第5話

 GFI都市治安維持法:オーグメントの取り扱いに関する規則の第9条1項。『GFI軍部またはGFIセキュリティ部マインカート・フォース課に属さないものが、オーグメントに関する企業間条約第3部の軍用オーグメントに関する条約第2条3項に基づいて軍用と認められるオーグメントを起動することを禁じる』


 ***


 やはり世界を支配するのは暴力でなくてはいけないと、シャルベルはそう思う。

「クソ、あのメスガキ、どこ行った!?」

「まだ遠くには行ってねえ、探せ!」

 雨音に混じって聞こえてくるストリートギャングたちの怒声に思わず笑ってしまいそうになりつつ、シャルベルはその小さな両手をコンクリートの壁にぴったりと張り付かせる。左掌に内蔵したスマートセンサーは、電磁波や音、熱といった精霊の動きを総合し、シャルベルの視界に壁向こうの透視映像という形で表示する。

 壁を挟んでシャルベルの正面を横切ろうとする人間のシルエットが、2つ。

「――あはっ」

 シャルベルは小さな唇を歪ませて笑い、右掌に内蔵したGFI製指向性衝撃波発生オーグメント『フォージング・ストライク』を最小範囲、高出力で起動した。きゅいん、という金属を穿孔するような独特の鋭い音の直後、ハンマーで金床を鋭く打つような甲高い打撃音が、スラムにほど近い裏路地の雨音の中に響き渡った。

「あのメスガキ、捕まえたら――」

 シャルベルを追いかけて雨の中を走ってきたストリートギャングの片方は、怒りと欲望にまみれたその声を、飛んできたコンクリート片で中断させられた。彼の側頭部にめり込んだ破片は、彼の頭蓋骨と脳を致命的なまでに破壊した。

「あははっ!」

「なっ――テメエ!」

 コンクリート壁の向こうから笑い声とともに顔を出したシャルベルを、もう片方のストリートギャングがその手のハンマー・ハンドガンで狙う。狙いは正確ですぐさま発砲されたが、シャルベルが頭を引っ込める方が早かった。壁の向こうのシャルベルの移動予測に合わせて狙いを動かしながら立て続けに3発が放たれたが、装填されていたコボルド鉛の対人弾はコンクリートを貫通することなくひしゃげた。

「ちっ! ――いたぞ、こっちだ!」

「あはははははっ!」

「待て、この、クソガキ!」

「嫌ですわ、お兄さんたち怖いですもの!」

 物陰から飛び出し、シャルベルは雨の中、ツインテールの長い黒髪と、白黒調のフリルがふんだんについた短いミニスカートの裾を翻しながら走る。翼を模した入れ墨のある白い肌が露わな背中をストリートギャングたちに向けて。当然のように、彼らはシャルベルを追いかけながらそれを狙って撃った。

 シャルベルは視界の端に二重写しになる自身のバイタルステータスの横、自身の後方を表示する映像に赤い線で示される弾道予測を確認し、無理矢理な機動から足首を捻らせて跳んだ。転んで受け身を取ったようにも見えるその動きは、生身の人間なら確実に筋を痛めるものだったが、彼女のバイタルステータスに示される身体損傷度は5%も上がらなかった。

「クソ、当たらねえ!」

 ストリートギャングたちは苛立つ。闇雲に撃っているわけではない。一般人や敵対するストリートギャングを殺して奪い溜めたクレジットを使って闇医者に入れてもらったインコムと、そこに導入した視界同期型運動予測照準器、いわゆるスマートリンクのお陰で、雨が降る暗い路地裏であってもその命中率は至極高い。

「おい、あのガキなんかヤバいぜ、逃げたほうが」

「あそこまでコケにされて逃げられるか馬鹿!」

 シャルベルとストリートギャングたちの距離は30メートルもない。何かあれば捕まえられる距離だ。しかしギャングたちは、その距離が一向に縮まっていないことに薄らとしか気付いていない。

 シャルベルがギャングたちを振り向き、笑みを浮かべながら余裕を持って角を曲がる。ギャングたちも遅れて曲がり角に殺到し、彼女の姿を見失うまいとする。

 しかし、彼女の姿は室外機とゴミ箱が並ぶ路地にはなかった。

「いねえぞ!」

「また消えた、何処行った!?」

「――あっ」

 4人のストリートギャングの内、1人が上を見上げ、間抜けな声を上げた。

 そびえ立つ高いビルディングの隙間、黒い煙のような雨雲をバックに黒いシルエット。

 それがシャルベルだと気付くより早く、彼女は4人の只中へ、ずん、とその小さな細身から立てるべきではない地響きと共に降り立った。

「あはっ」

 シャルベルの笑い声が、この世でギャングたちの聞いた最後の音になった。

 GFI製軍用対人皮下オーグメント「フレアティック・エクスプロード」が起動する。翻るミニスカートの下、白い太腿に無数の小型の穴が開く。そこから彼女の姿勢に合わせて撃ち出された超小型の指向性爆薬が、彼女の周囲だけを吹き飛ばした。


 ***


「“いずこにまします我らが神よ……”」

 シャルベルはお決まりの聖句とともに印を切り、死体となったストリートギャングたちを並べ、祈りの力を行使する。これで彼らが動死体や怨霊となることはない。

 かつては神聖なる力の発現とともに、偉大なる声があった。しかし、今はもう聞こえない。世界戦争で世界樹が枯れ果てた日を境に、声だけが聞こえなくなったという。

「ふふっ」

 シャルベルは自然、こみ上げてくる笑いを漏らしつつ、死体の解体作業に入る。目的は彼らのインコムを始めとしたオーグメントだ。生身の部分は下水に捨てていく。このようなストリートギャングたちの生の臓器は薬物――麻薬を始めとした有害物質で汚染されており、何より健康状態が悪い。大した値では売れず、手間なだけだ。

「あは」

 脳と頭蓋骨を砕いてインコムの部品を取り出し、筋肉を割いて強化繊維を抜き取る。肉が溢れ、臓物が跳ね、血が飛び出す。シャルベルは慣れた手つきで、オーグメントを引き剥がしていく。その表情は恍惚としたものだ。

 ――と、不意にそんな彼女の視界に、インスタント・メッセージの着信を知らせるアイコンが灯った。送信者はセドウィック=マーリンズ。

『シャル、今大丈夫か?』

『あら、先生。ええ、勿論のこと、問題ありませんわ。先生とならわたくし、いつでもお話しできますもの』

 解体の手を止めずにシャルベルは脳内でメッセージを綴り、返信する。

『ありがとよ。また解体中か?』

『お分かりになります?』

『まあな。神聖教会の神官が路地裏でスプラッタとは、毎度ながら世も末だ』

『いいではありませんの。きっと神もお認めになっていますわ。“鎮魂の聖句”レクイエムも済ませましたし』

『危険なことは程々にな』

『あら、今日の用件は先生の言う“危険なこと”ではございませんの?』

『そいつは、俺の目が届く範囲ならまだフォローできるってことでひとつ』

『そういう先生が大好きですわ、わたくし』

『勘弁してくれ。仕事をひとつと、スケジュールの予約を頼みたい』

『畏まりました。いつでも大丈夫ですわよ』

『せめて内容ぐらいは聞いてからにしてくれ。イマジナリ・ドリームという会社を知っているか?』

『名前だけは何だったかで見たことがありますわ。確か、このGFIサウスロックにあるVR系の会社ですわよね?』

『そうだ。そいつのここ1ヶ月の搬出入のログを手に入れて欲しい。そう大きい会社じゃないから、難しくはないはずだ。こっちで分かっている分の資料を送る』

 メッセージの受信とほぼ同時に、データファイルの受信を知らせるアイコンが灯る。届いた内容を一瞥して、なるほど、とシャルベルは頷いた。

『すぐ済ませますわ。今日いっぱいと明日の、そうですわね、20時ぐらいまでお時間を頂けます?』

『頼む。報酬は適額出す。スケジュール予約は、そいつの報告を聞いた時に改めて。明日22時、雨雲亭で』

『はぁい。愛しておりますわ、先生』

 返事はなかった。

「ふふふ、もう、先生ったら」

 上機嫌に笑って、ほぼ同時にオーグメントの抽出も終えたシャルベルは、血まみれのそれらを無造作に革袋の中に放り込んで、神聖語による歌を口ずさみながら廃ビルの駐車場から歩き出した。

「“我らが神の声は聞こえない。しかし御業はお示しになられる。我らが神は我々を見放してはいない。ただ試練を課しているだけ――”」

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