第3章 さよならしても大丈夫
3章ー1
目覚めは最悪、不調が増悪、職場は劣悪、そんな厳しい現状を把握。
まるでラップみたいに韻を踏んでしまっているが、これでも、気持ちは沈んだままだ。
水崎姉妹に愛想を尽かされてから、三日が経過していた。千夏はもともと連絡先は知らないけど、唯一連絡先を知っている千春に、LINEでブロックされていた時は、二重に落ち込んだ。これで俺には千夏のことに関する手掛かりはなくなり、青春の思い残しを抱えたまま、人生を継続していかなければならなくなった。これからのことを思うと陰であり、生活状況も隠といった感じだ。こんなふざけたことを考えられるんだから、意外と余裕あるじゃねえか、自分。
何があっても、日常をルーティン的に続けなければならない気持ちが優先されていたため、どれだけ最悪な感情を抱えていても、仕事には行っていた。実のところ、落ち込んでいる時に働くという行為は、決して悪い効果を受けるわけではない。やらなきゃいけないことだから、良い悪いといった価値観。やりたいやりたくないなんて気持ち。そういった理屈や感情に惑わされる必要はない問答無用な強制要素が、今の俺には必要だったのだろう。
やってもやらなくても、どちらでもいい。そんなことを言われると、大抵やらなくても良い方に天秤は傾く。強制、管理、対価。言葉で表すとあまり良い印象は覚えないような要素は、生活上で必要なことかもしれない。
それに、何かに没頭している時は、憂鬱な気持ちを、置いてきぼりに出来る手段の一つだった。普段は仕事としてやりたくないが、利用者の方々の失禁行為の処理なんかも、一人の人間への対処に集中出来るので、それ以外の思考を挟む余地がない。少し不快感を煽られる匂いが、今の俺の気持ちを落ち着ける要素になっているなんて、何がどうなるかわからないもんだ。
しかし、今一番困っているのは、意外なことに休日だった。
日勤と夜勤が入り乱れる勤務形態なので、休日は変則的だ。あまり連休は取れないし、休日にも他の職員が体調不良で欠勤になると、急に呼び出されたりもする。普段であれば、あればあるほど嬉しくなるもの、休日。
で、今日は平日の休暇だ。週休二日縛りで働く、多くの社会人が汗水垂らして、下卑た笑いや辛い涙も垂れ流しているであろう時間帯に、俺は意気揚々と自由なのだった。
けど、今に至っては。
「暇って……辛い」
近所の河原で、犬の散歩をするご高齢の皆さんにすら馴染めず、水面に流れる枯れ木や空き缶を眺めている、沈んだ顔をした不審者、それが俺だった。
いっそのこと一日中ベッドでゴロゴロと寝休日を過ごせればいいんだが、寝付けない状態で寝転がっていると、良い思い出も悪い思い出も無尽蔵に投射されてきて、とてもじゃないが、いやとても眠れない。
かといってゲームや漫画で気を紛らわそうとしても、気もそぞろになり、集中出来ずに五分と持たずに止めてしまう。部屋には高校どころか、小中学校の時からの記憶に馴染むものが存在しているため、思い返せる思い出には事欠かない。このままでは、思い出に押しつぶされるなんて奇妙な感覚を味わったため、家にはいられずに、こうして近所をブラブラしている。
お友達と呼べる人達はみんな仕事中。社会の構造上仕方がないことだけど、選択肢などなく、孤独でいるしかない状況に、寂しさを感じた。
段差状に敷き詰められた、石の群に寝転ぶ。太陽の熱を逃れた日陰の石たちはひんやりとしていて、肌を冷やしてくれた。皮膚にぶつかる硬さに、痛覚が刺激されるせいで、全然安眠は出来そうにないが、わずかな痛みは、不快というよりはちょうどいい刺激となっている。痛気持ちいい。
俺は考える。考えて考えて、また同じところに戻ってきて、それでもまた考え続ける。同じトラックをひたすら周回しているような、自身の行為が無意味だと悟っても、尚同じコースに執着し続けた。
俺は、水崎千夏と再会してどうしたいのか。
謝りたいなんて言ったが、申し訳ないかもしれないことをしたのかもしれないと思っているが、俺の千夏に対する本質は罪悪感なんかじゃない。それこそ、俺と一緒に帰ろうだなんておかしなことを言う軟弱者なんて、水崎千夏じゃねぇよバーカ……と本当に言うか言わないかは別として、このくらいの発言をしてやろうかと思うのが俺なんだ。
真中明大が思う、真中明大の姿だ。
じゃあどうして言えなかったのか。そして、俺はどんな水崎千夏であれば、どんな結末であれば、満足したのか。
で、結局俺は何がしたいのか。
わからないものを考えて、考えているうちに答えが出るなんて素晴らしい経験は、今までの人生にはなかった。今回も例外ではなく、明確な答えなんて尻尾も掴めない。そこらへんに落ちてないかな、お得な掲示板とか、冒険のヒント。
ああああーと苦悶の声をあげながら体をくねらせていると、スマホに着信が入った。表示される相手は水崎千春。
なんて都合のいい展開ではなく、現在就業中のはずの、ヤンキー先輩だった。普段なら嫌な予感しかしないのだが、今日に限ってはありがたかった。
画面をフリックして、着信に応じた。
「もしもし」
「お前今何やってんだ」
出た瞬間に怒鳴られた。ただ休日を過ごしていただけなのに、さすがに理不尽な物言いじゃないですかね。
「近所の河原でぼーっとしている最中ですけど」
「ふざけんなよ。こっちは今大変なんだ」
だからこそこうして電話しているんだろうけど、何かしらのトラブルにテンパっているせいか、意味不明な怒り方をしていることには気付いていなさそうだ。いつものことだししょうがない。意味のわからないキレ芸は、ヤンキー先輩の真骨頂だ。
「どうかしたんですか? 状況はわからないですけど、人手がいるのなら動けますよ」
協力的な返答に気分を良くしたのか、トーンが若干下がり、現状の説明を行なってくれた。
「アルコールジジイが倒れた」
簡潔すぎる説明だが、内容は把握出来た。そんな、まさか。
「やりましたね」
「何喜んでんだよ」
うっかり本音が出た。
「まあいい、とりあえず今は人手が足らん。連絡のつく家族がいねえから、仕方ないけど俺が病院に付き添わなきゃならん。もう一人くらい来て欲しいって救急隊の奴が言ってたんだが、これ以上抜けられそうになくてな。お前に出来ることは、わかるな」
電話越しにも関わらず、力強く頷く。
「もちろんです。バレないようにトドメをさせばいいんですね」
「殺すぞ」
美しくシンプルなぶち殺し文句に、胸が高鳴る。恐怖で。
「すぐに病院へ直接向かいますので、どこに運ばれるのか教えてください」
通話状態は維持したまま、河原から駆け出した。
望もうが望まないが、物事はいつだって、勝手に進行していくのだ。
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