第1章 彼女がいなくなったらしい

1章ー1

 制服姿の少女が、俺を見つめていたので、思わず足を止めた。もうすぐ結婚をする友人と飲んだ帰り道、角を一つ曲がるだけで自宅だというのに、一体なんなのだろう。腕時計を確認すると、もう二十二時を回っていた。


 黒に近いグレーのブレザーに、膝上丈に揃えられたチョークストライプのスカート。まぎれもない母校の制服だ。そんな少女が、街灯に軽く体を預けながら、相変わらず俺を見つめている。コスプレ趣味でもない限りは俺の後輩にあたるわけだが、良くも悪くも女子高生に見つめられるような理由に心当たりはなかった。


 何をしていいのかもわからず沈黙する。あまりジロジロ眺めていると痴漢扱いをされかねない世の中なので、チラチラと盗むように、謎の女子高生に視線向けた。何度目か視線を向けるうちに、脳内に懐かしい映像が浮かび上がる。


 当然俺にも高校の制服を着て学校に通う時代があったわけで、制服について懐かしさを覚えるのはごく自然なことだけど、その女子高生自体になんだか、見覚えが、あるような……。


 疑問が解消される前に、謎の女子高生は口を開いた。


「お久しぶりですね、真中明大さん。と言っても、最後にお会いしたのは、もう七年も前になりますので、私のことは覚えていないかもしれませんので、念のため自己紹介をさせて頂きますね。水崎千春みずさきちはるです。姉の水崎千夏が大変お世話になりました」


 水崎千春と名乗った彼女は、そう言って頭を下げた。酩酊しきっている頭で考えるが、いまいち事態が飲み込めなかった。


 いきなり呼び止められたと思えば、水崎千夏の妹だなんて……一体どんな冗談だろう。


 俺が何も返せないでいることなどおかまいなしに、千春は続けた。


 信じ難い言葉を、告げた。


「姉が、つい先日いなくなりました。書き置きすら残さずに。理由はわかりませんが、いなくなる数日前より、明大さんに関する話題が何度か出ていたので、もしかしたらと思い、明大さんに会いに来ました。ただ、姉がいなくなる前に言っていたのは、ほとんどが呪詛のような言葉でしたけど」


 抑揚の乏しい、淡々とした口調で彼女は言った。どのような感情か確かめたくて、真っ直ぐ見据える瞳を見つめた。目尻が鋭利な刃のようで、眼力だけで俺を引き裂こうとしているようだった。その瞳を少し懐かしく感じた。その瞳は、彼女の言う姉の怒った時の表情にとてもよく似ていた。目鼻立ちは整っていて、輪郭はシャープで小顔。街灯に照らされて、より艶めかしさが強調された黒髪は、重力に従って、二の腕付近まで伸びていた。そういえば、水崎千夏もこんな顔立ちだったなと思い出された。


 ジワリと、背中が嫌な汗で濡れていた。日々の仕事が忙しくて意識をしていなかったけれど、そういえば、もう七月に入っていた。夜になり気温が下がってくると言えども、そろそろ蒸し暑くなってくるのは当然だった。


「いなくなった……彼女、が?」


 かろうじて、言葉を返す。動揺のあまり声が上ずってしまった。そうだ、俺はあまりにも動揺している。七年振りに水崎千春と再会するだけでなく、水崎千夏がいなくなったなんて聞かされたら冷静ではいられない。


 思い出す、高校生時代の輝かしい思い出を。許可をとって勝手に使用していた空き教室で語り合ったあの美しい日々を。笑い合い、感動に涙を流し、共に学び、共に励んだ青春の写真たちが脳内に映し出されたが、少し冷静になると、浮かび上がった出来事のほとんどが真っ赤な嘘だった。いやもう真っ黒な嘘だ。突然いなくなったと聞かされたせいか、水崎千夏との思い出を勝手に美化していたみたいだ。人の記憶はあてにならない。


 いくら酒に酔っているとはいえ、俺の脳細胞は嘘の記憶を作り出すしか出来ないポンコツなのか。がんばれよ俺の脳、がんばれよ俺の海馬。もっとあるだろ、本当にあったいい思い出が。


 唐突にあることを思い出した。そういえば。


「千夏に昔貸した五千円……まだ返してもらってない!」


 呆けたように千春は口を開けていた。何言ってんだコイツとでも言いたげな表情をしている。


 どんな反応をされようが知ったことじゃない。俺は水崎千夏がいなくなったと聞かされても、出てきたのはこんな反応なのだから。まあ、呪いの言葉を投げかけていたことは嘘じゃないだろうな。


 きっと。

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