第16話
ITビジネス雑誌「精霊電子の風」:セレスティアル・ネットワーク社CEOライネル・フォンゼイン・ツリートップ氏の寄稿から抜粋。『フルダイブという方式は、もはや一般的なものになってしまった。現実の60倍という速度を求め、あるいはハーフダイブに倍差を付けて勝利するために、ビジネスからエンターテイメントまであらゆる分野で使用されている。だが覚えておくべきだ。その力には、覚悟が求められるということを』
***
「接続に成功。ハッキングを開始します」
データケーブルを介して、ミーシャの意識の半分はアールマディーロからカットラスのシステム内部へと移行する。
体感時間がぐっと引き伸ばされる感覚。リアルボディ側が肌に感じている空気がねっとりと粘性を帯びるかのような錯覚を感じながら、ミーシャの意識は一瞬の明滅の後、5メートル四方もない小さな部屋へと降り立つ。
ミーシャが知っている限り、精霊電子空間におけるカットラスのシステム内部は、金属のプレートを貼り合わせたような床に壁面。余計な装飾はなく、正面の壁際にコンピュータが一台。その横にデータキューブが格納されたストレージがひとつ。
降り立った部屋はおおよそ記憶の通りだった。奇妙なことがあるとすれば――部屋の壁面から、植物の蔦めいた何かがいくつも生えており、あまつさえうねうねと何かを探すように動いているということだろうか。
「うわあ」
思わず声を漏らし、これに何の意味があるのだろうと思いながらも、ミーシャは正面のコンピュータに取り付く。コンソールには一通りのキーボードやマウスといった一通りが揃っているが、これは飾りのようなもので、実際には触れて念じるだけで望みの操作を行うことができる。
ミーシャはローグドローンをハッキングした経験はあるものの、それはすべて機械的AIがローグ化したもので、その場合にシステムに起きていることと言えばAIの倫理部分を始めとした思考回路のバグぐらいもののだったが――
「うわ、なんですかこれ…… セキュリティからして別物になってるし」
そこにあったのは、カットラスの標準的なシステムとはまるで別物の何かだった。仮想モニタに表示されるグラフィカルなインターフェースは全体的に、不規則な動きをする植物が絡みついたような意味不明・意図不明のデザインになっており、言語は機械精霊語の片鱗はあるものの
幸いにも精霊電子体だから影響は少ないものの、リアルから端末越しではまともにハッキングすることさえできなかっただろう。ミーシャは安堵しつつも真剣な眼差しで身構え直し、電子的に繋がっているアールマディーロからいくつかのツールを呼び出して素早くセキュリティを破る。見た目の意味不明さには気押されたが、内容としてはまったく幼稚で、おそらくこれを組んだマザーとやらはそこまでセキュリティ面には精通していないようだった。あとはユーザー・インターフェースのなんたるかについても。
ミーシャはあっさりと管理者権限を奪取し、内部システムの混沌とした様相に困惑しつつも、ここのローグドローンたちが敵味方の識別に使っているらしきコードを入手。ついでに通信システムにも介入して、鳴き声めいた意味不明の通信を調べていく。
そんなミーシャの肩や脇腹を、いつの間にか壁面から伸びてきていた蔦のようなものがさわさわと撫でてきた。
「っ!?」
ミーシャは咄嗟に精霊術で蔦を破壊しようと試みかけたが、思いとどまる。いくら管理者権限を取得しているとはいえ、全容が把握できていないシステム内部で直接的な破壊行動を起こすのはクラッカーの初心者がやるようなミスだ。
とはいえ、蔦がミーシャの精霊電子体に触れてきたということは、システム内でこの蔦のような何かしらのプログラムがミーシャのデータを捜査しているということに他ならない。通常なら管理者権限でもってそれらしいシステム周りを停止させるところだが、こうシステム内の構造が滅茶苦茶では、この蔦のようなものがシステムのどの辺りに属するのか、そもそも停止させて問題はないのかがすぐには分からない。
仕方なく、ミーシャは
精霊力による干渉を跳ね除ける薄膜がミーシャの精霊電子体を覆うと、蔦は彼女に触ることができなくなった。しかし、まるでそのことに興味を示したかのように、蔦の動きが活発化する。
「落ち着け、落ち着け私……」
感触こそないものの、うぞうぞと呪文の防護膜一枚越しに全身を這い回る蔦と、高度な呪文の維持に精神力を削られつつ、ミーシャは通信部分の掌握を進める。
相変わらず何が何を示しているのか定かでないインターフェースの中で、精霊術と機械精霊語プログラムの知識を総動員してひとつひとつ念じながら手順をこなし、ミーシャはようやく、この信号の中枢にいる存在、ローグドローン・マザーの信号を捉え――
びきっ、というガラスが割れ軋むような音と共に、ミーシャのデータを保護していたプロテクション・エレメンタルが唐突に破られた。
「!」
瞬間的な判断で、ミーシャは
完了までのカウントダウンが脳内で進む中、そうはさせじと実体力をもって蔦がミーシャの四肢を拘束し始める。管理者権限はここまでされても何故か剥奪されることなく生きているが、システムのセキュリティとはまったく関係ない領域から、蔦を模したプログラムがミーシャのデータの移動を阻害している。
「く、のっ……! 畜生!」
壁から更に伸びてくる蔦と、脳内でのカウントダウンを比べ、ミーシャは決断した。
瞬間、ミーシャの精霊電子体がその動きを完全に止め、蔦がすり抜ける。
捕まえていた相手を唐突に失った蔦が不思議そうにうねる中、ミーシャの精霊電子体は一拍の後、ざぁ、と砂のように崩れ落ちて霧散した。
***
「――っ、はあっ」
びくんっ、とひとつ痙攣し、ミーシャは自身のリアルボディで大きく息を吐く。
「大丈夫か?」
「ええ、なんか捕まりそうになりましたけど…… 最低限やることはやりましたよ」
背中を支えるセドウィックにぎゅっと掴まりながら、ミーシャは報告する。
電子精霊体を放棄して逃げ出す方法はハーフダイブの特権だが、そのためには使った精神力をすべて捨てることになる。どっと溢れ出してくる脂汗に壮絶な疲労感を感じながらも、ミーシャはVRゴーグルのHUD越しにアールマディーロが捕まえているカットラスからケーブルを抜き、ハッキングの影響か、まるで呆けて呆然としているかのように動かないカットラスを解放する。後はアールマディーロを自動操縦に切り替えて撤収させるだけだ。
幸いにも、あるいは奇妙にもというべきか、蔦で捕まえられたことと、それを振り払った行為は敵対的な行為と見なされなかったらしく、踵を返して来た道を戻り始めるアールマディーロが攻撃される気配はなかった。
インコムが示す時刻を見れば、ハッキング開始から現実時間ではおよそ10秒。色々不手際はあったが、よくやった方だとミーシャは心の中で自賛する。
「取り敢えず識別コードは手に入りました。通信の方も解析しようと思ったんですが、ちょっと至らず……」
「いや、十分だ。良くやった」
「でしょう?」
汗を垂らしながらも笑みを浮かべるミーシャに、セドウィックは何とも言えない顔をしつつもその長耳を撫でた。
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