第8話
GFI都市治安維持法:PIN管理に関する規則の第9条1項。『PIN検査の資格を持つ者または同法のドローンに関する規則の第2条1項で定められた警備ドローンにPINの提示を求められた者は、提示までの猶予である60秒以内に検査者に対してPINの提示を行わなければならない。ただしPIN提示者の血中アルコール濃度が1%を超えている際の検査であると認められる場合については、その猶予を300秒以内とする』
***
『というわけだ』
『ふむ』
翌日、セドウィックはゲオルグに依頼受諾の旨をインスタント・メッセージで打診した。2つの条件を上乗せした上で。
『GFIセキュリティへの根回しは分かったが、まだ開発中の南東地下区画の図面と来たか。こりゃ何故じゃ?』
『逃走経路として使わせて貰う可能性が非常に高い。変に逃げ回って、入っちゃならんところに入っちまうのは避けたいからな。そっちで予め入っていい場所を教えてくれるとやりやすい』
『ふむ、まあ地上で派手に撃ち合われるよりはマシじゃろうが』
『その2つを飲んでくれるなら、依頼を滞りなく完了すると約束しよう』
『わかった、上に掛け合ってみよう』
『頼んだ』
メッセージのやりとりを終えて、セドウィックはひとつ息を吐く。
「いかがでした?」
「返事はまだだ」
セドウィックの視線の先には、あれでもないこれでもないと派手な下着を物色するシャルベルがいる。女性向けの衣料店に入ってかれこれ1時間が経過しようとしていた。
「先生はこういうの、どう思います?」
「子どもにはまだ早い」
「でも嫌いではありませんわよね?」
ふふ、と妖艶に笑って面積の少ない下着を自分の胸や下腹に押し当てながら聞いてくるシャルベルに、まったく、とセドウィックはまた息を吐く。
「ロデスとギデウィのところにも行くんだろう? 早く決めないと時間がないぞ」
「もう、レディを急かすのはよくありませんわよ。 ――よし、こちらにしますわ」
「そんなのを普段から履く気か?」
「もちろん、先生とのプレイ用ですわよ」
会計を済ませ、店員含め他の女性客からの視線に見送られながら店を出る傍ら、セドウィックはレシートを一瞥し、電子通貨の支払番号がトーマス=アンダーソンのものになっていることを確認する。
サウスロック市の中央行政区近くにある商店街。雨音は鳴り止むことはないが、ここは巨大なアーケードで通りが覆われており、傘やレインコートの必要はない。街路のあちらこちらには
ただし、それはセドウィックやシャルベルのような冒険者を除いてのことだ。
「――あなたがたは無作為検査の対象に選ばれました。PINホルダーを提示してください」
アーケードの天井付近に浮かんでいたフライング・アイ型監視ドローンが、街路を行くセドウィックとシャルベルの前に不意に降りてきて、そう告げてくる。セドウィックとシャルベルはちらとお互いを見合わせて、よどみなく懐から取り出した手帳サイズのPINホルダーを提示した。
監視ドローンの瞳が明滅し、2人のPINホルダー内に収められた個人情報をスキャンし、正常かどうか、違反がないかどうかを確認する。
「――トーマス=アンダーソン、メイア=ソリューズを確認。問題を起こさぬようにお願い致します」
2人の提示したPINに異常がないことを確認すると、監視ドローンは飛び去っていく。それを見送って、2人は悠々と歩みを再開した。
「トーマス先生?」
「なんだね、メイア君」
「なんでもございませんわ」
お互いの茶化した呼びかけに、くすくす、とシャルベルは笑う。
16桁の文字と数字で表されるPINは、世界共通規格として全世界で用いられ、各国の都市内で正式に生まれた者すべてにひとつのPINが割り振られている。その中には氏名、年齢、住所、傷病歴、犯罪歴といったあらゆる個人情報は勿論のこと、クレジットなど電子通貨とも一体化しており、都市内で生活するに当たってPINはなくてはならないものとなっている。
とは言え、セドウィックやシャルベルのような仕事をする冒険者は、馬鹿正直に自分のPINを使っていては仕事ができない。そもそも自分のPINを持っていないような者も、この社会の闇には大勢存在している。
故に彼らはPINを偽装する。既に死亡または行方不明になった者のPINを盗み、電子データの上で別人に成りすますのだ。
「そのPINもそろそろ3年だな。予備のPINは準備してあるのか?」
「ええ、先生から頂いた初めてを捨ててしまうのは残念ですけれど。同じエンジニアに頼んでありますわ。彼、そっけないけど腕は確かですわね」
「そっけないのは特に年末は余裕がないからだろ。あいつは他に5千人ぐらいPINをメンテナンスしてるはずだ」
「働き者ですのね、先生と同じ」
「俺と同じなら、PINに恨みでもあるんだろうな」
はっ、とセドウィックは自嘲して、ひとつ息を漏らした。
***
雑談を交わしながら、2人は通りを外れて狭い路地へ進む。アーケードの下を抜けて角を2つ3つ曲がれば、そこはもう薄暗く汚れた大都市の裏側だ。
何をするでもなく、室外機の下や軒先に佇んでいる男たちがいる。やたらと威嚇的なオーグを身に着けていたり、機械的な肌を露出しているゴブリンやオークもいる。遺伝子改良により獲得したのか、獣めいた腕をちらつかせている人間の男もいる。それに肌を寄せている裸に近い格好の女も。
そんな中をセドウィックとシャルベルは堂々と進む。不用意な態度は面倒事を増やすだけだ。堂々としていれば、舌なめずりをするような視線はともかくとして、物理的に絡まれることはいくらか避けられる。
しばらく歩いて、2人は路地の突き当り、『ロギスとギデウィの店』とだけ書かれた看板が出ている古いビルの入口に立った。上階に登る階段は瓦礫とバリケードで封鎖されており、地下階への階段からは何かを打ち付けるような金属音と、高速で金属をすり合わせるような機械音が聞こえてくる。後は鼻を突く古いオイルの匂いだ。
「相変わらずだな、あいつらは」
「見た目だけでももう少し綺麗になされば、女性客も増えると思うのですけれど」
階段を降り、突き当たりにある扉をシャルベルは無遠慮に開けた。
扉の向こうにあるのは、元々はそれなりに広かったのだろうが、無数の棚やそこらに据え付けられた機械のせいで恐ろしく雑然とした部屋だった。そして何より目を引くのが、天井からいくつものコードとともにぶら下がった人の四肢――義腕や義足のオーグだ。
「ロギス! ギデウィ! いらっしゃる!?」
扉を開けたことで大きくなる金属音と機械音に負けじとシャルベルは声を上げた。部屋の奥、左手側の棚の影から、長い編み髭が特徴的な初老のドワーフ――ロギスが、右手側の機械の影から、オイル汚れで折角の青い鱗をくすませたリザードマン――ギデウィが、それぞれ頭を覗かせた。
「おう、シャルベルのお嬢ちゃん。それにセドウィックか」
「定期メンテにはまだ早いだろ、今日はどうした?」
「大事な仕事が入りましたの。急な話で悪いですけれど、点検をお願い致しますわ」
「なんぞ、それならそうとインスタント・メッセージでも」
「いつものことですけれど、送りましたわよ」
「……あ、マジだ。届いてるわ」
やはり相変わらずだと、セドウィックは息を漏らした。
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