4章ー8

「ありえないーです。なんでこの歳になってまたこんな生き恥を晒さなければいけないんですかー」


 絵衣美流の励ましが終わり、じゃあ解散という形にはせずに、感謝の気持ちを込めて、以前勝手に決意したうまい棒プレゼントをすることにした。しかし、絵衣美が来ることを予想してなかったので、うまい棒を常備していなかった。そこで、せっかくなので買いに行くことにしたところまでは良かったのだが、絵衣美は現在も金髪ロリータ姿だった。一緒に買いに行こうぜと提案しても、更生してしまっている絵衣美にとっては、そんな姿で出掛けなきゃならないことは、罰ゲーム以外の何物でもなく、激しく抵抗した。


 簡単に髪型を整えて、行くぞと有無を言わさずに伝えた結果、金髪のカツラだけは外し、渋々とついてきた。病院に無理やり連れて行かれるワンコのようだった。翼は見えないけれど、垂れ下がった尻尾の幻は見えた。


 スーパーでうまい棒や缶コーヒーを購入している時の、周囲の視線はまるで刃物のようで、一緒にいる俺も相当肩身が狭かった。なんでこんな格好の絵衣美と買い物しなきゃならんのだと愚痴ると、先輩のせいです、と涙目で言われた。ほんとだ。


 流石に申し訳なさもあり、定番となりつつあるハーゲンダッツクリスピーサンドも、セットで購入した。今日買ったのは抹茶クリームあずき味だ。


 スーパーを出て帰路に着こうとした矢先、絵衣美は何かに反応して、スーパーの出入り口に設置してある何かに近づいていった。


「先輩。鬼畜でイヤラシイ明大先輩!」


 うるせえ。


 今このタイミングとその文脈で名前を呼ぶな。


「なんだよ」


「これ、見てくださいよこれ」


 絵衣美が指を差した先を確認した。黄色のボディに、全面にはアニメか何かのキャラクターを模したフィギュアの写真が貼り付けられている。いわゆるガシャポンというやつだ。


「えっと、なんかのアニメキャラのガシャポンだな。それがどうかしたのか?」


「私これやりたいです」


 純真に瞳を輝かせ、絵衣美は懇願した。こいつが犬であったなら、尻尾はきっと全力で振れているだろう。


「やればいいじゃん」


「先輩に奢ってもらってやりたいんです」


 うまい棒とハーゲンダッツでは飽き足らず、さらなる供物を要求してきやがった。心に引っかかっていた申し訳なさも、そろそろ風前の灯火だ。


 子供の頃は俺もたまに回した覚えはあるけど、今になって集める趣味はなかった。値段を見てみると、信じ難いことに、一回二百円もかかるらしい。


 どうすっかな。


「……これで最後だからな」


 励ましてもらった恩もあるので、ギリギリのところで承諾した。


「やっほーい。さあ先輩、軍資金をください。はやくはーやく、諭吉プリーズ」


「万札だと」


 何回やる気だよ。お前確か今年で二十四歳だろ。今度から二十四歳児って呼ぶぞこら。


 流石に万札は渡せないので、千円札を渡したら、スキップしながら両替機に向かっていった。


「さあ、全コンプするまで終われない戦いが始まりますよ」


「待て、辞めろ」


 フィギュアは全部で七種類に加えて、明らかに出づらいであろうシークレットが二種。これを全部揃えるまで辞めないつもりだった。


 いっかいめ、と楽しげな声が響く。いっそのこと、先に帰ってやろうかと思いながら、休憩用のベンチに腰をかけた。


 熱に浮かされてますますテンションを上げる蝉の合唱と共に、今週末に行われる大夏祭りの練習をしているのか、激しく波打つような太鼓の音が鳴り続いていた。







 四千円。


 これがなんの数字かもうお分かりだろうが、絵衣美がガシャポンをコンプリートするまでにかかった金額だった。二十回も回しやがった。シークレット二種が早々に出たから油断していたけど、明らかに脇役っぽい三枚目のキャラクターが出るまでに、これだけの金額を要したのだ。


「ふんふふんふふーん」


 思う存分ガシャポンに興じることが出来て、絵衣美はとても上機嫌だった。反して俺は思わぬ出費に怒り心頭だ。財布の中身の大小こそが、社会に生きるもののバロメーターであるということを、その体に教え込んでやろうか。


「かっこいいなあ、かわいいなあ。ほら見てくださいよこのフォルム。ディテールに拘りを感じますね」


「そうだな」


「なんだか不機嫌ですね。被ったものは差し上げますから」


「いらない」


 部屋に戻り、先ほどの戦利品を、順番に俺の机の上に並べているのは二十四歳児。何かに夢中になれることはいいことかもしれないが、せめて家に帰ってから並べて欲しい。


「先輩、邪魔なのでこのノートどけちゃってもいいですかね?」


 心臓が嫌な音を立てた気がした。夏の気温とは別種類の熱が、かきたくもない汗を作り出した。誰にも見せたことのないそのノートは、未来永劫誰かに見せる予定はないのだ。


「いいけど、とりあえずそいつをよこせ」


 絵衣美は俺にノートを渡そうと手を伸ばしたが、うまい棒を咥えていたせいか目測を誤り、俺の腕とノートが交差した。ふいに絵衣美が手を離し、ノートは重力に従って床に落下した。衝撃でノートが開かれる。まずい。


「すいません今拾います……うわあ」


 ノートの中身を見てしまったのだろう。若干の躊躇うような声をあげ、絵衣美は硬直した。思わず額を押さえて閉眼した。ああ。


「先輩……これって」


 恐る恐るといった様子で絵衣美は尋ねた。見られたからには仕方がない。説明責任は果たすべきだろう。不本意ながら。


「……俺が日々感じた不満を書き溜めたノートだよ。通称、呪いの書だ」


 説明するのも恥ずかしい。正音に理不尽な扱いを受けてから、心に貯めておけなくなった不平不満を書き出したら、物の見事にハマってしまい、それが今になっても続いている。ストレスの解消法としては、とても健全な部類のものだとは思うが、そもそも他人に見せる想定はしていないので、好き勝手に書き殴っていた。これを見せるぐらいなら、いっそのこと尻の穴を見せる方がまだマシなんじゃないかと思うくらいの、禁断の書だ。まあ尻の穴も見せないけど。


「松澤先輩に、うわあ、鏡先輩のことまで書いてあります」


「読むな」


「凍矢先生がエロ過ぎ有罪。養護教諭にしておくのは不適切じゃねーかって、これは流石に引きますね……」


「抜粋するな」


「やっぱり、私のことも書いてあります?」


「……書いてねえよ」


「嘘だ」


「もう返せ」


 絵衣美から呪いの書をむしりとった。


 もうやだ。お前を殺して、俺も死ぬ。


「大丈夫ですって、それぐらいのことは誰にでもありますから。明大先輩は、大丈夫ですよ」


「その台詞は今聞きたくねえよ」


 先ほどまでの絵衣美とのやり取りは、実は全部幻だったんじゃないかとすら思えてきた。不覚にも絵衣美に感動し、神格化すらしてしまいそうな気持ちだったが、もう絵衣美に対する崇拝心など、微塵も残っていなかった。


「まあまあ、私も自分の設定についてノートに纏めたりしていましたし、おあいこですよおあいこ」


 フォローのような台詞を吐かれた。嘆息するけれど、重苦しい気持ちは、呼吸一回分も軽くならない。


「俺は見てないから、今度見せろよ」


 絵衣美は、大きく首を縦に振った。


「はい、嫌です」


「じゃあおあいこじゃねえじゃん」


 同じ土俵には立たせてくれないようだ。いつの日か必ず、こいつの黒歴史を直に目撃してやろうと心に決めた。そしてこの出来事は、後で呪いの書に加えておこう。忘れても、決して忘れないように。


「最悪だ。千夏も俺にノートを見られたことを知ったら、こんな気持ちになるんだろうか」


「水崎先輩もそんなことしてるんですか? それはなんというか、仲がいいですね」


「仲良くはねえから、こんなことになってんだよ」


 そんな仲が良いとは手放しで言えない相手に、再び会ったところで、俺は果たして何を言うべきなのか、完全には定まっていなかった。今回の出来事のカラクリについては見えてきたけれども、千夏の考えについては、実際に話をするまではわからない。色んな人に助けてもらったけれど、非情なことに、上手くいくかどうかとは無関係だ。とりあえず話はしたいが、どうしていきたいかについては、真中明大がどう折り合いをつけるのかは、まだ未確定だ。


 ここまできて、途方にくれる。祭囃子の太鼓が聞こえる。俺の心とは裏腹に、お祭りムードは上昇を続けている。夏の本番は、間近に迫っていた。


「誰にも見られたくないものはどこにでもあるものなんですね。いっそのこと、見られるくらいなら、派手に葬り去ってみたほうがスッキリするかもしれませんね。それこそ儀式化してしまうなんてどうでしょう。ノートのお葬式みたいな」


 妙案を思いついたというように、頷きつつ絵衣美は空想を語る。


 突如、脳内を閃光が駆け抜けた。シナプスが電流を司り、大脳小脳脳幹などが稼働し、勢いよく脳細胞が活動を始めた。イメージがハッキリとしたアイデアとして脳裏に浮かぶ。そうだ、儀式と祈りだ。乗ってくれるかどうかはわからないが、形作れなかったエンディングを演出するのには、充分なシチュエーションが整いつつある。


「うん、いいかもしれない。儀式と祈り。千夏が何を考えているかは知らんけど、俺は俺のやりたいことをやってやる」


 天啓を受ける、とはひょっとするとこのような感覚なのかもしれない。夜が明け、霧が晴れていくように、もやもやとした雲間から光が射したかのような心地よさを感じた。


「なんだかよくわからないですけど、お役に立てたのなら良かったです」


「おう、ありがとな。それで物は相談だ。さっきのフィギュアのことなんだが」


「もちろん、被った分は差し上げますよ」


「いらない」


 絵衣美は首を斜めに傾け、困惑を表情で表した。


 残念ながら、俺が欲しいのは中身じゃないんだ。


「カプセルの方を全部くれないか?」


 祭囃子の太鼓は、いつの間にか鳴り止んでいた。

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