1章ー6

 タイムアタックかくれんぼという競技をご存知だろうか。いやいや、知る由もないはずだ。タイムアタックかくれんぼと呼んでいるのは俺だけであり、そもそも競技として公式な場で競われるものでもないから、知っていると言われれば逆に驚きだ。


 高校生時代、輝かしさと愚かしさを同等ぐらいに組み込んだ青春の真っ只中、俺と千夏との間でひっそりと行われていた遊び……のようなものである。毎日行われていたわけでなく、ふとした瞬間、衝動的に行われる。もっとも、本来のかくれんぼのように、隠れる側と鬼とが交代することはない。いつも千夏が隠れる側で、俺が鬼だった。


 どちらからともなくかくれんぼでもしようと、提案したわけじゃなかった。俺と千夏との間に、そんな前向きなやり取りなんてものは、元から品切れだった。入荷の予定もございません。


 ある時、千夏と話しをしていた時、俺はトイレに立ち寄ったので、やり取りは一時中断となった。用を足して戻ると、千夏が居なくなっていた。別にこのまま無視して帰ってしまっても良かったのだが、お調子者で有名な三組の前田が、泣く子も泣かすと物騒なキャッチフレーズを付けられている養護教諭につけたあだ名、という話題の途中だったから、千夏を見つけ出して聞きだすことにした。おそらく千夏が話題にすることなので、絶対にしょうもないあだ名ということは聞かずともわかるが、気になるものは気になるのだ。


 携帯で連絡を取って聞くのが一番てっとり早いのだが、俺は千夏の電話番号どころか、メールアドレスも知らなかった。友達かどうか微妙だろう。ともかく、俺は千夏を探し始めた。特別教室棟の三階フロアを一通り回ったけど見つからなかった。まだ空いている図書室、グラウンド、体育館など、校舎内を軒並み探すが見つからない。誰かに千夏を見なかったか訪ねようにも、校内で頻繁に会っているなんて噂がたつことは本位じゃないので、その行動は躊躇われた。テニスコートを一周したところで、もう帰っちまったんじゃないかという疑惑がようやく芽生えて来た。今までそんな例はなかったけど、千夏ならありえそうだ。もしそうだったら、家に帰って存分にブチギレよう。そしてどす黒い気持ちを真っ黒にノートに込めるんだ。


 そこまでの決意を秘めたところで、疑問が湧き立つ。そもそも、人気の多い所に、積極的に千夏がいくのか? 俺と同じく学校内で俺といるところを出来る限り見せないのであれば、部活で人が集まる場所や、人通りの多い場所に行くのだろうか。


 思い直したところで、教室棟二階にある、校内自販機を目指した。いくつかの候補があったが、最初に思いついた場所がそこだったのだ。結論を言うと、千夏はそこで発見出来た。千夏の横には、微糖とブラックの缶コーヒーが二本。もしかして見つけ出したご褒美に貰えるのかと期待したが、両方とも空だった。期待させやがって、お殴りあそばせますわよ(柔らかくしたつもりの表現)。


「四十五分ですね」


 携帯を眺めながら千夏は言う。何のことかと思い、尋ねると。


「来るまでにかかった時間ですよ。小学校であれば、授業一科目分の時間が経ってしまったんですね。ああもったいない。まあでも、明大はろくに運動もしていないでしょうから、ちょうどいい運動になったんじゃないですか?」


 おほほ、とわざとらしく、悪びれずに吐き捨てた千夏は、妙に得意げな顔をしていた。一言で表すなら、ドヤ顔だった。どこにドヤ顔をする要素があったのかは理解出来なかったが、ジワジワと溜まって行く怒りメーターについては、確かで、本当の気持ちだった。お顔面をお陥没させて頂いてもよろしいでしょうかね。


「何一つ良くないけど、何一つ納得なんてしてやらねぇけど、この感情は一旦保留にする。それで、見つけ出した報酬というわけじゃないが、さっきの話の続きだ。前田は凍矢先生に、どんなあだ名つけたんだ?」


 千夏は一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに理解したのか静かに笑った。


「ああ、そんな話でしたね。つまらないことをいつまでも気にしているんですね。前田さんが提案していたのはですね」


 ミルクカキ氷。


 あーなるほど。凍矢先生は名は体を表すの代表格ってくらいに、冷たい雰囲気があるし、その割には胸部の装甲には思春期男子を妄想の渦に叩き落としかねないほどの攻撃力を備えていらっしゃる。そこから連想されるミルクカキ氷の意味とは……ってバカヤロウ。


 感心はしたけど、四十五分もの時間を費やすような答えではなかったな、と脱力。


 男子ってほんとバカですね、と漏らした千夏の感想に同意をした。この途方もなく徒労だった顛末てんまつが、最初のタイムアタックかくれんぼだった。


 で、ここまでが前座だ。


 この出来事以降、千夏は特に法則性もなく、いきなり何処かに行ってしまうことを繰り返すようになった。学校内であればある程度検討はつくものの、学校外で何処かに消えられた時は辟易してしまう。ともあれ、いきなり居なくなるというはた迷惑極まりない行為だが、探す方としては、当然腹が立つのだけど、わずかながらワクワクした感情が含まれていることは否定出来ない。日常の中で摂取出来る過剰すぎないスパイス。この過剰すぎないということが重要で、過剰さを求めすぎるということは、欲望が、その行為がどこまでもエスカレートしていってしまうだろう。そうなると、極端な話、犯罪行為に走ってしまうという選択肢が出て来てしまう。通常では考えつかないことが、刺激を求めるあまり、手段として浮き上がってしまうことが恐ろしいのだ。幸いなことに俺たちの場合はそんなこともなく、ただ突然かくれんぼを始めるという行為のみで充分だった。


 タイムアタックと勝手に名付けたのは、千夏を見つけた後に、どのくらい時間がかかったのかを毎回言われるからだ。千夏を見つける技術が上達していったのか、タイムは徐々に縮まって行き、千夏が隠れてから十五分で見つけられたのが、俺の最高記録だった。


 何らかのタイミングで、千夏がいなくなれば俺が探す。そんな一連の流れが、ルールというよりも、条件反射のように、組み込まれていったのだった。


 そして、千夏との最後になるタイムアタックかくれんぼは、卒業式の当日に行われた。


 卒業生在校生教員の方々、来賓生徒各々の、家族諸々方の、等々闇鍋みたいな感情が混ざり合い、周囲の空気を強引に感動のフィナーレへと持っていかれていった。卒業おめでとうという垂れ幕に、おめでたくなんかねえよと毒づいていると、千夏の姿が見えた。クラスが違うから、誰とどんな話をしているか良くわからない。千夏は泣いているわけじゃなかったが、千夏を取り巻いている女子の群れは涙を流していた。私たちズッ友だよっ! と意気揚々に言っているのかもしれない。本当に言ってるんだったらマジで聞いてみたい、生ズッ友。まあ詳細は不明なので憶測でしかないが、千夏は何か別れの言葉らしきことを取り巻きに告げた後、校舎の中に歩いていった。そんな姿をつい見つめてしまっていたものだから、振り向いた千夏と、ばっちり目があってしまった。その間は一秒もなかったと思う。次の瞬間には、千夏の姿は校舎の中に消えていた。目を離す寸前、千夏の瞳は挑戦的に燃えていた、ように見えたんだ。今までの流れから、気がついたら積み重なっていた日々が、俺に何をするべきなのかを教えてくれた。


 最後のタイムアタックかくれんぼの始まりだ。


 と意気込んだところを本当に申し訳ないのだが、結論を言ってしまおう。こちらを振り向いてた千夏の姿が、俺の思い出に残っている、最後の水崎千夏となった。


 言い訳をさせて頂くと、この後特にクラスメイトと話をするでも、お世話になった先生方に会いに行くこともせず、千夏の姿を探したのだ。教室棟、特別教室棟、グラウンドに体育館など、一通り見て回ったのだが、千夏の姿を発見できなかった。消化不良のような、道が途中で途切れていたような、どこにも行けないような、つまらないエンディング。


 大したドラマもなく、身に余る出来事もなく、青春はあっさりと終わりを告げたのだった。


 このあっけなさが、俺の物語の幕引きとしては相応しいのかもしれない。







 この時はそう思っていた。まるで被害者のように自分の物語だけを考えて、気がついたら何年も生きてきてしまった。すっきりしないにしても、終わってないものに、無理やりにでもピリオドを打つことは出来たのだが、終わらせることが出来たのだが、終わったのはあくまで、俺の物語だけだ。


 俺の終わり方が、良いか、悪いかは俺にとって重要なだけで、他の誰かには関係ない。


 その終わりに、俺が関係しなかった彼女は。


 水崎千夏は。


 もしかしたら、どこかで待ち続けていたかもしれない、水崎千夏の物語は。


 綺麗な形でなくとも、きちんと終わっているのだろうか。正しい形でなくとも、やり切れない思いを抱えながらも、何かしらの折り合いを付けながら、生きていけて、いるのだろうか。


 俺に心配する権利があるのかはわからないので、ただ無責任に、無秩序に、無関係に。


 祈った。

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