5章ー4

「で、どこに行くのか宛は決まったのか?」


 慣れないことをしたせいか、体は疲労に泣いていたので、良くないとは思いつつも、床に座りながら言った。


「誰かさんのせいで、毒気が抜かれてしまったので、その件は保留にします。まあまだ当分は、動けそうですしね」


 千夏も俺と同様、床に座り込んでいた。呆けたような表情をしている。よっぽど疲れたのだろう。


「そうか」


 温かみで胸が満たされるのを感じた反面、ぽっかりと穴が空いているような感覚も拭えなかった。きちんとした形で終わったことで、寂寥感が押し寄せてきたんだろう。


 祭りの後は、いつもちょびっとだけ、寂しい。


 そこで、ふと気付く。


 全てが終わったものだと思っていたが、最初に抱いた疑問が、最後の疑問となって、浮かび上がってきたので、千夏に訊くことにした。


「そういえばさ、あの時に貸した五千円は、一体何に使ったんだ?」


 千夏はバツが悪そうな表情をしながら、右手で髪をいじくっていた。


「ああ。この部屋の合鍵を作ったんですよ。ちょうど千春の誕生日プレゼントに手持ちを使っていたので、持ち合わせがなくて」


 なるほど。そういうことか。


 千夏が卒業式の日に研究会室で待っていられた理由、今日俺が来る前に、すでに部屋の中にいた理由の両方に説明がついた。なんてことはない。友樹と同じことをしていやがったのか。


 空気を裂くような音が鳴り、炸裂音と共に強烈な色彩が視界に焼きついた。


 大夏祭りの一日目。その終了を告げる、花火が上がり始めてた。


「うわあ。綺麗ですね。このロマンチックな光景を眺めながら、世のカップルたちが愛の言葉を囁いていることを考えると、少し腹が立ちません?」


「まったくだな」


 しばらく、何も喋らずに、打ち上がり続ける花火を眺めていた。


 五千円を返せとは、言いづらい雰囲気だ。別に今すぐ返してもらう必要性はまるでないのだけど、金の貸し借りを長い間放置してしまうのは、なんとも居心地の悪い気分だった。


 ロマンチックとは程遠いことを考えていると、幸いなことに、相応しい取り立て方を思いついた。


「なあ千夏。その五千円のことだけどさ」


 千夏の表情が変わった。それはとても嫌そうなものに。


「この状況でお金の話ですか。もちろん借りっぱなしの私が悪いんですけど。いいですよ、今返しましょうか」


「いや、今じゃなくていいんだ」


 言うべき言葉を考えるが、うまい表現は思いつかない。この言葉を発する意味を考えると、軽々しく口にしてしまうと、勘違いを誘発しかねない。


 けどやっぱり、俺には奇をてらう才能なんてなかった。


「明日も大夏祭りがやってるだろ。そこで五千円分奢ってくれ」


 千夏の口が半開きになっているのは、どんな感情からなのか、想像したくなかった。


「どういう風の吹きまわしですか? 明大がそんなことを言い出すなんて、明日は大雨が降って、お祭りは中止になるかもしれませんね」


「うるせえ」


 憎たらしい顔で、千夏はおどけた。


 急に居心地が悪く感じた。言うんじゃなかった、と軽率な判断に、軽く後悔。


「口が悪くて性格も悪くて彼女もいない明大は、なんでそんなことを言ったのでしょうね。私のことを、どう思っていることによる発言なのでしょうね」


 めんどくさい奴が調子に乗り出すと、さらにめんどくさいということを、今更ながら知ることが出来た。


 どう思っているかなんて、そんなの決まってる。


「好きであり嫌いだ。そんなぴったりとハマるような都合のいい言葉は、持ち合わせていねえよ」


 千夏に何かしら思うところがあるとすれば、それは流れ行く水のように不確かで、掴み所がない。今の段階では、どうにも確定出来そうもない。言い当てられる形容をしていないし、その名前はわからない。


 もしかしたら、もしかしたらだけど。こんな不確かでグネグネしてもやもやした、暖かくも冷たく、大きくなったり小さくなったりするような正体不明な物を、人や世間は愛だと呼んで、後生大事にしてしまうのかもしれないが、俺にはまだわからなかった。他の誰にもわからないし、俺ですらも本当のところは知らない。


 まあもしもの話。水崎千夏にまつわる感情の正体を、水崎千夏に関する新しい全てのことを知りたいという気持ちが出てきたら。


 その時はきっと、それから探しに行くのだろう。


 その時が訪れる日が来たならば、努力ぐらいはしようと思った。


「はいはい今はそれで良いですよ。それじゃあ、そろそろ始めますか」


 よいしょ、と千夏は立ち上がり、ブレザーを羽織った。


「始めるって、何を?」


 千夏は当然と言わんばかりの口調で言った。


「グラウンドに打ち出した黒球の回収ですよ。自分たちでやったことの後始末は、自分たちでつけないといけないでしょう。私たちはもう、大人なんですから」


 うるせえ。


 疲れた体を起こし、ブレザーを羽織った。


 俺は言ってやる。


「お前が言うな」

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