ですか?」
「はい。可能……なんでしょうか?」
アンインエリアの森の奥で、ミライはコノハ博士とミミちゃん助手に意見を伺っていた。サンドスターに関わる技術や研究はそれらを使いこなせるアニマルガールのほうが、人間よりも上手である。
「不可能ではないのです。我々のサンドスタークラフト理論の結晶である“サンドスタープリンター”は、物の情報をサンドスターに付与する事で、サンドスターの具現化能力をコントロールし、物を作り上げる装置です」
「これと同様に、土地に散布したサンドスターに、再現したい環境に関する情報を付与させる事で、それを再現することは、理論上、可能です。しかし……」
二人はその表情をピクリとも動かさないが、少し声のトーンが落ちた。
「環境のような大規模にして、時間による変化が大きい存在を再現するための情報は……非常に莫大な物になるのです」
「大規模で莫大なサンドスターへの情報付与、それを可能にするためには、何らかの工夫が必要になるでしょう」
光明は見えたが、未だに大きな壁が立ちはだかっている。ミライと園長はどうにかしようと考え込むが、どう思案しても思いつかない。
「あ、あの……」
不意に最後方にいたタヌキがおどおどとしながらも、まっすぐな目で発言した。
「私達たぬきの一部は化けたり、幻術を使う事が出来ます……一人では無理でも、仲間や高名な大狸と力を合わせれば、まるで別の世界にいるような景色を見せる事も出来ます」
全員が振り返り、タヌキの言葉に真剣に耳を傾けていた。タヌキは注目を一身に集めながらも、たぬきの威信を誇るように、堂々と話す。
「そうして作り上げた幻術に、その、サンドスターという物を反応させることで、里山を再現する事が出来ると思うのですが……いかがでしょうか……」
全員がそのアイデアに目をぱちくりさせて、一瞬静寂が生まれた。タヌキは変なことを言ってしまったと思い、慌てて口を手で抑える。
「あ……すみませ……」
「我々ほどではないにせよ、素晴らしいアイデアなのです」
「さすがですね。ちょうど私もそう考えていたところでした」
博士と助手は自分の足元の危うさを覚えながらも、タヌキの意見を激賞する。ミライやサーバルも目を輝かせて、その発想力に舌を巻いた。
「では、早速日本からタヌキさんや有名なタヌキさんに、ジャパリパークに来てもらいましょう!」
「……わかりました、移住を望んでいる多摩のたぬき達を連れてきて頂けますか?それと……大きな力をお持ちの高名な狸の方々ですが……屋島の太三朗様は行方知れず、松山の隠神刑部様は多摩の開発への抵抗に力尽きはててしまい、佐渡の団三郎様は戦後の食糧難で撃ち殺されたとお伺いします……」
サーバルと園長は突然出てきた舌を噛みそうな名前にぎょっとしたが、ミライは興味深そうにタヌキの話しを聞いている。
「太三朗狸は香川県に伝わる屋島寺に住んでいるたぬきで、四国の狸の総大将です。戦乱や危機を予言したり、中国から来た鑑真や四国の霊場を作った空海を案内したとか、沢山の逸話が残っているたぬきさんです」
「隠神刑部は愛媛県に伝わるたぬきさん、松山にいる808匹のたぬきの総帥です。松山城の守護神で、謀反騒動の話しは広く伝わっています」
「団三郎狸は新潟県に伝わるたぬきさん、新潟の狸の総大将です。幻術を使っていたずらをしたとされていますが、貧しい人にお金を貸したりもして、地元では二つ岩大明神と呼ばれて慕われています」
タヌキの話しを補足するように、流暢に3狸の説明をするミライに、タヌキは感涙していた。
「凄いです!素晴らしいです!こんなに詳しく知ってらっしゃる方がいたなんて……大狸の皆様も草葉の陰で感激していることでしょう……」
「いえいえそんな、それほどでも無いですよ……それに、もしかしたらその方々にゆかりのある物があれば、アニマルガールの姿でお会いする事が出来るかもしれませんよ」
「本当ですかっ!」
タヌキはその丸い目をキラキラと輝かせてミライの言葉に胸踊らせた。
「ああ……あの高名な方々とお会いする事が出来るなんて……夢みたいです……」
博士と助手はミライとタヌキの濃密な狸談義に辟易したのか、槌をトントンと地面に打ち付けながら、
「それ以上はよそでやりやがれです、場所の選定や準備は我々で進めておきますから」
「里山は以前から日本在来種のフレンズからの強い要望がありましたから、ついでに招集しておきましょう」
と、苛立たしげに場を纏めた。
* * *
『たぬきの会合は、毎月、十五夜の月が昇る夜、奥多摩のとある古寺で行われます」
1週間後、ジャパリパークから、たぬき達を説得し協力を要請ために、使者としてカコと名誉園長が派遣された、ナナ率いる職員チームも、たぬき達の移送のために待機している。
『0時に差し掛かったあたりに、お寺の入り口に立ってください、中に入ってはいけません』
古寺までの道のりは険しかった、一応道路はあるものの、アスファルトはボロボロになっていた。コンビニも街灯もない中を、懐中電灯と地図アプリを頼りに歩いていく。
『会合に初めて参加する時は、秘密の暗号……といいますか、歌を歌う必要があるんです』
そして、道の脇に、屋根がひしゃげ、割れた瓦が散乱し、錆びた擬宝珠と苔生した扉が、いかにもな廃屋というレベルを超えた妖しげな雰囲気を醸し出している。
「ライトを消そう」
カチッという音と共に完全な真っ暗闇が自分たちを覆う。それでも、少しづつ目がなれてきた。
『その歌を教えますから、覚えてくださいね」
園長はカコとどちらからともなく頷きあうと、深く息を吸い込んで、呼びかけるようにそっと歌った。
「た~ぬきさん、た~ぬきさん、あそぼじゃないか……」
最後の方は緊張からか、少しかすれ気味になってしまった。そのまま固唾を飲んで、暗闇と静寂の中、2人は息を殺しながらじっと耐えていた。
1時間に近い30秒が流れる。
「……い~ま、ごはんのまっさいちゅう」
返ってきた、その通りに聞いてきたものの、寺の裏から湧き出るような深い声に、気を引き締めて臨む。
「おかずはなあに」
今度は間髪入れず返ってきた。
「うめぼし、こうこ」
少し調子づいたような様子だ。最後の一押し、一字一句間違えないように歌い上げる。
「ひときれちょうだい」
その瞬間、神社の周りに一斉に明るい火の玉がボッという音と共に現れる。思わず身構える。
「あら、あんたちょっとガッつきね!」
その最後の“ね”の音と共に数秒間静寂が流れ、二人が一段落して深呼吸をした瞬間、石畳のど真ん中にスッと、物腰柔らかそうな中年の男性が現れた。男性は深々とお辞儀をすると、
「ジャパリパークの方々ですね、ようこそおいで下さいました……」
と、二人を招き寄せた。
「娘がお世話になっております」
男性はどうやら葉月の父親のようだ。つまり、たぬきな訳だが、背格好も顔立ちも完全に人間のそれだった、同居していてもたぬきだと見破ることは難しいだろう…… もっとも、その技量を称賛する気持ちにカコはなれなかった。自分たち人間が、彼らにこの姿を押し付けたようなものだ、それを称えるなど傲慢にも程がある。
「……お礼を申し上げなければならないのはこちらの方です。葉月さんのおかげで、今まで見過ごしていた事を突きつけられました。ありがとうございます」
カコは葉月の父親よりも深く、謝罪のようなお辞儀をする。
父親は慌てて、いえいえ、そんな、お気遣いなく。と優しく取り繕うが、カコが顔を上げて、その顔を見ると、深く息を吸って、話し始めた。
「1週間前、娘から連絡が来た時から、私達はどうすべきか考え続けました。あなた方を簡単に信じていいのか、見世物のように利用されるのではないか。そんな意見が飛び交いました……ですが、娘はジャパリパークの人々が、自分たちの事や境遇を理解し、自分たちの希望を叶えるために尽力している様子を教えてくれました」
その顔は、表面的には微笑んでいたが、心の根は真剣そのものだという事が伝わってくる瞳であった。予想だにしなかった計画とは異なる展開に、たぬき達も深い動揺を感じたはずだ。
「私達は、娘の言葉を信じる事に決めました。人間に多くを奪われた私達ですが、彼らがそれを返そうとしているならば、それを信じてみようと思いました」
だが、彼らは決断した。仇敵に助けを求めるようなものだ、苦心の末の決断だろう。
「私達を信じて頂き、ありがとうございます。決してその信頼を裏切る事のないように、パークを挙げて、皆様方全員を迎え入れさせて頂きたいと思います」
カコは深くお辞儀をし、決意の目で葉月の父親の顔を見たが、彼はすこしバツの悪そうな顔をして頭を掻く。
「……せっかくのご提案ですが、そちらには若いたぬきや子だぬきたちをお願いして、私達はここに残ろうと思います」
思いもしない言葉に、園長もカコも目を見開いて驚く。葉月の父親は石畳を出口に向かって歩き出しながら淋しげに続けていく。
「私達の住んでいた場所が奪われた時、私達は私達なりに、懸命に抗いました。沢山の同胞がそれに殉じ、残された者たちは人間への怨嗟を抱き続けなければいけなくなってしまいました」
そのまま二人の間を通り過ぎ、古寺を出ていく。カコと園長もその後ろを静々と続く。
「私はそれを、希望の新天地に持っていきたくありません。そんなものは新たな軋轢や疑心暗鬼を生むだけです。私達の世代でけりをつけなくてはいけません」
暗がりの中に、失われた山を眺めながら。
「私達は、かつてここに山や里や野や川、豊かな自然があったという思い出と一緒に、仲間達の眠る、愛するこの地で死にます」
そして、もう一度二人に振り向いた。信頼するような、懇願するような……祈るような目で。
「約束してください、ジャパリパークを、人間とたぬきとがやりなおせる場所にして頂く事を。どうか、どうかお願いします」
* * *
「そんな……お父さん、お母さん……」
カコたちが戻ってくると、すでに十分な広さの草原が確保され、里山復元プロジェクトの準備は万端だった。
だが、そこに新たな問題が首をもたげてきた。
「そんな……」
里からの手紙に必死の思いで目を通した後、タヌキは草原にへたり込み、泣き崩れた。無理もない、単なる偵察のためだったこの派遣が、両親との突然の別れになってしまったのだ。
「……私、無理です…………お父さん、お母さん、里の先輩が居ないと……出来ません……」
だが、彼女の涙の理由はそれだけではなかった。
「物心ついた時からずっと人間に化けて、人のように生活してきました。舗装された道路とコンクリートの建物しか見たことが無いのに、里山の風景なんて想像する事、出来ません!」
幻術を行うためには、それについての深いイメージ力が必要だ。だが、ずっと人間として人間社会で行きてきた彼女にとって、里山のイメージは非常に希薄だった。
そんな自分が果たして、この野原にしっかりと里山のイメージを描きあげることができるのか、その不安に、彼女は押しつぶされる。
「そこのお主、いつの生まれかねぃ?」
打ちひしがれる彼女に、一人の人影が近づいて来た。赤茶色の年季の入った女生徒の制服が巨大なしっぽを引きずっている。少し赤ら顔の彼女は、多摩のたぬきたちから託された、隠神刑部の御札からアニマルガール化した”イヌガミギョウブ”。
タヌキはすぐに顔を上げ、震える声で丁寧に答える。
「父からは、狸の暦で33年の春。とお伺いしております……」
その言葉を聞いた瞬間、イヌガミギョウブの眉がキリッと上がり、先程のおちゃらけた様子は消えていた。
「……よぅく聞きな、お主が生まれたその年は、多摩の森が開発で消え去る一年前。お主の父と母が、お主を巣穴で懸命に育てながら、侵されていく森を守るために体を張って闘った年よ」
「…………」
その言葉に、タヌキは打たれた。
「幼きときの、たった一年の記憶かもしれん。頭の深くに潜り込み、思い起こす事はもう叶わぬ記憶かもしれん、だがな、お主は間違いなく、その目で見ておる。お主の本当の故郷をな」
その言葉に、多摩から来たたぬきや、人間に化けている仲間達が一匹、また一匹と集まってくる。イヌガミギョウブはそれらを見回すと、深く頷いてタヌキの落ちた両肩をしっかりと握り、その瞳をしっかりと見据える。
「だから安心しな、思い出せなくとも、お主の記憶が、心が、きっとそこへ導いてくれるはずよ」
タヌキは無言で頷き返した。まっすぐ上がった顔の涙を風が拭った。
* * *
「サンドスターの散布準備完了。周辺環境への干渉防止措置、全て問題なし。気圧、風向、観測データ正常範囲内、ミッションの達成に影響なし。記録装置正常に作動」
手元のタブレットと目の前の状況とを照らし合わせながら、もう一人の伝説的なタヌキである”ダンザブロウダヌキ”はその小さなメガネを太陽の光に反射させながら確認作業を進めている。
「ちょっと待ちやがれです!その役割は我々のものなのです!」
「全く、油断もすきもありませんね、我々の方がこの地では先輩だという事を忘れてもらっては困ります」
両手を振り回しながら断固抗議するコノハ博士とミミ助手に、ダンザブロウダヌキは
「あら、すみませんね」
と軽くあしらうが、すぐにその表情は、区域の中心で背中合わせに円陣を組むたぬき達に向かった。
「とはいえ私には前の合戦に加勢出来なかった無念があります。ここは譲れません」
その言葉の終わる瞬間、彼女の3つの尻尾がバタバタとはためく。その両手は顔の中心で指先を一ミリのズレなく合わせ、術式の印を結ぶ。そして、
「みなさん、用意はいいですか!?」
草原全体に通る号令に、タヌキ達は「応!」と答える。それが合図だった。
「いくぞ!野生解放!」
イヌガミギョウブ、ダンザブロウダヌキの目が激しく光る。周囲の人間に化けたたぬきたちも歯を食いしばり、眉間に皺を寄せながら全力を挙げて術に集中している。
「ハァァァァァー!」
「ヤァァァァァー!」
タヌキもしばらくは目を固くつぶり腹に力を貯めていたが、目をカッと見開くと、彼女は叫ぶ。
「ウオォォォォー!」
体中の毛を逆立て、尖った犬歯をむき出しにして、彼女は吼える、嘶く。先程までの不安に負けないように。
数秒後、周囲に明らかに変化が生じはじめた、ボコッ、ボコッと、地面の隆起がそこかしこで起こる。そこから細い芽がムクムクと無数に芽生えていく。伸びていくそれは寄り集まって幹となり、大樹になる。
その枝葉に囲まれながら、たぬき達は今度は周囲に念を送り始める。両手を高く挙げてそのまま前へ押し出す。指先までピンと張り詰め、体全体を使ってイメージを押し広げる。
彼女たちの叫び声はだんだんと萌える草木のざわめきの音にかき消されていく。森が広がり、川が流れ、水田に青々とした苗が屹立する。
だが、イヌガミギョウブやダンザブロウダヌキはもとより、普通のたぬき達には疲れの色が見え始めていた。ここまで大規模な術式は彼らにとっても初めてだ。その過酷さの中でただでさえ希薄だった里山のイメージを維持し続ける事は不可能に近い。
「マズイね……このままだと幻術がとけちまうよ」
タヌキはなんとか必死に足を踏ん張り続けていたが、額には玉のような汗がぷつぷつと溢れ出てくる。
「あぁ!……っつ……」
そのまま仰け反るように倒れてしまう。すぐに周りの仲間が介抱するが、周囲の術が霧のように消えていくのを見ると、タヌキは焦って、自分よりも術に集中するように呼びかける。
だが、士気が落ちていくのは止められない。
「そんな……どうすれば…………?」
その時だった。
「たぬきのみなさん!応援に来ましたよ!」
ミライの運転するジャパリバスが全速力で飛び込んで来た。タヌキたちの前に停車したバスからは、沢山のアニマルガールたちが我先に飛び出して来る。
ニホンオオカミ、アカギツネ、ヒグマやツキノワグマ、テン、オコジョ、アナグマ、ニホンジカ、ノウサギ、ワシやタカ、キジ、ウグイス……どれも日本の野山、里山に生きてきた動物たちだった。
「すごい!この景色、まるで本物みたいです!」
「タヌキさ~ん!頑張れ~!」
眼の前で変化していく光景に感嘆の声を上げるフレンズたち。そしてその激励のざわめき中から、小さな歌声が聞こえてきた。
「うさぎ~追~いし かのやま~」
瞬間、風が凪いだ。
人もたぬきもフレンズも、その旋律が心を駆け抜けていくのを感じた。
「こぶな釣~りし かのかわ~」
今度はその周りのフレンズたちが、その声を膨らませていく。
「夢は今も めぐりて」
バスから降りながら、ミライが高らかに歌いつないでいく。
「忘れがたき ふるさと」
カコや園長、ナナや職員も加わり、草原一杯に吹き荒れる歌の風。その中心で、タヌキは佇んでいた。音に乗せて伝わってくる思い、生まれ育った里山への思いに、自分の心が共鳴しているのを感じる……人間のように行きてきた自分の中に、まだ残っている理想郷への思い。それを呼び覚ますこの歌に乗せれば……。
そう思った彼女は深く息を吸い込む。
如何にいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思い出る ふるさと
彼女はその瞳に写った光景に息を飲んだ、田園と果樹の麓から、雑木林の森、そして高い山を覆い尽くす鬱蒼とした鎮守の森が、これ以上ない実在感を持って自分の眼の前に大パノラマを作り上げていた。青い空を悠々と飛び交うとんび、虫を捕らえたつばめ、綿毛を飛ばすたんぽぽ、民家の軒先に吊るされた干し柿、手漕ぎポンプに編みを張る蜘蛛。分かれ道に置かれた道祖神。川でケンカするざりがに達。
「……ああっ」
そして、たぬき。
つがいのたぬきが民家の近くの巣穴の前でたむろしている。そこから4匹の子だぬきが次々に出てきた。
「あれ……私だ……子供の頃の……」
涙が溢れ出てきた。今すぐ走ってそこに行きたい。そう思いながらぐっと堪えた。涙声で歌い続ける。
志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
「みずはきよき ふるさと」
歌い終えた瞬間、タヌキは確信した。成し遂げた、と。
「今だ!サンドスター散布開始!」
カコの号令で2機のロボットヘリが上空へ舞い上がり、ぐるぐると旋回しながら虹色の粒子を満遍なく降り注いていく。風が吹くたびに緑の匂いが、土の匂いが強くなっていく。
清々しい達成感の中、イヌガミギョウブが腹太鼓を豪快に鳴らして宣言した。
「山が返った!里が返った!川が返ったぞぅ!」
その声に湧き上がるたぬきとフレンズたち、お互いに抱き合い、小躍りしながら喜び勇んだ。
* * *
「ちょいちょい、そこのお若いの」
歓声の中、イヌガミギョウブは園長を招き寄せた。カコやミライも不思議に思いながらその後をついていく。イヌガミギョウブは園長の首に下がっているお守りを掴み上げると、
「人は我らのふるさとを返し、今ここに、たぬきと人との絆は再び結ばれた。その証としてわたしの印を授けよう!」
そうしてかざした手から眩い光が放たれて、緑色の鳥居の形の紋章が浮かび上がってきた。
「……印が、すべて揃った……」
山を取り囲む喜びの渦中で、カコは固唾を飲んだ。
覚悟を決めなければならない。すべての準備が整った……つまり、いつ起こってもおかしくないという事だ。
……“あの異変”……が。
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