閑話1
***
「――成功だ!」
「やったぞ!」
「これで次期コンペは我々のものだ!」
培養槽のガラス越しに見た、そう口々に叫び喜ぶ畜生たちの姿を、私は一生忘れなることができないだろう――そう思っていた。
今は紆余曲折あって感謝している。この畜生たちがいなければ私は生まれず、そして彼に出会うこともなかっただろうから。
私には名前がない。
それどころかPINがない。つまり、この社会に認知されていない存在だということだ。
それを知ったのは研究所で生まれて3年が経ち、様々な実験と検査を経て、運用を開始するための教育が始まったからに他ならない。
一応、生まれて程なく「アリシア」という名前がついたPIN――生まれてすぐに研究員の親もろとも交通事故で亡くなったらしい女の子の――を受け取りはしたが、その名前で呼ばれたことはついに一度もなかった。
もっとも、その時の私は、それをなんとも思っていなかったが。
「CEO、そして役員の皆様、ご覧下さい。これが我がチームの最高傑作、CLX016です」
居並ぶお偉いさん方の前に裸で連れ出されそのように呼ばれたことも、今にして思えば忘れがたい記憶のひとつだ。
「ほう――これは、ミュータントだろう? だというのに、精霊が扱えるのか?」
「はい。しかし、CLX016の真価はそこではありません。 ――おい」
当時、何も知らなかった――いや、会社に従い、物のように扱われることこそ幸福なことであると学んでいた私は、言われ小突かれるがままに生まれ持った能力を披露した。
その時に周囲が見せた驚きの中に蔑視が混じっていたことは、そう遠くない内に理解できた。
私がミュータントであるということと、PINがないということの真の意味を理解するのと同時に。
私の仕事は、その能力に相応しく、常に誰かを裏切ることだった。
仕事に失敗はなかった。これは当たり前のことで、仕事を失敗する道具は会社に必要がなかったからだ。
だから私は幾度も仕事を成功させて、成功させて、成功させた。
褒められることもなく、ひたすらに、会社の繁栄のために。
――彼と出会ったのは、そんなある日。
私が初めて、仕事に失敗した日。
「――どうして、わかりましたか?」
近場にあった荷造り用の紐で適当に縛られて転がされた私は、彼にそう尋ねた。
ただひたすらに謎だった。私の能力を見破った相手は、今までに存在しなかった。
「どうしてって、なあ」
彼は私が持って逃げる予定だった鞄をその場で開けて中身を検分しながら、至極面倒臭そうに言った。
「強いて言うなら、あー、なんだ」
「なんでしょう」
「あー……」
彼はいつもそうするように、頭を掻いて、その見た目よりも遥かに老け込んでいそうな調子で。
「まあ、なんだ。お前はお前にできることをやればいいんじゃないか?」
などと、怪訝そうな顔で唐突に言い放ってきた。
「……ええと、それは、どうして、の答えになっていないと思うのですが」
「こっちにも色々あるんだよ。つーかおい、なんか足りねえぞ中身」
「存じません」
「マジかよ畜生」
言うなり彼はその場に座り込んで、黙りこくる。インコムで誰かに連絡を取っていたのだろう。こちらを見もしない彼に、当時はよくわからなかったもやもやとした感情が降り積もったのをよく覚えている。
しばしの後、彼は鞄を持たずして立ち上がった。そしてあろうことか、こちらの拘束をナイフで切り始めた。
「俺は引き上げる。お前もこれを持っていくなりなんなり好きにしろ」
「殺さないのですか」
「誰を」
「私をです」
言うと、彼はまた面倒くさそうな顔で、
「俺は子供を殺す気はない」
などと言ってきた。
彼が立ち去ったその後、私は鞄に何か仕込まれていないか確認の上で持ち帰り、それを所定の位置に届けた。仕事としては成功の扱いになった。
彼のことを報告すれば、失敗になっただろう。それは私が不良品として扱われることを意味していた。そして、処分されるだろうと。
そうなれば、何故彼に見破られたのかは、永遠に分からないままになってしまう。
だから私は、彼のことを報告しなかった。
“お前はお前にできることをやればいいんじゃないか?”
他の誰でもない私に投げかけられたその言葉は、その日以来、しこりのように私の中に残り続けた。勿論、報告はしていない。すれば、会社の畜生たちは、すぐに私のことを発狂したと断じただろうから。
それから私の世界は変わった。
自分にできることとは何なのか――その意味を理解しようとする内に、今まで気にも留めていなかったことが気になり、知ろうともしなかったことが知りたくなった。
仕事で身につけた技術を使い、畜生たちの目をかいくぐって様々なデータベースに触れ、私自身の研究データを盗み見て、そこに添付されていた報告書の全てを見た。
畜生たちに対する嫌悪よりも先に、何かを知れば知るほど、私という個人が形成されていくことがこの上なく嬉しかった。
そしてそれ以上に、もう一度、彼に挑戦したくなった。
願ってやまなかった二度目の遭遇は、思ったよりも早く訪れた。
結果は、言うまでもない。
「――なんだよ」
再び縛られ転がされた私が彼の顔を見つめていたら、彼から出た第一声がそれだった。
その時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。
「私のこと、覚えてます?」
「いや知らん」
お決まりの面倒臭そうな顔で言い放ったその言葉は、嘘か真かはわからなかったが。
「じゃあ…… なんで、わかったんです?」
「あー…… まあなんだ。超能力みたいなもんだ」
「ああ…… なんか、相手の考えてることが分かるとかいう。ずるいですね」
「騙し討ちしてきたお前には言われたくないし、これはこれで面倒なんだぞ、っと」
本来なら私が盗み取らねばならなかったデータが、彼の手によって消されていく。今度ばかりは取り繕いようもない失敗だ。私は不良品として処分されるだろう。
「そんな便利な訳でもないしな……これでよし、と。じゃあな」
「殺さないんですか?」
「誰を」
「私をです」
「俺はお前みたいな顔をしてる女をわざわざ殺す趣味はないぞ」
「そんなこと言われても」
「だからなんだよその顔は」
「ほら、私、失敗すると処分されちゃう系のアレなので。どっちかというと、ここで置いていかれると間違いなく殺されるっていうか、ね?」
「ね、ってなんだよ、ね、って」
「やだなあもうわかりません?」
「マジかよ畜生。 ……依頼としてカウントするからな。金払えよ」
「わかりました。わかりましたので、そういうことなら折角なのでお姫様抱っこでお願いします」
「何が折角だ」
「こういう時は男性はお姫様抱っこしてくれるものだって映画
「現実とシムを混同する奴は早死するぞ」
その時の、私を抱き上げたまま連れ出してくれた彼の、恐ろしく面倒臭そうな顔は絶対に忘れられない。
そして腕に抱かれながら、思ったのだ。
私という存在は、彼に出会うために生まれてきたのだと。
――そうしてその日、私は完全に“狂った”のだ。
***
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