5章ー2

「失踪した、というのは別に嘘というわけではないんですよ。ただほんの一日足らずの出来事だっただけで。一ヶ月ちょっと前ぐらいに、確か高階さんから食事の誘いがあり、ご一緒にランチを楽しみました」


 古びた木製の机を挟む、二対のパイプ椅子。その両端に、俺たちは座った。相手の表情は伺えない。背中合わせに座っているからだ。顔を付き合わせていると罵詈雑言が絶えないので、冷静な話をするために、向かい合わないことにしたのだ。


「内容は、高校生時代の友人や、知り合い、または知り合い未満の方々も含めた近況報告がほとんどでした。といっても、明大もおそらく聞いていると思うので、知っている前提で話をしますが、人付き合いというものが面倒になってきたこともあり、他人の近況なんてほとんど知りませんでした」


 高校を卒業し、大学に進学後に就職。二回の転職を経て、また退職。確か千春に教えてもらったのは、そういった流れだったはずだ。


「何故高階さんとの交流が続いていたのかと言うと、ただ単に彼女は私に連絡を続けてくれていたから、それだけの話ですよ。仕事も辞めてしまって途方に暮れていたということもあり、気まぐれでお誘いを受けさせてもらいました。そして、食事が終わり、そろそろお別れのタイミングと思ったのですが、彼女は、少し言いづらそうに、けれども晴れやかな表情で自身の近況を語りました。今度友樹と結婚するんだ、と」


 俺が友樹に飲みに誘われ、結婚の報告を受ける少し前に、千夏も高階さんから結婚の報告を受けたらしい。クラスメイトだった奴も何人か結婚をしていると噂では聞くし、そう珍しいことではないが、めでたいことではある。


「おめでとうございます。そんな誰でも言えるような、祝福の言葉を送り、その場は別れました。真っ直ぐ自宅に帰ったのですが、段々落ち着かない気持ちが湧いてきました。その感情の詳細については、語るべきほどのものではないのですが、ともかくいてもたってもいられなくなり、気がついたら黄昏時にも関わらず、外に飛び出しました。別に何処かに向かいたかったと言うよりは、ここに居たくなかった、留まっていられなかった、というほうが正しい感覚なのかもしれません」


 わからなくもない、と言ったほうがいいのかもしれないが、やっぱり俺は言わない。俺と千夏は当たり前すぎるほどに違っているから、気持ちがわかるよなんて、偽善めいた言葉は言えない。


 ただ、友樹に結婚すると告げられた時に、前向きな気持ちと同時に、どこか落ち着かない後ろ暗い気持ちは、確かに感じた。


 同性で、元クラスメイトで、友達。人生の一部を共有した奴が、社会人として一歩先に行ってしまったような感覚。そのことを自覚してしまうと、寂しくて、悔しかった。


「気がつくと、私は懐かしさの詰まった、高校の前にいました。仄暗く不気味な夜の学校に足を踏み入れることに躊躇いはありましたが、不思議と恐怖はなく、フラフラとした足取りで浸入を試みました。玄関は閉ざされていたので、メタセコイアを囲んでいるベンチに腰をかけて、生温い夜風を浴びていました。何やってんだろうって呟いた時に思い浮かんだのは、高校生時代の思い出でした」


「どんな、思い出だったんだ?」


「くだらないことが大半ですよ。派手に髪を盛り盛ったように喚くギャル達がとても煩わしいなとか、スポーツ能力にかこつけて、自尊心を満たしている猿みたいな男子が下品だな、とかそういう不満じみたものばかりですね。そして、一番腹立たしく、失礼な物言いばかりだった捻くれ者を、不覚ながら、本当に不覚ながら思い出しました」


「誰のことだろうな」


「自覚がないということは、本当に救いようがないですね。まあ本気で世界に対して鈍感で、感受性に欠けているのだとしたら、それはそれで、幸せなことなんでしょうけど。ともかく、思い出したことは、怒りを増長させることばかりでした。でも、その時の私は、そんな怒りをぶつける場所なんて、どこにもないことに気付きました。全てがバカらしくなると同時に、虚しくなりました。ただ時間だけが経過して、結局自宅に戻ったのは深夜でした」


「それで」


「うまく眠ることは出来ずに、浅い眠りと夢見がちな覚醒を繰り返しているうちに、夕方になりました。学校から帰ってきた千春に、昨日どこに行ってたのって怒られてしまいましたよ。まあ私もなんだか疲れていたので、ついつまらない昔話をしましてね。そしたら、千春はちゃんと覚えていたんですよ。少し縁があっただけの捻くれ者のことを。まさかその日がたまたま、そいつの誕生日だってことまで覚えていたことには驚きでしたけど。ちなみに、私が覚えていたのは、決して祝ってあげようといった善意からではないので、勘違いしないでくださいね。むしろ祝いの言葉ではなく、呪いの言葉をプレゼントしてあげようと思っていただけですから。漢字にすると、似たようなものでしょう。この時のやりとりについて、詳しいことは語るつもりはありません。ただ」


 そこまで言って、千夏は長々とした独白を区切った。日が傾き、段々と藍色が侵食し、濃くなっていった。遠くの喧騒や祭囃子は、賑わいを連れてきているようで、この場に二人きりしかいない教室とは、全く真逆の雰囲気を感じていた。


 群れて、何も考えずに遊び、騒ぎ、はしゃぎあい、金銭を使い、笑い、走り、感動する。一体となって、楽しみや歓喜を演出する。街全体が明るく照らされているような、前向きなエネルギーで満ち溢れているのだろう。


 そんな雰囲気に、当たり前に享受出来る眩しさに、完全に身を委ねることは出来ない。別に嘘くさいという風に言うつもりはないけれど、日常の中で最大に非日常的な出来事に、馴染みきれない。


 家庭、学校、職場、友人関係、大きく外れていることはなく、共存し、その場所にいることはできるし、俺は俺なりに世界と折り合って生きてきたわけだけど、ちょっとしたこだわりから、頑なさから、完全に染まりきることは出来ない。


 きっと千夏だって、千夏なりにうまくやってきたはずだ。俺以外の他人には評価され、崇拝にも似た憧れに晒され、期待には答え続けていたはずだ。


 それが、上手くいかなくなった。ちっぽけな不満を排出し続けていたことから、今までの関わりから、随分とめんどくさい奴なんだということは、俺にもわかる。いつからか、歯車が噛み合わなくなったのだろう。上手くいかなくなった。


 だからきっと、俺たちはこんなところに、いるのだ。


 千夏は、言うべき言葉を見つけたのか、ようやく続けた。


「何もかも終わっていないような感覚が確かにあって、過去のことから続いていく現状に、ムカついていました。ただ単に、ムカついたので、困らせてやろうと思った。ただそれだけのことですよ。ええ、やつあたりです」


 それ以上でもそれ以下でもない、と吐き捨てるように付け加えていた。


 やつあたり。復讐なんて大層なものではなく、いたずらというには、過ぎたやり方だ。まあ結果的だけを鑑みれば、大事にはならず、事件性もなかったということで、このまま流されて置き去りにされて、いずれは記憶の海に埋没していくような、物語と言うにはちっぽけすぎる出来事。


 俺は見事に水崎千夏まで辿り着き、千夏はやつあたりを終わらせて終了。ハッピーともバッドともつかない、ただのエンド。


 それでいい。


 わけがない。


「で、お前はこれからどうするんだ」


 わからなかったことがわかった。全てではないが、それはそれでいい。良くも悪くも終わったことだ。


 じゃあ、終わった後はどうする。エンディング後も続いていく、生きている限り続いていく終わりの続きは、どうするつもりなんだと、俺は問わずにはいられなかった。


 それはどのような感情から発露した台詞かはわからない。単純に心配だったという気持ちもあれば、やつあたりを受けた被害者として、けじめをつけろと文句を言いたい気持ちがあったのかもしれない。それとも、嫌いな部分も多い相手の、これからを訊いて嘲笑う悪趣味かもしれなければ、万が一突然変異的に湧き出した、ざっくりとした好意のような何かによるものなのか、判然とつかない。


 この気持ちに、確かな言葉は、見当たらない。


 適切で、簡単に表現出来る言葉は、見つからない。


 事実として残るのは、水崎千夏のこれからが、気になるということだけだ。


「私は、遠いところにでも、行こうと思います」


 淡々と吐き出された台詞に、心臓が跳ね上がる。


「おい、それって」


「勘違いなさらないでくださいよ。何もこの世から去るなんて、バカなことを言っているわけではないですから。死ぬのは、怖いです。少なくとも、生きている方がマシだと思えるくらいには、人生に絶望しているわけではないですから。言葉通り、ちょっと遠くへ行くだけです」


 抱いた懸念は杞憂として処理ができそうだったため、胸を撫で下ろした。


「遠くへって、どこへ何をしに行くんだ?」


「さあ、目的なんか特にないですから、検討もつきませんね。ただ、一つ言えることは……私は少々疲れました」


 その声色は、張りがなく、空気中に溶けていきそうなほど弱々しい。まるで、玉手箱を開けてしまい、一気に老け込んでしまった者のように感じた。


「学生の頃は、どれだけ守られた環境にいたのかって、今であれば思いますね。ねえ明大。あなたは今も社会の歯車としての役割を全うしているのなら、わかりますよね。社会は理不尽で、人間関係は複雑怪奇。利益が優先で、意味がわからないルールに守られている。大まかなルールで言えば法律というものが遵守する指針ではありますが、社会の中における独自の慣習に従わなければならないという、社会的なプレッシャー。本当に、くだらないですよね。でもね、そんな当然のことはわかっているんですよ」


 会社には会社ごとの、事業所ごとの、業種ごとの、部署ごとの、挙げればキリがないほどには、社会における特殊性は存在している、のだろう。


 ただ、そんなことはわかっているんだ。


「なんでみんな、理不尽さを、不平等さを、不可解さを、ありとあらゆる不満や不安を、受け入れて、飲み込めてしまうのでしょう。折り合いをつけて、やっていけるのでしょうか。私には、わからないです。我慢なら出来ます。でも、我慢するだけでは、どんどん沈殿していく、言いようのない重みが、溜まり続けます。積もった重みが私の体を動けなくした時が、もう限界の時ですね。私は、新たな場所を探さなければ、生きていけないでしょう」


 溜まっていく感情をうまく吐き出せないなんて、そんな呼吸をしないような生き方。想像もしたくないくらい、息が詰まるような生活だろう。


「また新しい場所へ、違う場所へと繰り返しているうちに、きっと私が生きられる場所はどんどん小さくなっていくでしょうね。最終的に、私が行ける場所がなくなった時、もう動けなくなった時、それが終わりなのでしょう。かといって死ぬ勇気もないので、果ては何かしら援助を受けて税金を食い潰しながら、社会階層の底辺で無様に生きるのでしょう。そこは施設なのか、それとも橋の下か、はたまた病院か。まあ、どこだっていいんです。私がただ、生きているだけでいい世界であれば。そんなところが、本当にあるのかはわからないですけど」


 千夏に訪れた、細かい事象を何も知らないが、千夏にとっては、今までの経験が、少なくとも本人とっては、すっかり塞ぎ込んでしまうには充分すぎる経験だったんだろう。経験が人を形作っていくのなら、今の千夏は失敗に形成されていた。失敗が積み重なって、失敗で完成していった。ネガティブさはさらなるネガティブさを呼び、負の連鎖に繋がれながら螺旋の道を落ちていく。その最中を、受け入れているように見えた。


 俺よりも容姿がよくて、頭もよくて、身体能力も悪くはなく、人間のスペックとしては、悔しながら上なんだろう。けれど、その精神性の幼さを、哀れに感じた。子供は駄々をこねながら、自分に見合った要求の精度を学んでいき、折り合いをつける方法を学んでいくものだろうが、受け入れきれなかったのだろう。


 何が原因だったのか、何かきっかけがあったのか。


 けれど、冷たいのかもしれないが、そんなことは今更どうでもいい。


「なあ、千夏」


「なんですか?」


 言ってもいいのだろうかと、躊躇う。傷口に塩を塗り込む行為を、喜んで行えるほどには、残念ながら歪んでいない。悩む。ここにきて、ここまできて、尚悩む。御膳立があって、舞台設定があって、辿り着いた今この瞬間でも、悩んだ。


 千夏と言い合う日々に特別を感じていたけど、決して叩き潰したいわけじゃないんだ。


 ふと振り返り、背中合わせになっている千夏を見る。頭が斜め下を向いているので、目を伏せているのだろう。こんなに弱々しく小さい背中を見るのは、初めてだった。ドンドンとこの背中が小さくなっていき、きっともう俺には見えない世界に行ってしまうんじゃないだろうか。そんなファンタジー染みた想像すら浮かんできた。


 感情が痛みとなって襲ってくる。そして、そのことを、自覚する。


 ああそれは。


 とても寂しいな。


 その感情の正体を捕まえた時、千夏に言葉をぶつける覚悟が出来た。


 自慢じゃないが。いや嘘だ。これは自慢になるが、水崎千夏を苛つかせることに関しては、俺はきっと世界中の誰よりもうまいんだぜ。


「お前の事情なんか、どうでもいい」


 返事はない。返事も返せないくらいになってしまっているのか、はたまた別の感情なのかは判断出来ない。


「お前の幼少期に何があったのかも、出会ってから色々とあった高校生活で何を思っていたのかも、それからお前に訪れたいざこざも、そしてこれからちっぽけな世界を望んで、あるかもわからない安息の地を探すことも、全部どうでもいい。勝手に探せばいい。俺には関係ない話だ」


 千夏は喋らない。千夏は何も、喋らない。


「俺が今日ここに来たのは、お前と仲直りしにきたわけでも、好きだなんて告白しにきたわけでもない。折り合いをつけて生きてきたと思っていたけど、無様にも気にしていて、今までずっと引きずりまくってた、青春を終わらせるためだ。自分で選んだ選択に、今でも後悔している未練たらしい気持ちに終止符を打つためだ。残念ながら、お前を助けるわけじゃない」


「明大は」


 ついに千夏は、再び声を発した。


「やっぱり私を、助けてはくれないのですね。ちょっとでも、ほんのわずかでも、小数点以下の確率でも、あなたを信じてしまった私が、バカでした」


 声が震えていて、落胆の感情が色濃く染まっていた。


 それでも俺は、続ける。


「俺が今までお前を助けたことがあったか。一度だってねえよ。一度もなかったことを信じたんだとしたら、それはバカだ。高校生ならいざ知らず、俺たちはもう残念ながら、年齢上は大人になっちまったんだよ。どんなことをしようが、どんな自分になろうが、もうその責任は自分で取り続けていくしかないんだ。矮小でちっぽけな俺は、他人を助けている余裕なんかないんだよバーカ」


 口調に熱がこもり、思わず立ち上がる。勢いがついていたためパイプ椅子を倒してしまい、床とぶつかり大きな音が響いた。


 俺は叫んだ。僅かにでも残っていたかもしれない、千夏が考える俺に対しての可能性を潰すために。


 千夏自身が、千夏自身の力で奮い立てるように。


 安っぽい挑発を、叫んだ。


「ほんっと男らしくないですね。矮小さと人間の小ささを自覚しているところだけは褒めてあげますけど、魅力としては無に等しいですね。もういいですよ。自分のことは自分で決めます。明大になんか頼りません。ああもうなんで卒業式の日に、こんな奴をわざわざ待っていたのか、あの頃の私を理解出来ないです。口が悪くて、他人に冷たくて、友達が少なくて、自分勝手。そんなんだから未だに彼女が出来ないんですよ」


 千夏も立ち上がる。パイプ椅子がもう一つ倒れる、金属がぶつかる音が再度響いた。感情が振り切れて、ついには怒りに変わったらしい。いい意味で、瞳が尖り、燃えていた。そうだ、それでいいんだ。俺と千夏のコミュニケーションは、いつだって攻撃的だったから。


 怒りをぶつけられているにも関わらず、俺は不謹慎にも笑ってしまいそうだった。


 そうだ。水崎千夏の中で、唯一と言っていいほど、飾らずに好きと言える部分があるとすれば。


 生き生きと怒りをぶつけている姿だ。


 まあなんでかと言えば、俺が接っしてきた中では、水崎千夏が一番素直になる瞬間なのだから。


 それはそうとして。


「なんでそんなこと知ってんだよ」


「高階さん経由で松澤さんから聞きました」


「まつざわああああ」


 今度潰す。


 お互い、肩で息をしていたが、睨み合っているため視線は外さない。日はほとんど暮れかけており、紫色の空が、夕暮れを侵食しようとしていた。クーラーなんてものはないので、お互い汗だくだ。張り付いたカッターシャツが気持ち悪い。


「どうだ、ムカついたか?」


「ええ、とてもムカつきましたよ。今すぐにでも帰りたい死ねくらいですよ」


「せめてもう少しさりげなく言え。いい感じに心と体が温まったところで、そろそろ本題だ」


 俺は、以前友樹とこの部屋を探索した時、こちら側に動かしていた引き出しを開けて、中身を取り出した。


「これなーんだ」


 千夏が俺の手にある物を認識した瞬間、紅潮していた顔がみるみる蒼白に移ろい、驚愕と動揺がごちゃ混ぜになって、複雑な表情へと変貌した。


 タイトルはもちろん、現代社会哲学。


「あ、ああ。なんで、明大が」


 金魚のように口をパクパクと動かしている千夏を尻目に、適当にページをめくった。


「元担任に、うわあ高階さんのことも書いてあるのか」


「読まないでください」


「小口さんという名前のくせに、大口開けて笑ってるとか品がないってか……ちょっとおもしろいじゃねえか」


「抜粋しないでください」


「なんか俺に対する文句が文章の八割ぐらいあんだけど」


「いやあああああああああああ」


 けたたましい千夏の絶叫に、思わず耳を塞ぐ。こんなに感情をむき出しにする千夏を見るのは久しぶりだった。テストの点数で対決した時、勝ったことをいいことに、煽り散らした、あの出来事以来だ。


「もう嫌です。今ものすごく死にたくなってきました。これを見せるくらいなら、胸をさらけだしたほうがまだマシです。出さないですけど。もう決めました。明大を殺して、私も死にます」


 半狂乱気味だった。


 絵衣美に俺の呪いの書を目撃されたことが、いいヒントになった。少しだけ胸がスッとしたけれど、同時に同情心も湧いてきた。


 さて、やっと状況が整った。


 まずはブレザーの内ポケットに忍ばせていたノートを取り出し、机の上に置いた。千夏が訝しげに眺めるが、続けて内ポケット、外ポケット、ズボンのポケットと順に中身を取り出して、机の上に並べた。球体のそれは、絵衣美から譲ってもらった、ガシャポンのカプセルを、黒いマジックペンで塗り潰した物だ。


「なんですかこれは? 呪いの書と、黒い物体。そんなものを取り出したところで、私の怒りはおさまりませんよ」


「おさめなくてもいい」


 千夏は、わけがわからないといった様子で、俺の置いた物を眺めていた。そりゃわからないだろう。絵衣美が実行していた儀式と祈り。今思えば、正音と競争をしたことも、儀式としての一環だったのかもしれない。ただ、俺がやろうとしていることは、祈りなんていう高尚なものではない。


 あえて名前を付けるとしたら、そうだな。


 儀式と、怒り。


「千夏、野球しようぜ」


「はあ?」


 青春最後の遊び。


 暴言ノックを始めよう。

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