第12話

 ウィザーズクレスト講和条約の要約:『この条約はエーテル戦争を完全かつ最終的に解決するためのものである。よって、この条約を締約する全ての種族と国家および企業との間におけるエーテルを起因とする戦争状態は、この条約が効力を発揮するその日に終結する。また、それぞれの種族および国家は、その種族長や国王などの代表者がそれを望まない場合を除き、基本的な権利の全てを回復する。この条約により終結した戦争状態において発生した全ての事象について、それぞれの種族および国家はその責任を負わない。これに伴い、全てのものが互いへの権利、権原および請求権を放棄する』


 ***


「ミーシャ、どうだ?」

「大丈夫ですよ。見渡す限り、生命、不死、どちらの気配もなし」

 言いながら、ミーシャは背負った大きな鞄を窮屈そうにしつつも、その蒼色と銀色の眼差しで注意深く荒野を眺める。

 GFIサウスロック周辺に限ったことではないが、都市区域外アウターは、その殆どが見渡す限りの茶色の荒野だ。植物は僅かに枯れ木と枯れ草が点在する程度で、あとは風雨に曝されて形成された小さな丘や谷、雨が流れる川がある程度。

 それをミーシャは、精霊術の才能があれば――エルフであれば誰でも有している“精霊眼”センス・スピリットで見る。精霊の気配である精霊力を独特の色で見ることができるその目に、生命の精霊の象徴たる白色、および不死の精霊の象徴たる黄土色は見ることができなかった。

「よし――なら、降りていいぞ。多分、この辺りだ。ミーシャ、“天候防御の呪文”プロテクション・ウェザーを頼む」

「はぁい」

 セドウィックは合図を出し、ミーシャ、シャルベルをトラックから降りさせる。ガロクは荷台から立ち上がると、ゆっくりとその巨体を地面に踏み降ろした。トラックが軋んで揺れる。

 続いてミーシャが精霊に『お願い』をして、精霊術を行使する。4人の身体は薄く白い膜のような力場に包まれ、雨風はそれに従って自発的に4人の身体を避け始めた。

「さて、隠れてる奴がいなきゃいいが」

「外は水の精霊が濃厚すぎてよく見えないこともあるんですよねえ。まあ、ガロクさんが撃たれなかったから、大丈夫な気はしますけど」

「そうとは言い切れないからな。俺なら、ガロクのようなオーガに遠距離から無駄弾は撃たない」

「でもそれって、知ってたら、ですよね?」

「つまり、そういう相手の可能性が高いってことだ」

 ああ、と面倒臭そうに言うミーシャを横に、セドウィックは白い息を吐きながら辺りを見回す。

 荒野に延々と伸びる高架のハイウェイは、雨霧の向こう、はるか彼方に居するGFIサウスロック市の全高約50メートルの堅牢な市外壁へ続いている。雨霧の中で爛々と輝く高層ビルと、都市の中央で天に届いて雨雲の向こうへと突き抜けているセントラル・アーコロジータワーをしばし眺めて、セドウィックは正面に視線を戻した。

「シャルベル、センサーではどうだ?」

「少しお待ち下さいな。 ――地面の下にそれらしい空洞がありますわね、入口は……正面方向、谷の中ですわ」

「そこかもな。見張りがいないとも限らない。慎重に行くぞ。ガロク、前を頼む」

「いいだろう」

 一行はガロクを先頭に、ハイウェイを外れた谷の中へと向かう。

 深い爪痕のような谷の入口を雨水の流れとともに下っていくと、湾曲した崖の下、雨水でできあがった池の畔に。その周囲をぐるりと迂回して更に下る。谷底にはいくつもの雨水の川が合流する大河があり、先程の池からも溢れ出した水が小さな滝になって大河へと注ぎ落ちていた。

 そのごうごうと流れる大河の横、雨水が流れ落ちる小さな滝の麓。露出している岩肌の隙間にそれはぽっかりと暗い穴を開けていた。

「ありましたわ、あの洞窟ですわね」

 警戒しながら一行は近付く。ぐるりぐるりと周囲を何度も見回して精霊力の変化を観察するミーシャを庇いながら、セドウィックは洞窟の入口をゆっくりと観察する。

「ガロクが入る分に支障はないか?」

「問題ない。道中がどうなっているかにもよるが」

「まあ、ある程度は私が精霊にお願いしますよ。風の精霊の気配があるので、空気は問題なさそうです。不死の精霊も見えませんし、珍しく――」

「――いや」

 ミーシャの声を遮って、セドウィックは洞窟の入口、腰辺りの高さの壁面についている溝をそっとなぞった。狭い間隔で、ほぼ平行に三条。

「爪痕がある」

「うえー……」

「諦めろ、野外の洞窟とくればつきものだ。対人弾を装填しとけ。ミーシャは灯りとは別に“光精霊召喚の呪文”サモン・ライトスピリットの準備を」

「はーい」

「畏まりましたわ」

 全員の準備を待って、一行は洞窟内へと入る。

 一列になって進む他ない――お世辞にもそう広いとは言えない、おそらくは雨水の浸食でできあがったのだろう穴。頭が天井にこすりそうなガロクは、ところどころで突き出している鍾乳石を遠慮なく手で折りながら進んでいく。

 しばし進んだところで、シャルベルが楽しそうに言った。

「この先、開けておりますわね。まるでホールのよう」

「……ガロクが動くには?」

「十分そうですわね」

「ならいい。ガロク、シャルベル、前に出て片付けてくれ。ミーシャは俺の側を離れるなよ」

 2人の了解の声を聞いて更に進む一行が照らすライトの先、開けた空間が見えてくる。既に遠い滝の音とお互いの呼吸の音だけが響く中、くい、とセドウィックはハンドサインを出した。ガロクが腰の後ろからショートソードをそれぞれの手で引き抜く。屈んだセドウィックの肩の上を、ぐっ、と最後尾のシャルベルが踏み越した。頭上をフリルがふんだんなスカートが翻っていく。

「この先、黄土色で何も見えないんですけど……」

「センス・スピリットは切っとけ」

 2人のやり取りを後ろに、2人が前に出る。ガロクは2本のショートソードを構えながら、シャルベルは無手で悠然とその後ろを、連れ立って広間に入っていく。


 ――瞬間、四方八方から跳び掛かるものがあった。

 闇が人の形をとり襲いかかってきたかのようなそれを、ガロクは十分以上に引きつけ、「――ふっ!」斬り上げ一閃。顎から頭を両断し、返す刃で別の腕を切り落とし、その勢いを殺さずにその身体を旋回。「あはっ!」華奢な足の回し蹴りで2体の頭を瓜のように叩き割ったシャルベルは、旋回してくるガロクの腕を鉄棒のように取り、その勢いに乗せて更に踵で別の頭を割る。ガロクが旋回の勢いで薙いだ数体の内、まだその勢いを保つ一体の頭に掌を合わせ、鋭い打撃音と共に粉砕する。

 第一波を凌いだ2人の視界に、光が追いつく。照らされたのは、低く四つん這いで身構える肉色の人型。剥き出しの筋肉は醜く隆起し、にじみ出るてらりとした独特の臭気を持つ体液に濡れ、退化して潰れた目が、見えてもいないのにガロクとシャルベルを捉えている。唇のない乱杭歯から、太い針のような舌が這っているのが見えた。汚れたままの鋭く長く伸びた爪が、石の地面に擦れて独特の音を立てながら削る。

 ミュータントの中のミュータントにして、死してなお動き回り肉を求めるアンデッド、死食鬼グールである。

「――やるぞ」

「畏まりましてよ、ウォーチーフ」

 ガロクは睨み、シャルベルは笑って、胸元に指で聖印を切った。

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