エピローグ 後の祭りで、会いましょう

 結婚式のスピーチを引き受ける旨の文面を作成し、送信を押す直前に文章を見直した。友樹に対する感謝の気持ちと、余計なことを口走ったらしいとの出来事。両方の出来事にまつわる感情を、天秤にかけた。わずかに傾いたのは、怒りの方だった。


「スピーチの内容で、卒業式の日、保健室で愛を確かめ合ってました。具体的に言うと、ヤってました。このエピソードはぜひとも披露したいんだが、いいよな? っと。送信」


 追加の文を載せた友樹へのLINEは、一分足らずで返信があった。しかも連続で音と振動の主張があった。うっとうしいので、当分は未読スルーを貫こう。


 昨日は、黒球を回収し、お互いのノートは焼却炉に放り込んで、解散となった。結局、夏祭りに出掛ける約束を具体化していなかったことと、連絡先を交換し忘れたことに気づいたのは、千夏と別れた後だった。疲労感が強く頭が回らなかったとはいえ、あまりにも間抜けだった。帰宅してすぐにベッドに潜り込むと、普段の寝つきの悪さが嘘のように、すぐに眠ることが出来た。


 翌朝、着信音で覚醒を余儀なくされ、朝っぱらから誰だよと好戦的に電話に出たら、ヤンキー先輩からだった。寝起きにも関わらず、背筋がピンと伸びた。


 アルコールジジイが退院することになったらしい。ただ、酒に対する欲求は続けて主張し続けていて、病棟の看護師や補助のスタッフにわがまま放題していたため、半分ほど匙を投げるような形での退院となるらしい。身体的な処置は終わっていたため、飲酒欲求の治療に切り替える目的で、四度目の精神科病院への入院をさせる方向で話はまとまった。


 ただし、今回はアルコールを起因とするような精神的な症状は特にないらしく、強制入院の対象とはならないらしい。例えば暴言、暴力行為が著しく、精神的に上がっている状態だとか、アルコールが一気に抜けた反動で現れる、痙攣や意識消失すらあり得る、離脱症状だとかだ。または、アルコール摂取により脳機能が壊され、虫なんかが見えることが多いアルコール性の幻視とか、そういった症状が必要らしい。今回はどの症状もなく、精神科的には落ち着いている状態らしく、本人の意思で入院してもらう、任意入院しか取れる手段がないらしい。


 アルコールジジイの退院は翌日の月曜日。俺の出勤形態は日勤だ。俺も病院まで付き添うことが、知らない間に決定していて、退院と同時にその足で精神科病院に向かうから、覚悟しておけよと、つまりはそういった内容だった。ヤンキー先輩は、この事情を説明するのに、なんか、らしいという言葉を色とりどりに散りばめ、二十分もの時間をかけて説明してくれた。伝えてくれようとする意思は、痛いほど伝わった。


 すでにイベントの待ち受けていることが確定した月曜を、憂いながら入浴を済ませると、友樹からLINEがきていた。昨日のことを気にしてくれていたので、事の顛末と、結婚式のスピーチを引き受ける気になったことを伝えて、今に至る。


 予定が白紙であることは、限りなく自由であるとともに、どことなく居場所のなさを感じた。両親はすでに、二人で夏祭りに出かけていた。仲がいいのはいいことだ。


 スマホが震える。連続した振動から、着信の方だと判断した。


 表示された名前は、水崎千春。


 どんな感情を携えて電話に出ればいいのかわからなかったが、出てから考えればいいことだと開き直り、電話を取った。


「もしもし」


「もしもーし明大さんですか? こうして電話でお話しするのは初めてですね。お久しぶりでーす。この前はお世話になりましたー」


「誰だお前」


 底抜けに明るい声が聴覚を刺激した。最後に会ったのは、おそらく海浜公園で千夏との過去について話をしたあの日。時間で説明すれば、約一ヶ月ほど前だ。今になって電話で話すことになった千春は、その時のイメージとは、大幅に異なっていた。


「やだなー千春ですよ。ハンカチを貸して頂いた、水崎千春です。あっそうです、今度会った時に、ハンカチはお返ししますね」


「それはまあいつでもいいけどさ、なんだか、この前会った時と、随分イメージが違っていないか?」


「明大さんにとってはそうかもしれませんが、むしろ、今のテンションこそが、飾り気のない水崎千春なんですよ。お姉ちゃんのトーンに合わせていたのは、私のほうです。どうです、お姉ちゃんの感じは出ていましたか?」


 電話越しの声は、弾むように脳内を駆け回っているようだ。何故だかは知らないが、ほめてほめてと期待を露わにしているように感じた。わかりにくく、感情の起伏はなるだけ見せないような関わり方が千夏なら、真っ直ぐで爽やかストレート勝負、明るい人柄を売りとすることが、千春らしさなんだろう。姉妹だから似ているなという感想を持ったけど、各々好きな格好をさせて髪型も変えて、それぞれと接した時、似ているといっても、そこそこ似ているというくらいの評価に落ち着くのかもしれない。


 千夏と千春は、同じ髪型で、同じ服装で、同じ雰囲気を模したからこそ、あんなに似ていると感じたのかもしれない。


「そうだな、いい線いってたな。実際千春ちゃんが演技をしたからこそ、千夏と入れ替わって来た時、始めはわからなかったんだから」


「褒められました。やったー」


 つくづく似ていないと思う。言っても無駄な仮定だけど、千夏が千春ちゃんの半分でも明るさがあれば、世界はもっと生きやすいものになるだろうに。


 まあそんな千夏が居たとしたら、このような関わりが出来ることはなかっただろうし、すべての出来事が絡み合った結果の、今なのだ。


「それで、突然どうしたんだ?」


「あ、はい。お姉ちゃんが元気になってたので、そのお礼にと思いまして。明大さん、お姉ちゃんを元気付けてくれて、本当にありがとうございました」


 明るく、感謝の念を込められた言葉は、俺には不釣り合い過ぎてむず痒い。信頼し、感謝してもらうこと自体は悪い気はしないけど、良い気がしないことのほうが重要だった。


 俺は、感謝されるようなことは何一つしていない。そこだけは、自信があった。


「いや、そんなに感謝されるような俺はしていない。どれだけ話を聞いているのかは知らないけどさ、俺と千夏はただ、一緒に遊んで、ストレスを発散しただけだ」


 千夏自身に問題があるとして、その病巣が、また千夏を蝕む時がくるだろう。今みたいに、立ち直れるとは限らない。性格の難儀さを病気に例えるなら、病巣を残したままで、病気によって溜まった膿を出すだけの行為でしかない。膿も傷も、生きているだけで生み出され続ける。根本治療じゃなくて、出て来た症状を緩和する、対処療法でしかない。


 性格を、性質を、生きていくために最適にするには、結局のところ千夏自身がやらなければいけない課題だ。


「きっとまた、同じ事が起きると思う。その時に俺がまた力になれるかはわからないし、そもそも俺だってどうなるかはわからないからな。千夏が千夏自身が問題を取り除けるようになるほうが、いいんだ。その為に俺が出来ることはないから、感謝されることは何も、ない」


 俺は俺で、千夏は千夏だから、自分自身でやらなければいけない。俺は、そう思う。


 しかし、俺の危惧している未来に、不安視している今後に、千春ちゃんは、堂々と言い放った。


「問題なんて、取り除かなくてもいいですよ。ストレス解消だけ、それでもいいじゃないですか。ストレス発散して、空っぽになって、また明日頑張れば。お姉ちゃんはこれからもきっと悩んで、失敗して、また塞ぎ込むかもしれないですけど、その度に、また遊びましょう。お姉ちゃんが今回色んなことを乗り越えられた。そんな経験を重ねればいいんですよ。それがきっと今後の力になるでしょうから」


 けっこう歳の離れた現役女子高生に力説されたが、不思議と嫌な気持ちに支配されることはなかった。


 そうか、問題に向き合うか向き合わないかだけでなく、問題があることを認めるってこともあるのか。問題の保留の保留の保留の保留の保留にしてもいい。ストレスが溜まったら解消する、そんなシンプルさでもいいのか。


 そして、立ち直ることを、繰り返す。


「そうかもな」


「そうですよ、きっと」


 お互い笑い合う。あまりにも穏やかな気持ちになってしまったことで、自分で自分が少し気持ち悪く感じた。自分が柔らかな気持ちになることを嫌悪しているとか、なんだろう、何かがとても重症だ。


「あっそうだ。明大さん、お姉ちゃんと夏祭りに行くんですって? ひゅーひゅー」


「切るぞ」


 いくら穏やかになろうとも、 冷やかされるとどうしても腹が立つ。


「待って、待ってください。お電話を差し上げた主な用事は、むしろこっちですから」


「で、どんな要件なんだ?」


 うん、うん、と息を大砲のように吐き出す声が聞こえた。声の調子を確かめているようだった。千春ちゃんは、身近な誰かさんの真似するように、言った。


「この後の祭りで、会いましょう……はい、お姉ちゃんからの伝言でした。ちなみに、お姉ちゃんはもう出掛けましたよ」


「約束すら決めてなかったのに、早っ」


 あいつの突拍子もない行動は、微笑ましいというよりは、軽く恐怖だ。


「まあそれだけ楽しみにしていたんだと思いますよ。お姉ちゃんは絶対に認めないと思いますけどね。どこで待ち合わせとかは言ってなかったんですけど、こんな時どうすればいいかは、明大さんならわかりますよね?」


「まあ、そうだな」


 タイムアタックかくれんぼ。


 隠れることじゃなくて、見つけるための遊びだ。


「ありがとう千春ちゃん。助かった。それで、最後に一つ聞いてもいい?」


 いいですよーと間延びした声を受けて、俺は今までとは違い、軽い気持ちで、ただの興味本位で、質問した。


「何か後悔していることって、ある?」


 快活に喋る千春ちゃんの言葉が、その時になって初めて止まった。うーんと唸るような声、記憶を呼び覚ましているんだろうが、なかなか見つからない様子だった。


「ある、と思いますけど、思いつかないです」


 とても幸せな回答に、思わず頰が綻んだ。


「そっか、ありがとう。俺も祭りに行って、千夏を探してくるわ」


「いえいえ、どういたしまして。私も後で行くと思いますので、もし会えたら何か奢ってくださいねー。五千円分くらい」


 通話が切れて、電子音だけが残る。千春ちゃんは、最後まで元気一杯だった。偏見かもしれないけど、千夏よりも夏生まれっぽいエネルギーを感じた。春生まれなのに。


 さて、千夏のことは一区切り着いたけれど、これからも人生は続いて行くのだし、もっともっと色々な困難だって待ち受けていることだろう。そんな時、俺はきっとまた間違えるだろうし、不安に苛まれて落ち込んで、後悔をまた後悔で塗り潰すような不毛な日々を、送ることになるかもしれない。大丈夫じゃなくなることも、充分にあるかもしれない。


 それでも、今の俺には、やらなければいけないことがたくさんあった。


 友樹の結婚式のために、スピーチ原稿を作らなければいけなくて、今回の件で励まされたりアイデアをもらったりした絵衣美には、お礼の一つもしなければいけないだろう。お礼と言えば、カフェラテ先輩にカフェラテをプレゼントしようと思うし、出て行く前にもう一度くらい、正音に会っておきたいと思う。場合によっては、引っ越しの準備も手伝おう。明日はヤンキー先輩と修羅場を体験するかもしれないし、アルコールジジイが入院となったら、今後定期的に、精神科病院にも行かなくちゃならなくなる。凍矢先生にはこれまでの話なんかを、手土産として持って行こう。そうだ、千春からハンカチも返してもらわなきゃな。


 もうすでにやることに溢れていて、忙しい未来を思うとうんざりしてしまう。けれどまあ、やらなければいけないことに囲まれているうちは少なくとも。


 後悔している暇なんてなさそうだ。


 自宅から外に踏み出して、夏祭り会場までは徒歩で移動する。灼熱の太陽は地上のすべてを焼き尽くすように、凶悪な熱量を注いでいた。一言で表すと、猛暑日だ。三十五度を越す空気が蔓延しようとも、より熱い力を持って、飲めや騒げやの宴の喧騒が聴こえてくる。


 その眩しくも騒がしい非日常に、今日のところは足を踏み入れよう。


 夏祭り会場が近づくたび、人通りと熱気はどんどんと増して行く。普段は味わうことのない人混みに気力を削がれるが、歓喜の声や祭囃子の音楽に乗せられて、胸の内に秘めた感情は少しずつ盛り上がっていった。


 なんでもなかった日常が、なんともなかった出来事を超えて、なんとなく進んでいった。


 ただそれだけの話だった。


 水崎千夏を探しに行こう。


 夏祭り会場まで、後少し。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

後の祭りで、会いましょう 遠藤孝祐 @konsukepsw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ