「楽園にて」


「カコ……」





 暗闇の中で、声がする。





 誰だ?






「わたし だ」


その存在は、闇に慣れた目にぼんやりと映るように、その姿を現した。


「会いたかったよ」


 生暖かい風にゆれるその濃い紫の髪と尻尾のような髪留め、隙間から出てくる白衣の内側の地味なインナー、同じ高さの双眸。赤青緑と並んだ胸ポケットのサインペン。

 髪の毛の一本から靴のほつれまで私と同一な、完全なる私自身だった。


「私が、もう一人だと……」


 動揺し、後ずさりする私に、もうひとりの私は口元を綻ばす。両手を胸元で広げ、歓迎のジェスチャーをするほどの余裕の仕草だ。


「何を 怖れて いる ? 生まれた ときからの 仲 じゃないか ?」


 生まれた時からの仲?意味深な言葉に引っかかりを覚えながらも、私は警戒を解かず、瞬きもせずに一心に彼女を睨み据える。


「そうか この姿では だめか」


 そう言うと彼女の体は中心で真っ二つに裂ける。切断面からは、黒いタールのような粘液が糸を引いている。その有様の生理的な嫌悪感に、私は一瞬目を閉じる。


 そして、恐る恐る目を開くと……


 *   *   *


「……お父さん?お母さん?」


 優しげな瞳で私を見つめる両親が、そこにはいた。


「ああ そうだよ カコ」

「私達 カコの 元に 戻って きたのよ」


 ……そっくりだ、顔も声も、何もかも。私の手を取って、何度も動物園に連れて行ってくれたあの日のままの姿だ。


 私は思わず二人に駆け寄るが、すんでの所で留まる。


「……だけど、お父さんもお母さんも、あの日……事故で……」


 ……死んでいるはずだ。それに、もうあれから十年も経っている、同じ姿で会える事は決してない。残酷なその事実。

 だが、両親は気にもとめる事無く満面の笑みで答える。


「何を言ってるんだい?カコ、ここでは全てがが戻ってくる世界じゃないか」

「そうよ、だから私達、こうしてカコにまた会えたのよ」

「待って!どういう事なの!?失われた物が戻って来ることなんてあり得ないわ!あの時、お父さんもお母さんも死んだのよ!」


 私は両手を指が甲を突き破りそうなほど握りしめ、その痛みで自分の心を制した。本当は今すぐ両親に抱きつきたい。だが、科学者としての自分がそれを許さない。

 ハッハッハ、と、お父さんが腹から笑う。


 「“死んだ”なんて概念、この世界には無いも同然さ。会いたい人には、いつでも会えるのがこの世界なんだよ。全てが満たされた理想の、素晴らしい世界さ」

 「そうよ、カコ、怖がらないで。一緒に動物園に行きましょう?ニホンカワウソも、オオウミガラスも、カコの好きなリョコウバトもいるわよ」


 ……何なんだ、この世界は。


 両親の言う通り、ここは全てが満たされている。絶滅したはずの動物たちが繁栄しており、死んだはずの両親も生きている。私の望んだ世界そのものだ。


 私は恐る恐る、だが、少しづつ歩調を上げて両親の元に駆けて行った。


 *   *   *


「おとーさん、あのね?」

「どうした?カコ?」


 ニホンオオカミのおりの前で、私はお父さんに話しかけました。


「あのね、実は、とっても怖い夢を見たの、たくさんのお友達がいるのに、私一人だけその中に入れないの、入るために私、がんばったの。でも……そのせいで……」


 お母さんは私を抱きしめると、優しくなぐさめてくれます。


「カコ、心配しないで、そのお友達も、ここに連れてくればいいのよ。そしたらみんなみんな一緒よ。頑張る必要なんてないわ」

「……そうだよね!」


 この世界に来れば、ずっとず~っと、仲良しでいられる。仲間はずれも、お別れすることもない。


「じきに、その友達の輝きがここに来る。それがあれば、みんなはすぐにこの世界にやってこられるはずだ。」

「そしてこの世界が広がれば、すぐに全ての輝きはこの世界で一緒になるのよ。」

「そしたら、みんな、ずーっと友達になれるんだよね」


 ここにいれば、なにもなくさない。ここにいれば、なにもうしなわない。

 

 *   *   *


「じゃあまず、ミライちゃんを連れ……」


 その時、私は思い出した。お父さんとお母さんが居なくなって、よそよそしい親戚のうちに引き取られた後も、習慣になっていた動物園。

 そこで出会ったメガネの女の子。


「ミ……ライ……!?」


 一緒に動物を見て、たくさん話しをして、夜になったら一緒に星を見上げ。両親を思い出し流れた涙の一滴に気づき、手を握ってくれた友達。


「……忘れる所だった……」


 苦悩する自分の側で、いつでも私を支えて、私の力になろうとしてくれた友達。

 大切な、とても大切な友達。


「……お父さん、お母さん……ごめん」


 私はぴたりと立ち止まり、数歩歩いてから、不思議そうに私に振り向く両親に言った。


「……ごめん、でも……でも、私はここに居ちゃダメだ。友達が待ってる。私のために頑張ってる。私の願いのために」


 自分の心が揺れないように、私は顔の筋肉を張り切らせる。対照的に両親はまだきょとんとした顔だ。


「どうして?ここにいればあなたの願いは全部叶うのよ?」

「動物もヒトもアニマルガールも何もかも全部、この世界で一緒になればいいじゃないか……」


 ……ああ。


 その瞬間、私は悟った。この両親は、いや、この世界全てが都合良く組み立てられた偽物だと。

 そして、この世界を作っているのが、他ならぬ自分自身であると。

 深呼吸をして、私は伏し目がちに言葉を紡ぐ。


「確かに、今の全てを過去に閉じ込めて、再現しつづけるだけのこの世界は、私の願う世界なのかもしれない、何も失う事はなく、全てが満たされた世界。楽園そのものだ」


 両親は一瞬嗤う。しかし、私の瞳はその表情に焦点が合うことはない。

 私を迎えようと一歩歩み寄る両親に向かって、私は言い放つ。


「でも、私の友達は、こんな世界を望んでいない!未来にある、新しい、美しい、無限にある輝きが奪われたこの世界を!それらと相見える可能性が失われた世界を!」


 聞こえてくるのは、彼女の言葉。

 新しい出会いのたびに、心から放たれた歓喜の言葉。


『出会えた奇跡に、感謝しましょう!』


 猛獣であろうと、絶滅危惧種であろうと、絶滅種であろうと、害獣として駆除された生き物であろうと、その区別なく。


「元の 世界に 戻れば なにもかも 失われて しまう」


不安と苦悩と罪の意識に苛まれる私と対照的に、無条件に新しい出会いを受け入れる私の友達。


「失う 恐怖に 怯えながら 別れの 運命に 嘆きながら 生きていく 痛みに 耐えられるのか」


何も失われないこの世界でも、彼女の笑顔はきっと失われてしまうだろう。


「……分からない、何かを失う辛さは何度経験しても、慣れることはない……だが……」


 脅迫的な言葉を並べながらも、目の前の両親はその姿をだんだんと黒色の粘液へと融解させていく。その有様を一瞥し、私は止めを刺した。


「未来が失われる事に比べれば、そんな痛みなど、何てことはない!」


 *   *   *


 気づけばまた、同じ暗闇だった。背後から声がする。私の声だ。


「お前は 選択した。 その意味を 分かって いるのか? お前が これから 行う 取り返しの つかない 恐るべき 行為。 成功の 保証 などない 無謀な 行為。 そして その 責任を。」


 その声は無機質だったが、ほんの僅かに震えていた。何故震えているのか、今の私には良く分かる。

 彼女は恐怖。これから私がなす事に恐れ慄いていた私。現実から逃れたいという欲望の衣を着て、私を誘おうとしていたのだ。

 

「……分かっている」


 そう一言だけ答える。


 数秒後、何も言わずして、彼女は消えた。


 *   *   *


 直に私も夢から醒め、現実へ戻っていく。残酷で、過酷で、地獄のような現実に。


 許される事のない地獄で、未来を掴むために。

 


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