第3話

 GFI都市治安維持法:人権と種族の保護に関する規則の第18条1項。『何人も、ある種族が保有する伝統的文化や習慣について侮辱することを禁止する。ただし血中アルコール濃度が1%を超えている際の発言や行為であると認められる場合については、この限りではない』


 ***


 ガロク=ガ=ロガは誇り高きオーガ、スカルクラッシャー・クランの戦士であった。

 過去形だ。ガロクはそれを十分に理解しており、であるからこそ、黒鱗樹のプレートアーマーではなく簡素な作業着を着てツールバッグを背負っているし、赤銅色の肌に酸性雨が打ち付ける中での過酷な土木作業にも文句を言うことはない。

「――う、おおおぉっ!?」

 ガロクの目の前で、一人の人間の青年作業員が滴る雨水に足を滑らせ、足場を踏み外した。その下には300メートル下まで何もない。

 当然のように、ガロクは咄嗟にその丸太のような太い腕を伸ばし、落ちゆく青年をあっさりと捕まえた。そして彼と彼の背負袋に詰まった機材や工具の重量を感じさせない腕の動きで足場まで引き戻す。

「大事ないか」

「わ、悪い、助かった……」

「気にするな、仲間だ。 ――屋上まであと少しだ、行くぞ」

 青年はがちがちと震える顎をなんとか引き締めながら、こくりと頷いた。

 安全装置も身に着けられない装備で、ガロクを始め5人の作業員が、建設中の高層ビルの外壁を登る。降りつけてくる酸性雨は冷たく、風も決して弱くはない。先程のような事故は一週間に一度で済めば少ない方だ。

 それでもこの世界は何の問題もなく回っていることに、ガロクは鼻息を鳴らしながら、2メートル30の身体を機敏に動かし、前を行く4人の後詰めを務める。

 クランのことを考え、若々しい戦士たちの前に立っていた時の感傷など、何の役にも立ちはしない。ガロクはそれをよく弁えていた。


 ***


「――ふむ、ご苦労です」

 建設中の高層ビルの中、まだあちこちに作業用のシートが張られている一室で、ガロクは上司たるエルフの男に報告書を提出する。

 上司はそれを一瞥すると、特に注視することもなく、ふん、と鼻を鳴らした。

「思ったより残りましたね、二級労働者が」

「何か問題でも?」

「いえ、好都合です。もう少し死ぬかと思っていたのですが」

 まったく隠すことなく言い放つ相変わらずの上司に、ガロクは僅かに無い眉をしかめる。それを見逃さずに、上司は笑みを浮かべた。

「不満ですか?」

「いえ。再教育が手間だと思っただけです」

「――まあ、いいでしょう。これならもう少し人数を増やしてペースを上げても良さそうですね、二級労働者長?」

「お言葉ですが、これ以上の二級労働者の増員は違法です」

「書類上ではまだ彼らは生きているから――と言いたいのでしょう? 大丈夫ですよ、官憲も労基も何もできません。万一の場合は買収すればそれで終わりです。誤魔化しきれない現物の証拠が山ほどあれば別ですが……お前はよもやそんなことはしませんね?」

「勿論です」

 ガロクが表情を動かさずに答えると、結構、と上司は笑みのまま頷いた。


 ***


 仕事を終え、作業着のまま帰路についたガロクは繁華街にある行きつけの酒場へと向かう。

 通りに面した立ち飲み酒場。『酔いどれゴブリン』の電飾の下、雨に溶けかかった庇の下で、エールを飲みながら曇天を見上げるのがガロクの日課のひとつだ。

「今日はまた不機嫌ですね、旦那?」

 酔いどれゴブリンの店主、ゴブリンのヴォカシンが怪訝な顔でガロクにそう声をかけてくる。

「俺は旦那ではないと言ってるだろう」

「まあそう言わずに。旦那、相変わらずエルフどもの下働きをやってるんですかい?」

 その質問にガロクはすぐに答えず、自分の半分以下の身の丈のヴォカシンをじっと見下ろした。ヴォカシンは目を逸らさずに、片眼鏡の形をしたモニタグラス越しにガロクを見返してくる。

「そいつがお前に関係があるか?」

「ありますとも、旦那」

「ほう」

「あたしゃこの店の店主だ。旦那のような忙しいお人に酒を出して少しでも疲れを癒やしてもらおうってんで、こんな軒先でやってるわけです。その旦那が辛気臭い顔しながら飲んでたら、そりゃあ気になるってもんです」

 ガロクはそれを聞きながら、木製マグの中のエールを飲み干す。

「お前はなんでもそれだな」

「あたしの矜持ですからね」

 けけっ、とヴォカシンは笑う。

「あたしもエルフどもには良くない思い出ばっかりでさあ。ま、皆がそうとは言いやしませんが、企業人のエルフはどいつもこいつも性格が歪んでやがる」

「純血主義で、実力主義で、選民主義だからな」

 奴らも大変だ、とガロクは呟く。アルコールを喉に染み渡らせながら思いを馳せるのは、かつてのスカルクラッシャー・クランだ。若い部下たちが慰みに作ってしまったハーフオーガたちの扱いに困ったことは、彼にとってもはや良い思い出のひとつだ。

「まったく、あたしが子どもの頃は人間のほうが苦手だったもんですけどね、今やエルフのほうが苦手ですよ。ここに来たらエルフの顔を見なくて済むかと思いきや、意外といるもんですしね」

「商売人は利益で結びつくということだ」

「まったくで。 ――ところで旦那、鳴ってますよ?」

 自虐的な笑みを浮かべて両手を開いてぱたぱたとさせるヴォカシンは、先程から雨音に混じって聞こえてくる旋律を指摘した。

 そこで初めて己が作業着のポケットに放り込んでいるスマートフォンに着信が入っていることに気付いたガロクは、無い眉を少しばかりひそめながらも、頑丈で分厚い、3世代遅れのオールドモデルをポケットから引っ張り出した。

 画面を見て着信相手を確認したガロクは、ひそめていた眉を怪訝なものにして、通話ポタンを押した。電子音とともに単純化された旋律で流れる精霊賛歌が止まる。

「――何の用だ」

「仕事の予約だ、戦頭ウォーチーフ

 単刀直入な問いに、用件が返ってくる。

「雨雲亭で会おう。明日22時」

「分かった」

 互いに二言だけを交わし、通話は終わる。

「景気のいい話で?」

「お前には関係のない話だ」

 へっへっへ、とヴォカシンは笑った。

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