第2話

 GFI都市治安維持法:精霊電子情報とそのネットワークに関する規則の第6条2項。『同条1項について、GFIセキュリティ部の部長職ならびにGFI都市治安管理部の部長職からの許可印を有する者は、それが事後取得であっても同項に該当しない』


 ***


「お前さんの仕事だってことは分かっとる」

 ぷは、とジョッキ一杯の安い合成酒を一息に飲み干してから、ゲオルグ=ブラックウィスカーはセドウィックにそう告げた。

 サウスロック市の西部、低セキュリティ地区ローセクの繁華街にあるバーの賑やかな席の一角。ゲオルグは相変わらずのビヤ樽体型に、きっちりとした暗褐色のビジネススーツ姿で現れた。

「根拠は?」

「企業秘密じゃ」

 どうやって判明したかを教えるのは、どのような情報入手手段を持っているかを教えるのと同じだ。だからセドウィックもそれ以上は聞かなかった。ここサウスロック市はGFIのお膝元。どんな手段があってもまったく不思議ではない。

「別に、お前さんをどうこうしようというわけではない。既に名簿を見たなら分かると思うが、GFIは例の件にはさほど関わっとらんからな」

 ゲオルグは豊かな黒ひげを撫でつつ言う。その表情は巌だ。だが酒を不味そうにしていないということは、そう機嫌は悪くないのだろうとセドウィックは判断する。

「そいつはありがたい。俺も、あれを狙って盗んだわけではなくてな」

「それも、まあ分かっとる。お前さんが全て準備周到にやったなら、もっと綺麗にソムテクの包囲を抜けたじゃろう」

「お褒め頂き至極光栄だ。 ……それで、そっちの要求はなんだ?」

「要求というほどのものではないわい」

 次のジョッキをゆっくり飲みながら、ゲオルグは、依頼じゃ、と話す。

「と、その前に。フェアリークラブ事件がどういうものかは、お前さん、正確に知っとるのか?」

「……いや、人づてに聞いたことがあるぐらいだ。正確に、というのは程遠い」

「なるほど。では、簡単に話すとするか――」


 ***


 かつて存在したフェアリークラブと名乗るVR風俗企業は、世界大戦で世界樹が枯れて以降、希少種族となった妖精たちを忠実に再現した高性能AIを作成した。同企業が提供するVRサービスは、その妖精たちと存分に触れ合い、遊ぶことができるという代物で、AIのメンテナンスにかかる費用として非常に高額の利用料金を数少ない顧客から獲得していた。

 しかし後に、「フェアリークラブで相手をしてくれる妖精のAIの正体は、脳に違法改造を施された人間やエルフの少女」という出所不明の噂が立ち、更にその後、手術台めいたベッドに拘束され、頭に電極がいくつも突き刺されている痛々しい姿の少女たちの映像がセットで出回るようになるという正体不明のリークがあった。

 それらの証拠能力は高いとは言えなかったのだが、当のフェアリークラブは何の声明も出すことなく突如としてサービスを停止、社のサーバーもネット上からあっという間に消え失せた。

 謎の噂に痛々しい映像が出回ってはサービスの品質が維持できないと考えたのか、いやそれにしては何の声明もないということは真実だったのでは、伝説的なハッカーの誰かによる正義の行いによりサーバーが破壊されたのだ、などなど。憶測は憶測を呼び、一時期のネット上の話題を席巻した。これを一般にフェアリークラブ事件という。


 ***


「――で、だ」

 代替ラム肉のジャーキーを齧りながら、ゲオルグはセドウィックの様子を伺いつつ一言。

「お前さんが仕掛けた例の会社に、もう一度仕掛けてもらいたい」

「酔いが回るには早すぎないか」

「ワシがこの程度で酔うと思っとるのか?」

「マジかよ」

「大マジじゃ」

 セドウィックは大きく息を漏らす。同じところに連続で盗みに入る馬鹿はいない。しかも露見してセキュリティに追われている。馬鹿どころではない、大馬鹿の所業である。

「……名だたるAAAトリプルランクの超大企業GFIのお膝元であるここに、わざわざライバル企業たるソムテクのセキュリティが待機していて、盛大に出張ってきた理由を知りたいってか?」

「まあそんなところじゃろう。例の名簿は問題にならんとは言わんが、ちと賞味期限としてはの。問題になるような部分はとうの昔に各社対策済みであろう」

「他には?」

「さてな。ワシは単なる小間使いじゃ、今日のところはの。上から言われたことを伝えるのみよ。例の会社に仕掛け、セキュリティ回りのログを持ってきて来て貰えれば、GFIはログと名簿を合わせて5000万クレジットで買い取ろう」

「随分太っ腹だな」

「数々の案件をこなしてきたお前さんの腕前とその人脈を考慮すれば、ワシは極めて妥当な額だと思っとるよ。それで、どうじゃ?」

 セドウィックはひとつ息を吐き、手にしていたグラスの合成酒を一口含み、嚥下してから答えた。

「悪いが、少し考えさせてくれ。仕事の疲れもまだ残ってるしな」

「なんじゃ、まだそんなことを言う歳ではなかろう」

「50歳を越えて一人前のドワーフと一緒にすんなっつーの」

 は、と息を漏らし、椅子を軋ませながら背を預けるセドウィックを見て、ゲオルグは、ふむ、と髭を撫でる。

「まあよかろう。ただし、3日以内には返事をくれんと困るぞ」

「善処するさ」

「ならばよい。ああ、もし機械化を考えとるならいつでも言うがいい。この営業部のブラックウィスカーの名に掛けて、特別に各種オーグを安くしてやるからの」

「余計なお世話だ」

 にかっと笑い、またジョッキ一杯の酒をその体に補給すると、またの、とゲオルグは出ていった。

機械化オーグメンテーションねえ」

 セドウィックはそれを見送って、ぐるりと店内を見回す。

 技術革新により生身と機械の拒絶反応問題がほぼ解決されて以降、機械化は急速に普及している。元々そんな問題とは縁がなかったドワーフは勿論、ゴブリンやオーク、オーガと言った非自然派種族だけでなく、エルフの一部もちょっとした手先やインコムの機能拡張をするぐらいはごく普通と言えるほどになっている。

 今や全身を換装するような輩も、珍しいとは言えない。現に、セドウィックの視線の先、店の入口付近に立っている、綺麗な毛並みをしたスーツ姿のコボルドは、全身に皮下装甲を仕込んでいるのがその毛並みから覗く継ぎ目から見て取れた。犬面にかけている黒いアイシェードはヴェルドーレ・ラボ製の義眼使用者向け高機能品で、その向こう側にある瞳も生身のものではなく、様々な光学装置を備えている義眼であることを予想させる。店の用心棒だ。

 とはいえ、そのような改造が広く受け入れられているわけでもない。天然主義ナチュラリズム、などという言葉も台頭している。必要以上の機械化を嫌い、生身の身体をありがたがる思想だ。現に、店を出て行く、あるいは店の前を通り過ぎる傍らに、そのコボルドに巨大ゴキブリでも見たかのような視線を投げつける人間やエルフ、同族のコボルドもいる。そんな彼らの視線を受けるたび、用心棒の彼はどこか申し訳なさそうに視線を逸らしていた。

 そんな差別の場面を見て、セドウィックは息を漏らす。

「……なんにせよ、仲間は要るな」

 先の潜入に比べて、警備は確実に強化されていることだろう。物理的にも、電子的にも。そうなればセドウィック一人でも不可能ではないが、荷が重い。

 手数を補うため、仲間が必要だ。それも、荒事に耐えうる仲間を。

 先の潜入も最後まで隠密とは行かなかったが、今回は最初から荒事になる可能性が高い。

 まだ受けると決まったわけではないが、予約はしておくべきだろう――そう思って、セドウィックはインコムのアドレス帳を開いた。

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