後の祭りで、会いましょう

遠藤孝祐

プロローグ 特別じゃない前提条件

 最初に言っておかなければいけない。注意書きというほどのものではないけれど、しかし、最低限の説明ぐらいはしておいたほうが親切だと思うし、正直わざわざ言わなくてもいい余計なお世話でしかないくらいの、お節介なんじゃないかとも思う。けれど、まあ言っておこう。


 別に、何か特別なことがあったわけじゃない。


 気がついたら自分はここにいて……ここというのは地方のとある小都市で、特に特筆するようなわけでもない家庭で、両親と暮らしている平凡な家屋で、特別な能力も何もない自分としてで、普通に施設で仕事をする二十五歳になった自分自身で、そんな現在の境遇の全てを含めての、ここだった。


 別に、特別なことが起こるわけじゃない。


 魔法は使えない。異世界にはいけない。知恵や情熱を持って一大イベントを実行できるわけでもない。幼い頃の特別な約束で人生を変えられるわけでもない。前世からの輪廻転生を経て、運命の悪戯に踊らされるわけじゃない。殺人鬼は身近では暴れない。大災害も遠くで起これば他人事。変化する時代の流れ、不景気、テロや戦争などの悲劇。それらは確かに世界を変えるかもしれなくて、時代を変えるかもしれなくて。なんとなく世の中に渦巻いている、絶望と呼ぶには生温い空気。ただ俺の日常には、今のところ積極的に関与してきているわけではない。今自分の現実として、日常として感じるのは、よくわからない嫌な感じだけだ。常に胸の奥に付きまとってる。しかし、ちょっとした楽しみがあれば、あまり感じることはなくて、でもふと気持ちが冷めた時に現れる。一言で表せない、憂鬱のような感覚。もしかしたら俺以外にも感じているのかもしれない。きっとそれは普通のことだ。日常だ。


 別に、特別なことを、特別求めているわけじゃない。


 起こらなくても別にいい。日々の生活はやらなくちゃいけないことで占められている。生活のために、金を稼ぐために、仕事をしなくてはいけない。そのためには起きる時間を設定し、働く時間を考え、収入や支出のバランスを考えて買うもの、買わないものを設定しなきゃいけない。収入や一日一日の限られた時間に応じて、どれだけの行動を当てがうかを、決めなくてはならない。生きていくためには、生きていくために適した行動で埋められる。その積み重ねこそが、日常と呼んでいるものじゃないかと思う。極端な変化は怖い。予想外の出来事は怖い。日常に属さない事柄がわずらわしい。「何か面白いことはないかな」なんて願いながら、面白くなりそうな非日常は積極的には選ばなくなる。安定のため、安全のため、安心のため。


 それで本当にいいのだろうか?


 理性の声が、いくつもの俺の中にある自罰的な部分が、あるいは成長を促す進化のシステムが、俺にそう告げる。


 ダメじゃないだろうが、自分自身を納得させるだけの理由は、見当たらなかった。しかし、かといって何が出来るわけでもないと思い直す。理性を超えた感情の熱量も、根拠のないただフツフツと溶けていくエネルギーも、随分と弱々しくなったようだ。


 ふと考えた。自分以外のことを。他人の生き方が俺に影響を及ぼしているとは思えないが、唐突に気になった。他人が気になる時というのは、大抵なんらかの不安や不満を感じている時だ。不安、不満は出来る限りの努力を持って解消すべきだ。問題なんて解決したら解決した分、また新たな物が出てくる。そんなことはわかっているが、放置しておく方がより不安を感じるから、解消するために考える。


 俺の友達は、知り合いは、先輩は、後輩は、親は、無関係の人たちは、一体何を思って生きているのだろう。


 例えば。


 一番の友人、と俺は思っている、楽観的で前向きな、爽やかで、俺にはない柔らかい雰囲気や話術を持っている松澤友樹まつざわともきは。


 元堕天系中二病であり、痛い思い出と向き合って悶えたり、向き合わなくて逃げたりしながら今の自分として暮らしている、神川絵衣美かみかわえいみは。


 穏やかであり、はちゃめちゃでもあり、しっかりしているしちゃっかりもしている。まるで母みたいで姉みたいな幼馴染、鏡正音かがみまさねは。


 保健室の主。白衣姿にタバコを蒸す。冷たい視線に、含みのある蠱惑的な笑みを振りかざしていた、養護教諭の凍矢とうや先生は。


 父親は、母親は、ヤンキー先輩は、カフェラテ先輩は、アルコールジジイは。


 そして…………水崎千夏みずさきちなつは。


 一体何を思い、何を考え、どのように生きてきて、どこに向かっていくのだろう。


 なんて、うっとうしく長々とよくわからないようなことを考えてきたが、結局のところ二十代を折り返す年齢なったことで、ついつい感傷的になってしまったのかもしれない。


 自分の精神性が成長しているのかはともかく、年齢的にはもうとっくに成人と認められるべき歳なのだ。泣き言ばかりでは格好がつかない。


 真中明大まなかめいだい二十五歳。


 今日も後悔を重ねながら、生きていく。


 ただ、それだけのこと。

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