金色の砂が見せる夢

天原とき

第1話

 GFI都市治安維持法:精霊電子情報とそのネットワークに関する規則の第6条1項。『何人も、精霊電子ネットワーク上において自身の権限を詐称することで本来許可されていない情報を取得することを禁止する』


 ***


「ああ、畜生」

 毒づきながらも、セドウィック=マーリンズは精神力を振り絞り、その手に握る金色の砂をぶちまけた。

 そして愛用の拳銃、GFIグレート・フォージ・インダストリアル社製のハンマーガン撃鉄銃をしっかりと握り、構える。

 願うのは――毎度のことながら、奇跡だ。

 一拍の後、雷管たる火晶石の炸裂音とともに放たれたドワーフスチール製の徹甲弾が、ぶちまけられた金色の砂のヴェールを切り裂いて、すえた臭いが漂う下水道の暗闇の中を飛ぶ。

 着弾は一瞬で、弾丸はセドウィックを今まさに撃ち殺さんとエレメンタル・ブラスターを構えるソムテクソムニウム・テクノロジー社製の人型ミディアムドローンの、コンポジットミスリル製の正面装甲に命中した。

 同装甲に施された魔法障壁の青い光が飛び散る。概念的な物理保護により小口径の弾丸程度なら問答無用で弾くそれを、しかしセドウィックの弾丸は有無を言わさず貫通した。

 ガラスが割れるような障壁の破砕音がすえた臭いの中に広がるのを待たず、弾丸はそのまま正面装甲を貫通し、その衝撃でずれた軌道を下方向に修正して、精霊エンジンもろもろが詰まったコアブロック内に到達。

 爆発した。

「っ、は……」

 飛び散る金属片を頬に感じつつ、セドウィックは息を吐き出し、吸う。

 残り僅かに漂う金色の粒子と、すえた臭いと、気化したドワーフスチール特有の酒臭い親父の吐息のような匂い。

 セドウィックは閉口して、踵を返すと一息に駆け出した。


 ***


 セドウィックが下水道内から這い出した時には、時刻は朝の7時を迎えようとしていた。脳内蔵型コンピュータインコムが視界に二重写しで表示する「6:56」を見て、彼はげっそりとした吐息を漏らす。

「結局、丸一日かよ」

 すぐに終わる簡単な仕事とは、一体何だったのか――そう思いつつも、十分予想できていたくせに引き受けた自分が悪いと割り切って、下水溝内の梯子を登りきった。

 コンクリートの屋根の下から路上に出ると、小雨が帽子や頬を打つ。

 廃アパートが並ぶスラムにほど近い舗装街路の上をしばらく歩いて、ふとセドウィックは中途半端にネオン輝く電気店の看板の下で立ち止まり、営業しているとは思えない暗い店のガラスに映る自身の顔を見つめた。

 彫りの深い、白くも黒くもない、無精髭を生やした30過ぎの男の顔。適度に刈り込んだ黒い髪は、右のもみ上げを中心に一部だけが白い。インコム導入手術を受けた証に、左耳の下に小さなパネル状の外部端子が露出している。

 そんな顔をたっぷり5秒ほど見つめて、セドウィックは天を仰いだ。

 子どものブロック遊具を不出来に繋ぎ合わせたように多層構造を形作る老朽化アパートの隙間から見えるのは、企業自治都市GFIサウスロック市の目も眩む摩天楼と、途切れることのない曇天。

 200年以上に渡って続いた史上最大級の世界戦争は、その後の地上に対して、年中が冬の始めのような気候や止むことのない酸性雨といった終末的な環境破壊、そして人間、エルフ、ドワーフの三種族を中心に恐るべき技術発展を与えた。

 セドウィックは、映像記録でしか太陽というものを見たことがない。

 戦争以前から生きている知り合いのエルフによれば、それは素晴らしいものであり、その光は全てを浄化せんとするという。

 そんな太陽とやらは、この体にまとわりつく不快な臭いも、忘れられない過去も消し去ってくれるのだろうか。

「……ないな」

 それならば現在の太陽を独占している天空アーコロジーに住むランクA+以上の大企業メガコーポCEOたちはもっと清廉潔白であっていいはずだ、と思い直す。

 せめて雨に打たれている間に、不快な匂いが少しでも紛れてくれればいい――そう思いながら、セドウィックは帰路を急ぐ。これ以上の追手が掛かる前に。

 帰り着くまでが仕事である。


 ***


 セドウィックのねぐらは、サウスロック市の西端にある低セキュリティローセク居住区の、そのまた端にある老朽化したアパートの2階にある。歓楽街の近くで、彼にとってはお世辞にも静かで落ち着くとは言い難い場所だ。賑やかな場所が好きだという相棒のたっての希望で選んだにすぎない。

 雨音越しでも聞こえる客引きの声を耳にしつつ、セドウィックは部屋の前に立つと、インコム内の独自プログラムを呼び出す。相棒の謹製であり、これを立ち上げていなければ、扉を開けた瞬間に敵対的な電気の精霊たちに囲まれることになる。

 視界に小さな愛らしい妖精の3Dアイコンが表示されるのを確認してから、セドウィックは今時珍しい物理キーを鍵穴に挿入し、扉を開けた。

 室内は薄暗い。誰も居ないのではと思うところだが、奥から聞こえてくる電子音と、それに伴う子どもっぽい声が、相棒の在室と無事を教えてくれる。

「へっへっへっ、もう逃げられんぞぉー」

 そんなご機嫌な声を聞きながら、セドウィックは自身と相棒の私室に入る。部屋は雑然としていて、所狭しとコンピュータ関係の機械類とジャンク品、それとケーブルが敷き詰められている。

「ここか? ここがええのんか? それともこっちか、好き者め!」

 大型のリラクゼーションチェアにすっぽり腰掛けて、VRバーチャル・リアリティグローブに包まれた両手を中空でわきわきと動かす相棒の姿を見やりつつ、唯一片付いていると言っていいベッド周りの空間でコートを脱いで楽な格好になったセドウィックは、相棒が被っているVRヘルメットをひょいと取り上げた。

「そらそらそらそら、降参するか? するなら――って、あ”ーっ!?」

「ただいま」

「ただいま、ってセド! いいところだったのに!」

「言われなくても分かってる、レム」

 小さなVRヘルメットを居並ぶPCデスクのひとつに置いて、セドウィックは続いて相棒――妖精のレム――エレムレムウィニーアをひょいと抱き上げた。身長88センチ、機械化もしていない彼女の体は大変軽い。

 いくつかの抗議を聞き流しつつ、セドウィックはレムを抱いたまま、ベッドに転がる。橙色の髪の甘い匂いが鼻をくすぐった。

「聞いてる!? 聞いてないね!? ていうかセド、臭い!」

「下水道を逃げてきたからな」

「うぇ…… ていうかなんで? 権限の取得は完璧だったでしょ?」

「完全に別口でトラップが仕掛けてあった。ソムテクのセキュリティ部隊に囲まれるところだったぞ」

「マジで? ごめんなさい」

「俺はソーサラーじゃねーっつーの」

「だからごめんて」

 ベッドの上で抱き合って2転3転しながらのデブリーフィング。密着を強めると、レムの方から、その小さな唇でセドウィックの頬に口付けが落とされた。彼からも返すと、彼女は大変満足げな笑みをわずかに浮かべた。

 そんなレムを、セドウィックはよしよしとばかりに撫でる。

「しかし、ソムテクのセキュリティねえ。てことは、まさか」

「エーテルはきっちり使い切った」

「うわあ…… 大丈夫?」

「経費は出るのか?」

「あたしの体で良ければ」

「つまりゼロか……」

「おいこら。 ――それよりブツは?」

「ちゃんと確保してある。これだ」

 仰向けになりレムを腰の上に乗せる形のまま、セドウィックは懐から長方形をしたメモリーキューブのケースを取り出した。

「中身の確認まではできてない。レムの指定のものだけ取ってきた」

「ありがと、こっちで確認するわ」

 レムはキューブケースを受け取ると、それを開けた。中には真珠色の光沢を放つ、1センチ角の正立方体が3つ。

 それを確認すると、レムは仮想キーボードを操る時のように片手を中空で滑らせた。キューブは3つ揃って浮き上がり、部屋の片隅に置かれているタワー型PCのキューブスロットに収まる。続いて先程脱がされたVRヘルメットも宙を滑るようにして浮き上がり、すぽりと彼女の小さな頭に収まった。

「可愛い可愛いミューラックちゃん、また後でねー」

「しかし、VR用の古いプログラムだったか? そんなものに、なんでソムテクが出てきたのかがわからん」

「まあ一応、古いって言っても陳腐化したやつじゃなくて、倫理協定で流通禁止になったやつなのよ。フェアリークラブ事件の遺産ね」

「ああ…… VR好きの金持ちが子どもの頭に電極ぶっ刺してデータを取った、とかいうやつか」

「そうそう。実際にそんなことをしたかどうかは結局分からなかったし、クラブの名簿も出てこなかったけど。ともかく、その時に作成されたフィードバック・プログラムは独特な出来って話で、ぜひ参考にしたかったのよ」

「裏マーケットに転がっていそうなもんだが」

「知り合いは丁度皆持ってなくて、売ってくれるってところは恐ろしく高かったのよ」

「取りに行くのも結局高く付いたわけだが」

「だからごめんて…… ――うん?」

 話しながら、今度は仮想キーボードを叩いていたレムの動きが止まる。

 一拍の間の後、ああ、と彼女はモノを理解した時の声を上げた。

「これ、フェアリークラブの名簿入りだわ」

「マジかよ」

 言ったセドウィックの視界の中に、ぽん、と軽快な電子音と共にメールの着信を知らせる妖精のアイコンが点灯した。差出人はゲオルグ・ブラックウィスカー。知り合いのドワーフでGFI社員。タイトルは『依頼:VR関連の仕事について』。

「マジかよ」

 呟くように繰り返して、セドウィックは部屋の天井を仰いだ。

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