3章ー4
実は、鏡正音は時空の歪みに身を投げ出し、本当の両親を殺した男爵達の追っ手をかいくぐってこの世界にやってきたが、その時のショックで記憶喪失となり、今の両親の元で幸せな生活を送っていた。しかし、運命というものは残酷で唐突だ。一番の友人が、時空の狭間からやってきた追っ手に手を掛けられ、封印された記憶が蘇り、封印された記憶を解除したことにより、眠らせていた英雄の証を復活させ力を蓄えたため、元の世界に戻り混沌に支配された大地を統一する戦いに赴くのだ。
という展開はやっぱりないので、安心して欲しい。
正音がお別れと言った詳細について話せば、内容だけであれば、正音にとってはむしろ嬉しさを覚えてもいいんじゃないかという内容だった。
平社員から、主任への昇格。そこで正音の将来に期待を掛けてくれたのか、今の店舗よりも賑やかで来客数の多い、政令指定都市にあるデパートの店舗への転勤という、辞令が下ったのだという。忙しいところで修行を積んでこいという、上層部なりの気遣いであるらしい。
正音は、辞令が下る前に上司から打診があった際、悩みはしたけれど受けることに心を決めた。
とはいえ、転勤となる店舗は、単純な距離で言うと、この街からは三百キロは離れている。高速道路や新幹線等の交通経路は確保されているし、国内への転勤なのでもう一生会えなくなるとか、そういったレベルの話ではなかった。
けれども、誘いたい時に、さして悩まず気軽に飲みに誘える友人ではなくなる、そんなレベルの話ではあるのだ。毎日今の住居から通うには、流石に距離も時間もかかりすぎるため、当然転勤先付近で居を構えるつもりらしい。
家に住み、店に通い、買い物をして、仕事をして、生活する。当たり前のサイクルを、子供の頃から徐々に変化していった、この街で生きるという行為から、生まれて初めて離れることになるのだ。
意味もわからず、市内をドライブしていた理由にも合点がいった。正音は、自分が暮らした街を思い返しつつ、最後のお別れをしていたんだ。
「そうか、もう決めたんだな」
「うん」
正音は頷いた。いつもよりも引き締まり、より光が宿っているように感じる瞳。もう心は決まっているみたいだ。
俺には正音の選択を止める権利なんてものはないし、正音自身が決めて行うことを口出ししようとする気もない。そんなものは野暮だ。学生時代ですら選択というものは自分の責任で行わなければいけない、と考えていたのだから、大人になった今、俺に言えることはほとんどない。
強いていえば激励と、弱音ぐらいか。
「突然呼び出されて酒を飲まされる日々も、やっとなくなるのか。清々するな」
「うん。ごめんね。これでも手加減しているつもりだったんだけどね」
「嘘だろおい」
今明かされる衝撃の真実。一種類の酒を飲み続けるのなら、まだ肝臓へのダメージは少ないが、正音の場合は様々な種類のものを見境なしに飲んでいる。ちゃんぽんしまくりだ。おそらく毎回十杯以上は飲んでいたはずなんだけど。
「まあ、これから今以上に忙しくはなるだろうし、今みたいに気軽に飲みには行けないかもね。明大くんと飲むことも、滅多に出来なくなるしね」
「そうだな。俺としては若干ありがたいけど……少しは、寂しくなるな」
「そう言ってくれるんだ。ちょっと意外かも。私のことは、うっとうしい幼馴染だって思ってるのかなって」
「流石だな。うっとうしくて強引でお節介な幼馴染だと思ってる」
「うわあ、予想よりひどいな」
そう言いながらもクスクス笑っていた。俺も笑う。気持ちを確かめ合うように、一緒に笑い合うが、肝心のセリフは言わない。
とても頼りになる幼馴染だと思っていることは、言わない。
「そういえば、高校には行かないのか?」
ふと気になったことを聞いてみた。正音の思い出の場所としては、俺たちの母校も含まれるのだろうと思ったが、今日はその近くを通ってはいなかった。正音が通っていたであろう中学校については、脇をすり抜けていったので、あえて高校だけはスルーしている気がして不自然に感じた。
「変なところで鋭いね。うん、もちろん見ておくつもりではあるけど、明大くんと一緒にいることを考えると、今日ではないんだよね。確かに私と明大くんにとっての思い出の一つだとは思うんだけど、明大くんにとって、あそこで一番思い出に残っているのは、一体誰との出来事なのかなって思うと、きっと私ではないよね。だから、今明大くんと行くのは、相応しくないように思うんだよ」
嬉しいとも悲しいとも、何も感じられない、無味乾燥な声色だった。ただ事実を淡々と述べている、そんなニュアンスを感じた。きっと正音なりの気遣いというか、舞台の設置というか、そういう意図があるんだろうけど、俺にはわからない。
わからないけれども、わからないなりに正音の道しるべにはできる限り辿らせてもらおう。果たして今の俺に、その道が見えているのかは、定かでないけれど。
「よくわかんないけど、まあ、ありがとな」
「どういたしまして」
そう言って正音は屈伸運動をしだした。足を左右に開き腰を沈め、片足ずつ解す動作からアキレス腱を伸ばし、両手と両足をプラプラと動かしていた。体育の時間が始まると、自動的にさせられることが決まっていた、準備運動だ。
「なんで準備運動してるんだ?」
「せっかく学校のグラウンドまで来たんだから、やることは一つでしょ。走るよ」
え? なんで?
いきなりこんなことを言い出す意味不明さに驚愕しているけれど、それよりも俺はとても驚いていることがあったため、指摘せずにはいられない。
「お前スカートで全力疾走する気かよ」
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