第5章 正しくない青春の終わらせ方

5章ー1

 散りゆく桜が美しいと感じるのと同等の感動を持って、沈みゆく夕日も美しいものだなんて感じていた。要するに、散ったり、沈んだり、物事の変化、そして無くなってしまう、寂しさに対する感性。儚さだとかもののあはれだとかの表現は、どうしようもないことに対する諦観の念を、あえて美しい物だと価値観を付随することで、滅んでいくことに意味を持たせたんじゃないか、とも思う。ちょっとしたことへの情緒や、侘び寂びを感じるという感性は、日本人は高い能力を持っているのだという。地震や火山の噴火。台風に津波だったり、人智では防ぐことの出来ないとびきりの天災という自然災害があると、命なんてものはいつ消えてしまうか、わかりやしない。人の命が握り飯一つよりも軽い。そんな生きているだけで、死ぬことに向かっていることに、何か意味をつけたかったんだろう、きっと。


 始まりが歓喜であるのならば、終わりに救いがあって欲しい。昔からただ単に、ロマンチックなだけなんだ。


 ただ、俺が語るお話は、そんな重苦しいものじゃない。おさらい、というよりは付け加えとして、この一連の出来事の取り扱い説明書を更新しよう。宇宙人は出てこないし、身近な誰かは亡くならないし、世界の法則がひっくり返って逆さまになったりはしない。俺のことも千春のことも友樹のことも正音のことも絵衣美のこともヤンキー先輩のこともカフェラテ先輩のことも凍矢先生のこともアルコールジジイのことも高階良子のこともそして、千夏のことも、残念ながら広義の意味で世界に影響は及ぼさない。ミクロの世界における影響は否定できないし、実は大きな影響となって、自分自身に、あるいは全く関係のない他人に返ってきているのかもしれないが、今ここにいる世界線の事情しかわからない以上、実際にわからないことは想像であり、妄想として理解されるようなものだろう。


 何が言いたいのかと言えば、大きな出来事は特にないし、俺の行いは世界を変えない。そんな圧倒的な安心感。終わってみれば、きっと大したことのなかったと言えてしまうような、ここまでの流れに、終止符を打とう。


 そんな風につらつらと考え事をしながら、橙色に輝くグラウンドに佇んでいた。凍矢先生の言った通り、夏休み中にも関わらず、部活動に人生を捧げる青春野郎どもは、今日に至ってはもう活動を終えていた。誰もいないグラウンドが物悲しく感じるのは、普段は人気に溢れ、騒がしく明るい場所というイメージがあるから、きっと寂しく感じるのだろう。


 友樹から高階良子にお願いしてもらったのは、今日の十八時頃に学校に来て欲しいという旨を連絡してもらうことだった。細かい文面までは指定していないが、大まかにそれだけの情報が伝われば充分だ。まあ高階良子の高校生時代の印象を語れば、決して特殊ではないが、面倒見が良く、一般的な生徒だったと記憶している。そう変な文章は送っていないと信じてるから。


 さて、とスマホで時間を確認する。十七時五十五分。普段通りの歩みで行けば、ちょうどいい時間になることだろう。


 校舎に繋がるアスファルトに舗装された道を歩く。この前歩いたとはいえ、一人で歩けば、嫌でも七年前との違いが目に付いた。毎日何千、何万との人間を乗せ続けていたためか、所々凸凹としており、交通量が多いのか端っこのほうが凹んでいた。生徒たちを見守るように、等間隔で植えられた木々は、僅かに高さを増しているように思えて、確かな年月を刻んできた事実を認識した。グラウンドと校舎の中間ぐらいに設置してある、円状のベンチの中心には、一際、天を目指している大木が、今も尚学校全体を見渡していた。メタセコイア、だったかな。ヘタな教師よりも長い間、学校全体を見守り続け、時には男女の青春の象徴ともなったであろう、まるで父親のような存在に、敬礼。このメタセコイアに意識が、思いがあったのなら、もう部外者となった俺が、未だにわだかまりに拘っていることを、バカだって、笑ってくれるんだろうか。


 校舎に入る直前に、教室棟と外界を隔てる塀の間に身を滑り込ませる凍矢先生を確認した。ピンと来た。全面禁煙の学校内のどこでタバコを吸うんだろうと思えば、どうやら隠れた喫煙所があるらしい。ちょっとだけ、お邪魔します、と消えていく背中に、メッセージを送った。


 校舎内に足を踏み入れると、静寂さに支配されていた。使う人物がいると想定されていないため、廊下の電気は消えており、薄暗い。人の気配を感じられないことも、雰囲気を暗くしている要因のように、思う。右に移動し、三年生の下駄箱に靴を入れようとしたが、当然だが先客があった。今利用している生徒の上履きが入っていたので、端っこの空いている下駄箱に靴を突っ込んだ。七年ぶりに取り出す上履きは、少し窮屈に感じた。一応前日に洗濯したので、衛生上の問題はクリア出来ている、はずだ。


 一歩一歩廊下踏み出す度に、靴底と廊下が打ち合う音が響く。職員室の前には、今日も開催されている、大夏祭りのポスターが張り出されていた。家族と祭りを楽しんでいたのは、小学生くらいまでだ。高校生の時は、正音に、友樹や絵衣美とも行ったように思う。千夏とは当然祭りでの思い出はない。明日は元々休みの日になるから、もしチャンスがあれば、楽しむのもいいかもしれない。


 懐かしい景色を噛み締めつつ、進んで行く。思い出の濃淡はあるけれど、目にする度に記憶のどこかが疼きだす。記憶は単体のものではなく、あらゆる物と繋がっている、連鎖的なものらしい。校舎内の光景に触れたことで、気持ちと記憶は過去のものに変質しているのかもしれない。二十五歳の俺が、限りなく十八歳の時に、近づいているような、錯覚。


 階段を登る。数えたら十四段で中二階を挟み、十五段を登る。さらにもう一階登る。特別教室棟へ続く渡り廊下を進めば、目的地まではもうワンフロアしかない。

 けれども、進む。決めたから、進む。


 特に苦難もなく、誰かとすれ違うことすらもなく、元研究会室の前まで辿り着いた。扉は閉ざされていて、誰かがいるのか、いないのか、判断がつかなかった。


 適切な例えかはわからないが、まるでロールプレイングゲームのラストダンジョンで、ラスボスに挑む直前のような心情だ。セーブポイントを探しても、見つからなかった。そりゃそうだよな。


 今までの人生では当たり前で、これからもずっと当たり前に、人生は一発勝負だ。


 友樹から借り受けた鍵を使う。ここに入ると、もうボス戦が終わるまで出られませんよ。そんなテロップを幻視し、イエスを選択する。


 金属がぶつかる音が鳴り、錠は外れたことを理解した。


 ドアを開けた瞬間、最初に感じたのは、風だった。埃が巻き上げられ、目元を襲われた。右腕を眼前にかざし、埃の攻勢から視力を守る。


 いや冷静に考えると、風が吹いているなんて、それはおかしい。閉じられている教室であれば、埃が舞うほどの風が吹き抜けるはずはないんだが。


 突風がおさまり、ようやく教室をはっきりと視認出来た。窓が開け放たれており、灰色に近づいているカーテンも揺らいでいた。


 窓の前、橙色のベールのような光に包まれ、僅かに見えるシルエットは、女性のものだ。チョークストライプのスカートに、闇溶けるような黒いブレザーを纏っている。窓の外に顔を向けていて、表情は伺えない。


 元研究会室一人佇む女性が、振り返る。実際の動作をより細かく認識しているのか、動きが妙にゆっくりに見えた。


 完璧に振り返った制服姿の女性と、ついに目が、合わない。


 この後に及んで、高校の制服に身を包みながらも、狐の面を着用していた。前回丘陵公園で待ち合わせた時の姿と、重なる。


「お久しぶりですね、明大さん。こんなところに呼び出すなんて、きっと何か必要な理由があるのだとは思いますが、どういったご用件ですかね。そもそも、前回にお会いした時に、もう二度と会うことはないと申したではないですか。ここまでいらっしゃって頂いたところを申し訳ないですが、水崎千夏を見つけて頂かなければ、会うことは叶いませんよ?」


 最初に再開した水崎千春は、水崎千夏と瓜二つのイメージだった。背格好や声質なんかは、流石姉妹は似るもんだな、と感心すらしていた。


 二回目以降は、何故か仮面を被ってのご登場だった。納得の行く理由は説明されていないし、この出来事に対しては謎のままだった。


 他に気になったことは、水崎千春と連絡が取れなくなったあの出来事があった日、あの日が誕生日だったということ。とはいえ俺は、水崎千春の誕生日どころか、水崎千夏の誕生日すらも、全く知らない。


 けれども、あの日がどちらの誕生日だったかなんて、そんなことは明白だ。


「もう、茶番はいらねえよ」


 沈黙が訪れる。なんとなく、言葉を待っているような気がした。うまく言葉で表現することは容易ではないけれど、前向きに言葉を待っているというよりは、挑戦的な気持ちを多く含んでいるように思った。


 もう一度風が吹き抜ける。砂埃が舞い広がり、一瞬視界を薄白く染めるが、今度は目を逸らさない。


 不思議と落ち着いてきた。ゆっくりと、息を吸い込む。言葉をぶつけるために、肺に空気を送り込み、吐き出すと同時に、セリフを声帯の振動に乗せ、放った。


「仮面を外せよ、千夏」


 簡単な話だ。正音が言っていた、仮面を着ける理由とは、なんなのか。それはもう単純に明快で、顔を隠すためだろう。水崎千夏が、水崎千春と名乗っても確信を持たせないように。いくら似てるといっても、実際に千夏と千春を見比べれば、間違うはずはない。与えられる情報が少ないほど、判断は正確に出来なくなる。そのための、仮面。


 そして、決定的に疑わしかったこと。最悪だと称された誕生日。本当の本当に、あの日が誕生日であったのかどうかはわからないけど、少なくとも千春の誕生日では絶対にない。


 それを確認するために、わざわざ凍矢先生に一芝居打ってもらったのだ。正確な日付は伏せるが、千春の誕生日は、予想の範疇と言うべきか、三月だった。


 となると、あの日、俺がまんまと自らの気持ちを懺悔し、後悔に苛まれて、そんな俺にビンタまでしてくれやがったのは、千夏の方だったということになる。まあそりゃそうだろう。


 普通に考えれば、春に生誕し、名前に四季の彩りを加えたいなら、誕生日に合わせて春の字を入れるだろう。あの狐面を千春だと仮定すると、夏生まれなのに千春という名前になるので、どうしてもちぐはぐな印象は拭えない。ましてや、姉こそすでに、名前に夏を持っているのだから。あの日に誕生日だったのは、千夏の方だろう。それにしても、千夏の誕生日は俺と同月だったんだな。出来すぎた偶然だ。


 二回目に、初めて仮面を着けてきた時の彼女が、千夏だったのか千春だったのかは確定的には出来ないが、おそらく本当に千春だったのだろう。千春が仮面を被るなんて意味不明な行動をとった結果、千夏が仮面を着けてやってきても、大きな疑問を持たずに受け入れてしまうことが出来た。それこそが狙いだったのだと。全く見抜けず、見事に騙された。


「ふふ、うふふふふ。あははははは」


 千夏は、何がおかしいのか声をあげて笑い始めたと思えば、仮面を結んでいた紐を解き、狐面を外した。


 紐と僅かに絡まった黒髪が揺れた。閉眼した眼が開かれ、剣のような視線が、突き刺すように向けられていた。ああ、間違いない。俺が思う、高校生時代の水崎千夏の姿に、相違なかった。


「よく出来ました、と珍しく褒めてあげるべきですかね」


「よく言うぜ。こんな雑な展開、お前から言わせれば見破って当然なんじゃないのか? というか、本当は見つけて欲しかったんだろう? あの時から、ずっと」


 確信はなく、確証もない。確実とは言えないが、それでも真実のように思う。勝手に思う。


 そもそも俺と千夏がやっていた遊びは、俺がタイムアタックかくれんぼと呼称していた遊びは、隠れきることが目的ではなく、見つけるための遊びだったのだから。


「まあ矮小な脳機能を持って考えた結果がそうなのであれば、事実はどうであれ、一つの答えとしては成り立つのではないですかね」


「そのクソみたいに婉曲な表現も久しぶりだな。変わりなくて進歩がなくて、とても嬉しく思うよ。にしても、きちんと顔を合わせるのは、約七年振りか」


 千夏は、わかりやすく溜息を吐いた。肩まですくめ、どうしようもないものでも見るように、瞳を尖らせていた。言うまでもなく、挑発行動として意図的にやっているんだろう。


「表現力に差を感じるからといって、プライドを保とうとしなくてもいいのですよ。しかし、時間経過の認識については、あまりにも大体過ぎますね。大雑把にしか物事を考えられないのは、明大の能力的にはしょうがないのかもしれないですね。教えて上げましょう。顔を合わせるのは、約七年五ヶ月と四日と七時間振りぐらい、ですよ」


 千夏は、花のように微笑む。ただし茎から花弁まで真っ黒な呪われし花だ。昼間の残熱に当てられて、まだまだ部屋は熱気を保っているくせに、なぜだろう、薄ら寒く感じた。


 流石の俺でも、直接の指摘は出来なかった。


 こだわりすぎだ。


 怖っ。


「……ただ、今日のタイムアタックかくれんぼに関しては、最高記録だろ。見つけるまでにかかった時間は、五分だからな」


 千夏は顎に右手を当てており、視線は斜め下に向いていた。思考中の様子が、身体の動きで表現されていた。


「タイムアタックかくれんぼ? ああ。あははは。明大はあの遊びのことを、そんな風に呼んでいたんですね。直接的ですね。まあ私とは認識が違うので仕方ないですが。私は、無意味な待ちぼうけ、と名付けていましたよ」


 如何でしょうか、と目配せされ、リアクションに困った。千夏側からすれば待たされる側になるが故の呼称なんだろうが、微妙すぎていちゃもんをつけにくい。せめてネーミングセンスが最高か最悪かに振りきれろよ。


 ともあれ、呆れるほどの時間をかけて、かくれんぼと呼ぶにも、待ちぼうけするにも、いささか長すぎる年月をかけて、ついに再開に至ったわけだけど。


 やっぱり手放しで友好的に、というわけにはいかなかった。悲しい気持ちに支配されたり、良好な言葉を選ばずに嘆いたりなんて、しない。むしろワクワクしてきたのだ。ただ好き勝手言える関係というものは、打算も損得勘定も混ざりこまない。社会人として生活していると、趣味とお金と時間と休息のバランスを、常にとり続けなければならない。他人の都合や社会の都合なんてものも加わり、事情が増えれば増えるほど、自分自身の自由は目減りしていく。損得やバランスの必要ない関係性。それはとても、貴重なものだと感じる。


 けれども、終わりだ。


「なあ千夏、言わせてもらうがな」


「結構です」


 拒否の意を示すのには、一秒もかかっていなかった。


「まあ……拒否されても言うんだけどな。なんだよ、失踪したって。なんでそんな、無駄に、心配をかけさせるような嘘をついたんだよ。わざわざ高校の制服まで着ちまってさ。もう二十代後半にもなったってのに、コスプレはちょっとキツイんじゃねーか」


 言葉をナイフのように尖らせ、鋭利に突き刺す。自然と言葉がキツくなり、言わなくていいことまで漏れ出した。千夏の嘘に振り回されていたことは当然腹立たしいのだが、それ以上に強い感情はまた別の理由からだ。


 言いたくない。こんな簡単に、あっさりとわかりやすい感情を、ぶちまけたりなんかしたくない。素直じゃないといつか友樹に言われたことは、実にその通りだと認めざるを得ない。けれども、素直じゃないことの何がいけないのか。感情を、意思を表現する方法が、まっすぐなことと捻くれていることに、価値の違いなんてあるのだろうか。


 とはいえ、適した言葉はどうしても見つからない。既存の言葉では、微妙にニュアンスが変わってしまう。そんな言葉で、表現するしかないことが不快だけれども、この言葉が、今の心情には一番近いのだ。


 俺は、水崎千夏が心配でたまらない。


 ただ悪意や嫉妬を武器にして殴り合う、元同級生という間柄しかなかったけれど、関係性があったからには、特別な何かがあったからには、簡単に過去のことだなんて切り捨てることはできなかった。


 俺は、心配で心配で、たまらなかった。


「まあ反論したいことは山ほど、いえ星の数ほどありますけど、最初に言っておかなければならないことがあります」


 空気に質量が加わる、低く重い声色だった。千夏の瞳が、凍ったように見える。俺も自然と、目尻が角度減らし、頰が強張る。呼吸が浅く、早くなる。


 千夏は、言った。


「明大もしてるじゃないですか、コスプレ。いい歳して高校の制服なんか着ちゃって、二十代後半のブレザー姿っていうのは、正直言って見ていられないですね。恥ずかしくないんですか? 気持ち悪い」


 うるせえ。


 お互い様だ。


 母校の一教室で睨み合う卒業生二人は、二十五歳にもなって高校の制服に身を包み、お互いを罵り合っている。そんな構図だ。


 青春を終わらせるための舞台演出は。


 側から見ると。


 とても痛々しい。

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