第25話

 魂の研究とその利用に関する企業間条約第4部:死者の蘇生およびクローニングに関する条約第12条1項。『締結企業は、死後10年以上経過している個人や個体を蘇生またはクローニングする行為を禁止する』


 ***


 セドウィックとリガリオの激突が始まった時、リガリオの補佐役であるオーリブリーンは、何もしていなかったわけではない。彼女はどちらかと言えば非戦闘系、精霊顕現による陣地構築や既設ネットワークに頼らない通信環境の構築、ハッキングといった分野に長けたエレメンタリストであり、直接的な攻撃は不得手な方だったが、それでもひとつ奥義と言える精霊術を持っている。

 それが“電脳干渉の呪文”ブレインハックだ。精霊術と精霊電子技術の間の子で生まれたこの呪文は、火球を投げつけるなどといった古典的な攻撃呪文とは一線を画し、対象のインコムにハッキングをかけることでインコムを通して相手を撹乱するという、インコムの普及率が高まったからこそ普遍的に通用する新時代の呪文である。相手次第ではあるが、大抵の場合において決まれば一瞬で勝負を決着させることができる強力な呪文だ。

 だがこの呪文を成功させるに当たり、幾つかの難点が存在する。

 最も大きなひとつは、この呪文を行使するには対象のインコムと精霊電子ネットワーク的に繋がっていて、その上で対象の正確な位置特定を精霊任せにせず、術者が自前で可能な状態でなければならないということ。これはつまり、有効なネットワーク上で刻一刻と変化する対象のインコムのアドレスに対応するか、対象が直接見えていて、しかもそれなりに近い距離――対象との距離感が正確に把握できるぐらい――でなくてはならない。それが最低限の条件であり、要するに成功率を最も高めるには対象と肉体的に接触しているのが望ましいという、絶望的に有効射程が短い呪文であることを意味している。

 オーリブリーンは当然ながら『天網』が提供する一般ネットワークにおけるセドウィックのインコムアドレスなど知らないし、その変化に対応することもできないし、そもそも現在は両者共に一般ネットワークに接続していない。従って、精霊術および精霊電子ネットワークに関する知識を総動員し、セドウィックとの間に有効な経路を構築するところから始めなければならなかった。これに多大な時間を要していたのだ。

 しかしブレインハックなら、たとえ相手がエーテル使いと言えど一瞬以上の隙を作ることができるはずであり、挑戦する価値は大いにあった。

 セドウィックとリガリオの激突を巨大な金床の影から見守りながら、オーリブリーンは最後の詠唱を終え、セドウィックへのブレインハックに挑戦する。一瞬で、慎重に、全力で事を終えなければならないため、フルダイブを選択。一拍の後、彼女は己の魂と精神の全てをセドウィックのインコム内へと投写した。

 投写完了までの僅かな時間でオーリブリーンは考えをまとめる。後は気付かれないように、インコム側からセドウィックを撹乱すればよい。セドウィックは見るからに重オーグ装着者ではないのでインコム側から意のままに動かすほどのことはできないが、オーリブリーンの見立てが正しければ筋強化を始めとしたいくつかのオーグは入れているはずで、そこから動きを鈍らせることはできる。そうでなくとも、インコムを入れている以上は視覚と繋がっているはずなので、そこを弄れば戦闘力の大幅な低下が期待できる。

 気付かれたら最後、“願われて”対処されるので、慎重に事を成さなければならない。そういう意味ではガロクをハッキングできれば一番良かったのだが、オーリブリーンにとって信じがたいことにガロクはオーグどころかインコムさえ導入していなかった。これではそもそも術の対象外だ。これだからオーガは、と彼女は一抹の苛立ちを感じながら――


 へ降り立った。


「――?」

 オーリブリーンが一拍の浮遊感から復帰すると、そこは一面の森の中だった。一瞬、白昼夢でも見ているのかと彼女は訝しんだが、感覚的にブレインハックは最初の関門を突破――セドウィックのインコム内へと侵入を果たせていることを確信する。

 ならば、この森はあの男のインコム内の内装デコレーションか、とオーリブリーンは訝しみながらもそう結論づけた。そしてフルダイブ中の体感時間加速をいいことに、ゆっくりとその森を見回す。見事としか言いようがない原生林で、これほどの森はもはや現実にはどこにも存在しないと確信できるほどだった。

 敵ながらいい趣味をしている、とオーリブリーンは森林鑑賞をしつつも、また訝しむ。インコム内のシステムに接触アクセスするためのコンソールの類が見当たらないのだ。そして、この森も際限なく広がっているかのように見える。仮にそうだとしたら――趣味の良さは認めるが――いくらなんでもインコム内の容量の無駄遣いだ。

「人間のやることは、分かりませんね」

 独り言ちて、オーリブリーンは直感的に、こっちだ、と決めて歩き始めた。とにかく適当に歩いていけば、何かが見つかるだろう。いかに大容量のインコムであっても無限ではない。そう――急いで飛んで行くほどではないはずだ、と、思わず軽くなってしまう足と、きょろきょろと見回したくなる視線を抑えながら。

 そして、を見つけたのは、程なくであった。

「――ん?」

 は、木々の隙間、抜けるような青い空の向こう。少し離れたところに見えている、ひときわ背の高い樹。

 やたらと目立つ高さのをしばし見つめて、コンソールはあれか、とオーリブリーンは当たりをつける。この広大な森が、コンソールを隠すためのものではないかと訝しみ始めていた彼女は、いかにもなを見つけて、本当に人間のやることはわからない、と独り言ち、その背の高い樹をしばし見つめて、少しばかり距離感がいい加減になっていることに気付き、もっと大きいか? と思い直して――

「――まさ、か」

 あることに思い至って、ぶわ、と鳥肌とともに汗が浮かんだ――そのような感覚に襲われた。

 この直感が事実ならば――この男と戦ってはならない。

 そう思い至ったオーリブリーンは、すぐさま脳内で離脱ログアウトコマンドに指をかけ、

「――ねえ、あなた、何をしてるの?」

 背後から唐突に聞こえた声に、振り向いた。

 そこにいたのは、身長60ほどの、虫のような翅を生やした小人――妖精。

 緑の髪をした妖精は、花を摘んだバスケットを抱え、無垢な表情でオーリブリーンに問いかけてきた。

「ここじゃ見ない人だね。どうしたの? どこから来たの?」

 純粋な疑問符を表情にして問いかけてくる妖精の姿に、オーリブリーンが答えられずにいると、

「セナー、何してるのー?」

 別の声が聞こえ、木陰からひょいと別の妖精が姿を見せた。

「あ、うん、人がいたの」

「ホントだ。あなた誰? どこから来たの?」

 身長30ほど、光が具現化したような翅を生やした金髪の妖精はゆっくり羽ばたいて寄ってきて、揃ってオーリブリーンに問う。

「え、いえ、私は……」

 オーリブリーンが先程の直感に思考力を奪われ、答えに詰まっている間に――「どうしたの?」「ああ、人がいたのよ人が」「ほんとだ」「ほんとだー」「あれ?」「本当だね、なんでここに?」「誰だろ」「誰?」「さあ」「誰だろうね?」「分かる子、いる?」「いないー?」――続々と、妖精たちがどこからともなく集まってくる。

 オーリブリーンの思考は、先程の嫌な直感と、唐突な出来事に混乱し、認めたくない直感が正しいことを意識の外で押し固める。

 なぜ、たかが一人の男の脳内に、このような森があるのか。

 なぜ、これほどの数の妖精がいるのか。

 なぜ、あれほどに巨大な――恐ろしく遠くからでもはっきり見える巨木があるのか。

「え、あ、な……」

 まともに言葉が継げない、青い顔のオーリブリーンを前に、

「わかった!」

 一人の妖精が声を上げ、続けた。

「――侵入者だ!」

 瞬間、その場の妖精たちの表情、宝石のような目に、仄暗い炎が灯った。

「侵入者?」「侵入者?」「侵入者……」「侵入者だ」「侵入者だ」「敵?」「敵」「敵だ」「敵だ」「敵だ!」

「っ――!?」

 声はどこか無邪気で楽しげなまま、オーリブリーンの立場が決定した。

 オーリブリーンは脳内で慌ててログアウトを実行する。2重確認の後に、カウントダウンが始まり、

『予期せぬ不明な原因により、ログアウトは中断されました』

 唐突に終わった。

「逃がさないよ」「逃げちゃ駄目」「逃がさない」「敵は逃がさない」

 オーリブリーンをぐるり取り囲む、50人は下らない妖精たちが、声を上げる。

「どうする?」「どうしようか」「前は殺したっけ?」「殺したよ」「じゃあ殺そう」「殺そう殺そう」「私、八つ裂きにするのがいいと思うな」「あんたいつもそれね」「女の人みたいだし、普通に股裂きでよくない?」「火炙りは?」「今度は水責めがいいんじゃない?」「もっと長く遊びたいな」「なら生き埋めとか」「皆で順番に千切っていくとか」「それいいね」「そうする?」「そうしようか」

 当人を蚊帳の外に、オーリブリーンの処遇が――使が無邪気な声で残酷に決められていく。

「わ、わたしが、なにを」

 震える声でオーリブリーンが言うと、妖精たちは一斉に言った。

「あなたはここに何をしに来たの?」

 それにオーリブリーンが詰まると、妖精たちはやはり一斉に言った。

「私達のセドに何かをするつもりなら、絶対に許さない」

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