第6話
GFI労働組合法:冒険者組合に関する規則の第17条1項。『冒険者組合およびその加盟店は、違法性が明確な依頼への関与や斡旋を禁止する』
***
雨雲亭はサウスロック市の繁華街の外れにある、少し古めかしい、物静かな隠れ家的雰囲気のバーだ。裏通りにひっそりと小さなアーチ状の庇と木製の古風な扉だけが佇んでいる様子は、商売をする気があるのかどうか疑わしいほどである。
とはいえ、ここに客が誰一人いないのを、セドウィックは見たことがない。今もカウンターの隅の方で、エルフの青年と人間の少女が仲良さそうに天然物の果実ジュースを飲んでいるのが見える。酒だけを出しているわけではなく、軽食メニューも充実しているのが密かな人気の理由のひとつなのだろう、と彼は思う。
そんなセドウィックの前にグラスが2つ置かれる。中には薄青色の液体がなみなみと満たされていて、あまり見ない柑橘系の輪切り1枚に何がしかのハーブが1片。
「新作か?」
視線を上げて、セドウィックはマスターにそう問う。厳しい牛頭をしたミノタウロスは寡黙にこくりと頷いた。見た目によらず気さくな雨雲亭2代目のマスターで、1代目と仲が良かったセドウィックとは無条件で良くしてくれている。
「――マスター、これあたしも飲んでいいの?」
声とともに、カウンターに腰掛けるセドウィックの膝の上、誰もいなかった空間に橙色の燐光を伴ってふわりとレムが出現する。その様子をマスターはたっぷり3秒ほど眺め、こくりと頷いた。
「やった、ありがとマスター、大好き!」
小さく歓声を上げて、レムは小さな両手でグラスを抱え、その香りを堪能しつつぐっぐっと勢い良く飲んでいく。良い笑顔と飲みっぷり、だけではないだろう。マスターの厳しい牛面が緩んでいるのをセドウィックは眺めていた。レムの頭をよしよしと彼が撫でると、牛面が少し引き締まった。
「しばらく来なかったが、変わりなく順調なようで何よりだ」
ちら、とセドウィックは店の奥、円形テーブルと椅子がいくつも並ぶ開けたホールの壁に掛けられている掲示板に目を向ける。そこにはいくつもの依頼表が張り出されており、この店が賑わっていることの証左にもなっている。
雨雲亭は、剣と魔法の時代より『冒険者の酒場』と呼ばれる類のバーである。自身を荒事、失せ物探し、護衛、財宝発掘、野獣狩り、なんでもござれの腕利きだと自称する冒険者に、誰でも依頼を出すことができる場所だ。元々は公権力が多忙であった時世に民間出自の互助組織として
とはいえ時代の流れに応じて変遷した部分もある。依頼表も古くは掲示板から剥がしてマスターのところへ持っていく様式だったが、今となっては店内からのみアクセスできる依頼リストを見て申し込むのが一般的で、掲示板に貼り付けてあるのは一種の雰囲気作りだ。傭兵団がPMCとして企業化したのと似たようなものである。
そしてセドウィックのような冒険者が現れたのも、また時代の流れだ。
不意に、からん、と入店のベルが鳴った。インコムが示す時刻は「21:50」。セドウィックが振り向くと、案の定、そこには暗緑色のビジネススーツ姿のエルフの金髪美女、ミーシャがいた。
「ごきげんようです、セドウィック。それとレムちゃんも」
「よう。今日も綺麗だな」
会釈をするミーシャに、セドウィックは軽い世辞を込めて返す。しかし、レムはミーシャに挨拶もせず、ぷくりと頬を膨らませ、セドウィックの胸元に抱きついた。
「おいこら、どうした」
「誰に頼んだのかと思ったら。セドを取らないでよ、ミーシャ」
「取りませんよ」
ふふっと余裕のある笑いとともに、ミーシャはセドウィックの隣の席に腰掛け、マスターに、同じのをひとつください、と注文した。
「ほんと?」
「本当です。そりゃまあ、セドウィックさんは優良物件ですけどね」
「何言ってるんだ。 ……ほら、機嫌を直してくれ、レム」
「むー…… セド、あたしにも『今日も綺麗』とか言うべき」
むくれて胸元から見上げてくるレムに、セドウィックは吐息を一つ。
「レムはいつも綺麗だよ」
「ほんと?」
「それに可愛い」
「えへへ」
仕方ないなあ、などと言いながら背筋を伸ばして顎下にキスをしてくるレムを撫でるセドウィックを見て、ミーシャはふふっと微笑む。
「ところで、早速、依頼の報告をすべきですかね」
「いや、依頼をした事情と、スケジュールを予約した件について話すから、全員揃うまで少し待ってくれ」
「全員?」
「ガロクとシャルだ」
噂をすればなんとやら、からん、と入店のベルが鳴る。軽く背を縮めて扉から入ってきたのは、ガロクと、その肩に腰掛けるシャルベルだった。
「こんばんは、先生」
「よう。それにガロクも。一緒だったのか?」
「先程、向こうの角で会っただけだ」
「あら、もしかして焼いてくださるの?」
「勘弁してくれ」
「冗談ですわ。 ――ミーシャも、こんばんは」
「こんばんはです、シャル。元気そうでなにより」
それぞれに会釈を交わしつつ、ミーシャはガロクの肩からひらりと飛び降り、セドウィックの腕に抱きつく。そして彼の胸板にすりすりと顔を埋めるレムをひょいと抱き上げだ。
「レムさま、こんばんはですわ」
「――ひゃっ!? ちょ、あ、シャル?」
「ええ、シャルベルですわ。ほら、ガロクも来ておりますわよ」
「いつの間に来たのよ。こんばんは、ガロク」
「うむ。元気なようで何よりだ。セドウィックに困らされてはいないか?」
「え、あー、えっとね、こないだ一緒に寝た時に――」
「おい」
ごほんと咳払いをして、セドウィックが会話を中断させる。
「ともかく、これで揃ったな。マスター、部屋を借りるぜ」
マスターは古風な鍵をひとつ投げ渡し、『早く行け、騒がしい』とばかりに顎をしゃくる。セドウィックは苦笑し、皆を引き連れてホールから立ち去った。
***
雨雲亭の個室はカラオケボックスにも似ていて、テレビとテーブルがひとつ、後は部屋の全周を囲むソファぐらいのものだ。
「――なるほど」
レムに頼まれて仕掛けたデータ窃盗から始まった今回の件をセドウィックが話し終えると、ミーシャがひとつ頷いた。
「それで、あんなところを私に調べさせたわけですか」
「都合のいい偽装PINを用意できなくてな。悪かった」
「まあ、あの程度はどうということもなかったから、いいですけど。エルフ系のセキュリティはよく知ってますしね」
はあ、と溜息を漏らしつつ、ミーシャはぴこんと長耳を立てては、ソファから立ち上がる。
「じゃあ、まずは私から話しましょうか。依頼の『バイオラート・データサポート社のサーバー監視』ですが、その結果だけを最初に言うと、セドウィックさんの予想のひとつの通り『監視不能』でした」
「具体的には?」
「
「追跡不能か?」
「というほどではないですね。切り離し以前の
「データストレージ業務を破綻させないためには、そう遠くには行ってないだろうということか」
「その通りです」
現在主流となっている
ただしデメリットも存在する。その中のひとつが、精霊電子世界は一度展開すると閉鎖するのに極めて時間がかかり、さらに展開したままサーバーを物理的に大きく移動させるとそのサーバーが破壊されてしまう、通称
他にも緊急事態であってもサーバーの電源を落とすことができない、サーバー管理者側の操作で一部削除できないログが残るなど、様々な欠点が挙げられている。
「確か、約5キロだったか? 同期破綻の発生距離は」
「そうです。ですので…… 地図上ですと、このぐらいです」
言いながらミーシャはサウスロック市の地図をテーブルに表示した。ほぼ正方形の形をしている同市の南東部を囲むように赤い丸が描かれている。中心点は倉庫街と旧オフィス街の境目にあるバイオラート・データサポート社。赤線は旧スラム街を越えて、市外壁の向こう側をいくらか含んでいた。
「ふむ…… 一応聞いておくが、保持していたデータをすべて別所に送信し、サーバーを破棄した可能性は?」
「ありえなくはないですが、今日昨日でデータ移動の痕跡を残さずに実行するのは難しいと思います。少なくとも跡地および残存サーバー、『天網』とのゲートウェイにそういう痕跡はありませんでした」
「わかった、ありがとう。 ――ここから先はシャルだな」
「そうですわね。わたくしの方から、参考になるご報告ができるかと思いますわよ?」
代替オレンジジュースが注がれたグラスを片手に、シャルベルがくすりと笑った。
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