「LB -and The new hope-」


 パークが対セルリアン対策に明け暮れるようになり、回りが俄かに騒がしくなってくる。ずっと研究室の中にいてもそれを感じてしまうあたり、相当な規模で行われているのだろう。

 だが、辛い事だらけではないようだ。


 このごろ、このパークに正体不明の飛翔体が出現し始めた話をそこかしこで耳にしはじめた。


 最初は他国のドローンと考えられ、厳戒態勢がとられたが、飛行時に虹色に輝く粒子を放ちながら飛び回っている事から、どう思案しても偵察や攻撃用ではないと結論づけられた。


丸い胴体に耳と尻尾が生えたその動物的なシルエットから、パーク職員の悪戯だとする説が大多数を占めていたが、この生物が目撃されると、決まって

新しいアニマルガールが見つかった、研究がうまくいった、

と研究者や調査チームからのとても良い評判を得て、セルリアン騒ぎの中のちょっとしたブームとなっていた。


 暇な職員やアニマルガールたちは撮られたわずかな写真からきぐるみを作って、セルリアン騒ぎが収束し、無事開園したら、パークのマスコットにしようと意気込んでいた。


いつからか、誰からともなくその生物はこう呼ばれはじめていた。


「幸運のけもの」と。


*   *   *


 翻って私は、もう2ヶ月近く研究を停滞させていた。部下に過去の実験の続きをさせ、それを報告書にすることで表向きは取り繕っていたが、じきに破綻するだろう。いや、あえてそうさせているのだ。所謂、身辺整理のようなものだ。


 例の夢と、セルリアンとジャパまんの相関。幻妄や仮説に過ぎないとはいえ、私の研究意欲を大幅に減衰させたのは確かだ。


 誰かを、何かを犠牲にすることなく生きることが出来る、純粋無垢な少女たち。人類はるかに超越した身体能力を持ち、思いのままに地を駆け、空を舞う彼女たち。過去の怨嗟を忘れ、私達に笑顔で手を差し伸べる彼女たち。


 私の理想。


 だが、我々ヒトは、そうなることを許されなかった。


 どれだけ懸命に手を伸ばそうとも、何万という命を貪り、何千もの棲家を破壊し、何百という種を破滅に追いやってきた私たちの罪の重さが枷となって、爪の先ほども届かない。


 その事実が強く深く私の頭に突きつけられたとき、私は彼女たちを真っ直ぐ見ることは出来なくなった。彼女たちと関わるたびに、その輝く瞳や流れるような髪や溶けるような柔肌が、私を絶対的にひどく醜いものにしていく。

自己卑下の渦に呑みこまれ、深く深く堕ちていきながら、私は気づくのだ。


「彼女たちこそ、この星の支配者に相応しい」と。


そう、心の底から思うのだ。


 ならば、私の研究はもう無意味だ。ジャパリパークで一儲けしようしているお偉方にも、アニマルガールを単なる見世物と考えている客にも、自分の好奇心や探究心にも仕える理由は無い。その上、無駄な足掻きは、人類に対してまた新たな鎖を増やすことになる。永遠の諦観の中で、いつか来る人類の破滅を待つこと以上に、私がすべき事は無い。


 奇跡などないのだ、巡る因果から逃れられはしない。


 如何なる幸運であっても。


 誰も気づかない、茫漠とした絶望的な運命を、私は自分一人で抱え込んでいた、耐えられなかった。


 そして今日、何度も書き直した辞表を手に、私はパークを去ろうと決めた。


*   *   *


 暫くぶりに研究室を離れ、私は夕日に染まるパーク・セントラルを眺めていた。所々工事中のところもあるが、それでも、遊具で遊ぶアニマルガールや談笑する職員たちで活気に溢れていた。

 遠くでは動物たちの遠吠えが何度もこだまし、一日の終わりを告げていた。

 何もかもが穏やかな黄昏だった。純粋に、この時間が永遠に続いてほしいと思った。


 鉄柵から離れ、道の向かいにある木製のベンチにゆっくりと腰を下ろして、私は深くため息をつく。


 そこに一人の男性職員が歩いてくる。白衣を着ているが、胸には赤い十字が付いている、医療施設の職員だろう。両手にネコ科の動物を抱えている。


「あ、カコ博士。お久しぶりです。お隣、よろしいですか?」

「ええ」


 私は腰を少し右にずらしながら軽く返答した。職員はふかぶかと座り、ベンチはぐらぐらと揺れて、止まった。


「よーし、ここなら良く見えるな~」


 職員は両手で動物を撫でながら、沈みかけた夕日を眺め始める。動物もその丸い瞳を広げて、その目に夕日とパーク・セントラルを映していた。私はただ、同じ方向をまっすぐに見つめる一人と一匹の横顔を伏し目がちに見ていた。


「……その、サーバルキャット。どうしたんですか?」

「ああ、この子ですか。セルリアン対策のための園内警備をしていたときに見つけたんですよ。脚を怪我していて歩けなくなっていたんです」


 そう言って、彼はサーバルキャットの足を下からやさしく持ち上げる。なるほど、その脚は当て板と一緒に包帯でしっかりと固定されていた。


「なかなか落ち着きのない子でして……狭い病院だと退屈だろうな、と思ってこうして外に連れて行ってやってるんです」


 な、と彼はサーバルに向かって同意を求める。飼い猫と違ってあまり鳴かないサーバルキャットは何も答えないが、彼の顔をしっかりと見ていた。


「成る程、早く治るといいですね」

「ありがとうございます。じゃあ、そろそろ」


 自分の事のようにお礼を言って、彼はうんしょと立ち上がり、元きた道を戻り始める。揺れるベンチの上で、私はその背中を見送った。


 日はもう、殆ど暮れかけていた。


「さて、そろそろ行くとしようか……」


 私は真っ暗になった道を……彼とは逆の方向に歩き始める。


*   *   *


「カコ先輩!」


 パーク・セントラルの裏にある中央総合管理センターまで、残り数百メートルだった。背後から大きな声が突き刺さった。

 思わず、振り向いてしまった。


「ミライ……どうしてここが?」


 ミライは暗がりの中、私に向かって猪突猛進してくる。そのまま肩をわし掴みにされ、息絶え絶えになりながら一言一言を吐き出した。


「だって……先輩の部屋……とても小ざっぱりしてて……もしかして……えぐっ……どっか行っちゃうじゃないかって……」


 彼女の頬の汗はいつのまにか涙に変わっていた。


「……流石調査隊長だな……その観察眼で何でもお見通し、という訳か……」


 研究室の鍵を締めなかった自分の不精さを恨んだ。


「隠していて悪かった……だけど、研究職はしばらく休職にしたい……色々と、思うところがあってね……」


 胸に顔を埋めるミライの頭を撫でながら、私は内心の動揺を抑えながら宥める。白衣に染みた彼女の涙が胸に冷たかった。


「……どうして……どうしてですか先輩!あんなに研究に没頭して、誰よりも一生懸命だったじゃないですか!なんで……」

「自分の限界を知ってしまった。もう、自分の力ではどうしようもないんだ……潮時だ。


 彼女の背中を何度もさする。


「……そうやって……先輩はいつも私に分からないと思って……私にもちゃんと教えて下さい!」


 急に顔を上げて、これまでに無いほど真剣な眼差しを向けられる。一瞬目を伏せかけるが、すぐに見返した。


「教える訳にはいかない。私の知ってしまった事は、アニマルガールと人との関係を、今の幸福を損なうものだ」


 アニマルガールによるこの星の支配のシフト、人類の運命。そんな事が知られれば、人間とアニマルガールには深い溝が生まれる。その隔絶に苛まれるのは自分だけでなければならない。

 人類の黄昏を、安らかなるものにするためには……


「ミライ、君にはこのパークで、動物やアニマルガールに精一杯尽くしてくれ。人間と動物との絆を途切れさせないでくれ。私からの一生を賭けてのお願いだ」


 そう言って私は彼女の両手をそっと持ち上げて白衣から離す。その目はただただ呆然としていた。


「頼んだぞ……」


 すぐに踵を返し、私は一歩を噛みしめながら、センターへの道をまっすぐに歩く、背後で地面に崩れ落ちる音とすすり泣く声がするが、振り返る事はできない。

 自動ドアは、目と鼻の先だった。


*   *   *


 その時だった。


「おい!“幸運のけもの”だ!」


 どこからか叫び声が聞こえてきた。職員はその声を合図に窓から身を乗りだし、ドアから飛び出してくる。アニマルガールたちもわくわくした表情で空を眺めている。

 あたりが急にざわつき出し、歓声とシャッター音がそこかしこで響いていた。


 そして、私も、空を見上げてしまった。


 その青白い物体は虹色の閃光を放ちながら、彗星のような煌きを帯びてパークの空を駆け巡っている。その姿は月の光に照らされて影になっていたが、ぴんと立った耳と尻尾ははっきりと見えた。


「本当に…いたのか……」 


 驚きの中で立ちつくす私。いつのまにかミライも私の前で同じ空を見ていた。

だが、その物体はぴたりと、私の視線の中央で静止した。


「なんだなんだ?急に止まったぞ!」

「シャッターチャンスね!」


 周りもその変化に気づき、動揺が走っていた。


「……こっちに……来ている?」


 月の光を背に、その物体はだんだんと大きくなっていく、そのシルエットもはっきりと写ってきた。青い体にふさふさの毛、大きな縞々の尻尾、胴体に直接付いている足、そして無機質な緑色の2つの目……

 そして、私の目の前の地面に、音も無くそれは降り立った。


 「…………」


 私もミライも、そしてすべての人も、アニマルガールでさえも、一言も言葉を発しなかった。風の音だけが響くなか、私とそれとは見つめ合う。


 これは何だ、私に何を伝えようとしているんだ?

 その瞬間、それの瞳から帯状のビームが私の瞳を撫でた。右のはじから左のはじまで。


 網膜スキャン。


 そして数秒ほど電子音が流れた後に。それはまさに機械の声でこう言った。


「カコハカセ ニンショウカンリョウ ハジメマシテ ボクハ “ラッキービースト”ダヨ」


 私の名前を知っている!そしてラッキービーストという名前、今のパークの噂の呼称と一致している。これはやはり手の込んだ悪戯なのか?それとも……

 私の動揺と思考をよそに、言葉は続いた。


「キミハ ナニガ ミタイ?」


 何が見たい……か。


 面白い、軽率な悪戯だったとしても。このへんてこなロボットに最後の希望をぶつけるのもいいだろう。

 どうせ最後だ。 

 私は深呼吸をすると、その目を見据えて言い放つ。


「人類の行く末と希望を、見せてくれ」


 数秒、しかし永遠とも感じられる静寂が流れた、期待と失望が重なり合い、その間に挟まれたまま、私は息をすることもできない緊張の中で、答えを待った。


「……ワカッタヨ」


 息を呑む。


 瞬間、カチッという軽い音とともに、そのロボットに巻かれていたベルトが解除される、コトンと音がして落ちたそれを、私は拾い上げた。


「……これは……サンドスターの結晶?いや、輝きが違う…?」


 その首輪の小瓶一杯の結晶を凝視して、私は頷いた。


「……奇跡は、幸運は……」


 あるのかもしれない。

 その一縷の光を、私は本能的に感じ取った。


「ミライ」


 私とラッキービーストとのやりとりを後ろから見ていた彼女に問いかける。


 「……どんなに苦難の道のりであっても、どんなに絶望的な可能性であっても、私の願いのために、戦ってくれるか?」

「はい!もちろんです!」


 ふふ……即答か……ならば。

 私はポケットから辞表を取り出すと、真っ二つに裂いて払い捨てた。


「……いいだろう!私も自らの願いのために戦おう。君たちのように」


 サンドスターが月の光を反射し、一瞬だけ輝いた。




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