第10話
GFI社内規則:各社員への福利厚生に関する規則の第87条5項。『各課長職以上の者とそれらが特別に指名する社員は、GFIニューライフ社が提供するGFIクローン保険に加入しなければならない』
***
「ごきげんよう、アンダーソン君」
刈り込んだ黒髪に黒のミラーシェードをかけた、黒スーツのヒューマンの男。
そんなベルモンド・マーティンと相対したセドウィックは、嫌悪感を隠さずに苦虫を噛み潰したような顔をして、ひとつ舌を打った。
「殺し方が足りなかったか」
「そう敵意を明確にしないでくれたまえ。以前の私は不甲斐ない出来だったようだが、この私こそは完璧だと約束しよう」
「その言いぐさは、
「それについてはノーコメントとしておこう」
言いつつ、ベルモンドは、とんとん、と指先で自分の後頭部――クローンへの記憶同調および意識転送用インプラントの多くが埋め込まれる位置――を叩いてから、リラックスするように軽く首を回し、にやりと笑った。
「はっ。それで、何の用だ」
「まずは先の件について、見事な腕前だったと言っておこう。 ――彼女は元気かね? まあ、元気なのだろうな」
「それが用件なら今すぐあんたの頭をぶち抜いてやる」
セドウィックが腰のハンドガンにかけていた手でかきりと撃鉄を起こすと、ベルモンドは両腕を肩で広げる。ミラーシェード越しには笑みがあった。
「彼女が大事なのは分かるが、そう熱くなるな。彼女の身柄を争いあった仲として、心配のひとつぐらいしてもいいだろう? それとも、今の私はGFI役員のベルモンド・マーティンであり、君たちに手出しすることはないと誓約書でも書いておくべきかね?」
「データ容量の無駄だから要らん。つまり、前回も今回もビジネスの一環だと言いたいわけか」
「その通りだよ、アンダーソン君」
立ったままのセドウィックに対し、ベルモンドはソファに深く腰掛け、薄青色のカクテルをグラスの中で揺らしながら、セドウィックを見据える。
「私はまさにビジネスマンだからね。雇用主との契約の外にあることと、無益なことはしない主義だ」
「有益になればやるんだろう?」
「それでも優先順位というものがある。GFI役員のベルモンドにとって、この都市に入り込んだソムテクのネズミを処分するのは、とても大切な仕事だ。その仕事を手伝ってくれる有能な人材と無暗に争うのは大きな機会損失と言える」
「よく言うぜ」
「ともあれ――少なくとも今回は君たちの邪魔をすることはない。それを直接伝えたかったのが、まずひとつだ」
「他には?」
「そう急かさないでくれたまえ」
立ってないでかけたらどうだ、と手で対面のソファを示すベルモンドに、セドウィックはひとつ息を漏らし、ゆっくりと腰を下ろした。
優雅にグラスを呷り、ふむ、と興味深そうな声を漏らしつつ、ベルモンドは言葉をつなぐ。
「もうひとつは、依頼の変更の件だ。何、君たちがやることとしては、そう大差はない」
「そんな見え透いた嘘に引っかかるアホがいるか。変えるんなら白紙だ白紙」
「まず聞きたまえ。 ――我々はバイオラート・データサポート社のセキュリティログの抽出を依頼したが、それを変更する。同社の移設されたサーバー、それを丸ごと入手してくれたまえ」
「マジかよ。デカいサーバーを担いで逃げ出せってか? いい冗談だな」
「デカいかどうかはさておき、私は君が断ることはないと思っているよ。何しろ同社のサーバーは、我々が新たに入手した情報によると――F型デバイスサーバーだ」
たっぷりと勿体ぶりながら放たれたベルモントの言葉に、セドウィックの表情が怪訝なものから苛立ちを込めたものへと変わった。
「もし嘘だったら、その頭にぶち込んでやるからな」
「ありがたいね。GFIクローン保険の掛け金が無駄にならずに済む」
笑みを崩さないベルモントに、けっ、とセドウィックは嫌悪を露わにする。
「君のような男に嫌われるとは、まったく大企業の幹部冥利に尽きるというものだな」
「うるせえ」
「そう言わずによろしく頼むとも。 ――依頼の変更に伴い、前払いをつけよう。明日一日、アンダーソン君のPINにGFI製品の割引サーヴィスを付与しておいた。30%引き、
ビジネストークを連ねながら、ベルモントは傍らに置いてあったスーツケースを机に上げた。セドウィックがすかさず撃鉄を起こす音に笑みを強めながら、ゆっくりとロックを開ける。中から取り出したのは精巧な編み目でしっかりと作られた、握り拳ほどの大きさの革袋。
「エーテルだ。勿論、最高純度のものを用意した」
証拠とばかりにベルモントは革袋を傾け、それを零すようにして取り出した。
透き通った金色の砂。かつてこの世界を満たしていた
「……ちっ、何考えてやがる」
「言っただろう、アンダーソン君。これはビジネスだと」
「にしちゃあ、サービス精神旺盛すぎる」
「では、ファンからの贈り物ということにしておいてくれたまえ」
「気持ち悪いファンがいたもんだ」
その言葉に、にやり、とベルモンドは笑った。
「私からの話は以上だ。アンダーソン君の方から何かあるかね?」
「ねえよ」
「では、改めてよろしく頼む。何かあれば折り返し連絡してくれたまえ」
差し出された名刺をひったくるように受け取り、ベルモンドを半目で睨みながらエーテルの袋を掴んで、セドウィックは部屋を去る。
「君の妖精喰らいとしての能力に期待しているよ、アンダーソン君」
その後ろ姿に、ベルモンドは笑みのまま言葉を投げかけた。
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