第4話

 GFI都市治安維持法:PIN管理に関する規則の第3条1項。『国際PIN(Personal Identify Number)法第3部第3条1項に基づき、何人も、PINに記載されている一切の情報を改ざんする行為を禁止する』


 ***


「――ちょっと待って下さい。本気で言っているんですか、それは」

 ミーシャ=オルコン=グレーンリブールは、エルフの誇りの象徴たる長耳をぴんと立てながら、怒気を隠さずにスマートフォンに向けて言った。

氏族の名グレーンリブールにかけて、本気だ」

 対するミーシャの上司、メレリクはノイズ混じりの通話越しにきっぱりと言い切る。

「う…… しかしですね、社長」

 ミーシャは自室でベッドに寝転がって揚げじゃがいものスナック菓子を指で摘みながら食い下がる。

「正気とは思えません。あの“妖精喰らい”フェアリーイーターですよ? 仮に実在するとしても、私じゃとても」

「私はそうは思わん。君にはそれだけの実力があるはずだ」

「何を根拠にそんな」

「部下の能力を把握できていないとでも? PIN個人証明番号はともかく、私の目まで誤魔化せると思っているなら、だいぶ甘く見られたものだ」

「……そんなことは。第一、PINの偽装は違法で、重罪です」

「ああ、そうだな。分かりきったことだ」

 しれっと言い切るメレリクに、ミーシャはスナック菓子を指先でぱきっと割る。

「ていうか、こういうのの調査は私の専門外です。私が知ってることなんて噂レベルですよ? お忘れになりました? 私の専門はヒューマンおよびドワーフ・コーポのスキャンダルです。この手に詳しいのはブレッドさんでしょう?」

「奴はダメだ」

「どうして」

「先日、病院に担ぎ込まれた。雷の精霊を仕込んだ致死性攻性防壁ブラック・アイスを踏んでな。奴が調査していたデータも根こそぎ消されたようで、どこを調べていたのかさえ分からん状態だ」

「うげ……」

「――ともかく、我らがグレーンリブール・リポート社の存続がかかっている。君にしか頼めん、ミーシャ」

「……ぐ、ボーナス、弾んでくださいよ?」

「無論だ。よろしく頼むぞ」

 通話が切れると、はあぁぁぁ、と尾を引く溜息をミーシャは漏らした。

 しばらく、ぽりぽり、とスナック菓子を貪る音を部屋に響かせてから、どっこいしょ、と声をかけてミーシャは立ち上がった。均整の取れた美しい身体、透き通るような肌色の上を、金糸のような髪が流れる。

「どーしたもんですかねー……」

 いつものようにざあざあと雨が降る窓の外を眺めて言いながら、はぁ、とひとつ溜息を漏らすと、彼女は一糸まとわぬ姿でそう広くはないワンルームを横切り、浴室へ。熱いシャワーを浴びながら、視界に二重写しになるインコムの窓に、お気に入りのアーコロジー・パークの緑豊かな映像を流して一服する。

 人工の庭園はなにもかもが画一的で美しさは損なわれているが、調和性は高く、ミーシャは嫌いではなかった。その近隣に住んでいた幼少期の頃に思いを馳せながら、何をするでもなく、熱い湯の雨に身体を委ねる。

 ややあって、ミーシャは微睡みつつあった瞳に意志を取り戻すと、アーコロジーの緑を視界から消して、代わりにアドレス帳を呼び出した。約1千の名前が並ぶリストをスライドさせ、ミーシャは一考。

「やっぱり、妖精に詳しい人に聞くのが一番早いですかね」

 “妖精喰らい”だし、と呟きながらミーシャは3つの名前を検索にかけ、並べる。ひとつ深呼吸をしてから、上から順番に通話をかけることにした。

 最初の相手は、オズマン=レント=ヴァジュブルーノ。アドレス帳の備考欄には『イマジナリ・ドリーム社広報課長・エルフ・陰険』と書かれている。

 しかしながら彼が通話に答えることはなかった。掛けてすぐに「この相手は風の精霊が届かない場所にいます」と自動音声が返ってくる。

「む。 ――次」

 次の相手は、ビゼルノ=ブレスゴー。備考欄には『ブレスゴー製薬技術部長・ヒューマン・童貞』。

「――こんにちは、ミーシャさんですか?」

「はい、お久しぶりです、ビゼルノ様。お忙しいところを失礼します。その節はお世話になりました」

 口調を丁寧に、声色をやや高めに変えて、姿の見えないビゼルノにミーシャは浴室の中で軽く一礼する。

「いえいえ、僕の話がお役に立ったなら幸いです」

「はい、とても。厚かましい話ですが、今日はまたお話をお聞かせ願えないかと思いまして」

「そうでしたか。何のお話でしょう」

「かの“妖精喰らい”について、何かご存知ではないかと」

「ああ――そうですね、僕が知っていることで良ければ」

「お願いします――といっても、通話越しというのもなんですし、以前のようにVRでお会いしますか?」

「いいですね! その、是非」

「ふふ、分かりました。それでは都合の良いお時間があれば」

「ミーシャさんさえ良ければ、今からでも行けますが」

「ありがとうございます。それでは10分後に、以前と同じカフェで」

「わかりました、それでは後ほど!」

 通話を終えては、ミーシャは浴室から上がり、身体を適当に拭いては、何も身に着けないまま部屋に戻る。そして部屋の奥に横たわる円柱状の完全没入用フルダイブVRカプセルの中へ入り、VRヘルメットを被ると、静かに目を閉じ、脳内でスイッチを押した。

 薄青色の感覚遮断液アイソレーターがカプセル内を満たしていくのを僅かに感じながら、ミーシャは精霊電子ネットワーク上に構築されたVR空間に没入していく。


 ***


『世界にあまねく介在する精霊と、現実世界と表裏一体で存在する精霊界を使って、世界の端から端まで高速で情報をやり取りすることはできないだろうか――?』

 世界戦争時代、そう考えたエルフの精霊使いのある氏族によって、風を媒介に遠く離れた場所へ声を届ける“囁きの風の呪文”ウィンド・ウィスパーを応用し編み出された世界呪文がWhisperd-World's-Winds、略称「WWW」。伝えたい情報を精霊経由で精霊界にバイパスすることによって、現実世界での時間と空間に縛られることなく、一瞬で情報を送信することができる精霊魔法。

 世界戦争の終結後、同氏族はこれを使って世界のメディアを掌握することを目論み、当時開発されたばかりのコンピューターにこれを組み込んで、精霊語を元にした機械言語や通信プロトコル、精霊界を切り取ってサーバーとして使う技術を確立した。その過程でWWWは更なる発展を遂げ、精神を精霊界に投写する“精霊転換の呪文”エレメンタル・シフトの応用により、高性能なVR技術が誕生。最後にそれらを牛耳るための総合的なシステムとサービスを備えた超性能サーバー『天網』が作られた。

 そうして精霊電子ネットワークと呼ばれるものが生まれ、現在では人々の生活になくてはならないものとなっている。


 ***


 華やかな中世風の街、その一角にあるカフェテリアの前にミーシャは着飾ったドレス姿で降り立った。

 穏やかな暖かい風が吹いており、空は快晴。冬の初めのような寒い風も、曇天から降り注ぐ酸性雨も、この精霊電子世界『カフェ・グランドスプリング』には存在しない。

「お待たせしました、ミーシャさん」

 先程も聞いた若々しい声にミーシャが振り返ると、そこにビゼルノがいた。スーツ姿できっちり決めて、好青年のビジネスマンといった風体で立っていた。

「いえ、今来たところですから」

「そうでしたか。いや、今日もお綺麗で」

「ふふ、お上手ですね。お世辞でも嬉しいです」

「そ、そんなことは――とにかく、入りましょうか」

 カフェテリアの開いているテーブルにつくと、すぐさまウェイトレスがやってきて注文を取る。そして注文すれば、ウェイトレスはその場で出来立てのコーヒーを何もないテーブルの上に作り出し、2人に提供する。

 ミーシャとビゼルノはそれを一口味わう。現実世界では相応の場所でなければ味わえない、天然物の芳醇な苦味ある味わいがあった。

「――それで、ええと、“妖精喰らい”でしたっけ」

「はい。彼または彼女について、ビゼルノさんならお詳しそうだったので」

「ええ、まあ。自慢ではありませんが」

 僅かに頬を染めて言いつつ、ビゼルノは手元に書類の束を出現させ、それをテーブルの上に差し出した。

「これは?」

「一般に“妖精喰らい”が関わった、もしくは起こしたとされる事件の一覧と、そこから予想されるプロフィールです。あ、触ってもらっても大丈夫ですよ」

「それでは、失礼します」

 ミーシャは軽く身を乗り出し、胸元を覗かせながら書類を指先で触れた。ビゼルノの舐めるような視線を感じつつ、脳内に流れてくるデータを精査する。出所不明の噂レベルのものから、実際にそれらしい姿を見たというものまで、相当な量だった。

「凄い量ですね。これは、どこから?」

「え、あ、ああ、ソースはネット上で――その、ヌルセクのハッカーコミュニティに、“妖精喰らい”についてのスレッドがあるんです。ほとんどは、そこから」

「なるほど」

 データの中身をまとめると、こうだ。

 “妖精喰らい”は物理的にも電子的に高レベルの伝説的な破壊魔ハック&スラッシャーであり、その関心は妖精が関わるものに向けられている。彼もしくは彼女にかかればほとんどのセキュリティは存在しないものであるかのように突破され、妖精が関わる重要なデータは奪取、もしくは破壊される。その正体は不明で、実名、性別、年齢、種族、PIN番号、おおよその居住地、交渉窓口など一切が分かっていない。精霊とも仲が良いらしく、初期型精霊語プロトコルに非常に堪能であるらしいことから、遥か昔から生き残っている“魔法使い”ソーサラーの1人ではないか、と考察する意見もある。

 関わったとされる事件として、近年だけでもミセス・フローライト事件、セレスティアル・ホール事件、妖精酒密造事件、フェアリーガーデン事件、アンバー711事件、グローリー・ホール事件、フェアリークラブ事件、タイプ・オンスロート事件、ワールドツリー・ギルド事件などがある。

 ほとんどはミーシャも知っていることだが、いくつか興味深い名前が散見された。

「――ふう、一気に見るのは、なかなか大変ですね」

「でしょう?」

 頭が疲れたフリをして額を押さえるミーシャに、ビゼルノは苦笑する。

「でも、“妖精喰らい”は本当に凄いです。彼の伝説には事欠きません。例えばこのミセス・フローライト事件では、アズールライト社のリアル・ネット双方で厳戒態勢の中をノー・アラートですり抜けたと言われていて――」

 時折、スラングや専門用語を交えながら熱弁するビゼルノの言葉を、なるほど、と相槌を打ちながら、ミーシャはインコムのアドレス帳に残った最後の名前に視線を滑らせた。

 セドウィック=マーリンズ。備考欄には『エセ冒険者・ヒューマン(?)・レムちゃん』。

 セドウィックからのメールの着信があったのは、その直後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る